第11話 郷愁は呼び水で
「優しすぎるんだよなぁ」
演技には思えなかった。
いや、演技だったのなら大したものだ。もし演技だったなら俺は確実にここで死ぬ。
「会ったばかりの俺の事なんて見捨てればいいのに」
どうも本気で自分の責任と感じている節があった。
「優しいだけの馬鹿だったら俺の言葉に安心してベッドに戻れたのにな」
去り際の彼女の姿を思い出すと自然に手が動き酒をぐいっと呷っていた。
「……あっ」
やってしまった……。
これじゃあいつもと同じじゃないか。
もったいない飲み方に後悔しつつ、なんとなく気を紛らわそうとこれからのことへ思考を切り替える。
「まず、当然逃げる」
猶予は多くはないだろうが無くもないはずだ。
帰す方法が無い中ですぐに殺さなかったのは確実に証拠を残さないためだろう。
日時を指定しなかったのもそのため、少し状況が落ち着いて不確定要素が無くなるのを待つはずだ。
つまり、逃走の手はずを整えるくらいの時間はある。
問題はその手段と協力者だ。
何せこの世界では俺には金どころか力も一般的な知識もないのだ。
一人でやり切るのは難しいどころじゃないだろう。
どうにもならなければ最悪王女さまに頼んでみるか。
さらに負担をかけるのは心苦しいけれど、命さえあればいつか報いることも出来る。
「それにしても、まさか異世界とはな」
手の中の酒を見てしみじみと呟く。
この世界にも酒はあるだろうし探せば似たようなものはあるかも知れない。
だが、やはり同じものには二度と出会えないだろう。
この酒だけではない。
景色、料理、音楽、本に枕にマットレス。
他にも好きだった物そうでない物、その全てがもう二度と手に入らない。
……当然、友人たちにも二度と会えない。
彼ら一人一人に思いを馳せつつスキットルを傾ける。
「ははっ、まぁ、今生の別れなんて死人以外に告げたことはないからな。どんな顔をして別れたらいいか戸惑わなくて済んだのはよかったかもな」
向こうがどうなっているか知る由もないが、いきなり消えた俺にてんやわんや戸惑う姿を想像すると、去り方としてはこの上なく面白いような気がする。
思わず頬がニヤリと歪んでしまい、誰に見られている訳でもないのに誤魔化すようにまた一口呷った。
「あぁ、だがカラスミのパスタだけは最後にもう一度食べたかったな」
明日、トルコの馴染みの店で食べる予定だったシンプルながら力強い料理を想う。
先ほど食べた料理も文句を言う程ではなかったが、昨日からその口になっていたのだから仕方がない。
それでも、先ほどまでより明るく考えられるのは一通り心に整理がついた証だろうか。
「つねづね心がけていたつもりだったが……なかなかすっぱりとはいかないな」
人の命などふとした拍子に事故や病でだって失われてしまう。
そうでなくとも裏社会で仕事をしていたから、普通よりも危険がつきまとっていたのは確かだ。
明日どうなるか分からない。
だから、後悔しないようにその時を愉しみ今日を生きていた。
そのつもりだったが……人の欲は、いや俺の欲は限りを知らないようだ。
こんなにも、名残惜しい。
苦笑いしつつ残りを確かめるようにスキットルを揺らす。
失ったものに代わり手に入るもの、気づいてなくて既に入ったものもあるのだろう。
だが、それを享受できるかどうかは王の手より逃れられるかに懸かっている。
王は、人としては、歯が立たないほど強い相手ではない。
ただ、敵として国家は紛いもなく巨大であり、対する俺にあるのはこの身一つのみ。
「……はっ」
それでも逃げ果せてみせるさ、自慢にはならないが場数はそれなりに踏んでいるからな。
覚悟が決まり頬が緩む。
でも、今度は隠さなかった。
「綺麗な空だな……」
星々が明るく映える雲一つない美しすぎる夜空を見上げる。
時たま酒を愉しみ、もう片手に葉巻がないことを思い出して寂しがり、よくも悪くも新たな始まりをひしと感じた。
スキットルの中身が半分くらいまで減った頃、冷えてしまった身体に気づき部屋へ戻ろうと蓋を閉める。
ふと、部屋の中に人の気配を感じた。
そっと伺うと着替えか何かを手にしたメイドが俺の姿を探しているようだ。
俺は驚かせないようにわざと音を立てながら部屋へと入って行く。
でもその時、何故かこっそりとスキットルをズボンのポケットに押し込んでいた。
「まるで大人の目を盗んで悪事を働く思春期のガキみたいだな」
思わず自嘲気味に笑みが零れる。
そんな俺を見て不思議そうな表情のメイドに、何でもないと礼を言ってベッドへ向かった。
これまで通り、今日もゆっくりとは眠れそうにない。
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