第9話 若気の至り
長い一日の終わり。
食事を終えた俺は身体に合わなくなったジャケットを脱ぎ、適当にソファーに放ってベッドに倒れこむ。
宛がわれた部屋は広さだけはそれなりにあるが、現代のホテルと比べるとやはりいまいちだ。
調度品は華美ではあるものの俺の趣味ではないし、比べるまでもないが利便性に欠ける。今寝ているこのベッドもあまり寝心地がよくない。
「それにしても、俺が遊び以外で賭けに負けるとは……ずいぶんと久しぶりだな」
ほぼ確実に帰る方法はない。
いや、もちろん神とやらの力で連れて来られたのだから、この国に無かったとしても存在しないとは言い切れないだろう。
だが、あろうが無かろうが、少なくとも王にその気が無いのは確かだ。
「ま、今は帰る方法を探すより、まずは自分の命か」
王がどれくらい俺のことを敵として認めているかは分からないが、あの空虚な謝罪は彼からの処刑宣告だろう。
何度か耳にしたことのある謝罪によく似ていた。
悪いとはこれっぽちも思っておらず、嘲りに少しの憐憫が添えてあるアレだ。
といっても、俺自身言われたのはこれが初めてだ。
ああいうセリフを何度も言われて生き残るのはちょっと簡単ではない。
事実、俺が頼んでもいないのに聞かされたのは、言われた奴が失敗の見せしめに頭を吹き飛ばされる直前だったからな。
「それにしても……無かったかぁ」
思わず口からグチが漏れ出す。
あまりにも帰りたいという気持ちが強かったせいだろうか。
こちらに来させる方法があるのなら逆に帰る方法もあって当然と、頭のどこかで思い込んでしまっていたのかも知れない。
おかげでこのザマだ。
安全策を取らなかったことに後悔は無いが負けたことは正直悔しい。
巧遅は拙速に如かず、ではないがもともと無駄に時間をかけるのは嫌いな性質だ。
周囲から見ればせっかちにも映るそれは、俺の欠点であり長所でもある。
でも、よくよく考えれば今回の負けは勇み足が過ぎる気もする。
そうだ、思い込みもそうだが何故かイケるという気持ちが思いのほか強かった。
なんというか、それはまるで血気にはやる若者のようで……。
「あぁ、くっそ、身体が若返ったせいじゃないだろうな」
頭に過った可能性にため息交じりに毒づく。
人格まで若返った訳じゃないんだ。
年寄る波から解放された身体の対価に心が暴走するようになったのでは笑えない。
「はぁ……。いや、仮にそうだとしても一度失敗したんだ。もう次は無い、よな?」
まだ慣れない自分の身体と心に問いかけるようにしばらく反省していると、扉の方から控えめなノックが耳に届いたので応じた。
すると、入ってきたメイドが予想外にも神託の巫女である姫の来訪を告げたので、俺は慌ててベッドから起き上がって彼女を迎える。
異世界だとは知らなかった初対面の時と異なり、今の彼女は誘拐犯でも異常者でもない。
現状、ほぼ唯一の礼儀を弁えた常識人だ。対応も自然と変わる。
「いきなり押しかけて申し訳ございません。ですが、至急お伝えしたいことがございましたので参りました」
「いえ、私はしばらくここに厄介になる身。そのようにお気遣い頂くのは勿体ないことです。どうぞこちらにお座りください」
夜に彼女のような身分の女性が男の部屋を訪れるのはどうなのか、とも一瞬思ったが、客の身で無下に扱うのもどうかと思い直し席を勧めた。
異世界だとは知らなかった初対面の時と異なり、今の彼女は誘拐犯でも異常者でもない。
ずいぶんと久しぶりにまともなやり取りをした気がするが……一人か。
急ぎの要件とは一体なんなのだろう。
だが、彼女は席に着かないどころか、こちらに向かって頭を下げる。
「ありがとうございます。あの、私があなたを召喚しなければこんなことには……大変申し訳なく思っております」
「いえ、謝罪には及びません。これもいい経験です。異世界などあるとも思っておりませんでした。それにそのうち帰していただけるそうではないですか。その間の衣食住の世話までして頂けるのですから、しばしの休暇と思い楽しませていただきますよ」
恐らく彼女もあの王に命じられてやっただけ、彼女に恨みは無い。
それでも自分の命のため、にこやかに笑って宥めつつも軽く情報収集にジャブを入れる。
これは本当に嫌がらせでも何でも無いただの探りだったのだが、思った以上に彼女は反応してしまった。
悲し気な顔はさらに俯きがちに、身体も心なしか小さく縮こまっている。
……まさかな。
嫌な予感が当たるのは当たった時の印象がより深く残りやすいからで、実際の確率は大して変わらない。
そんな考えを持つ俺に反証するように彼女は小さく呟いた。
「――ないんです」
「申し訳ない、今なんと?」
「出来ないんです……送り還す方法は無いんです。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
彼女は今にも泣きそうな声で謝るが、俺としてはむしろ教えてもらって助かった。
彼女の証言でほぼが確信に変わったのだから。
これで疑う余地なく行動することが出来る。
「いやぁ、驚きました。ですが、それを私に教えてもよかったのですか?」
「……悪いことは早く分かるほど失望も小さいかと思いお話しに来ました。ですが、その、出来れば他の方には内密に願います」
少し気を持ち直したのか王族としての意地なのか、国益が害されることは避けたいと彼女は頼んでくる。
それならわざわざ教えに来なければいいのに、と思いつつもその優しさを微笑ましく思う。
だから、表向きはその優しさに応えるように聞こえのいい解釈を伝えることにした。
「もちろんですよ、お気遣いありがとうございます。国王様も姫さまと同様に私を慮って下さったのかもしれませんね。私が来たばかりで動揺していたのが手に取るように明らかだったのでしょう、お恥ずかしい限りです。後日、落ち着いてから真実を話そうとして下さっているのではありませんか?」
これでもう少し彼女の人となりと言うものが分かるだろう。
そう考えて様子を伺っていると、彼女は驚いたような顔をした後、フっと笑ってこう言った。
「叔父が、ですか……いえ、おっしゃる通りかもしれませんね」
その後、彼女は何か逡巡しているようだったが遂には何も言わず、暇を告げて部屋から出て行った。
去り際も愁いを帯びた表情とちいさな後ろ姿が、妙に俺の心に引っかかった。
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