軌跡を味わう

月井 忠

第1話

 早起きをして魚河岸に出向く。

 すでに活気づいていて、威勢のいい声が飛び交っていた。


 私はその集団に一眼レフを向けシャッターを切る。

 仕事以外でカメラを持つのは久しぶりだった。


 他にも市場の建物、近くの店舗を写真に納める。

 魚河岸の雰囲気が少しは写し出せただろう。


 私はこの土地の人間ではない。

 しかし、父はこの港で育った。


 先祖から続く漁師の家系だったと言う。

 父は継ぐことを拒んだ。


 祖父とは大いに揉めたらしい。

 勘当同然の状態で上京し、普通のサラリーマンとなる。


 折しもバブル景気真っ最中とのことだったから、稼ぎは良かったのだという。

 それこそ、漁をするより儲かったと言っていた。


 まるで自分のことのようだった。

 父は私がカメラマンとして働くことに反対した。


 私も父とは仲が悪かった。

 高校を卒業して進学もせず、カメラの修行と称して家を出た。


 私と父は似ているのだろう。


 少し違うのは、祖父母は私が生まれてすぐに亡くなったことだ。

 仲直りの機会は訪れず、この土地との縁も切れた。


 そのため、私にはこの漁港の記憶がない。


 少し歩き疲れた。

 目に留まった寿司屋に入る。


 こぢんまりした店ではあるが小綺麗だ。

 朝市の魚目当ての観光客がちらほらいる。


 席について適当に注文をする。

 資金は少ない。

 あまり高いものは頼めなかった。


 壁に貼られたメニューを見ながら思う。

 父がこの地に来ることは、もうできないだろう。


 東京の実家にいる父はほぼ寝たきりだ。

 外出ができる状態にはない。


 そんな父がぼそっと言った。

「故郷を見てみたい」


 おそらく死ぬ前にということだろう。

 私がここにいる理由は、それだった。


 出された寿司をつまむ。


「うまい」


 誰に聞かせるでもなく、言葉が出た。


 父にも食べさせたい。

 ふいにそう思った。


 写真ならもう十分だ。

 この漁港の雰囲気を味わうには、この寿司が必要だと思った。


 ポケットから携帯を取り出す。

 父の看護をしている人にメッセージを送った。


 少しでいいので、父に寿司を食べさせることはできますか?

 しばらくすると、少しなら、と返信があった。


「大将、持ち帰りできますか?」

「ええ、できますよ」


 父に自分の軌跡を味わってもらいたい。


 父は祖父に親孝行ができなかったと嘆いていた。

 代わりと言っては何だが、私が父に親孝行をしてやろう。


 そこだけは、私と父は似ていない。

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