第150話 夢姫、挑戦する。(14)

 夢姫の耳がぴくりと動きます。しかし素直に「空いている」と答えることはできません。

 

「よろしければ、ここに朝市で買ってきた焼き立てのパンを置いておきます。わたくしが扉から離れたらお取りになってください」

 

 腹の虫がぐうっと鳴ります。しかし「いえ、これは罠かもしれないわ」と夢姫は首を横に振りました。

 

「夢姫様のご無事が確認できただけでなによりです。今日は肉屋に行って娘さんに会うことができないか話をしてきます。では失礼いたします」

 

 扉の向こうから足音が遠のいていくのが聞こえました。それが面倒姫の足音なのか、夢姫には判別がつきません。

 

 玄関の小脇にある小さな窓から外の様子を伺ってみます。馬車の方へと向かっている面倒姫の背中が見えました。馬車の前には第一王子と第二王子の姿が確認できます。

 

「ひょっとして本当にパンを届けに来てくださっただけなのかしら……」

 

 ぐうっと鳴るお腹をさすります。料理のできない夢姫にとって背に腹は代えられません。馬車が出て行ったのを見届けた後、玄関の扉をそっと開けました。両脇から誰かが出てくることを警戒しましたが、誰も出てきません。王城からの騎士らはただこの館の警護をしているだけです。

 

 夢姫は少しだけ拍子抜けしながらも、足元に置かれたバスケットをさっと館の中へと入れました。被せてある布を捲ると、たちまちに焼き立てのパンのいい香りが立ち込めます。

 

「うーん。とっても美味しそうね」

 

 つい声が弾みました。「牛乳もあったし、早速朝食にしましょう」と、夢姫はそれを持って炊事場へと向かいました。炊事場にはちょっとしたテーブルと椅子があります。少しお行儀が悪いかもしれないとも思いましたが、そこで朝食をいただくことにしました。

 

 カップ並々に牛乳を注いで、椅子へと腰をかけます。バスケットに入っているクロワッサンを取り出し、ちぎって口に頬張ります。

 

「これは……!」

 

 頬っぺたが落っこちるかと思いました。口に入れた瞬間、すぐに分かりました。夢姫の大好きなパン屋のパンです。いつもは少し冷えたものをいただいていましたが、今日は焼き立てです。格別の美味しさです。

 

「第二王子の館に逃げ込んだらこんなに美味しいものがいただけるなんて……」

 

 それは至福のひとときでした。

 

「明日からも持ってきてくださらないかしら」

 

 そんなことはあるわけないと心の中で思いながらも本音が漏れてしまいます。バスケットにはパンが六つ入っています。

 

「とりあえず、今日はこのパンで凌ぐことにしましょう」

 

 朝はパンを二つ食べて、残りはお昼と夜にとっておくことにしました。

 

「でもどうにか料理をできるようにならなければいけないわね」

 

 炊事場をぐるりと見渡しました。差し入れを頼ることはできません。自分でできることを増やさないと、それこそ王国の御荷物となってしまいます。

 

「湯殿にだって入りたいし。準備はどうやってやるのかしら。ああ。わたくしは本当に何もできない人間だったのね」

 

「いつまで民の税金で養えばいいのか」という令嬢の言葉を反芻します。その言葉に胸が痛かったのは、夢姫自身も同じことを想っているからでした。それなのに面倒姫にかばわれたことは非常に惨めだったのです。

 

「姫として王城から出るには縁談しかないでしょうけれど……」

 

 国王陛下がそう易々と縁談を持ってくるとは思えません。なにより、この国で夢姫を引き取る貴族がいるとも思えません。

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夢(見がちすぎる)姫と面倒姫 茂由 茂子 @1222shigeko

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