第148話 夢姫、挑戦する。(12)

 早朝から何を言い出すのかと侍女は言葉に詰まりました。これまで何度も面倒姫の自由な行動に頭を悩ませてきましたが、今日ほど驚きを隠せない日はありません。

 

「城下町って今からにございますか!?」

「ええ。そうよ」

「なぜまたこんなに早く」

「美味しいパン屋へ行くのよ。焼き立てのパンは早朝にしかないでしょう」

「それはそうにございますが。それならば、騎士に行かせます。面倒姫様が行かれる必要はございません」

「違うのよ。パンを買って行きたいところがあるの。だから見逃して」

「まさかお一人で行かれるおつもりですか!?」

 

 侍女の大きな声が早朝の面倒姫の居室に響き渡りました。その声を聞きつけて、「どうなさいましたか」と他の侍女らも集まってきました。その様子に面倒姫は「まずい」と思いました。こんなに召使いに集まられては、ひっそりと抜け出せなくなるからです。

 

「面倒姫様がお一人で城下町へ行かれるというのです」

 

 侍女らと一緒にやってきた乳母に事の顛末を言いつけられてしまいました。乳母は面倒姫の頭の先から足の先までじろりと視線を送ります。蛇に睨まれた蛙のように面倒姫は動けません。

 

「面倒姫様と二人きりにしてもらえますか」

 

 乳母の申し出に集まっていた侍女らは一礼をすると下がっていきました。扉がきちんと閉まったことを確認してから、乳母はゆっくりと面倒姫へと近づきその頬に手を伸ばしました。

 

「なにか理由があるのですね?」

 

 面倒姫はゆっくりとこうべを縦に振りました。

 

「わたくしでなければならないことなの。どうか見逃して」

 

 乳母は大きく溜息をつきました。

 

「侍女らがあんなに集まってしまっては、内密にことを運ぶのも難しいことでしょう。なにか正当な理由をつけてはどうでしょうか」

「正当な理由……」

「ええ。皆が納得するような正当な理由です。例えば、あの事件の内偵調査に参る、など」

 

 あの事件とは肉屋の孫が貴族の馬車に轢かれた事件です。

 

「でもそんな」

「嘘も方便です。それにどうせ城下町に行かれるのであれば、本当にそうなさったらよろしいではないですか」

 

 乳母のその言葉に面倒姫の脳裏にぴんと電気が走りました。

 

「そう!そうですわね!早朝だからって遠慮しておりましたが、使えるものは全部使ったらよろしいのですわよね!」

 

 ターコイズの瞳の奥が希望に満ち溢れて輝きが増します。乳母は満足気に微笑みました。

 

「ではわたくしは何をすれば?」

「第一王子もしくは第二王子のどちらかに城下町へ今から参ることができるか連絡をしてくれるかしら」

「殿下方にですか?」

「ええ。夢姫様のためですもの。きっとお二人とも力を貸してくれるはずだわ」

「……かしこまりました。では連絡が着くまではここでお待ちください」

「なるべく早くね。焼き立てのパンを買わなくちゃいけないのだから」

 

 面倒姫からの連絡に、第一王子も第二王子も二つ返事で快諾しました。夜も明けきらぬ早朝だというのに二人が目を覚ましていたのは、面倒姫と同じように夢姫のことを心配したからでした。

 

 そんな周りの心配を知ってか知らずか、夢姫は第二王子の隠れ家にある寝台でぐっすりと眠りこけておりました。こんなによく眠れたのは久しぶりのことであったかもしれません。

 

 昨晩、周りが暗くなり始めた頃、一人で夜を明かすことができるのか、不安な気持ちがじわりじわりと夢姫の胸を占有しました。

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