7
シャカシャカシャカ。ちょろろろ________カンッ。
茶筅が回る音と茶室から見える鹿威しの音が、静かな茶室にいる紅葉の耳に聞こえる。
パソコンがお友達の紅葉にとってしばらくの正座は苦であり限界が近いのか足がピリピリし出してくる。
隣に座る紫苑は正座を解いており、退屈そうに胡坐をかいていた。
「堅い場じゃないから、紅葉さんも楽な体勢でいていいよ」
「…その、それじゃ遠慮なく」
辛かったならとっとと足崩せばよかったでしょう。紫苑の言葉に苦笑いで返しつつ、足のしびれに耐えながら体勢を変えた。
まさか、お茶をたてるところからだったとは。紅葉は先に出してもらった雪結晶を模した
「あ、二人とも来たね。待ってたよ~」
二人が茶室についた時とき、すでに青木は茶をたてる支度を整えていた。しかも、先ほど門前であった時の私服ではなく青いシンプルな着物姿で。
この短時間で着物に着替える事ってできるのか?羽織って帯を巻くのって大変そうなのに。
『和服』というジャンルを身に着けた経験がほとんどない紅葉はこんな早くに申請を通して先に来ていたことも併せ、ぱちぱちと瞬きをして不思議がった。
「ささ、お茶をたてるから入って入って。ね」
首を傾け微笑む青木。見る人が見れば顔を赤く染めるような美しさがある。
穏やかな笑みに「入るしかないかぁ」とほのぼの思う紅葉の隣で、紫苑は再度放たれている謎の力に息をのんだ。
なんで
先程の紅葉の発言によって来てしまったが、とっとと菅原邸に戻りたい。新作和菓子を食べてから。
「妖くん、どうかした?」
いっそう強く放たれるオーラ。ビリリとしっぽが揺れる。
「な、何でもないです。菅原紅葉、お茶がたつのを待ちましょう」
「ええ、勿論」
「それじゃあ先にこの干菓子をどうぞ。お茶は濃茶でも大丈夫かな?」
「苦みが弱い茶なら何でも大丈夫です」
「癪ですが右に同じく」
こんなことがあり二人は雲平を味わいつつ、青木が茶をたてる姿を眺めながらメインの新作和菓子を今か今かと待ちわびていた。
「よし、一人分完成したよ~」
「え」
「一人分?こんな時間かかったのに?」
茶の道を何も知らない二人は揃って驚いた。
しかし二人をよそに青木はさらに二つの茶碗を用意し、目の前に御札を用意する。
「そこは~よいしょ」
詠唱もなく術式が展開。淡い青色の光の後、空だった二つの茶碗には全く同じ濃さのお茶が入っていた。
「液体をコピーした…!」
「実際のお茶会だと怒られちゃうけど、今回はおうとう堂のお菓子と話がメインだからね。もっと待たせるのも申し訳ないし。内緒にしてね」
「現代の陰陽師って、こういった術も使えるんですか」
紫苑に視線を向けられた紅葉は「いやわからんです」と首を横に振った。
術を使った青木もそうないよとのんびり返しながら、優雅な手前で主菓子である新作和菓子とお茶をそれぞれ二人の前に用意した。
「おうとう堂の新作、雪月花。どうぞ」
待ちに待った新作は白い雪月花を模したデザインの練りきりだった。
職人が一つ一つの花弁に真心を込めたような模様と色合いは、まさに至高の作品と形容されるであろう美しさ。
「すごい…」
「これが日本トップの、ですか」
食べようとずっと待ってたのに、もっと見たくて手が足の上から離れない。二人は雪月花をじっと眺めその道を極めた者の技に感動していた。
まるで子どものよう。瞳をキラキラさせる姿に青木はふふ、と微笑んだ。
「あ…すみません、子どもっぽいところを」
「ううん。紅葉さんがそこまで感情を出してる姿、初めて見たから嬉しいよ」
前世のころから病んでいた紅葉は、表情や感情が表に出ることを極力しない。
否定の言葉やバカにしてくる言葉を浴び続けたせいなのか。表情筋も、感情の波も。しばらくのあいだ動くことはなく、自身もその動きを止めてしまっていた。
しかし昨日の一件から、時計のねじが巻かれたように再び動き出し始めている。紫苑に「にやけている」と言われたときも驚いたが、まさか今も表情があったなんて。
「昨日の夜もにやけてましたけどこの人」
「夜…?」
「あ、この抹茶苦くないんすね。この味は初めてかも」
一瞬で青木から殺意を感じ取った紫苑はすぐさま話をそらした。
紅葉もお茶を口に含んでみる。
あれ、なんだこれ。紅葉は目を開く。
普段ペットボトルの緑茶しか飲まない舌で初めて感じる、どろりとした舌触りにかすかな粘り。最初は苦みがあったはずなのに、二口め、三口めと含んでいけば徐々に甘さが現れてきた。
「本当だ。こういう場で飲む時って、もっと渋くて苦いものが出ると思ってました」
「練り方や濃さにもよるけど、甘い濃茶が作りやすい茶葉を選んだからね」
「練りとは?」
「濃茶…今回みたいなどろりとしてるお茶を混ぜるときに使う言葉だよ。茶葉に対して湯の量が少なくて、なでるように混ぜるからそう言われているんだ」
へえ。専門的な事を聞き二人は揃って感心の声をあげる。
茶の道は奥が深そう、紅葉は思った。
「手つきも慣れてましたし、昔から?」
「まあ色々親に仕込まれてね。でも、今回が一番うまく作れたかも」
「それを飲めたとは、ここに嫌でも来た甲斐があったというものです。むしろお土産がついたくらい」
「紅葉さんにそう言ってもらえて良かった~」
あっその件もそろそろ聞かないとね。手のひらをポンと合わせ、思い出したように青木が言った。
紅葉も紫苑も雪月花を完食し、真面目な表情になった。
「八幡どのが書いた報告書には民間人に危害を加えようと術を練ったと書いてあったけど、一昨日の犯人も捕まっていないし…昨日の件は同じ犯人の襲撃に対応したって感じなのかな?」
うわ、ほぼ満点の回答。紅葉は青木の推理を聞いて思う。
一昨日の襲撃の際に青木もトラップに遭い、紅葉が撃たれたことも知っているのだから当然である。
どこかの性格の悪いドンと違って。
だが書類にも頓珍漢なことが書かれているなら好都合。
「実は________」
一度、深く深呼吸。話すことを頭の中でまとめ順序だて、青木を見る。
______この妖さんは菅原家から派遣されたボディーガードなんです。でも、まさか襲撃直後に本家から来るなんて怪しいじゃないですか。ですのであの河川敷で戦ったんです。その時に勝ちたくて契約の術を使ったりしてたら探知引っ掛かりました。
「本当にすみません」
「……え、ええ!?」
カコン。ちょうどよく鳴った鹿威し。
「つ、使ったの?この妖に??」
今まで穏やかでにこやかだった青木が焦った表情で紅葉に近づいてきた。
紅葉は冷静に反応を見ながら「はい」の言葉を返す。
「こ、紅葉さん。この妖『紫苑』って、裏では名の知れた結構ヤバい奴なんだけど」
「紫苑さんって有名だったんですか?」
「さあ?あ~でも、国の偉い奴らからも依頼受けましたからね。妖の暗殺者自体が少ないし、多分?」
「そうだったんですね」
菅原家も何やってるの…。青木はみるみるちぢこまり、羽織を使って丸まった。
どうやら襲撃の犯人が隣にいることは隠せているらしい。
青木さん、意外と騙されやすいのでは?視線の先の丸からはぶつぶつとつぶやきが聞こえてくる。
「なんで紅葉さんは動じてないの~?」
「え。有名な暗殺者と言わても自分はまだ交流して日も浅いので。まず紫苑さんの内面を知る必要があるから、ですかね?」
経歴といった外の部分はいったん棚上です。これからを見て自分は判断します。
紅葉は動揺している青木に言う。
なんとなくの背景や人間への恨みを見たのだ。暗殺を生業にしていたとか関係ない。第一、社会の構造に従う人間たちによってある意味こっちは一度殺されてるんだ。射撃で即殺キレイ処理される?あの日、ロープによる気道圧迫がどれだけ苦しかったと思ってるんだ。
現代社会の生きる化け物どもに比べたら、紫苑さんはまだ道を変える希望のある可愛い猫。
こんな考え本妖の前で言えるわけないが、以上のことから追加情報を得ても動じることはない。
「はあ。…わかった、昨日の一件はうまく書いとくね」
「ありがとうございます、青木さん」
「となれば、紅葉さんにつけた式神二体を倒したのも紫苑さんなのかな?」
「あ、あれ貴方が作ったものでしたか」
「うん、そうだったんだけどね」
『なに危険が増すようなことしてるんだ?』と言わんばかりの、本日最も強力な圧。まるで鬼に睨まれているような、喰われてしまうんではないかと生存本能が警鐘を打つような恐怖。
「…スゥ______っ」
なんで菅原紅葉の周りはヤバい奴ばっかりなんだ。危険を察知して紫苑のしっぽが二本とも天井に向かいピーンとたつ。
秋がいないことだけが不幸中の幸いだろう。もしここにいたら「あらオス猫ちゃん怖がってるの!?んもうアタシを抱きしめて落ち着いて良いのよぉ~!」みたいなことを言ってジリ寄ってきたに違いない。
「あ、一応聞いておきたいのですが…ちなみに解除方法はあるんですか?」
「残念だけどないよ。『ここ』にはね」
「へえ、含みがある言い方ですけど。どこかにはあると」
青木は難しい表情を浮かべる。
紫苑さんと契約した話のとき以上に重いのでは?術の大きさだけに解除も厄介なのか?紅葉はじっと回答を待つ。
「陰陽師協会大宰府支部。そこで封印されている一冊の本にすべてが載っている」
「大宰府って、道真が祀られている神社があるとこじゃないですか」
「ああ、あなたの祖先の」
なんでそんな遠いところに?しかも封印なんて。
疑問を浮かべる一人と一体。
「現代の陰陽師が扱う言霊術や、紋章と言霊のみで『契約』という形を生み出したのは道真公なんだ。その際、生み出した術は本に記したらしい。善政を行う上で、かの御仁は生み出した術を用いて妖と縁を結び、国を建てなおしたそうだよ」
「そのあと、確か左遷されるんですよね」
そう。青木は続ける。
「妖たちと道真公は冤罪で大宰府に左遷された。その時、どうやら道真公を謀った左大臣『藤原時平』はその本を奪い、道真公と契約した妖たちをわが駒にしようとしたんだ。その思惑に気付いた道真公は、左遷された大宰府にその本を持って行った。でも彼は死後、そこで多くの呪いや厄災を振りまいてしまう」
その結果、道真の念を最も近くで浴び続けた私物たちは呪物に認定され、陰陽師協会大宰府支部で厳重に封印されている。
最も権力を持つ五席でさえも本の閲覧が難しく、まして九州地方の陰陽師たちにおいて畏怖の存在である道真の力を受け継いだ紅葉も、閲覧は…そもそも九州後に向かう事さえ困難だと青木は言った。
「でも解除方法があるってどうしてわかるんですか?」
「道真さまは死ぬ間際、契約をすべて解除なされた。主人の死で人間を恨む心に染まった妖が多かった中、夜一町支部にそう告げた妖がいたんだ」
「へえ。その妖は今どこに?」
「数年目に亡くなってしまったよ。ちなみに彼女が一番最初の支援妖だったと言われてる」
「死んだと?」
妖が死ぬなんてそうある事ではない。体の復元ができないほどに体を粉砕されるか、悪傀に喰われるか。
そんな昔から存在しているなら妖力が尽きて、なんてことはもっとあり得ない。
何があったのだろう。紫苑は原因が気になった。
「まあ彼女のおかげで紅葉さんに教えた内容は知ることができたんだ。でも、解除でどんな術式があったのか、何の言葉を発して縁が切れたのかまではわからなかったらしい」
「なるほど。わかりました、ありがとうございます」
多分帰ったら大宰府支部に乗りこめとか言われそうで怖い!紅葉は帰宅後の流れを察した。秋ちゃん呼んだらなんとかなるかな?いや難しいか。
「そういえば、支援妖になった方以外はどうしたんですか?」
「道真公の怨念と共に、百鬼夜行を行ったそうだよ。そのあとのことは記録にない」
「百鬼夜行って、あの百鬼夜行ですか?」
百鬼夜行。それは妖たちによる大行進を指す_______というのは紅葉の前世で言われているもの。この悪傀蔓延る世界での百鬼夜行は意味も内容も全く違う。
「多くの妖怪たちが人間へ怒りや恨みといった負の感情をぶつけ呪いを呪いたるものにする。現代では百鬼夜行を怨念の行進と形容する陰陽師もいるね」
「道真の怨念だけでも大きいのに、百鬼夜行も重なればそりゃあ私物一式を封印しますね。妖が多くいた平安時代なら簡単に100体集まるでしょう」
「へ、へぇー」
紅葉は話を聞いて思った。やっぱり元居た世界と違うんだなあ、と。
この世界の菅原道真、妖との契約も術も含め要素持ちすぎでは?もとあった学問の神様でもあるだろうに。
「ということで紅葉さん。犯人もまだ捕まってないから襲撃はまた起きるかもしれない」
でも!ピシと人差し指を立て、青木は真剣に言う。
「使ったら最強だけど、むやみに契約は使わないように!解除方法もわからないんだから。あと、紫苑さんもボディーガードの職務を果たすように」
「は、はい」
「…うっす」
カコン。鹿威しが鳴った。
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