6
紫苑と秋による追いかけっこも日が昇る前には終了し、今日も今日とて新しい朝が来た。
さて、そんな朝が少し経過したころ。
「ぐぬぬ…」
後ろ2文字にまで濁点が付いていそうな、搾られた声と共に白い息がもくもくもく。
まぶしい、寒い、眠い。昼夜逆転を極めた者にとって冬の朝8時は相当に堪える。何がどうしてぬくぬくの布団の中ではなく、外を歩いていなければならないんだ。
平日の日中に働く社会の歯車様方はなんで耐えられる、度し難い。これが日本の社会に適していない、そういう事なのか?
紅葉は大きくため息をついた。
「そんな嫌なら帰って寝てればいいんじゃないですか?」
紫苑は自分の主となってしまった隣のゾンビもどきに対して真冬並みの冷たい返しをする。
いやそれができたらどんなに楽か。楽を許さないのが社会の作り。
ゾンビもどきと扱われている紅葉は「ハハハ」と苦笑いで受け止めた。
彼らは現在、陰陽師協会夜一町支部へ向かっている。
理由は簡単。紫苑との戦闘で使った術が協会支部に設置されている霊妖力探知機に引っ掛かり、事情聴取として招集されたから。
悪傀討伐、調査依頼以外では、霊力の私的な使用時の強さに一定の規制ラインがある。これは陰陽師が他者への呪いや事件などに加担しないようにと設けられているのだが、当支部の腫物扱いされている紅葉は自衛であろうとライン越えは違反対象となってしまうらしい。
人は叩けるところは叩こうとする生き物。しょせん陰陽師も、どれだけ霊力があろうが神道に精通していようが人なのである。
「ていうか紫苑さんの方こそ、屋敷にいてよかったんですよ?呼ばれてるのは自分だけですから」
「あのやばい式神と2人きりはごめんです。あんたがマシってわけじゃないですけど」
「秋ちゃんそんなにやばいですかね?お茶目なだけでは…て、歩くのはやっ」
待ってくださーい。すたすたと先に行く紫苑の背中を追いかける紅葉。一方、歩く速度を速める紫苑の表情には靄がかかっていた。
あんなこと言われて、どうしてそうも菅原紅葉は平気そうにしているんだ。霊感のない人間には見えないようにしている二又のしっぽが、ゆらゆらり。
思い出されるのは早朝にかけられた紅葉への電話。耳が良いというのも、あまり良くないと思わされた電話。
「いや、ですから」
秋との追いかけっこに疲れ、スーツがかけられた空き部屋で眠っていた紫苑は、紅葉の声で目を覚ます。声は遠いから聞こえ、どこか焦っているような、困っているような色をしていた。
怪しい。なんてったってこっちは主従を組まされた身である。ひょっとしたら自分絡みではないか?
そう踏んだ紫苑はこっそり紅葉の近くへと向かった。
「あれは誰かに危害を加えようとしていたわけではなく…」
紫苑の部屋から間反対の位置にある菅原邸の玄関。そこで、スマートフォンを耳元に当て電話している紅葉を発見した。
耳をすまして相手の声を聴いてみれば、相手は彼に紅葉を殺すよう依頼した張本人。
夜一町支部のトップ
八幡常義。夜一町支部が出来上がる以前からこの町で悪傀討伐を行っていた、いわばここら一帯で仕事する陰陽師のドン。
そんな彼は、陰陽師協会の『五席』の地位につくことを野望としていた。
五席とは、陰陽道の能力や功績の最も高い五つの家系が座ることのできる、この界隈における最高地位のこと。席は陰陽五行説になぞらえており、それぞれ木席、火席、土席、金席、水席と名前がついている。
八幡は功績は残しているものの席は獲得できず、座ることができるほど力を欲していた。
しかし老いも重なれば席を取れたとて長くは座れない、急がなければ。
そんな中で夜一町に住んでいることが判明しスカウトされたのが紅葉だった。
紅葉の存在を知った八幡の思考に電流走る。それも悪い意味で。
「アレは菅原道真の力を色濃く受け継いだ存在。きっと、安倍晴明様が私に力を持つ機会をお与えになったのだ!!なんとありがたいことだろう!!」
まったく、すごい解釈のねじり具合である。
ただ身内が腫れ物扱いをして放置していただけだというのに。これ見逃すまいと八幡は、『常闇』と呼ばれる犯罪依頼のサイトに書き込んだのだった。
「紅葉を殺し、菅原道真の力を我が物とするのだ!そしてあの憎たらしい水席の坊主を引きずり下ろしてやろう!!あっはっはっは!!」
その書き込みを見て、依頼を受けた紫苑が夜一町を訪れていたのである。
無事に失敗して契約まで結ばされてしまったが。
「ちっ。あいつ、わざわざ生存確認かよ」
元からかける予定で準備されていただろうスムーズな応答と招集命令。
なんて性格の悪い電話だ。紅葉にとっても、自分にとっても。
何も知らない紅葉は戦った後のことを「驚いて家に逃げ帰った」とだけ伝え、式神と契約のことを伏せている。
しかし、真犯人である八幡には嘘がお見通しの状態。これは完全に依頼失敗とみなし、自分を処分の対象に加えたであろう。
これで菅原紅葉から離れられない。選択肢の消えた紫苑は壁にもたれかかった。
その直後聞こえた、あの一言。
『子を孕むことも孕ませることもしない後継作りの怠慢者が。そも、お前のそのよくわからない性別で就ける仕事は他にないというのに。よく違反行為なんてできたものだよ全く。わかっているのかね?自分の存在価値を』
回想終了。
それから紫苑はずっと紅葉の様子をうかがっているのだが、電話で言われたときから今向かっている最中まで、まったくと言っていいほど変化がなかった。あの発言を聞いていなかった、というくらいには。
しかしそれに対し、紫苑にはかなり変化が起きていた。
聞いた直後、彼は「ぐわん」と大きな揺れに襲われる。
否、決して体が揺さぶられたり、眩暈が来たわけでもない。"こころ"があるとされる左胸部から体の内側全てにかけて。今まで体験したことのない感覚が走った。
「なんで、あの言われ方は…」
まるであの時と同じじゃないか。
何かあるとすぐに『それ』を持ってきて、批判の要素にこじつけられる。
まさかあの理不尽さをこいつも受けていたなんて。
身分だけじゃなくて、性別でも似たような目に遭うのか?昔からあるものの中で叩くだけじゃないのか?俺の親は子孫を残すなと言われていたのに、その逆で菅原紅葉は責められてしまうのか?
何がどうなっている。頭の中で疑問がぐるぐると回る。
ことに、紫苑は今も昔も世情を知らない。現代でも触れてきたのは暗器とFPSやソーシャルゲームのみで、多様化という言葉だけが宣っている社会のことは一切知らないのだ。
それでよく暗殺の仕事ができていたな、と思う者がいて当然である。だが妖は、姿を可視化させない限りそこらの人には見えない。気配も足音も、全てにおいて認識されることはない。
つまり通常のセキュリティや護衛、建物の壁や窓含め関係なく殺せるのだ。
最低限必要なのは標的の居場所と行動パターン、そして相手側に対応できる者がいるか否かだけ。となれば当然、無知な頭の中はくるくると渦巻いてしまう。
理解できない、もうこの際くち封じも兼ねて八幡だけは脳天撃ち抜いてしまおうか。そんな考えも出てくるほどに渦は止まる気配がない。
「紫苑さん、なんかその…すみません」
「別に。なんで貴方が謝るんですか」
「だって…」
紅葉が申し訳なさそうに指さした先では、紫苑の膨らんだしっぽがぶんぶん音をたて揺れていた。
一般人には見えないよう術で隠しているとはいえ、紅葉には耳も尻尾も丸見えなのである。
「見ないでくださいよ」
「え、先に前歩き出したの紫苑さんなのに」
「…早く前行ってください」
膨らんでいたしっぽがしゅるりとしなり、紅葉の背中を押す。
あのしっぽってそんなこともできるのか。と感心する紅葉だったが、後ろでは不機嫌なのどの音が鳴り続けているため目的地へと足を動かした。
両者、話すことも特になく。
紅葉が先頭を歩きだしてから5分とすこし。
住宅街を抜け、古風な紅の橋を越えれば、日本家屋が続く一昔前の日本を思わせるわびさびの空間が広がっていた。
夜一町の中心にあたる地区『宵桜』。悪傀を討伐する者モノたちが多く住まう、他地区とは一風変わった場所である。
いくら全国でトップクラスの悪傀出現率を(全く良くない意味で)誇る夜一町でもこの場所においては出現率も低く、逃げることが難しい人々も守るため病院や高齢者施設などもこの地域に建設されている。
陰陽師協会夜一町支部も宵桜にあり、いつでも東西南北どの地域にも出動できるように最も中心の場所に建てられていた。
「急に時代が変わったみたいだ…」
「ここらを見て回ってても大丈夫ですよ」
「いえ、こんな街並み見てるだけで反吐が出ます。支部にとっとと向かいましょう」
「は、はい」
反吐が出てまで着いてきてくれるのはなぜだ?紫苑の心情を何も知らない紅葉はすたこらと支部に向かう。
正直なとこ、振り返って事情を聴きたい。もしやこの建築物が主だった時代に人間だったのか。なんで苛立ってても支部向かってくれているの。
しかし自分だって性別とか支部の老人たちや性悪陰陽師との関係も何も言っていないのだから、聴く資格なんてない。…でも気になる。
結局振り返ることはなく、互いにもどかしさを抱えながら夜一町支部の屋敷前までついに辿り着いてしまった。
紅葉は門前にいる人物にお辞儀をした。
「おはようございます、青木さん」
「おはよ~紅葉さん。待ってたよ~って隣の妖は?」
新しい友達?と不思議そうに見つめる瞳に、紫苑は青木の持つ力に後ずさった。
え、足止めするために威嚇射撃したコイツこんなヤバい奴だったの?と全身の毛が逆立つほどに。
しかも紅葉には気付かせず、こちらにしか見せないなんて。親し気に挨拶していた姿から一変、上位の警戒対象に食い込んでいった。
「それも話したいのですが、如何せん事情聴取を受けろと言われてまして」
「誰から?」
「八幡支部長に」
それは大変だ~、とのほほんとした雰囲気を紅葉にのみ見せ続ける青木はスマートフォンを操作したかと思うと「よし」と言って微笑んだ。
「この一件は僕が預かることになったから、おうとう堂の新作和菓子でも食べながら話そ。先に茶室行ってて~」
あ、その前に利用申請しないと。
鼻歌を歌いながら青木は支部にある事務へと向かっていった。
さて青木のマイペースにぽつんと取り残された一人と一匹は、理解するための数秒後に顔を見合わせた。
「なんですか、あの人」
「い、良い人?ですよ。少なくとも他の陰陽師と違って」
「良い人、ねえ」
この性別であることを異常と見て話しさえ聞かない人間がいる環境の中で、紅葉にとっての青木は明らかに良い人なのである。
「菅原紅葉にとって、良い人の基準は?」
茶室まで向かう道中、ふと紫苑がたずねてきた。
「どんな人だと思いますか?」
「なんすかそれ。俺には問い詰めたくせして、いざ自分が聞かれる側ならはぐらかすんですか」
あっやっべ。紅葉はぐうの音も出ない一言を喰らい「そうですね」と降参する。
「帰ったら答えます。ちゃんと」
振り返ってグッドサイン。
夜一町支部での菅原紅葉は泥船に乗っている存在のようなもの。壁に目あり障子に耳ありの支部内で答えてどうなるか。
後ろを歩いていた紫苑を腕を掴み、茶室へと駆け出した。
「ちょっ、何するんですか!」
「おうとう堂って日本和菓子おすすめランキング堂々一位を取った超人気店なんです。その新作を早く食べたい」
「貴方が先に行けばいいでしょう!」
「みんなで食べればもっとおいしいので。紫苑さんもいないと」
『キリっ』と効果音のついたキメ顔で言う紅葉に思わず口をきゅっと閉める紫苑。
不思議な高揚感と感情が胸を鳴らし、惹かれる腕そのままに足を動かしていた。
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