5

 月が昇り冬特有の澄んだ空が見える真夜中。 

 ちりん。紫苑はどこからか聞こえた鈴の音で目を覚ました。


「ここは…」


 視界に映る、見たことのない天井と照明。確実にここがセーフハウスでは無いとすぐに分かった。

 周囲はこれといってなにか家具が置かれているわけでもなく、ハンガーにスーツ上下がかけられているのみ。服がルームウェアと呼ばれるようなゆったりとした服になっていることと手の甲の不思議な印があるくらいで、これといった監視や拘束の術が施されているわけでもない。


「ここ、菅原邸の空き部屋か何かか?」


 紫苑は予想した。

 その予想は大正解で、ここは菅原邸にある大量の空き部屋の一つ。彼はそこに寝かされていた。

 よくもまあ命を奪おうとしてきたやつを寝かせていられる。


「となればこの印、か」


 紫苑は自身の手の甲に刻まれている紋章を不満げに眺める。

 あの時動揺していた彼は紅葉の言霊を知っておらず、何の術がかけているのか分かっていない。

 居場所を特定されるならば手を切り落とすか。いや、菅原道真の力を引き継いでいるとはいえ、所詮は陰陽師に就職してから日の浅い素人。術をこちらで解いてしまえばいいのでは?

 紫苑が対応を考えていれば、タン♪タタン♪と陽気な足音が聞こえてきた。ヒトの姿をしていれど猫又ゆえに優れた聴覚を持つ紫苑は、足音が昼に聞いた紅葉の者とは違うと感じる。

 いったい誰だ?足音は部屋の前で止まるとそのまま扉が開かれた。

 

「あ、紅葉さまが言ってた通りじゃな~い!おはよう、オス猫ちゃん♡」

「…は?」


 足音の陽気さからまさかアイツではないだろうとわかっていた紫苑も、これには警戒が吹き飛ばされた。部屋に来たのはこの屋敷の主、紅葉ではなく。


「式神の秋よ。よろしくネ」


 秋と名乗るオネエの式神だった。

 これには誰もが驚くだろう。まさかオネエが来るなんて、しかも式神なんて。

 茶色の髪に赤と黄色の瞳。もみぢの模様が入った着物を着ており、昨日の式神かとは別の人物の霊力…明らかに紅葉と同じ霊力と匂いがしていた。

 しかし依頼人からもらったプロフィールには式神を使役する能力はないと記載があった。なんなら、言霊以外の能力はないとか書かれてあった。


「あら。紅葉さまってほんとに式神使えない方だったの?」

「そのはずだったんですけどね。昨日の今日で使える技とは思いませんが」

「ふふ、そこら辺の話は主である紅葉さまに聞いてちょーだい」


 もうすぐ来るから。そう言って秋はにっこり笑うと、扉のそばで待機の姿勢に入った。

 妖術で銃を呼び出そうとしても一向に術式が現れない。どうも力が練れないでいる。

 手に刻まれたもののせいなのか、はたまたほかに妖の力を抑える何かが働いているのか。紫苑は唯一の逃げ口も塞がれ、能力が分からない秋を前に霧散していた警戒が戻ってきた。

 昼間の戦闘時、あの陰陽師によくわからない交渉を持ち掛けられ、そのあと変な質問をされそのまま揚げ足を取られ…。


『違うのなら、あなたがやってるのって八つ当たりじゃん』


 紅葉から言われた言葉。思い出すだけで腹の奥から苛立ちが湧き上がってくる。

 なんなんだあの言い方、世に言う正論パンチでもしたかったのかアイツ。ここで軟禁してまた何か言ってくるつもりか。

 ベッドの上で、しっぽがぱたぱたぱた________。


「お待たせしまし…え?」


 紅葉が部屋に入った時、紫苑の機嫌は最高潮に悪くなっていた。

 低く喉を鳴らし膨らんだしっぽがベットをぼかすかと殴り、眼光は棘の鋭く尖り。

 ただ先に行ってて〜と軽く手を振っただけだったのに。どうしてそこからこんな状況になっているの。

 何があったのか秋にたずねれば、あちらは上機嫌で言う。


「紅葉さまが来ないかなって心待ちにしてたのよぉ~」

「んなワケないでしょう。この式神があれこれ言ってくるからこうなっているんですが?」

「秋ちゃん、なんか変なこと言ったの?」


 さらに紅葉がたずねれば「尻尾がかわいいとか、そんなに紅葉さまが気になっちゃうのね~。とかくらいよ?」と回答される。

 完全にそれだ、理由が一目瞭然。

 紅葉は明らかにこっちのせいであるため、秋に謝るよう言った。

 素直な返事をもらうのだが謝罪の語尾にハートがついて、当然あちらの尻尾は下がらなかったけれど。


「あの」


 一向に機嫌が良くならない紫苑はジトリと紅葉を見る。


「式神って、紙で作った人形で作り出すものでしょう。昨晩あなたを守っていた2体のように。それがこんな自我持って、しかもオネエの式神なんて聞いたことありませんが」

「自分もよくわかってませんけど…なんかその…」


 こういうタイプもあるらしいですよ、と前置かれ紫苑の目じりが一段と吊り上がっていく。

 これはまずい、とりあえず見せるべき。紅葉はポッケから御札を取り出すと、口元に近づけて「秋ちゃん、一度撤退をお願いします」と秋の方を向きお願いする形で唱えた。


「はぁ~い」


 どこからかあらわれた紅葉や銀杏の葉と共に、秋がシャランと消えた。

 紫苑の知る退場の仕方とは全く違く、紙も藁人形さえも残らない。


「思業式神っていう種類の式神らしいです」


 思業式神。陰陽師が思念により作り出した種類の式神である。現代でよく見かける紙を使った擬人式神とは違い、姿は自由に選ぶことができる。

 しかし陰陽師の能力頼りなところがあるため、現代で使われることは少ない。

 紫苑が気絶して困っていた紅葉は、運ぼうと試行錯誤するのだがすべて失敗。その際に彼の前でしゃがんだ際ことは起きた。


「うわ顔が良い…じゃなくて、誰かこの180近い高身長猫さん運べる人~、助けて~」


 言葉には思念が流れる。それが言霊使いなら特に。

 発言は膝上に乗せた手の中の御札が拾いあげ、術式が現れたと思えばそこに立っていたのが秋だったのである。


「初めまして紅葉さま、式神『秋』と申します。ところで高身長のイケメンがいるって聞いたんだけど、もしかしてこの子!?やっだイイ顔〜。アタシが担いでいいのよね?起きたらアタシもお姫様抱っこして貰おうかしらぉ〜!」

「…わーお」


 そのまま秋は紅葉のお願い通り気絶していた紫苑を菅原邸にまで運び、服を用意し着替えさせ。再度よび出された秋はイイ身体の引き締まり具合だったわ、とハートを送れば紫苑の尻尾が逆立つ。

 まだまだ不機嫌になりそうな話は残っているのに。紅葉は秋にストップを呼びかけ、紫苑へ視線を戻した。


「それで、貴方が気絶したキッカケなんですけども」


 術をかけた自分が突っ込んでしまったからです。

 紅葉が正直に言うと紫苑が大きくため息をついた。


「ダっサ」

「ほんとに…。ええ、申し訳ないです」


 紫苑のストレートな言葉パンチを食いながらも「すみませんでした」と頭を下げる紅葉。

 てっきり何か返してくると思っていた紫苑は、戦っていた時とは違い素直に謝られたために困惑した。


「…別に」


 なんてぎこちなく返すくらいには。

 というよりも、紫苑が人間時代を含め今まで出会ってきた人間の中で、自分の非を認め謝罪する人間がいなかったことが悪いだろう。

 しかも会話という会話をした記憶は神主と巫女くらい。

 紫苑はこの場合つぎに何をどうやって話を進めるのか分からず、紅葉が話を切り出すのを伺っていた。


「それで、その時にかけた術なんですけど」

「これと関係が?」


 紫苑は手の甲を見せる。

 はい、それです…。紅葉は頷き、そして気まずそうな顔をした。


「なんですかその顔。俺に呪いか何かかけたんですか?」

「いやそういうのでは……受け取りようによっては?」


 一度困惑で少し緩んでいた目が元に戻る。

 言い切れないというような言い方はなんだ?もう事前情報は全てガセでした、みたいな事があっても、あんな式神を見たらあり得てしまいそう。

 紫苑が警戒したと同時に紅葉が口を開いた。


「主従の『契約』らしい術を…少々」


 本日何回目かの紫苑による「は?」という声が出た。

 主従契約、それは妖とな陰陽師の間で繋がれる縁。

 妖たちの中で囁かれる迷信みたいなもので、そもそも陰陽師と主従なんて組みたくないし、なくて良いとされてきた術…のはずだったのに。

 まさか殺しの標的が主人になるだなんて誰が予想しただろう。紫苑の尻尾は最高潮に膨らんだ。


「今すぐ消してください。ていうからしいって何ですか」

「対悪傀じゃない時に使えば最強としか教えて貰ってなくてですね…」

「つまり」


 紫苑は察した。

 その情報しか知らないということは、そういうことだと。


「教えて貰った人にも聞いてみたんですけど、解除方法、分からないんです」

「…殺す」


 未だ妖力が練れないままだが、それよりも先に怒りが前に出たらしい。

 紫苑はベッドから紅葉に飛び掛かった…はずだった。


「なんで」


 確かに紫苑は飛び掛かり、紅葉の頭をかち割ろうとした。

 しかし彼は主人の前で立ち止まって、気づけば直立していた。

 今、俺は術をかけられたのか?警戒して一歩下がり、同じように何が起きたかわかってない顔の紅葉を見た。


「秋ちゃん、これはいったい」

「従うモノが主を攻撃するなんて謀反でしょ?だからその契約の印に動きを止められているようね」


 もう一回やってみて頂戴!今ならアタシ抱きつけるかも____いや秋ちゃんそれは今度にしてね______はぁい。

 そんなやり取りを交わした後、紅葉は紫苑に提案した。


「こんな状態じゃ、どっちにしろ依頼は失敗。貴方自身が危険に侵されるでしょう。ですので解除方法を探す間、昼に話したあれを呑み込んでいただけませんか?」


 紅葉としては、それさえ呑んでくれれば「八つ当たり」と言い放った仕事から離し、ついでに色々と喋ることもいけるのでは?という考えの基でもう一度聞いている。


「…主従関係があるんです。命令すればいいでしょう」


 紫苑の言う通り。自分の主の交渉を見守る秋は思う。

 そろそろ起きないかな、と契約を結んだ時の札を持って呟いただけでも効力があったのだから、主の願望はそれだけで叶えられるだろうに。

 二体に次の反応を見られる中、紅葉は言った。


「それはしないですよ。命令、嫌いなんで」


 二体は驚いた。え、そんな理由でしないの?と。

 思い出されるのは高校生時代の話。嫌がらせをしていた一軍陽キャどもの、明日の制服は女性もの男性もので来いだのという命令をされたことがあった。

 これ以上変に逆らえないと言われた制服に袖を通した時、吐きそうなほど気分が悪くなった経験を紅葉は前世で味わっている。

 のちに学校に行かなくなり通信制に変わったことは想像にたやすいだろう。

 このため、紅葉の中で『命令』という行動のイメージは相手の意思関係なく強制させ縛り付けるものとなっており、主従関係や式神召喚において絶対に行いたくないことトップを飾っていた。


 紅葉の思念で作られている秋が紅葉さまらしいと微笑む一方で、紫苑にとってもその理由は好感なのであった。

 自身が最も憎んでいる竹ノ宮が命令する人間だったのだから人間との交流が前世から少ない紫苑にとっては惹かれるものがある。

 まあこの変人なら、任務失敗でほかの同業者に狙われるよりましか?いやでも人間を助けるような仕事の手伝いなんて。

 迷う尻尾がゆらり、ゆらり。


「紅葉さま、仕事って猫の手も借りないと厳しい状況なのですか?」

「ううん。自分が倒せるくらいだし支部の陰陽師に嫌われているから、要請があったときに倒しに行く程度。支部の掲示板にある"調査依頼"もやれって言われてるけど、支部に行くと面倒なことも多いから」

「え、調査依頼なんてのもあるんですか?」


 夜一町支部と伏見支部限定で、と紅葉は説明をする。

 陰陽師協会でもトップを争うこの二つの支部では、熟練の陰陽師も多い。そのため悪傀討伐だけでなく、悪傀の出現が予測される場所の調査や陰陽師らしい怪奇現象、お祓いといったものも引き受けているのだ。

 紅葉に説明をした青木が言うには『ゲームでよくあるフリークエスト』みたいな形式で、自分の能力や時間に見合う依頼を選び、支部に自分で申請する必要があるらしい。


「それも含め、オス猫ちゃんが協会の仕事を手伝うか否かは仕事を見てからでいいんじゃない?処分されたらそれところじゃないわよ」


 アタシまだお姫様抱っこしてもらえてないし!と秋はくねと身体を揺らし紫苑を見た。

 その秋に対して確かにと返す紅葉へ、そこは止めろよと当の本人は睨むわけだが。


「秋ちゃんの言う通りかも。では、まず仕事の見学からでどうですか?」


 もう少しほかにも提案した方がいいかなと紅葉が考えている中、わかりましたと紫苑が言った。

 マジか。紅葉がぱちぱちと瞬きをする。

 その様子が気に入らないのか紫苑は喉を鳴らした。


「…どうせその選択肢しかないんです。あなたの言う八つ当たりもしなくなるんですからいいでしょ」


 紅葉はジト目で見られながらも、紫苑が頷いてくれたことが嬉しく久々に表情が緩んだ。


「ありがとうございます、猫さん」

「猫さんて…。俺の名前は紫苑です」


 名前まで教えてくれた…!?紅葉は距離が近づく感覚ってこういう感じだったよなとより笑顔になっていく。


「何にやけてるんですか」

「いろいろ嬉しくてつい」

「…」


 紫苑はふと自分が人間だった時、巫女が以前話していた時にこんな反応をしていたことを思い出す。あの人みたいに目の前の変人にもそんな喜ばれると、心地がそわそわしてしまう。


「あらあらしっぽが揺れてるわよ?紫苑ちゃん?可愛いところもあるじゃな~い」

「菅原紅葉、この式神に対して術使えるようにしてもらっても?」

「え、いま術使えないんですか?」

「だってさっき」

 

 使えなかったかから。そういうとした瞬間、術式の中から拳銃が出てきた。


「出せた」

「んもう、別にそっちの銃じゃなくてもいいのよ?そのベッドの上で~」

「…撃つ」

「し、紫苑さん。先に術が使えるようになったことについて話しませんか?ほら秋ちゃんも遊ぶのはまずいって」


 紫苑の膨らむしっぽにひえと紅葉は焦りながら、なんとかこの場を抑えようとする。もちろん止まることはなく二人の追いかけっこが始まってしまったが。

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