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 質問に紫苑は固まった。

 こういった話でまず聞くのは理由や昔の話がありきたりのはず。

 しかし紅葉が真っ先に聞いてきたのは種類だった。

 人間も妖も。人が嫌いと理由はすぐに出せるが、意外とそう言う者に限って嫌いな種類や性格といった詳細がパッと出ないのである。

 例に漏れず紫苑も思い付かず返せないでいた。


「てことは、人間って存在が嫌いと」

「そうですよ。…当たり前でしょう。どいつもこいつも、あいつらと変わらない」


 怒りと恨みの色を持つ声で紫苑は言う。その瞳は刃物のように鋭く、"あいつら"への憎しみを表しているようだった。

 紅葉はその声の色と目の形を知っている。だが別にそれが見えたからと言っておじけづくことはない、真顔という表情を変えることなく聞いた。


「どいつもこいつって、被害者側の人間もその"あいつら"と変わらないんですか?」

「それは!」


 紫苑は思った。コイツ最悪だ、と。そんなの首を縦に振れるわけない。

 確かに人間は嫌いだ。大嫌いだ。でも自分が嫌いと言って思いついたのは、死んだきっかけの村の人間や仕事の依頼主や処理してきた人間のみ。自分に似た境遇や苦し立場の人間まで同じとは全く思っていない。

 むしろ紫苑はそっち側の人間に対する感情など、妖に転生してから考えた事なんて。今回もまさしく自分の視野に紅葉が挙げた人間たちは入っていなかった。

 揚げ足取りやがって…。紫苑は尻尾を膨らませる。


 一方、紅葉は紫苑の発言で人間の時にいじめなりなんなりを受けていたと確信していた。

 何を隠そう菅原紅葉、見た目の事もそうだが理不尽ないじめ、嫌がらせ、悪口諸々はコンプリート済みなのである。もしもそんなビンゴ表があれば間違いなく一気に3列は揃う、それくらいには。

 猫又が人間として生きていた時代と令和でいじめの内容がほとんど変わっていれど、雰囲気や言い方で察することができるのである。

 紅葉は確信したことで、申し訳ない気持ちもあるが確認も兼ねて揚げ足をとった。この反応によって紫苑への対処を決めるために。

 希死念慮が強かったり闇病みしていようと、少なくとも同情の気持ちと正義感は持ち合わせている。救うなんて偽善はしないが、目の前に悪い方向へ進みそうな存在がいるなら、引き留めるくらいはしたいじゃないか。

 だからこそ紅葉は言う。スケートボードで銃弾を華麗に避けながら。時折避けきれなくてうぎゃ、みたいな変な声を出しながら。


「違うのなら、あなたがやってるのって八つ当たりじゃん」


 バン、と銃弾が左腕のある場所で弾かれる。

 先ほどまで確実に動けなくなるような部位を狙っていた照準がブレたのである。しかも弾いたという事は、威力も弱くなったという事。

 対処方針決定、紅葉は左手に新しく別の札を用意し紫苑へ近づいた。それも先ほどまでとは違い断然早いスピードで。


「この…!」

「言霊」


 青木が教えてくれた、悪傀以外との交戦時に最も強く言霊の中で最も最高難易度と言われる術。


『もしもできたら絶対に勝利確定だよ。まあ、悪傀以外と戦うなんてことはそうないから使わないと思うけど』


 まずいときや使うべき時に使うんだよ~。そう言っていた単語を紫苑の目の前で発した。


「契約」


 紅葉が唱えると互いの目の前に普段の術よりも複雑でかつ大きな術式が現れた。白い術式は徐々に紫苑の瞳の色に呼応するように紫色へと変わっていき、二つの術式が重なり合う。


「やべっ!?」

「うわ!?」


 その結界に飛び込むように紅葉は紫苑にとびかかった。否、本人は飛び込むつもりはなかったのだが、近づきすぎた故にボードが地面に引っ掛かり紅葉の体が弾き飛ばされたのである。

 二人は地面に倒れ込む。「いてて…」と紅葉が上半身を起こすと、紫苑は目をぐるぐるとさせて気絶していた。

 気絶は狙ってなかったのに。紅葉は気絶している猫の手の甲に刻まれた紋章を確認し、ひとまず去った難に息をついた。

 そして次の難に頭をひねる。


「…どうやって屋敷に連れて帰ろ」


 ***


 これは紫苑がこの悪傀蔓延る世界に猫又として転生する前の話。

 ビルやパソコンなんて文明の産物がなく、まだ日本が他国を迎え入れ文明が花開き始めていた時代。村でいじめを受けている少年の友達は、1匹の猫だけだった。

 村の端にある神社に住みついた小さな猫、クロ。

 雪が降るなか神社の立派な桜の枝に縄を括っていた時、青年の足元にすり寄ってきたのが一人と一匹の出会いである。


「邪魔。足当たるかもしんないからあっち行きな」

「にゃ~ん」

「ちょ、足の間通るな」

「にゃっ!」

「おま、ああもう…」


 猫の無邪気な姿に、青年は涙を流しながらも戯れた。今まで感じたことのない温かさ、傍に生きている存在が近寄ってくれる喜び。

 地面へと垂れるわっかに頭を通さない選択をするくらい、あの時の青年にとって救いと呼べる存在。それが子猫クロだった。


「クロ、ご飯持ってきたよ。これなら食べれると思う」

「にゃー」


 今まで独りぼっちだった青年にとってクロは初めての友達になった。撫でられるのが好きで、普段は境内の下でカラスなどの天敵から隠れている。青年が神社の裏道から現れると「たたっ」と駆け寄り、足の間をくるりくるり。その後にしゃがめば膝に前足をのせてにゃあと笑う。

 そんな愛らしい姿は、青年の心の支えとなっていた。


「美味しい?」

「んにゃ!」

「よかった。たーんとお食べ」


 パクパクと口に運ぶクロの姿に微笑んでいれば、後ろから草履を履いた足音が近づいてきた。


「こんにちは。ってまあ、怪我してるじゃない!」


 神社の本殿脇から現れたのは、ここに仕える巫女だった。青年の有様を見ると、ちょいと待ってなさいと血相を変えて本殿に入っていった。


「ごめんクロ、行かないと」


 この国、そして、この村において青年の身分は農民よりも低いものであり、差別の対象となっていた。

 いくら政府が立ち法が整備されようと、200年続いた侍の時代からある固定観念と慣習が簡単に消えることはなく。

 青年は幼いころ、集落が洪水に遭いこの村に移ってからというもの、長きにわたり虐げられてきた。そのため、青年は巫女が村の者に伝えに行ったのだと思い急いでこの場を離れようとしていた。


「にゃー」

「クロ、今は…」


 しかしそんな青年の焦りを知らず。何度移動させても足に座るクロはここから逃がさないぞという勢いで青年の動きを止めていた。


「神主様、疾く!」

「ま、待ってください桜殿…神の御前で騒がしくはできず…」

「けが人を待たせることこそ神の御前でしてはなりません!」


  神主を連れてすぐさま戻ってきた巫女は青年の前にしゃがむと、「少々痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」と勢いよく言った後、神主と共に青年のけがの手当てを行い始めた。

 青年は何が起きたのかわからず、擦り傷や村の人間に転ばされた時にできた怪我に濡れた布は染みるためただ耐えている。

 その間、クロは二人に向かい不機嫌そうに喉を鳴らしながらも、青年が逃げないように膝の上から動くことはなかった。


「よし、これで一通り完了しました」

「…ありがとうございます」

「いえいえ。神様の前で人は等しく同じ立場なのですから」


 怪我をしている方を見たら、手当てするのは当然です。巫女は満足そうに微笑んでから、ついでにクロの頭を撫でようとする。しかしクロは「ふしゃあ!」と威嚇して毛を逆立てた。

 見たことのなかったクロの姿に青年は驚く。


「今ならいけると思ったのですけどねー。やはりだめですか」

「人嫌いで有名な猫ですからね」

「クロ、人嫌いなんですか?」


 出会った当初からたくさんじゃれて甘えてくるこの猫が?青年はクロを抱えて目を合わせる。青年を見るとクロは立っていた毛を倒しいつもの機嫌に戻り一鳴き。

 クロの変わりように神主も巫女も驚いていた。


「なんと。ここまで変わってしまうとは」

「出会ってからずっと、威嚇されたことなかったです」

「それは凄い。この子猫は、私達や毎朝必ず参拝に来る老夫婦にもずっと懐かず近づくだけで警戒されてしまっていたのです。ご飯を用意しても食べてくれないため、一時は餓死してしまうのではないかというほど痩せてしまっていたのですが…」


 あなたという居場所がこの子猫にあってよかった。神主は微笑みながらそう告げ、本殿へと戻っていった。


「そうだ!神主様からお饅頭をいただいているんです!今から持ってきますので、一緒に食べませんか?」

「その、俺は…」


 青年が気にしていることを察したのか、巫女は大丈夫ですよ!と笑った。


「神主様も仰っていましたが…この神社の中では、身分など関係ございません」


 ではとってきます!そう言って巫女は饅頭を取りに行った。

 青年はあんなにもはっきり、いやそもそも場所など関係なく身分を気にしないと言われたことが初めてだったため、より心が温かくなっていくのを感じた。


 それからしばらく、青年は友達の猫と仲良くなった巫女と共に楽しく過ごす。今まで感情の起伏さえも非難される対象であったゆえに、一人と一匹と笑いあい温かみのある時間は何よりの宝となった。

 たとえ村の住人から暴力を受けても、社会が変わろうと死に触れる仕事が続くとしても。

 この居場所があるなら、なんだって平気。そう思えるほどに。


「あの壊れかけの小屋からいつも一人抜け出していることは知っていたが…お前のような身分がこの神聖な場所に来ていたとは。罰当たりなガキだ」


 厳しい環境にある温かみはすぐに冷える。

 クロと出会って一年と少し経ったある日。この村で最も権力を持つ屋敷の人間2人が青年の後を追いかけ、青年が神社に訪れているところを見てしまったのである。

 普段青年及び一族への嫌がらせの主犯となっていた二人は、すぐさま村の人間を呼びクロと戯れていた青年に暴行を加えた。


「穢らわしい、神主は何をしているの?」

「お待ちください、竹ノ宮殿。国のお役所さんからも、身分による差は廃止と言われたではありませんか。それにここは神道の通ずる場、この子も等しく神の利益を享受することのできる存在です!」


 竹ノ宮家。青年の住む村で最も権力を持ち、かつ神事や祭事に関わる職務を担っている一族。そのため巫女の言った発言は自身の考えに反しているのか、場を収めようとした彼女にも鋭い視線が向けられた。


「巫女風情が…だから何だと言う。こいつの一族が行ってきた仕事が途絶えることはない!ましてやこいつは、あの一族の中で限りなく死に触れた穢れ者。それを知った上で我ら竹ノ宮に物申すか」


 穢れ者、その言葉に反抗しようとしたその時だった。


「に"ゃあ!!」


 地面に倒れ込んでいる青年をクロが守るように前で村の人間たちへ威嚇した。近寄るな!と自分の居場所を守るように。


「なに?この汚れた猫は。もしかしてあなたのかしら?」


 それなら。竹ノ宮の片方は悪い笑みを浮かべ隣にいた男を顎で使う。すると男はクロにだんだんと近づいて行った。


「何をしているんですか!お止めなさい!」


 騒ぎを聞きつけ本殿から息を切らして神主が出てくると、村の人間たちが神主と巫女までも動きを封じた。

 青年は立ち上がろうとするが、竹ノ宮のもう片方が腹に蹴りを入れてくるためせき込みながら地面に這いつくばっていることしかできない。

 その光景を愉快そうに見ながら男は次の瞬間、威嚇していたクロを蹴飛ばした。何のためらいもなく、ただ村において最も上に位置する竹ノ宮からの命令をこなしているだけ、そんな顔で。


 出会って1年経ったとはいえまだ幼いクロが、村人たちから暴力を受ける。


「やめて!!クロ!クロ!」

「放しなさい!神の御前でなんてことを!」

「やめろ…やめろ!」


 見苦しい光景に三人は止めようとするが、人の数も力の差は圧倒されている。

 クロの悲痛な叫びに青年と巫女は泣きながら手を伸ばし止めようとする。しかしその手は届かない。


「あはは、無様ね」

「お前のような存在にはよく似合う仕打ちだろう!」


 抵抗しようにも村人に押さえつけられている三人の姿を見て竹ノ宮の二人は嘲笑していた。

 その姿はまるでバケモノだったであろう。黒い靄をまとい、他人の不幸を楽しむ。人間とは言い難い表情に神主はそう思った。


 やがてクロの声は小さくなり、いつも青年に向けていたあの声はなくなっていた。

 一人は面白みが削がれたのか、二人に対しこの猫の処分を伺う。


「そうね…神社の境内に死体があったら、烏が啄みに来てしまうわ」

「神社の外にでも投げ捨ててしまえ」


 あははと笑う竹ノ宮の二人と村人たちは、まるで悪魔…当時で言うならば何かに憑かれていたと誰もが思うだろう。

 指示を受けた男は汚物を掴むようにクロを持ち上げ、神社の階段まで近づいていく。


「やめろ!」


 青年は立ち上がりクロを持つ男のそばまで駆け寄る。


「それっ」

「クロ!!」


 青年は階段の先にある死を顧みなかった。村の人間を押し飛ばし、投げられたクロを両腕で包むように抱え込んだ。

 そしてそのまま、長い石段を落ちていった。頭が、足が、背中が。体中を打ち付け転げ落ちる中で嫌な音を出す。

 勢いが止まったとき、青年は虫の息だった。毎日のように暴力を振られ身体が弱っていたことも重なり、転がっている際に首だけでなく体中の骨があらぬ方向に曲がる。頭も打ち付けていたため意識を保っていることだけでも奇跡だった。


「あ…ああ…」


 腕の中でクロが動かなくなっていた。寒い雪の日でさえも暖かかったあの温もりは少しずつ消えていく。

 ああ、わかっていたよ。青年は涙をこぼす。

 投げられたときにはもう死んでいたことなんてわかっていた。

 例え弱っていても、俺よりも長い間神社にいる神主さんや毎日傍で見守ってくれた巫女さんにだって触らせなかったアイツが、あんな奴に適当につかまれて威嚇しないわけがないのだから。


「ごめん…ごめん、クロ」


 視界が暗くなっていく中で境内の方を見れば、巫女さんにまで危害を加えようとしている二人の姿があった。


 大切な友達を、身分なんて気にせず温かさをくれた人たちを。

 たった一つの居場所を。

 許さない。赦さない。ゆるさない。


 青年の心は黒く染まった憎しみ、怒り、恨みといった感情で塗りつぶされていく。この世にあった身分差別に、創り出した社会に、人々に染みついた観念に、それに動かされる愚かな人間たちに対して。


「絶対に…赦さない」


 これが、猫又『紫苑』の転生する前の話である。


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