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「…あーあ。寝込みにサクッとはひてくれ…わぁいかぁ〜」


 翌日、昼夜逆転を極める紅葉は昼前に起きて欠伸をする。

 転生してから速攻で通販購入した遮光カーテンを開ければ、すでに働き始めている夜一町全体が一望できた。

 よくもまあこんな日中から。社会の歯車様方はほんとお疲れ様です。自分にはムリっ。紅葉は日光を浴びながら伸びをした後、シャッとまたカーテンを閉めた。


 菅原紅葉が転生後に目を覚ました場所は、前世で住んでいた某T県のどこかにある自宅の一軒家。ではなく、この夜一町の北寄りの端…しかもお金持ちが住んでいるような、普段使わない空き部屋がたくさんある屋敷の一室であった。

 おいおいもしやこっちの菅原紅葉はお金持ちで、しかも親ガチャ成功したお家なのか!?とテンションを上げようとしたのだが、いくら世界が違おうがそんな事はなく。

 この世界の血縁者たちは『触らぬLGBTQに祟り無し』みたいな思考を持っているようで、彼方からのコンタクトはこの2ヶ月間一度もなかった。

 前世みたく真正面から「は?何言ってんの?」や「じゃあ孫見せてくれないの?」というなんともノンデリな発言はないが、これもこれで対応は間違っていると紅葉は思っている。


 それほどまでに紅葉を異質と見ており、結果としてこの町の住居の少ない場所。かつ高台で土地面積をある程度設けられて、菅原家の威厳が損なわれない程度の屋敷の中に閉じ込めるようにしていたらしい。

 しかも紅葉1人だけしか住まわせず、あわよくば心筋梗塞などで倒れて助けられず亡くなればラッキー、といった勢いである。

 親ガチャ、前世も前世で自分の両親のことしか考えない浮気症の父に自律神経失調症を患い暴力気質の母の間に生まれていたというのに。

 今度はまるで不要品扱いではないか。親にははたして心があるのだろうか?紅葉は転生後に改めて親ガチャの恐ろしさを痛感した。

 とはいえ前世よりも家計は遥かに豊からしい。何しろ菅原家は陰陽師界隈の上流階級。陰陽師の仕事に就くまでは確かな額が口座に定期振り込まれていた。

 なお、懐を見られると思い給料は別口座に入れて貰っているが。


「せっかく窓の鍵も開けておいたのにな。サンタさんみたく屋根がないとダメだったのかー?」


 寝込みが襲われていないと紅葉は解釈しているがあの狙撃手はもちろん寝込みほど楽なものはないとバッチリ命を狙っていた。わざわざ手強かった二体の式神まで倒して。


「なんだこれ。こんな強い結界、政府の重役でも見たことない」


 しかし寝込みを襲う事も失敗に終わる。祖先の次は、この菅原家という家のパワーが妨害したのだ。

 転生してきた紅葉は知らないが、菅原家は家を建築する際に行う『八方除』をそれはそれは徹底的に行う。

 八方除とは方災除・方位除の総称であり建築工事・土木工事などで行われる祈祷のこと。

 菅原道真が生前左遷を受けたことがあってか、子孫たちは地相・家相・方位・年回りあらゆる方面、過去現在未来あらゆる時間軸からの災いを取り除くために一家総出で行っていた。

 そのため、いくら腫物扱いされている紅葉が住む屋敷でも祈祷が行われており危険なものは一切通さないようになっていたのだ。

 おかげで狙撃手は撃っても撃っても跳ね返され、屋敷に侵入しようとすれば菅原道真のあふれ出るパワーも相まって門前払いさせられていたのである。

 しかし紅葉になんでだと勝手に言われているのだから同情せざる得ない。


「あっやべ、飯のストック切れてる」


 食事の冷蔵と保管にしか使っていない台所で紅葉はお腹を鳴らした。

 10秒でエネルギーをチャージできるゼリー飲料と、栄養素を詰めた完全栄養食『メロリーカイト』の最強タッグは昨日の夕飯分で尽きていたらしい。

 なんてタイミング、通販を速達しても今の空腹は外から調達しなければならない…が1番リーズナブルに買うことのできるドラッグストアは、ここから徒歩20分圏内。気軽には行けない距離を歩かなければならない面倒さに、今週何回めかのため息が出た。

 しかしメンがヘラッてようがなかろうが3大欲求の1つ食欲になんて勝つことはできず。負けた紅葉はハンガーにかけていたラフな服たちに袖を通し、ドラッグストアへと足を動かし始めた。


 季節は睦月。自転車をこいで買い物に向かう人、営業回りで寒い中しゃかしゃかと歩く会社員、終業式が近くて早帰りの小学生、公園で遊ぶ幼い子どもたち。

 特に子どもたちの純粋無垢、天真爛漫な笑顔と瞳は紅葉には眩しさを感じさせる。

 そんな時代が自分にも…いやありませんでした。いつも母親の顔を伺い怖がっていた幼小中高校生時代、思い出すのは集合写真で笑わない自身の顔。


「こっちも、大して違わない人生だったのかな?」


 昼間、成人済み、服装、死んだ魚みたいな目、あえて住宅街の中でも暗く人通りが少ない道を選んで歩く姿。完全に周りからは社会という闇に適合できない病んでる奴として映っているだろう。

 これは本当に________


「惨めっすね」

「えっ」


 後ろからの声に振り返った途端、視界いっぱいに紫の光が向かってきていた。流石にこれは無理だろうと目を閉じるが痛みも衝撃も何も起きない。


「あれ?」


 痛くない、心臓は動いてる。首から上が落ちるあのトサッという音も聞こえない。もしや無事?

 恐る恐る目を開けば、仕事着のスーツに身を包んだモノがこれでもかと言うほどに目を開いていた。


「近距離でも効かないんすか、アンタ」


 どこかぼやけてはいるが、頭に見える猫耳と二つに分かれた尻尾。

 間違いなく目の前の襲撃者は人ならざる存在…猫又だ。

 しかも妖の中でも裏の仕事を担っていて確実に命を奪いに来たタイプの、紅葉は理解した。…ついでに余計な部分まで含め。


「貴方、もっと頑張ってちゃんと殺してくださいよ」

「…はぁ?」


 紫の光を纏う銃撃を見せたスーツ姿の猫を昨夜の狙撃手と同一人物だと察した紅葉は、この人こそ首に縄をつけるなんかよりもっと楽に逝かしてくれる存在だと理解してしまったのだ。


 本来、こういった命の危険に晒される場面なら「どうして!なんで私が狙われなければならないんだ!」と喚き散らすリアクションがセオリーのはず。

 しかしこの菅原紅葉、自分から実行するのが怖くとも、希死念慮の念をいまだに抱き続けている転生者。

 他力であろうと他殺であろうと、こんなステレオタイプが蔓延る世界からの脱落は歓迎なのである。


 何言ってるんだろ、この人間。猫は表情を変えず尻尾を揺らした。

 一方、目の前で真面目にやれと言ってくる紅葉を狙いにきた猫は困惑を通り越して呆れてしまっていた。

 なんだこの頭のネジのサイズがあっていなさそうな人間は。依頼主から渡された情報では無口で感情の起伏が乏しく、協調生の欠如が伺えると書かれていたのに。

 これが病んでる人間の情緒不安定具合だと知らない猫にとっては、ひたすら頭がおかしい標的となってしまっているのである。


「撃っても跳ね返してるのは貴方自身っす」

「じゃあ跳ね返さないくらいの威力でやってくださいよ。住宅街だと難しいなら場所とか時間変えて…」

「なんで標的が指示してんすか!」


 冷静すぎて殺す気やるき失せるんですけど。

 猫は先ほどまでの姿勢から少し力が抜けていた。尻尾もへたりと下がってしまっている。

 だって。紅葉は理由を言おうとして口を噤む。

 先ほどまでこの妖を歓迎していた。しかしこの理由はあくまで前世の自分が願っていた事で、この世界の菅原紅葉が思っていた事ではないのでは?と感じて。


 いやいや、ちょっと待てよ?

 紅葉は頭をフル回転させる。

 転生によって体の主導権を握ってしまったとはいえ、前世の意思だけで「はい命捨てます」と言うのは微妙に違うかもしれない。

 首にかける縄も内臓をボロボロにするための薬も何も置いてなかった屋敷のことを考えると、この世界の菅原紅葉の死ぬ時期はまだ先なのではないか?


 仮に今ここで目の前の妖に撃たれたら、殺される手伝いをした共犯ポジションになってしまうのでは?

 元々入っていた菅原紅葉の魂に「何やってんだお前ェ」とボコボコにタコ殴りされる可能性も存在しているのでは。もしかしたら地獄よりも怖い罰を受けさせられるかもしれない?

 死んだ後に起こりそうなことがポンポンと頭の中に浮かんできた。しかも全部が全部バッドのようなものばかり。

 世界が異なるからといってこっちの菅原紅葉の性格が仏みたいに寛大なんて…転生以上にあり得ない気がする。


 これ、変に死んじゃダメなやつだ。

 紅葉は悟った。


「あの、急に黙ってどうしました?跳ね返さない方法でも浮かびました?」


 でしたら1発試しに撃ちますけど、と銃を構える猫に向かって紅葉は手を前に出した。ちょ、ちょっとだけ待ってください、と。

 互いに声を出さず、目線を逸らすこともなく。ただ電線に止まる鳥の声と、近くの曲がり角を曲がった先にある公園から幼い少女と見守る母親の楽しそうな声が聞こえるのみ。


「それじゃっ」


 ポケットから札を取り出しながら、紅葉はさながら軍人の回れ右をして足を一歩踏み出す。

『滑走』と言霊を発動すれば、スケートボードに似た霊力でできた板が足元に現れた。こっちの自分に怒られたくない、その一心で紅葉は板に乗って上空へ飛び出した。


「ぁんのやろ…!」


 銃口を上に向けて逃げる陰陽師めがけ妖力を込めた銃弾を放つ。

 しかしその全てが避けられ、そして当たっても霊力で弾かれてしまった。

 この仕事を始めてからというのも、助かりたいがために身代わりを用意しようとしたり金で交渉してきたり、反抗してきたりと足掻こうとする人間は見る事があった。

 だが菅原紅葉のような「自分は変なこと言ってませんけど」とした態度でこちらへの不満や指示を言ってきたあげく、気の抜けるような調子で軽々しく逃げ出した前例は見たこともない。

 なんなら、200年の間に会ってきた同業者からも聞いた事がなかった。


「ほんっと面倒な依頼を任されたもんっすね!」

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