一幕 妖猫はすりよふ
1
丑満時、新月。七割がたの人間が夢の中に入る時間、
まるで氾濫したことで川から濁流があふれてくるように、グラスに注がれ続けていた水が一定量に達しグラスの外に流れるように。
「隔離」
シャラン。術式が構築されていく。
境界の前に立つ1人の人間が言葉を発した瞬間、境界と人間を取り囲む様な四角い膜が張られていった。
膜が閉まる丁度のタイミングで後ろから他の人間たちも到着したのだが、隔離された人間とナニカの光景を見た途端に1人が怒鳴り声をあげた。
「おい新人!お前また1人で戦うつもりか!」
「あー、すぐ終わらせますんでー」
怒られることに慣れているのか、人間は抑揚のない返しとついでに手をヒラヒラと振って境界から出てきてしまったナニカを見据えた。
相変わらずよくわかんない変身、結界の中にいる人間はここ2ヶ月で幾度も見た光景にそう思う。
先ほどのような形容し難い姿は粘土のようにうねうねと激しく動き出し、やがて巨大なネコ…とは断定しづらい化け物となっていた。
グジェァ…ア”…ア”ェ”
化け物は奇妙な声を発し結界の中にいる人間にしっぽを振り下ろした。
しかし人間はまた何かを唱え軽々としっぽを避ける。元居た場所ではしっぽがべしゃりと地面に形を残し、どろどろと固形化してない液体を垂らしながら暴れ始めた。
「いいか菅原!清掃班が来るまではそこにいろよ!」
「了解です」
菅原と呼ばれた人間はいつも通りに返事をする。
「いっ、いいんですか先輩!あの子1人で特二段の相手なんて」
一人の若手陰陽師が膜の中ですいすいと避ける人間を見ながら先輩たちにたずねる。特二段、それは陰陽師たちの中で設定された討伐難易度のひとつ。この難易度ならば本来、一般陰陽師が10人は必要とされる強敵のはず。
なのになぜ、あの人は一人で?先輩に教えてもらった知識と違う出来事は十分若手を驚かせた。
「馬鹿野郎、アイツは俺らと違って片付けられんだよ」
お前ら撤収だ!先ほど声を張り上げていた陰陽師はほかの同業者を連れてビルの谷間を後にした。とはいえ納得のいかない若手はスタスタと歩く先輩たちに色々と尋ねる。
なぜ1人で平気なんだ、後ろで見てなくていいのか、陰陽師としての服ではなく灰色パーカーに黒いパンツなんて軽い格好でいいのか…いったいあの少年はなんなのだと。
「お前、今のは本人に聞くなよ。しかも少年ってワードは呪われるぞ」
「ど、どうしてですか」
無闇に関わる方が面倒だ、聞かないほうが良い。陰陽師たちの誰かが愚痴を呟く様に言い捨てた。
「さて、と」
そんな彼らが去っていく中、特殊と言われた陰陽師は化け物を眺めていた。今日の悪傀は微妙な見た目だな、猫になろうとはしたのかな?と。
果たして偶然なのか、それとも裏世界に流れる感情から形状のデータを取得しているのか。真理は未解明であるが、境界を越え表世界に出てくる悪傀は猫や犬、馬や虎など既視感のある生き物の姿を真似て体を作り出す特性を持つ。
とはいえ形を基にしているだけのため、やたらと牙が飛び出していたり目がいくつも付いていたり。
どこかは必ず化け物要素が含まれている。今回の猫を模した悪傀は尻尾が二又…どころではなく八又まで分かれ、どれも先端がするどい棘となっていた。
もう鑑賞会もいいや、そう思った陰陽師はパーカーのポッケから一枚の御札を取り出し口元に近づけた。
「鬼灯」
息を吸うと御札からは術式が浮かび上がり、単語を一つ発すると同時に何かが悪傀にぶつかり爆発した。
「いいか新参、あいつは特殊なんだよ。陰陽師としての力も存在も、性別も」
「せ、性別?」
「ああそうだ。性別もだ」
はぁ、陰陽師はため息をついた。
その陰陽師の名は菅原紅葉。齢21歳、職業陰陽師。
菅原道真の霊力を受け継ぎし者。
性別___________クエスチョニング。
自身の霊力を込めた札を媒体に言ノ葉を自在に操る言霊使いであり、陰陽師が扱う特有の発動呪文を唱えることを必要とせず天性の技術力を持つ。
そのため今の様にただ技のイメージをして単語を発せば最も簡単に悪傀を爆散させることだって可能だった。
「鬼灯」はいわば火炎弾。
紅葉は陰陽師の仕事を始めてから専らこの技を使っている。
理由は簡単、とにかく火力で勝てるから。パワーこそすべて、パワーはすべてを解決する。この悪傀討伐において。
「境界封じ」
ジジジジジ。
紅葉の攻撃によって塵となっていく悪傀の後ろ、裏世界との入り口をまるで服のチャックを上げるようにしめて仕事を完了した。
張っていた膜もとい結界もパラパラと解除し、一息吐くと白い煙となって空へと昇っていった。
そして振り返って陰陽師の去った場所を睨みつける。手に持っていた札をクシャクシャに握りしめながら。
「あんのやろ、また特殊言いやがって。やっぱこれ転生損だろ」
先程の紅葉のプロフィールには誰も知らない情報が存在している。
誰も信じず、誰もが頭の作りを疑うような情報が。
『_________別世界の同一人物に転生している』
元々いた現実、もとい前世でも同じく性自認がクエスチョニングだった紅葉。この人間は周りからの奇異の目と就職活動の際に立ちはだかったジェンダーステレオタイプの壁に精神が摩耗してしまっていた。
そして生まれ変わってマジョリティになる、もしくは性別も恋愛も自由な世界でのやり直しを求め、クローゼットの戸を閉めた紅葉は短い一生を終える。
…はずだったが。
次に目を覚ますとふかふかのベッドに寝転がって…寝返りで落ちた。
そのあと命リセット失敗にしばらく怒り狂っていたが、住んでいる場所が違う事で冷静になった紅葉はあたりを調べ、かなり稀な『類似点がある時代背景を持つ別世界』に転生したのだと理解した。
それが約2ヶ月前のこと。もう一回クローゼットに入る決意も湧かず、通帳に入った預金でなあなあに1週間過ごしたところで陰陽師と名乗る数人が訪れた。彼らに祖先の力を引き継いでいると勧誘を受け、どうでもいいやとそのまま陰陽師に就職。
しかし待っていたのは古めかしい職種ゆえかステレオタイプにキリキリと胃が叫ぶような職場環境。また菅原道真の霊力を引き継いでいることで、より厄介になってしまっているのが現状だ。
「あー寒っ。清掃班まだかな」
12月の夜にパーカーとパンツは寒く、紅葉は邪魔になるからと付けていない防寒具を恋しがった。
『清掃班』彼らは倒された悪傀や殉職した陰陽師の後始末や空気中の邪気の除去、境界が再度開かないよう呪文がけを行う特殊なメンバーが所属する班のこと。
悪傀が倒された跡をたとえ死人がいても表情を一切変えずに清掃業者と同じような作業着を着て掃除することから、同じ陰陽師業界でも紅葉とは違った意味で異色とされている。
今回も倒した直後に掃除しまーす、とモップを持ってくるかと思っていた紅葉は、一向に来る気配の無いことに違和感を持ち始めていた。
「職務怠慢するような人たちではなさそうだったし」
仕方ない。そう言って紅葉は辺りに結界を敷いたのち清掃班を探しに行くのだった。
「そろそろ時間か」
一方で裏世界との境界を作りやすい谷間を作っている一角のビルの屋上。地面に伏せ、動き出した紅葉を見るモノがひとり。
それは二つに分かれた黒い尻尾を揺らし、ビルの屋上から闇に溶け込む黒い銃身に付けたスコープを覗いていた。
「いっちょ、仕事しますかね」
引き金が引かれ、紫色の光を纏う銃弾が放たれる。
容赦なく自分の給料の糧になれ、そしてガチャ石購入のための魔法のカードになれ。同情の意思なく獲物である紅葉目掛け銃弾はビル群の中へ直進する。
銃弾は紅葉の頭に直撃。殺せたと確信した直後、スコープ越しの視界に一枚の花弁が降ってきた。そして見えなくなったその奥では手を振る紅葉の姿が。
「なっ!?死んでない!どうして」
モノは確信までしていた自信が削ぎ落とされ、仕留め損ねたのかと自分の狙撃の腕を疑った。今まで、どんな陰陽師だろうがどんな結界だろうが関係なく撃ちぬけていたのに、と。
確かに、普通の人間やさほど一般的な陰陽師なら銃弾が頭を貫通し即死していただろう。
しかし菅原紅葉はそこらの陰陽師と同じ力量で見てはならない。
この人間は菅原道真の力を継承してしまっている。
死後に厄災をもたらし、そののちに神へ登り詰めた菅原道真の霊力は人間が持っていい量を遥かに超えている。
引き継いだ紅葉は意図せずとも霊力は内側にある容器から溢れ、全身を守ってくれる鎧みたく外側にまとう形になっていたのだ。
そのため、たとえ特殊な力を込めた銃弾でもこの通り。
跳ね返しかつ言霊を使い流れを意識すれば狙撃場所まで辿ることが可能なのである。
とはいえ。紅葉自身は一度死を経験した今も希死念慮の念は心を巣食っているため、「寧ろ楽に死ねるだろうになんで跳ね返してんだ!」と己の霊力の多さを恨めしくを感じていた。
「もう一回撃ってもらえたらワンチャン?すみませーん」
追跡で判明した狙撃場所に手を振り続けみるが追加の銃弾は訪れず。代わりに別の声が紅葉に近づいてきた。
「紅葉さーん」
「あ、青木さん」
青木羅堂、夜一町の清掃班班長を担っている。
お世話になっている陰陽師の一人であり、清掃時以外は物腰の柔らかさを備えた頼れるお兄さん的性格。紅葉の性別を気にしないでいてくれるため、夜一町支部で最も信頼のおける人物だ。
「ごめんね、向かってたら妖術のトラップが仕掛けられてて。そっちは無事だった?」
「一発狙撃がありました。あそこからだったんですけど、もしかしたら移動したかもしれません」
なるほど、と青木は場所がわかると式神を向かわせる。狙撃手の正体と逃走先を突き止めるのだろう。
「自分も向かった方がいいですか?」
「ううん、撃たれたことからして狙われてるのはキミだ。まず自分の安全を優先して。式神の護衛つけとくね」
「ありがとうございます。じゃあ、自分は屋敷に帰ります」
「うん。お疲れ様」
お先に失礼します、紅葉はお辞儀して帰路に着いた。
帰りも狙ってくれるのではとどこか期待していたが、護衛を見て狙撃手は諦めたのか。何も問題が発生しないまま屋敷の前までたどり着き、玄関に入るとため息をつく。
「狙撃手って寝込み襲えるのかな…?いや式神付けて貰ってるからなあ」
まあ風呂入ろ。伸びをしながら紅葉は脱衣所へ向う。
そんな菅原邸の上空。白い紙が二枚、焼け落ちていくのだった。
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