神ですらわからないその先は・・・・

ひとみん

第1話

わずかに空いた扉の隙間から見えるのは、婚約者であるセドリック・テネル伯爵令息と、彼の側仕えでもあるロロアとのキスシーン。

ぴちゃぴちゃと舌を絡める、嫌な音まで聞こえてくる。


表情が抜け落ちたかのように、ソフィア・カロリアン伯爵令嬢はそれを見つめた。


あぁ‥やっぱりかという絶望と、もういいか・・・という諦め。

そしてソフィアは、ためらう事なく二人が盛っている部屋へと踏み込んだのだった。




ソフィアとセドリックが婚約したのは十五歳になってからだった。

二人は幼馴染で幼少時からよく互いの家を行き来し、とても仲良くしていた。

互いの家はそんな二人を婚約させようとしていたのだが、当時の王太子が幼少時より婚約を結んでいた公爵令嬢に婚約破棄を言い渡し、平民上がりの男爵令嬢と浮気をし問題を起こしたのだ。

公爵令嬢を冤罪で吊るし上げ勝手に国外追放しようとした事が発覚。

王太子は廃嫡の上、極東にある塔へ生涯幽閉。

お相手でもある男爵令嬢は、全てにおいて厳しいと言われる最北にある修道院へ。親でもある男爵もまた罰金刑の他に領地四分の一没収という、厳しい判決が下された。

厳しさを感じさせる処分でもあるが、王太子の浮気だけならまだいい。

いずれ国王となる者が、罪もない令嬢を冤罪で勝手に裁こうとしていたのだ。国民が王家に対し不信感を持つ事を防ぐためには、それ相応の厳しい罰が必要だったのだ。

よって、その判決は妥当とも言えよう。


そして貴族間では王太子が婚約破棄の理由として挙げた言葉を重く受け止めていた。


幼い時から婚約者を決められ、負担だったと・・・


公爵令嬢は王太子の為にと、勉学に励んでいた事が彼の負担になったのだという。

だが現実問題、王妃教育は年齢を重ねるほど負担が大きくなっていくので、幼少からの婚約は致し方のない事なのだ。


自分より優秀で先を行く婚約者。

それに追い付く事すらできない自分。愛情どころか妬みしか彼女には感じなかったのだという。

令嬢もまた王太子の為にと頑張ったことが、助けるどころか傷つけていたのだとは露程も思わず、ショックを受けていた。


それらの事から、ある程度自分達で婚約してもいい相手なのか、結婚してもいいと思えるのかと判断できる位になってから婚約させた方がいいと、子を持つ親たちが判断したのだ。

互いの意思を確認し、ソフィアとセドリックは婚約。その仲睦まじさは人も羨むほどだった。


だが、そんな二人の間にひびが入る出来事が起こった。

この世界には魔法が存在する。

平民貴族関係なく魔力を持っていた。

日々の生活には無くてはならない力で、灯りをつけるにも火を熾すにも魔力が必要だ。

その魔力量には個人差があり、少ない者もいれば多い者もいる。

魔力に関しては未だわかっていない事があり、突然魔力量が多くなる者もおり、暴走する場合もあった。

魔力調整もせずそのままにしておけば、体調を崩してしまう。

その魔力量にもよるが、下手をすれば命にもかかわる場合がある為、魔力を中和させる薬もあるのだ。

もし薬が無い場合は、同じ魔力を持つ者から中和してもらわなくてはいけない。

ただそのやり方に問題があった。

お互いの粘膜を混ぜ合わせ中和させる。

例えば口づけだったり、性交渉だったり・・・


だから皆、薬で中和しながら魔力調整をする訓練をするのだ。



セドリックの側仕えでのあるロロアは孤児だ。

親に捨てられ魔力調整ができず、道端で瀕死の状態で倒れていた所をテネル伯爵が拾い治療したのがきっかけで、伯爵家に住み込みで働く事になったのだ。

年が近かった為、セドリックの側仕えとし、当時魔力の調整に苦していたセドリックと共にロロアにも魔法の勉強をさせていた。

セドリックは早々に魔力調整を覚えたのだが、ロロアは思っていた以上に魔力が多く上手くできない。

常に中和薬をもってそれを押さえていたのだが、ある日薬を持っていない時に魔力暴走が起き、それを押さえたのがセドリックだったのだ。

口づけと言う治療で。

ソフィアとセドリックが婚約した翌年の事だった。


ソフィアはその事実を知り、しばらくはセドリックと会う事を拒否した。

人命救助だとわかっている。だが、口づけする必要はなかったと、ソフィアは思っていた。

何故なら、それは伯爵邸内で起きた事で、すぐに薬を用意すれば何の問題なかったのだから。


それからというもの、ソフィアはセドリックを信じれなくなっていった。

これまで何度もしていた恋人の口づけも、拒否してしまうほどに。


きっとセドリックは気付いているわ。ロロアが彼の事を愛しているという事を・・・


ロロアを見ていればわかる。その瞳が雄弁に語っているから。

仕草一つ、眼差し一つ・・・・恋情が溢れていた。

セドリックに訴えても、あくまでも妹のようなもので女としては見れないと言っていた。

でも、彼女の身体は女性らしく成長し、ソフィアから見ても魅力的なものだった。

彼女を助ける為とはいえ口づけを交わした彼。

彼はソフィアに、二度とこのようなことはしないと宣言し誓った。

愛しているのはソフィアだけなのだと。


その必死さに許しはしたものの、信用はできなかった。

何故なら、その後もロロアはセドリックの側に仕えていたから。

ロロアの態度も次第に鼻につくようにもなってきていた。

いかにもセドリックの事は、自分がよくわかっているとでも言うように。


ソフィアは嫉妬にかられ、不安になり、そして疲弊していった。

もし彼らが隠れて情事を重ねていたら・・・

このまま彼と結婚したら、もれなくロロアという愛人がついてくるのでは・・・


日を追うごと彼女の心には、あれほど溢れていた結婚への喜びが一欠けらもなく消え失せていたのだった。




そんなある日、セドリックの許を訪れたソフィアは、決定的な光景を目にした。

セドリックとロロアのキスシーン。

その濃厚な行為を目にし、不思議と心乱れるどころか、どこか納得したようにすとんと何かが嵌ったかのように、心が凪いだ。

黙っていればいつまでも続きそうなその行為に、扉を開け中へと足を踏み入れたソフィア。


焦ったのはセドリック。

ロロアの肩に置いていた手で彼女の身体を離し、おろおろと立ち上がった。

「ソ、ソフィー、これは違うんだ!ロロアがまた魔力暴走し始めて・・・・」

言い訳しようとしたセドリックを制するよう手を上げ、視線はロロアへと向けた。

なんの感情も宿していないソフィアの視線に、ロロアはびくりと身体を揺らした。


「言い訳は結構」

ロロアからセドリックへと視線を戻し、抑揚のない声でその言葉を遮った。

「セドリックはどうしてロロアとキスしていたのかしら?魔力暴走?ロロアは魔力調整を自分でできるのに?」

「・・・・え?」

「おおかた、まだ魔力調整できないふりでもしていたんでしょう。わざと目の前で薬を飲んでみたりして」

セドリックは信じられないという目でロロアを見た。

「セドリックも心のどこかでは気付いていたのでしょ?彼女が魔力調整ができるのではと」

「そ・・・それは・・・」

セドリックはそれを否定する事が出来なかった。ソフィアの言う通りだったから。

ロロアは年を追うごとに身体は成熟し、思わず目が釘付けになる事もあった。

自分を頼ってくれることも嬉しかった。

魔力調整と称しての口づけも、一生懸命舌を絡め可愛らしかった。


ロロアが自分に好意がある事も知っていた・・・・


「セドリックは私に誓ったわよね。二度とロロアとは粘膜接触はしないと。でも、こうもあっさり破られて・・・これで何度目なのかしらね」

「っ!」

「私はね、これから結婚する相手に愛人がいるとわかって、この結婚が苦痛しかないのだとわかっているのに、一緒になんてなれないの。

もし私を選んでくれても、ロロアがこの家に住んでいると言うだけで、気持ちが悪いわ。

きっと隠れて浮気しているんだと、いつもそんな目で見てしまうから。私はね、好きな人には私だけを好きでいて欲しいの。

でもロロアがセドリックを好きでいる限り、ロロアには愛人としてしかあなたからの情は受けられない。―――だからね、私は決めたの」

「ソフィー・・・やめて・・・その先は・・・」


「婚約を解消しましょう。ロロアがこの家からいなくなっても私は多分、もうあなたを信用できない。お互い不幸になるだけだもの」


膝から崩れたセドリックは、今にも泣きそうな顔でソフィアを見上げている。

「愛人を持っても許してくれる、そんな心の広い人と結婚してね。そうすればすべてが丸く収まるわ。誰も傷つかずに」


そう言うと、ソフィアは部屋から出て行った。振り返る事もなく。


ソフィアが出て行った扉を呆然と見つめるセドリックに、ロロアが恐る恐る近づいて声を掛けた。

自分が主であるセドリックを愛してしまった事が、こんな事になるとは・・・と、思うも心の奥底で歓喜もしていた。

婚約者であったソフィアは、自分がセドリックに好意を持っている事に気が付くと、疑い疎ましく思っていたのはわかっていたから。

そして彼女が言うように、自分がセドリックからの情けを貰うには愛人になるしかない事も。

だから、愛人に寛容な女性がセドリックの相手に収まって欲しかったのだ。

何よりも、セドリックは絶対に自分を切ることはできないと、自信もあり慢心もしていた。

この熟れた身体を押し付ければ、豊満な胸に視線が釘付けになっている事がわかっていたし、わざと薬を忘れたと言って魔力調整を強請れば戸惑いながらも口づけてくれた。


セドリック様は、私を愛してくれている・・・・


そう確信しているロロアは、痛ましそうな表情でセドリックに触れようとした。その時。

「・・・俺に、触るなっ・・・・」

聞いたことも無い様な、怒気を孕んだ声でロロアを拒絶した。

「え?セドリック、さま?」

嫌な汗が背を伝う。

「この部屋から出て行ってくれ」


え?ちょっと待って?あれだけ濃厚な口づけを交わしたのに・・・

セドリック様もその気だったじゃない。なんで、今更拒絶するの?


ロロアはソフィアの言葉にショックを受けているだけで自分は嫌われていないのだと言い聞かせ、うずくまるセドリックを抱きしめた。

「触るなと言ったっ!出ていけ!!」

いつも優しく差し伸べてくれた手は、怒りに満ちロロアを突き飛ばしす。

彼の態度が信じられなくて、しばらく呆然とセドリックを見つめていたロロア。

だが、いつまでも居座るロロアに苛立つように憎しみの籠った目で、セドリックが睨み付けた。


「俺はお前が憎い。だが、それ以上に自分が憎い。お前のそれが全て誘惑だとわかっていて、のっかったのだから・・・・バレないと思ってな・・・本当、最低だ。

俺は一体何をしたかったんだ・・・・愛するのはソフィーだけなのに・・・」

「私はっ!愛人でもいいのです!セドリック様をお慕いしているのです・・・どうか、どうか・・・・」

そんなロロアの告白に、疲れたように溜息を吐くセドリック。

「・・・・もう、いい。悪いのは俺だ。お前の気持ちをわかっていて、お前に気を持たせてしまう様な事をしてしまったんだから。―――悪かった・・・・」

「・・・・セドリック様・・・」

「もしソフィーが魔力調整と称し、他の男と口づけていたとしたら・・・気が狂いそうだ。そして、その男と心を通わせてしまったとしたら・・・・わが身に置き換えればすぐに分かったものを。

―――・・・悪いが、しばらく俺の前に現れないでくれ。そして、すぐにこの部屋から出て行ってくれ」

明確な拒絶に、ロロアはよろよろと立ち上がり、扉までの短い距離を何度も振り返りながら部屋を出て行ったのだった。



ソフィアから婚約の解消を宣言された当日、本当に二人の婚約は解消された。

まるであらかじめ準備していたかのような早さだった。


ロロアとの事がソフィアに見つかったその日、父親である当主に呼ばれた。

愚かな息子の顔を見るなり呆れたように溜息を吐かれ、婚約解消の事実を告げられた。

そして、ロロアの処遇はセドリックに任せるという事も。

父親はそれ以上何も言わない。言い訳もさせてもらえない。

それは、罵倒されるよりも辛いものだった。




―――あれから一年が過ぎた。


セドリックはソフィアの故郷でもあるカロリアン領へと来ていた。


セドリックと婚約解消したソフィアは領地へと戻り、領主代行を任されている次期当主でもある兄を助けつつ、治療院で働いているのだと言う。

元々ソフィアは魔力量も多く、光魔法の使い手だった。

怪我や病気を治す事に長けており、よく神殿で行われるボランティアでの治療行為にも率先して参加していた。

貴族平民関係なく治療するその姿勢は優しくも聡明で、聖女とまで呼ばれるほどだった。

白銀に近いプラチナブロンドは神秘的で、黒曜石の様な瞳は温かな闇を思わせる、そんな容姿もまた聖女と言われる所以でもある。

そんな女性を浮気で手放したセドリック。しかも傍仕えに手を出しての破局。陰で笑う者もいれば面と向かって揶揄する者も多かった。

そして婚約を解消した直後にもかかわらずソフィアには、釣書が山の様に送られているのだと・・・・セドリックは聞いている。


笑い者になったセドリックはと言うと、ソフィアへの想いだけが募っていった。

浮気の原因でもあるロロアは、セドリックの母親の実家でもある侯爵家に引き取ってもらった。

散々甘やかし気を持たせた挙句、浮気まがいの行為。

あれだけの事をしておきながら、ソフィアに見限られた瞬間、その心の中にロロアの存在すら残ってはいない。


なんて自分勝手で、屑なんだ・・・ガキだな、俺は・・・・


ロロアの姿を目にするたび罪悪感と憎悪と、綯交ぜの感情が入り乱れ平常心ではいられない。

逃げていると言われればそれまでだが、どうしても許せなかった。―――自分自身が。

そんな心乱れる日々を過ごし、気持ちの整理がつくまでに、一年もかかってしまった。とは言ってもまだ、完全にとはいかない。

ちょっとしたきっかけで、すぐに心が乱れるのだから。

ロロアとはあれ以来会ってはいないし、こちらから会いにも行っていない。明確な決別を示さねばならなかったから。

だが、このまま自分から遠ざけて「はい終わり」と言う訳にはいかない。自分の甘えで傷つけてしまったのだ。

彼女が自立できるよう、陰ながら支えていかなくてはいけないと思う。それが今自分ができる、贖罪なのだから。



ソフィアに会えないこの一年、がむしゃらに働きながらも、秘かに彼女の情報を集めていた。

父親からは、もう関わるなとは言われていたが、どうしても諦めきれず追ってしまうのだ。

仕事をしている時だけは、余計な事を考えずに居られた。だが、日を追うごとに想いだけが募っていく。

ソフィアの様子を知りたいのに、誰かが情報を制限しているのか、現在領地に居る事と治療院で元気に働いている事位しか入ってこなかった。


好きな人はいるのか、恋人はいるのか、結婚してしまったのか・・・・

既に、婚約中のうちに気持ちの整理をつけていた節がある。だからもう、誰かいい人ができているかもしれない。

人気者の彼女だから・・・・


そうとわかっていても、諦めきれず、無様な姿を晒にカロリアン領へと来てしまったのだ。

きっとソフィアは会いたくはないだろう。自分を傷つけた男の姿を見れば不快になるかもしれない。

それでも、どうしても確かめたかった。諦める為にも。前に進むためにも。

甘えている・・・そう思っても、だ。


セドリックは綺麗に整備された街並みを興味深げに見まわしながら、ソフィアが働いているという治療院を目指す。

この角を曲がれば・・・・という所で、セドリックは足を止め動けなくなってしまった。

その向こうには、愛おし気に赤ん坊を抱くソフィアと、騎士の様に鍛えられた大きな体躯の男が、嬉しそうに笑いあいながら歩いてくるのが見えたから。


セドリックの心臓は、壊れるのではと言う位高鳴る。

そして、今にも崩れ落ちそうな足にぐっと力を込めた。


あれは、ソフィア・・・?赤ん坊を抱いていた・・・・

隣の男は、夫か?―――結婚して子供が・・・いたのか?


二人はセドリックがいる方とは反対側へと進んでいき、彼がいる事すら気付いていない。


あぁ・・・これで分かっただろう・・・もう、元には戻れないんだ。

彼女は今、幸せなんだ・・・昔よく見せていた、太陽のような笑顔を隣の男に向けていたじゃないか。

全てが、遅いんだ・・・・



気付けば宿屋のベッドの上だった。

どうやって帰ってきたのかも、正直覚えていない。

食事すら喉を通らず、まるで抜け殻の様に横たわる。

そして、とめどなく流れる涙。

婚約を解消した当初、まるで子供に戻ったかのように、夜一人で泣いていた事が多かった。

日中はがむしゃらに働き、ソフィアの事を思い出さないようにした。でも、夜一人になると、愚かな自分の行為ばかり思い出され、涙が溢れてくるのだ。


あれだけ涙を流しても・・・まだまだ、出るもんなんだな・・・


どこか冷静に自分自身を見つめ、妙な感想を心の中で呟く。


あぁ・・・疲れたな・・・・

ソフィアも、きっとこんな気持ちで過ごしてきたんだろうか・・・

これは、本当に疲れるよ・・・


そうして、知らず知らずに眠りについたセドリックなのだった。






恐らく処置はしたのだろうが、目をぱんぱんに腫らしボロ雑巾の様にくたびれた姿の客に、宿屋の主人は驚き声を掛けるが「大丈夫だと」弱弱しく出口に向かう男。


いつもは同じ道を通り、職場へと向かっていたのに、今日はちょっとした用事を済ませる為に別の道を足早に歩いていく、女。


―――そして一歩宿から出た時に、

―――上機嫌で宿屋の前を通り過ぎようとした時に、

―――何が起きるのか、誰も知らない。


その再会が彼らを天上の楽園へと導くのか、地獄の業火に焼かれるほどの苦しみへと導くのか。


―――神ですらわからないのだから。



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