第5話 悪夢

 この干渉が大きな変化を生んだ。

 その後、夢に登場する犬養家は夏芽の記憶にはない、全焼しなかった家だった。当然ながら、ここからはもう夏芽の記憶とは違った世界だ。

 だが他の記憶は依然として時間を辿っている。ただ犬養家の火事という事実だけが消し去られたのだ。それで怖くなった夏芽はそれ以降、夢に対して干渉することをきっぱりやめた。つまり夢の中で中学一年生の夏芽を演じ始めたのだ。

 本当はこの後、怪我をすることに気が付いても、悪事がばれて怒られることを知っていても、それを全て見過ごした。なぜならこれは夢であり、痛みは感じなかったからだ。

 だが今朝見た夢は本当に記憶から逸脱していた。そして山神神社という神社。なぜそれを知っていたのだろうか。実家にいる時にその神社に訪れた記憶はない。あの神社は本当にあったのだろうか。そしてあの黒い影はいったい……

 夏芽は車窓を眺めながら、頬杖をついた。ビルや建物が少なくなり、田園風景が広がる。


「まさかな……」


 独りでに呟いた。この時、脳裏によぎったのは自分が本当に中学一年生に戻っているのではないかということである。つまり中学一年生の夏、あの影によって殺されたという事実がこの現実に影響しているのではないかという突飛な妄想だ。

 本来ならすでに亡くなっていた母の存在が薄くなっているのではないだろうか。言ってしまえば、タイムリープというやつだ。

 ただし一つだけ喉に引っかかることがある。あの朱色がかった月の存在だ。

 あれだけは最初から存在し、そしてこの世界ならざる世界であることを表している符牒だ。その疑問点を拭えない限りはその考察は間違っていることになる。そもそもたかが一回のリンクで、そこまで飛躍した考えを繰り広げること自体が馬鹿げている。


 そんな思考を繰り返していると、電車はつくば駅に到着した。

 ここから先は電車を乗り継ぎ、一時間、そこからさらにバスで一時間の山奥が夏芽の実家だ。誰も寄り付かないような県道をバスでずっと上り、錆のついたバス停で下りる。そして山を切り崩したような獣道を歩いて数十分。この舗装されていない道は村の住人だけが知る近道だ。

 夏芽は教材の入ったリュックを肩にかけながら玉の汗を滲ませた。東京よりかは幾分涼しいが、山道を歩くだけでかなりの体力を消耗する。

 再び道路に出て、急な坂道を登り、バブル期に建てられた山間の旅館を抜けた先にある、人口一千人少々の小さな村が夏芽の故郷だ。こんな辺鄙な土地に外部の人間は寄り付かない。木々に囲まれ、盆地のようになっていた村は外部から完全に閉ざされていた。そもそも村の人間もあまり外部の人間を歓迎しない。ここにはコンビニもなければ、スーパーもない。あるのは小さな雑貨屋と地産地消の八百屋だけだ。

 田んぼのあぜ道を歩き、懐かしい風景にノスタルジックになる。何年も歩いた道のりだ。だだっ広い空間にぽつんと建つ家が見えてきた。

 家の前には黒い車が止まっている。この村唯一のクリニックである家村医院の車だった。それを横目に玄関を開けた。鍵なんてついてなかった。引き戸を開け、中に入る。


「ただいま」


 二年ぶりの実家の空気は、懐かしい暖かさよりも緊張感の冷たさが勝っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る