第2話 悪夢

 津久志夏芽つくしなつめは目を覚ました。

 薄い布団を剥ぐと、Tシャツに汗が染みている。

 ぐっしょりと気持ち悪い汗の冷たさを冷房が加速させる。上がった息を整えつつ、額を拭った。最悪の目覚めだが、二度寝の予防になるモーニングコールだ。もう二度と寝たくないと思うほどの恐怖を早朝から味わってしまった。

 まだ鼓動は収まっていない。目を何度も瞬かせながら、布団に手をついた。


「どうしたの? またいつもの夢?」


 ドレッサーで化粧をしていた安里茉莉あさとまりが声をかけた。

 手に持っていたファンデーションを置き、椅子の向きを変える。眉間にしわを寄せ、心配そうな表情で見下ろした。


「ああ、いつもの夢だよ。だけど今回は違う、あんな記憶はなかった」


「昨日のより一層、悪夢そうね……」


 茉莉は思い悩んだ表情で立ち上がると夏芽のもとに膝を落とした。

 震える肩を抱き寄せ、頭を軽く撫でる。夏芽は茉莉の大きな胸に顔をうずめると、落ち着きを取り戻した。

 茨城の山奥から上京して二年、東京の大学で出会った彼女と同棲を始めた。茉莉は大学一年の時から働いていたバイト先の先輩で、それをきっかけに仲良くなった。

 一つ上の先輩でありながら、年が近い分、親近感がわいた。東京の出身のため、田舎をあまり知らず、二人の地元の違いで話が弾んだ。次第に懇意になり、バイト以外でもよく会う関係になっていった。

 茉莉は違う大学の三年生で、民俗学部らしい。

 夏芽よりもずっとランクの高い大学に通っていたし、彼女自身かなり頭がいい。同じ文科系でありながらここまで差が付くかと思うほど、ゼミの研究レポートは優秀だった。言語学部の夏芽はよく、彼女のレポートを借りて、大学の課題に取り組むこともしばしばあった。


「まぁ夢と言っては夢なんだけどな」


「一概には言えないわよ。見た夢は結構重要だったりするのよ」


「夢占いだろ、そういうスピリチュアル系はあまり信じていないんだよ」


「占いじゃないわ。ユングの夢分析よ」


 夏芽はあまりに逼迫した表情を見せる茉莉の頭を撫で、立ち上がった。


「安心しろよ、夢は夢だ」


 夏芽はそう言い残すと、トイレへと足を運んだ。

 古い記憶の夢だ。ちょうど自分が中学一年生くらいの夢を頻繁に見る。

 最初はただの夢だった。だがどうやら夢の中でも時間が進んでいることに気が付いた。最初は断片的だった夢も次第に連続的となり、感覚も現実に近いものになっていた。まるで夢の中で起こったことを本当に体験しているように、悪夢は現実味を帯びていった。

 夏芽はズボンの裾を上げ、膝小僧に擦り傷がないことを確認するとほっとした。

 あるはずがない。だがあまりにも今日の夢はリアルだった。確かにあの神社を知っていた。だがまだ夢で意思を示すことは不可能らしい。ただし稀に夢の中で現実を思い起こすことができるようになっていた。

 明晰夢ほどではないが、夢の中で確かに意志と人格がはっきりとしていった。

 顔を洗うと、大きく息を吐いた。

 ただの夢、現実には関係ない。そう言い聞かせて、トイレを出ると、茉莉が大学に行く準備をしていた。


「今日、何限から?」


「二限よ」


「俺もだ」


「なら早く準備してよ」


「ああ、ごめんごめん」


 夢のせいで寝不足なんて、勘弁してほしい。夏芽は大きなあくびをしながらリュックを肩にかけた。窓を貫通する蝉の鳴き声がやけにうるさく感じた。

 アパートの玄関を出た時、見上げた青空に朱色がかった月がないことに、再び肩を撫で下ろす。

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