16 記憶の泉

 イコマはよくここにやってくる。

 地上にいても同じシーンを見ることはできる。同じように考えることもできる。

 事実としての記憶と、それと対をなすその時の心の様相はデータ化され、古びることなくいつでも引き出してくることができる。

 この円盤に来たからといって、自分の思考に変化があるわけでもないし、深まるわけでもない。


 しかし、あらゆる記憶が本来は纏っているだろう感傷的ともいえる味わいや匂いが、自分の脳の機能そのものが保管されているこの場所だからこそ、強く感じることができると思うからだ。




 円盤の中央部、重力を感じるエリア。

 コリドールの先に、目的の泉はある。

 水はどこまでも深く青く澄み、鏡のような水面に自分の顔がくっきりと写っていた。



 意識は、泉をゆっくりと沈んでいく。

 まるで重力がそうさせるかのように。



 脳裏に浮かんだひとつの光景。

 それはイコマがかつて体験した光景。

 記憶に残る一片のフォトグラフィ。



 見つめていると、たちまちその光景は脳裏を離れ、体を包み込む。

 意識は自我を離れ、その光景に誘われるように、記憶の元となったその瞬間に立ち戻っていく。


 あたかも生まれ変わったかのように、その体験を繰り返すのだ。

 寸分違わぬあの日々の体験を。


 イコマがこの泉に来て見つめなおすことが習慣になった記憶。



 六百年ほど前、まだイコマが生駒延治と日本語で名乗っていた時代。

 それは、こんなシーンから始まる。





 強い光が溢れていた。

 昼なのか夜なのかも分らない。

 巨大な光の束が大気を突き破り、宙に向かって突き立っていた。

 なだらかだが石ころだらけの丘陵が続く、その先に。


 光の束。

 英知の壷が消費する膨大なエネルギーを、地上から送り込み続けている。

 その中心に向かって、グネグネと折れ曲がった小道が丘陵地帯を巡っていた。


 人影が見えた。

 ふたつの長い影。

 岩肌を移動していく。

 年老いた男に、数歩遅れて続く女性の姿。


 それは、はるか昔の自分自身の姿。

 六百年経っても色褪せぬ光景。

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