2章 英知の壺

15 記憶の衛星

 チョットマが出て行ってから、イコマは知人に連絡を取った。


「わかるかい?」

「ん? 成功報酬だ。金額は内容による。その時点で、こちらの言い値を支払ってもらう」


 相手は、いつものようにぶっきらぼうだったが、探してくれるだけでも儲けものだ。

 サイバー空間で調査会社をやっている男で、イコマは勝手に、単に探偵さんと呼んでいる。

 イコマが入り込めない政府のデータベースにアクセスできるのか、あるいは性能のよいネットワークを構築しているのか、たいていは数日後にはそれなりの報告をしてくれる。


 イコマが普段頼む調査は、探し人のようなことではない。

 趣味の世界のようなことで、たとえば西暦二千三十一年八月八日の大阪梅田付近の航空写真のありか、などだ。

 探せばイコマ自身でも、いずれ見つけることはできるだろうが、サイバー空間に溢れているデータ量が膨大すぎて、簡単なことほど見つけにくい。



 年齢は。本名は。出身地は。瞳の色は。人種は。

 サリの綴りは。

 などと探偵は聞いてくるが、どれも知らないと答えるしかない。

 性別さえも、たぶん女。


 ニューキーツの街に住んでいる兵士。

 東部方面攻撃隊隊員。街の東部で消息を絶ったということだけ。


 人種という言葉は昔は肌の色や生まれた地域で区別していたが、今は人間としての生まれ方で区別をしている。

 兵士であるということは、再生人間か、再生人間から生まれた子である可能性が高いが。

 実際は誰も知らない。


「あまり期待するな」

 と言葉を残し、探偵は通信を切った。





 イコマは自分の意識を三つに分けた。

 ひとつは人の姿をとって面会者用にスタンバイさせ、ひとつは精神のまま移動用チューブに放った。

 出かけるときは必ず、意識を複数個用意しておかねばならないきまりだ。



 移動用チューブの実態はビジュアルだけのもので、移動していることを実感する以外に用途はない。

 イコマは移動用チューブを出ると、宇宙空間に伸びている光の柱に入った。

 十数秒間はエレベーターのように上昇していくが、それも同じこと。窓からは、みるみるうちに青い地球の輪郭が見え始め、宇宙の暗さを実感する。


 上空には巨大な円盤の底が迫ってくる。

 円盤はまるで光の柱に支えられているかのように浮かんでいる。

 この絶景もリアルタイムモニタだが、違和感はまったくない。




 英知の壷、と呼ばれる静止衛星。

 それは、光と宇宙線のエネルギーを受けて、建造後六百年ほど経った今も稼動し続けていた。


 約十平方キロメートルの広さを持つ円盤。

 人類の記憶を留めた無限の集合脳。

 そして人類の食料生産基地の機能を併せ持つ。


 地球人口三億人の命の源。

 高度二千キロの地球周回軌道に散らばる六十七個のもうひとつの大地。

 と、いわれている。



 円盤上部は太陽光をエネルギーに変換する面で、びっしりと受光板が敷き詰められ、地球を望む下部は金属製の建物で埋め尽くされている。

 以前、あらゆる食物はこの建物内で人工の水を使って生産されていた。現在、その重要度は低下したが、役割そのものに変化はない。

 太陽の陽だけはふんだんに降り注いでいるが、それ以外の物質はすべてここで作られたもの。

 かつて無重力体験を遊んだ観光客の姿はなく、守人たちの姿さえ消えた。




 イコマは、その英知の壷のひとつ、NKTの景観を眺めた。

 建物外に大気はなく、空は暗く星が瞬いている。

 巨大な満月が、青白い光を放って空に掛かっていた。

 隙間なく建ち並ぶ工場群の壁は、極寒の中で太陽の光を吸収して黒く硬い光を放っていた。

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