22 記憶の声

 生駒は歩き出した。

 上着を脱ぎ捨てた。

 帽子を目深にかぶり、視線を足元に落として。



 進むほどに、目の前に巨大な圧力を感じた。

 重くて熱い幕を押しながら歩いてゆくように。



 十分ほども歩いたろうか。

 振り返ってみると、白一面の世界の中に、自分の影がぼんやりと立っているだけだった。

 そこにあるはずの綾の姿はおろか、丘陵も空も何もかもが消え失せていた。


 歩を進めるたびに、いよいよ気温は高くなってくる。

 遠くから見たときには建物が見えていたが、もうそれもわからない。

 白い光そのものの位置さえわからなくなっていた。

 ただ、巨大な水流のような光の圧力を押し返しながら、前へ前へと進んでいった。


 光の粒子が岩や石ころを粉々に砕いたのだろうか。

 足元はいつしか、一面の細かい粒子で覆われていた。

 その粒子がパウダー状になり、生駒の歩みはますます遅くなっていった。




 生駒は「優に会う」という言葉を呪文のように繰り返した。

 何度も意識を失いかけては、呪文を大声で唱え、また一歩を踏み出した。

 すでに足元さえ、白く光って見えなくなっていた。



「優に会う」


 優に会う……


 優に……会う……





「ノブ、馬鹿だなあ」


 夢の中で、声を聴いた。


「私を信じてって、書いておいたのに。こんなところまで来て」


 声がまた聞こえた。




 生駒の意識はその声を聴いた。

 と同時に、目を開けようとした。

 夢ではなく、これは現実だということを確かめようと。

 目の前にいる女性の姿を見ようと。




 しかし、やわらかく暖かい指が生駒のまぶたに触れた。

「目は閉じたまま」

 声が言った。


「また、会える日があるんだから、こんなところまで来なくてもよかったのに」

 やさしい声音だった。




 生駒の閉じたまぶたから涙が零れ落ちた。

「ユウ」

 生駒は、女の名を繰り返し呟いた。

「ユウ……」



「ねえ、ノブ。約束、覚えてる?」

「うん。でも体が動かない」


 生駒の唇に、優の唇が触れた。

 意識は再び急速に薄れていった。



「もう来ちゃだめよ」

 優の声がかろうじて生駒の脳に届いた。


「送っていくね」

 それだけ聞くと、生駒の意識は途切れた。

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