18 記憶の街
若い兵士は、馬鹿にされたと感じたのだろう。
明らかに怒りの表情を見せたが、上官の方は心なしか笑ったように見えた。
そして、言葉を和らげた。
「金沢にようこそ。と、歓迎したいところですが、ご覧の通りです。危険でさえあります」
都会の老人と女性が来るところではない、という。
「この駅から外には出ないように。駅のコンコース周辺は我々が掌握していますから安全です。そろそろ暗くなります。街のほとんどのエリアには電気が来ていません。危険です」
次の大阪方面行きの列車は明日の朝までないという。
「それでお帰りください。それまでは、ここでお過ごしください。観光で来られた方をおもてなしすることは何もできませんが」
帰るわけにはいかなかった。
しかし、今は彼らの言葉に従っておくしかない。
生駒は、綾を連れて駅のコンコースを歩き回った。さも、観光客がみやげ物を探すかのように。
埃をかぶった金沢の街の鳥瞰模型。ショーウィンドウの中のガラクタ。色あせたパンフレットの類。
動かなくなって久しい天井の大時計。至るところ欠けて無残な姿となった大きなレリーフなどを見てまわった。
若い兵士は姿を消し、上官だけが東口の階段の上に立っていた。
街を警戒している。
生駒は迷った。
この自衛隊員の目をごまかして、どこかから抜け出るか。
あるいは、事情を話すか。
今ではない。
ここで一晩を過ごし、明日の朝。
そしてもうひとつ。
この街の状況を見て、やはり綾は連れてはいけない、という思いを強くしていた。
彼女には、どうしても無事に大阪に帰って欲しかった。
綾は思い詰めた表情をしている。
眼を合わせようとしない。
芯の強さは筋金入りであることは重々分っている。
街のこの状況を見ても、彼女ならひるむことはない。
むしろ、こう考えるだろう。
老人である生駒をここへ駆り立てた原因を自分が作ってしまったと。
生駒を守らねばならないと。
「ちょっと、お聞きしたいことがあるのですが」
生駒は勝負に出た。
ここで、自衛隊員にやんわり監視されながら朝を待っていても、勝機はめぐってこない。そう判断したのだ。
「どこかで食べるものや飲むものを手に入れることはできるでしょうか」
上官は、顔色も変えずに言った。
「あなた方が買い物に行くようなところはありません」
「でも、市民はどうしているのでしょう。どこかにお店があるのではないですか」
「市民、ですか。彼らに対してその呼び方が正しいとは思いませんが、彼らには彼らなりの暮らしがあります。もちろん、こんな街でも商売をしている者がいます」
「では、そこに案内をしてもらえませんか。あるいは場所を教えてくれませんか」
「今も言いましたように、私は彼らを市民だとは思っていません。この街を見てください。日本中、どこの街もよく似た有様だとは思いますが、彼らは既に暴徒と呼ぶにふさわしいでしょう。たびたびの退避勧告も聞き入れず、街中を略奪しつくした挙句に殺し合いまで始めています。普通の市民は、もう数年前に大阪や名古屋などの都会に避難して行きました。私はあなた方を、そんな連中の中にお連れするわけにはいきません」
自衛官は自分の思いをぶつけるように話す。
「現在、市の人口は三千程度です。中には、この街を離れたくないことを理由に留まっている市民も一部にはいますが。あの人のように」
市民という言い方は正しくないといいながら、この男の言葉の端々に、金沢の街を愛する気持ちが滲んでいた。
生駒は自衛隊員が指し示した方に目を向けた。
ロータリーにジープが入ってきた。
この街に来てから、というより、北陸路に入ってからはじめて動いている車を見た。
降り立ったのは、背の曲がった老人だった。
運転手はついているようで、助手席から出てくる。
杖にすがりながら、ゆっくりと駅への階段を登ってくる。
自衛官はどうするのかと思えば、表情をかすかに緩めた。かといって、助けに行くわけでもない。
安心してよい相手だが、駅前広場を監視する任務を一時放棄してまで、対応する相手ではないということだろうか。
老人が階段の半ばまで差し掛かったとき、自衛官が小声で言った。
「北陸県の知事です。金沢市長も兼任しています。この街に人が住んでいる限り、ここを離れるわけにはいかない、とがんばっておられます」
老人がもうすぐそこまで来ていた。
ようやく顔を上げ、微笑んだ。
白髪に痩身。
くたびれたジャンバーと杖のおかげで、この男を老け込ませて見せていたが、陽に焼け、なかなか健康そうだ。
やけに白い歯が、薄い唇の間からのぞいていた。
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