手紙(三枚目)

 金見さんはいい子だったね。美人だったし、真面目な優等生だった。

 ぱっと見は元気そうだけど、小さい頃から喘息を患っていて、重い発作が起こると最悪命を落としかねないという話だった。おれも彼女の前では急いで煙草をしまったものだ。

 金見さん本人も発作の危険性はちゃんとわかっていて、常に吸引式の薬を持ち歩いていた。そのほか、自宅とか学校のロッカーとか我らミス研の部室とか、よく行く場所にも予備の薬を置いていた。きっと落としたり、切らしたりしたときに備えていたんだろうね。

 普段は至って元気そうにしていたし、いざ発作が起こったときも落ち着いて対処していた。本人も「重めの発作が来る前はなんとなくわかる」と言って、決して無理はしない子だった。特に彼女の場合はひどく興奮したり精神的ショックを受けたりするとよくない、と話していた覚えがある。

 その彼女が、まさかミス研の部室の前で発作を起こして亡くなるとは、みんな思っていなかったんじゃないだろうか。

 金見さんが亡くなってから、牧くんはぱったり部室に来なくなってしまった。そのまま大学からもいなくなってしまったわけだが、無理もないと言う人は多かった。牧くんと金見さんは仲が良かったからね。付き合っているんじゃないかって噂もあったくらいだし、実際それに近い状態だったんじゃないか? まぁおれの邪推かもしれないから、これくらいにしておこう。

 あの日は試験が近かった。みんな図書館や研究室に詰めていて、部室棟はいつもより人が少なかった。

 おれは不真面目な学生だったんで、提出課題の締切が迫っているにも関わらず、小説でも読もうと部室に向かっていた。午前中の、わりに早い時間だったと記憶している。

 まだ誰も鍵を開けていないだろうと予想して事務室に向かうと、すでに誰がか鍵を借り出していた。借用者の欄には「金見」と書かれていたが、几帳面な彼女には珍しく書きなぐったような文字で、ひどく違和感があった。そんなことよく覚えてるなと言われるかもしれないが、どうしてだろうな。そのとき不思議と日常にヒビが入るような感覚があったんだ。

 さて部室に向かう途中、おれは妙に急いだ様子の牧くんに出くわした。きみが事務室に行こうとするもんで、おれが「金見さんがもう鍵を借りてる」と教えると、「あー、遅かったかぁ」なんて言ったね。何か約束でもしてたのかな、と思ったが、それ以上は聞かずに部室に向かった。

 人気のない廊下を歩き、角を曲がった途端、何か黒いものが廊下に落ちているのが目に入った。それが倒れている金見さんだと気づくのに、何秒かかかった。

 おれよりも先に、牧くんの方が駆け出していた。金見さんの顔をひと目見た途端、これはもう素人には手がつけられないと直感した。とにかく救急車を呼んで、それから外に行って、救急車がきたら誘導しなきゃならない。そう思った。

 おれは携帯を取り出し、電話をしながら事務室に向かおうとした。そして、金見さんの側にしゃがんでいる牧くんに、「ここで彼女についていてくれ」と頼もうとして振り返った。その時だ。

 牧くんが、金見さんの手から何かを隠すように抜き取るのが見えた。

 見間違いでなければ、あれは部室の鍵だった。オレンジのタグがついていた。倒れている彼女から一旦鍵を預かること自体は、別におかしなことじゃない。ただ、なんであんな風にこっそり取ったんだろう? と不思議に思った。でもその後のゴタゴタで、おれも一旦はそのことを忘れてしまった。


 金見さんは病院に運ばれたけど、残念ながらその日のうちに亡くなった。やはり喘息の発作が原因だったと後から聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る