第十九話:それぞれの転機

 七本槍ななほんやり市立 中央病院


「あぁっ!羽奈はなの姐御!美雪みゆきの姐御!レイジさん!ありぁとうございます!」

「しぃーっ!」

 もはやベッドに縫い止められたように、全身包帯ずくめのミイラ男が、痛々しい見た目とは裏腹に元気過ぎる声を上げた。病室は六人部屋で、羽原君は一番手前、入り口近くのベッドに括り付けられている。

「お、う、うす……」

「それだけ元気なら心配いらないわね」

 私は苦笑して羽原はばら君を見る。左足はギプスでぐるぐる巻き、更に吊られているので骨折しているのだろう。左腕も肩から固定されているけれど、打撲だと言っていたからまだ軽い方かな。あとは全身あちこちに打ち身などがあるのだろう。頭は額に包帯を巻いて、両の頬に大きな絆創膏。見るも無惨だ。だけどやたらと元気だ。

「おかげさまっす!」

「これ、お見舞いね」

 涼子りょうこ先生のお店で買ってきたシフォンケーキをベッドの脇の棚に置く。シフォンケーキくらい柔らかければ食べられるでしょう、きっと。

「あざす!光栄っす!」

 うん、ここははっきり言っておくとしよう。どこまで効果があるかは判らないし、本人の意志もあるのは判った上で。けじめをつけた羽原君に対して、今後は対等に付き合えるように。

「あのねぇ、羽原君」

「へ、へい」

「私らは年下なんだし、敬語とかその姐御っていうの、辞めて欲しいんだけど」

 私たちもそう言ったいわゆる、彼らの元仲間、みたいにひとくくりにされるのが嫌だし、何より年上の男性に敬語を使われるのが、異様に座りが悪い。別にわたしは男尊女卑なんて重んじてはいないけれど、私の方が羽原君と呼んで、対等な口の利き方をしているのに、年上であって男性の羽原君が私に敬語を使って姐御だの姐さんだの呼ぶ方がおかしい。いや如何なる理由があったとしても、姐御、姐さんはおかしいけれども。

「そうだね、もうそういうのからは卒業したんだし」

 リンジくんも苦笑だ。辞めたからには今まで通りではいられない。

 逆にもしも羽原君が学校で悪さをしていたとしたら、復帰した途端にまた報復される可能性だってあるのだ。暴走族のチームというバックアップを失うということは、そういうことだって充分に考えられる。チームを辞めたという事実と、けじめをつけた故に変わる環境のことは覚悟しなければならないこともあるだろう。そもそもその覚悟を決めてのこの大怪我なのだろうから、私が態々言うまでもないのだろうけれど。

「う、うす……。で、でも俺の恩人なんで!せめてさん付けで呼ばせてください!」

「しぃーっ!」

 まったく。まぁでもいきなり呼び捨てだったり羽奈ちゃんだったりするのもおかしいか……。

「う、うす……」

 まぁこういう性格だから、やたらめったら学校の、いわゆる普通の人達を脅したり虐めたり、喧嘩を吹っ掛けたり、などはしていないような気もするけれど。ともかく、私はここに来る道すがら、三人で色んなことを話して、きちんと羽原君と向き合おうと決めた。

 言うなら今かな。私はリンジくんを振り返り、言う。

「いい?リンジくん」

「ま、仕方ないでしょ」

「それが羽奈ちゃんだしね」

 リンジくんも美雪も苦笑だ。判っている。

 羽原君の怪我の原因がすべて私にあるなどと言うほど傲慢ではない。だけれど、責任の一端は確かにある。羽原君がこの先どう変わるかはまた別の話で、就職という進路が決まっていて、学校にもきちんと行き始めたのならば、馬鹿な行為を控えたまま高校卒業までチームを続けて、堂々と引退をするという道だってあったはずなのだから。あの時私が言ったことに感化されなければ、こんな怪我を負う必要はなかった。

「?」

 不思議顔なのかは絆創膏やらで今一つよく判らなかったけれど、羽原君が私に視線を向ける。

「あのね羽原君」

「はい」

「私は、チームを抜けるということがこんなことになるんだなんて知らなかった」

 でも、この『知らなかった』は正直に言えば罪悪に近い。知らなければ何でも許される訳ではない。無知の罪は確かにある。盗みを働けば警察の御厄介になることを知らなかったでは済まされないのと同じレベルだと私個人では思っている。

「で、でもこれは!」

「聞いて」

「は、はい」

 やんわりと羽原君の言葉を遮る。私は羽原君に罪悪感を感じて欲しい訳ではないし、私自身の正当性を言って聞かせる気だって毛頭もない。

「何を思って羽原君が足を洗おうと思ったのかは判らないけど、私にもこうなった責任の一端はあると思う」

「ち、ちが」

「聞いて」

「は、はい」

 尚も言葉を差し挟もうとする羽原君を手で制して私も続ける。羽原君もリンジくんと同じなんだ。私に罪悪感を感じさせないように気遣ってくれている。

「でも、それで今後、羽原君が胸を張っていられるんだとしたら、それはやっぱり良いことだ、って思う」

「うす!」

 ぱぁ、と目をキラキラさせて羽原君は頷く。調子が狂うなぁ。

「だから、一回だけ、謝らせて。……ごめんなさい!」

 言って私は羽原君に判るよう、きちんと頭を下げた。

「う……う、うす、でも、これでもう手打ちっす!アタマ上げてください!」

 いつかの私と同じようなことを言って、羽原君は(多分)笑った。何と言うか、僅かな時間であっても私が思い悩んだのが馬鹿みたいに思えてくる。それで手打ち。このお話はおしまい。羽原君がそう言うなら、甘えさせてもらうしかない。

「ふふ。退院したら松葉杖になるのかな……」

 私の安堵感が伝わったのか、美雪が笑顔になってそんなことを言った。ズレてると思ったのは私だけだろうか。

「た、多分……」

「ん?」

 急に羽原君は下を向いて(多分)もじもじし始めた。包帯と絆創膏のせいで全然表情が判らない。もしかして赤面もしているのかもしれない。

「それであの、前に羽奈さんが言ってたそのライブ、すか?お、俺も見てみたいっす」

 嬉しいことを言ってくれる。きっとけじめをつけてチームを抜けた人と関わらないという決まりがあるからには、リンジくんのライブも見たことはないのかもしれない。

「そりゃあ勿論来てくれれば嬉しいわ。八月末にはちょっと大きめのライブするから、ぜひ見に来てよ」

 とは言っても、あ、それで美雪は松葉杖かどうか気にしてたのかな。松葉杖だと結構大変だろうけれど、無理しない範囲で来てくれればありがたいな。

「七本槍中央公園だよね」

「そ」

「そうなんすか!美雪さんも出るんすよね!」

「へ?」

 あ。

「いやだって、俺が前に喫茶店に挨拶行った時、練習帰り、でしたよね」

「あ、い、いや、そ、そ、それは!」

 なるほど。つまり私とリンジくんはダシに使われたと。そういう訳だったのか。それなら仕方ない。美雪は何にも悪くないけれど、ダシにされた仕返しはさせてもらおう。

「うん、一緒に出るよ」

 にやり。

「は、羽奈ちゃん!」

「しぃーっ!」

 ここが病室だということを忘れ過ぎだ。見たところ満室。恐らくはみんな怪我なりで入院しているのだから、多少の騒がしさは大丈夫なのかもしれないけれど、それにしたって騒がし過ぎる。

「羽奈さんと美雪さんが歌ってるの、聞きたいし、見たいっす!」

 美雪さんの歌ってるところ、でしょうに。まったく、そこまでダシにされるとは。ま、別に悪い気はしないけれど羽原君かぁ。美雪とはお目が高いけれど、美雪の方がどうだか。チームを抜けて堅気になったとはいえ、暴走族であったという事実は消せない。そして美雪に限った話ではないと思うけれど、大抵の女は暴力的な男になんて好意の欠片も抱かない。

「おー、これは頑張らねばね!美雪!」

 でも、羽原君がこれからリンジくんのように、真面目にきちんと生きて行くのならばきっとその印象も変わるだろう。

「え、や、ちょっと羽奈ちゃん、わたしは……!」

「多分その頃には羽原君、リハビリでしょ」

 美雪の言葉も他所に私は言う。恐らく八月末では完治には程遠いだろうけれど、リハビリを頑張る羽原君の応援にはなるはずだ。

「そっすねぇ」

「そんな羽原君に、応援のためにも一緒に歌お、美雪!」

「お、応援……」

 私としても美雪と一緒にステージに立ちたいと思っていたところだし、羽原君、ナイスアシストだ。後押しもしてあげようじゃないか。

「まぁ羽原君には私の歌よりきっと美雪の歌の方が力になるんだろうけどぉ」

 目を細め、ニヤニヤした口元で語尾を上げて言ってやる。

「え、な、なんで?聞いたことないでしょ?」

 そりゃあそうだろうけれどもよ、榑井。そういう意味じゃない。やっぱり美雪は気付かないか。

「ちょ、は、羽奈さん!」

 焦ってる焦ってる。表情は本当に良く判らないけれど、判りやすい奴め。

「僕も聞いてみたなぁ、美雪ちゃんの歌」

「でしょ」

 ナイスよ、リンジくん。

「で、ですよね!」

 あはは、あははは、と乾いた笑い声を無理に押し出してくる。

「ねぇリンジくん、ちょっと喉乾いたから飲み物買いに行かない?」

「え?あ?う、うん!」

 恐らくリンジくんも羽原君の気持ちに気付いているのだろう。なのでここはあえて二人きりにしてみよう。ナイスアシストのお礼と、ダシに使ってくれたお礼だ。尤も美雪は判っていないようだけれど。

「え、じゃあわたしも」

「買ってきてあげるから、美雪は待ってて!羽原君一人になっちゃうでしょ!」

「え?あ、う、うん……」

 私は言って病室を後にした。


「ハナちゃんってイジワルだよね……」

 病室を出てすぐに追いついてきたリンジくんが苦笑しつつそう言ってきた。そうかもしれないけれど、そうとも言い切れないじゃない。

「何でリンジくんが私たちを呼んだのかやっと意味が判ったわ。ぶっちゃけ私とリンジくんは来なくて良かったんじゃないの?」

「さ、流石だね」

 流石と言われるほどの事でもない。あの馬鹿正直な羽原君の反応を見ていれば、いくら色恋沙汰には疎い私にだって判る。

「そもそもリンジくんが私にそれだけ気を遣ってくれるんだったら、連絡は羽原君が退院してからでも良かった。それくらいの繋がりでしかなかった、と言えばそれまでだもの」

「そりゃあそうか」

 私のせいで羽原君が怪我をしてしまったと考えることまでリンジくんには判っていた。だからリンジくんは煮え切らない態度だった。私が思い悩むことまで解っていたのだ。憎たらしい奴め。

「でもま、あんまり放置しとくのも可哀想だからすぐ戻ろ」

 美雪は気付いていないみたいだし、羽原君もあの調子だと間が持たないだろうし。

「……ハナちゃんは、どう思う?」

 矢鱈と神妙になってリンジくんが訊ねて来る。まだそんなに深刻になるような段階でもないと思うけれど。

「ま、これからの羽原君次第ね」

「というのは?」

「チームの人達が羽原君に関わらないなら、リンジくんみたいにしっかり働いてくれればね、とは思うけど。今はまだ反対」

 羽原君がどう変わったかは判らない。だけれど、あんな目に遭うと判っていてもチームを抜けた気持ちは大したものだと思うし、信じたい。

「僕、みたいに……?」

 そ。リンジくんみたいに、きちんと気持ちを入れ替えて、ちゃんと働いて、自分のやりたいことをやって、自分のしでかしてしまったことを忘れずに一生懸命生きている。少なくとも、私はそう思う。それはリンジくんが自分で思って、考えていることと違くても構わない。

「リンジくんもさ、自分を低く見積もってるけど、それって私も美雪も似たような気持ちがあるからなんとなぁくだけど判る気もするんだ」

 実際は多分私が一番そうだ。だから、何となくではなく、本当は良く判る。

「ふむ」

「でも、リンジくんはちゃんとしっかりしてるし、そりゃあ誰にでも吹聴できる話じゃないから言う必要ないけど、それでも私は胸を張っていいって思う」

 癪だけれど、リンジくんは優しい。その優しさが、リンジくんは過去にあった出来事に起因している、と思い込んでいる。でも多分違う。チームにいた頃も、優しかったのは変わらなかったんじゃないか、って思う。羽原君だって、最初に会った時は底なしの馬鹿だと思った。だけれど、尊敬する先輩を立てる気概はあった。そして、こんな目に遭うと判っていてもけじめを付けるために、敢えてそれを受け入れた。だから、チームにいた頃のリンジくんも、そんな一本筋が通った羽原君が、一目置くような存在だったのだと思えた。

「そう、かな」

「そう」

 言いきってやる。リンジくんが考えていることなんて、正直私には関係ない。本当は正面切って覆してやりたいくらいだけれど、それは私じゃまだ無理だから。

「そっか……」

「羽原君はさ、そういう重たいものは抱えてないみたいだから、きちんと卒業して、働いて、それでいて、美雪の支えになってくれるんだとしたら、応援したい」

「それは確かにまだ判らないね」

 その苦笑は誰に対してなのかな。判らないけれど、それでも優しい表情をしている。

「そりゃあね。美雪本人の気持ちだってあるし、卒業までだってまだまだ時間あるし」

 そもそも羽原君が働き出す前に、もしも美雪が羽原君に惹かれるようなことがあるなら、私は勿論口出しするつもりはない。

「そうだね。美雪ちゃん可愛いから大変だろうけどね」

 ほう、リンジくんも美雪は可愛いって思うんだ。

「そうね。リンジくんは、タイプではないの?」

 少しだけ気になって訊いてみた。

「美雪ちゃん?」

「うん」

 あ、なんだこれ。ちょっと顔が熱い。

「可愛いと思うけど、そうだね、贅沢なこと言わせてもらうとタイプっていうのとは違うね」

「ほほぅ……」

 そうなのか。じゃあどんな女の人がタイプなんだろう。でも気にはなるけど、そこまでは訊けない。なんだか、訊いちゃいけないような気がする。

「そういうハナちゃんはどうなの?」

 ふと笑ってリンジくんが訊いてきた。しまった反撃は考えていなかった。

「……私は、自分の恋愛とか興味ないし」

 私は別にいい。ここ数週間で私の考え方も、生活もがらりと変わった。だけれど、恋愛に関してはきっとまだ壁は壊れていないし、壊す気もない。

「そっか……」

 その苦笑も、どうなのよ、って本当は思ってはいるけれど。


 自動販売機で紙パックのジュースを買って戻ると、声が聞こえてきた。病室の入り口に立つ前に足を止めて、私は思わず聞き耳を立ててしまった。ハナちゃん、と咎めるようなリンジくんの声が小さく耳に届いたけれど、ご、ごめんよ。敢えて捻くれるけど、私の中のピーピング・トムが聞き耳を立てろと言っているのよ。

「そ、そうだったんすね……。すみません、勘違いして」

「あ、う、ううん、で、でも、そ、そんな風にお、思ってくれるなら、が、頑張ってみようかな……」

 ほらみなさい。良い方に傾いているではないか!主に私にとってだけれど。

「無理はしないでくださいね。って俺が言うのもなんかアレっすけど」

「そ、そうだね。リ、リハビリとか辛いみたいだから、む、無理しないで、ね」

 ふむ、羽原正孝、中々見どころのある男ではないか。美雪のその優しい言葉を受ける資格がある。なんて偉そうなことを考えたけれど、勿論冗談だし口に出すつもりはない。

「よぉし、話は判った!」

「しぃーっ!」

 私の声の大きさに今度はリンジくんが注意喚起。しまった、私としたことが。

 ともかく!

「美雪、来週から特訓ね」

「と、とっくん?」

「や、冗談だけど、ストリート一回一緒にやってみよ」

 それには練習を重ねないといけないけれど。すでに歌詞と音源は美雪に手渡してあるし、多分美雪も少しは覚えてくれているだろう。もちろん一緒にやるからには、私のコーラスだけなんてもったいないことをさせるつもりはない。できれば美雪が主旋律を歌うための新曲だって創りたい。

「う、うん!」

「おぉ!やる気!」

 良い傾向だ!羽原君には大変に申し訳ないけれど、怪我の功名とはこのことなのではないか!

「わ、わたしが頑張ったら、羽原君もリハビリ頑張れるって、言うし……」

「じゃあみんなで、ってことだね」

 リンジくんもイベントには出るんだし。リンジくんはリンジくんで、羽原君は羽原君で、私たちは私たちで。

「だね」

 少し前の私なら考えもしなかった。今年の夏休みは色々と忙しくなりそうだけれど、それ以上に楽しくなりそうだ。


 喫茶店 vultureヴォルチャー


「あらあら羽奈ちゃん、また来てくれたの?」

 羽原君のお見舞いを終えた夕刻時。私はどうせ暇だし、今日は美雪もリンジくんも時間があるというので、涼子先生のお店で休憩することにした。

「はい、今度はちゃんとお茶しにきました」

 晶子しょうこさんのTRANQUILトランクイルに勝るとも劣らないほど、何を頼んでもおいしいのだ。正直に言うと、このお店に来るのは今日の目的地が七本槍市だと聞いていた時から、密かに考えていたことだった。

「それはどうもありがと。そうそう、そう言えば今日、中央公園で知り合いが演奏するみたいなんだけど、時間あったら見て行ってあげて」

 なんと。あ、ということはもしかして。

「もしかして八月のライブに出る人、とかです?」

「そうそう。今日はソロで弾き語りだけど、八月はバンドで出るって」

「あー、なるほど。是非見たいですね」

 何だ、リンジ君は心当たりがあるのか。そして興味もあるのか。それは音楽をやっている者、特に私やリンジくんのように弾き語りをやっている者ならば当然かもしれない。それに普段はバンドでソロでは弾き語りをするなんてリンジくんみたいな感じなのかな。

「ピアノですか?」

「ギターね。私もいい加減付き合い長い子だけど、相当巧いわよぉ。ちなみにバンドでもギターボーカル」

「ほほぅ。それは確かに興味あります」

 涼子先生がそこまで言うのならば見ない手はない。二人とも時間は大丈夫そうだし見てから帰ることにしよう。きっと私にもリンジくんにも、美雪にも良い刺激になるに違いない。

「リンジくんと同じっぽいもんね。バンドやってるけど、弾き語りは一人でやってるって」

「だね。僕はバンドじゃ歌わないけど」

 ぽり、と頭を掻いてリンジくんは笑った。リンジくんの歌は巧いけれど、確かバンドでは激しいロックをやっていると言っていた。リンジくんの綺麗な声と歌い方だと、確かに激しいロックには向かないのかもしれないけれど、少しもったいない気はする。

「じゃあ時間も時間だしちょっと早いけどゴハン食べちゃおうか。今日は付き合ってもらったお礼に二人にご馳走するよ」

「え、ホントに!流石社会人!」

 こういう姿を見ると、少し身に積まされる。もちろんリンジくんは社会人だから当たり前なのだろうけれど、うちの学校はアルバイト禁止ではない。私は足のせいでアルバイトでもかなり不利だけれど、きちんと探せばちゃんと私でも働けるところはあるはずだ。最近では私も自分の趣味や遊びで使うお金くらいは自分で稼ぎたいと思うようになってきた。

「い、いやいや……。二人がドカ食いする人じゃないの判ってるから」

 大した出費じゃないということを言いたいのだろうけれど、それでも自分も含め三人分の食事代だ。中々の金額にはなるだろう。

「まぁそれはそうだけど、いいの?無理してない?」

 リンジくんは怪我を負わせてしまった人の治療費のために貯金もしているはずだ。こんな、私たちのために無駄遣いをさせる訳にはいかない。

「大丈夫大丈夫。それにこの一連の騒ぎのお詫びと、今日のお礼も兼ねてるから」

 でもリンジくんはそう言うだろうな、とも判っていた。最近リンジくんのことも少しずつだけれど判るようになってきたのかもしれないな。それがすべてではないことなんて勿論私だって判っているけれど、でもこれはリンジくんなりの仁義なんだろうな。

「そ、そこまで義理立てする必要は、ないと思うけど……」

 美雪も申し訳なさそうに言う。でも、だ。これはきっと永谷鈴司ながたにれいじなりの流儀なのだから、そこはリンジくんの気持ちを尊重しなくちゃいけない。決して奢ってもらってラッキーという気持ちがない訳ではないけれど、いやむしろ奢ってもらえて嬉しいけれど、リンジくんがそれを望むから、喜んでも良い。そんな風にも思えるのだ。

「まぁまぁ美雪。それじゃお言葉に甘えて!」

 だから図々しいかもしれないけれど、私はそう言ってメニューに目を落とす。

「うん、遠慮なくどうぞ。美雪ちゃんもね」

 ほら、リンジくんの糸目がさらに細くなってもう見えないくらいじゃない。なんだかリンジくんと知り合ってから私の考え方がかなり凝り固まっていたものなのだと気付かされることが多くなった。頑なに一人でいることも馬鹿らしくなった。それは仄のおかげでもあるけれど、リンジくんを見ていると、凛として立つためにするべきこと、というものが、今までの私のやり方では完全に間違っていることが、心の奥底では判っていたことが、顕現してきたように思えるのだ。

「そ、それじゃあご馳走になります」

「うん!」

 何故、リンジくんに対して素直になれないのかも、最近は少しだけ判ってきた気が、するのだ。


 第十九話:それぞれの転機 終り

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