第十七話:仁義、切らせてもらいます
ついに
とは言っても、別に嫌がっている素振りもなく、逆に拍子抜けするくらいにすんなりと承諾してくれた。美雪のことだから、少しくらいは抵抗するかと思っていたのだけれど。
スタジオは私も結構久しぶりだ。新曲ができた時以外はあまり入らないけれど、今日は美雪と唄うことが目的だ。二人で歌って楽しむ、言葉は選びようかもしれないけれど、私にとっては良い意味で『遊び感覚』。
「美雪ってさ、リベパテとか
スタジオに入り、キーボードとマイクをセッティングし終えると、私は所在なさげに棒立ちしている美雪に言った。
「う、うん」
リベパテ、とはリベル・パテルという名の女性だけで構成された、ギターボーカル、ベース、ドラムのスリーピースバンドだ。去年完結という名の解散をしてしまったけれど、女性バンド者のみならず、幅広い年代に人気を誇ったバンドで、わたしも大好きだったバンドだ。Wilde Frauもここ数年でアニメソングから有名になったバンドで、今でも出す曲の多くがアニメソングのタイアップを取っている。女性のギターボーカルと、男性のギター、ベース、ドラムで構成された、男女混成のバンドだ。アニメソングとはいえその殆どがタイアップなので、楽曲自体はすべてがアニメに依存したものではない。なのでWilde Frauも普通にバンド音楽として好きで、何枚かアルバムも持っている。
「じゃあそれやってみよ」
「えぇ!」
両手を上げて驚く人を、私は生まれて初めて見たかもしれない。
「や、私も歌うし……」
「うぁ、わ、わかった」
始めて入るスタジオで勝手が分からないということもあるだろうし、私がさっさとセッティングをしてしまったのも良くなかったかもしれない。判っていても、時間がかかっても、美雪に教えながら、一緒にやるべきだったかな。次はそうしよ。
「何が好き?」
「アガルタかな、やっぱり」
アガルタはリベル・パテルがブレイクしたきっかけの曲だ。この曲に限って言うと、もっともっと前に解散してしまった
「あー、有名だもんね。私も好きだし歌える。えーっとぉ、あったあった」
持参した弾き語り用の唄本をぱらぱらとめくって、リベル・パテルが掲載されている頁を開く。さすがに数あるリベル・パテルの曲の中でも一曲目に来るくらいに有名な曲だ。コードは、意外とあまり使わないコードとかも使ってるわね。
「それ見てできるの?」
「ま、コードだけ、それっぽく簡単にならね。弾き語りって判る?」
歌詞の上にコードが振ってある。大体歌の唄い出しをAメロディ、略してAメロ、サビ前をBメロ、サビをそのままサビかCメロと呼ぶのだけれど、その各々の歌詞の頭や途中にアルファベット、つまり歌のメロディに併せたコードが振ってある。歌詞に合わせてコードを鳴らせば、あらかた簡単な即興弾き語りとしては完結する。ピアノでもギターでもある程度コードを弾ける人間であれば、この弾き語り用の歌本一冊と楽器が一つあれば、一人でも三十分は時間を稼げるはず。
「うん。
「そ。まぁあんな感じだけど、私もコピーは久しぶりだからね。難しい所とかは今即興じゃ真似できないから、コードだけ鳴らす……。や、とにかくやってみよ!」
アガルタはサビが八分の五という奇妙なテンポで切り替わる、中々に特殊な曲だ。こういう曲は本当はギターの方がやりやすいのだろうけれど、生憎私はギターはまったく弾けない。今度リンジくんにでもお願いしてみようかな。
「うん!」
ともかく美雪がやる気なので、私はまずは伴奏を開始した。
私が良く利用している音楽スタジオ
「どうだった?」
スタジオのブースを出て、ロビー脇にある長ベンチに私たちは腰かける。清算は順番だ。今日は土曜とはいえまだ午前中なので、人はそれほど多くない。みんなの清算が終わる頃合を見計らって清算するのが私のやり方。
「楽しいね!歌うのはやっぱり好きかも……」
少し顔が紅潮している。興奮状態という感じでもないけれど、思い出すと恥ずかしいのかな、やっぱり。そういうところは美雪らしいな。
「うむうむ」
そんな美雪の可愛らしさに満足して私は頷く。これはもしかしてもしかするかもしれないぞ。
「羽奈ちゃんの歌も覚えたらハモりとかできそう」
「そうだろうそうだろう!やってみるがよい!とてもすごく恥ずかしいけど、美雪になら歌詞渡す!」
でもまだ焦っちゃいけない。何しろ今日は美雪のスタジオ初体験の日だ。私は夏のイベントには美雪と出る目論みを持ち続けているけれど、美雪がこの調子ならば本当に行けるかもしれない。歌唱力はお世辞抜きで文句なしだし、今日のスタジオも抵抗なく入ってくれたとなると。
でも今はまだ言わない。もし今、美雪が歌うことに楽しさを見出しているのならば、焦ることはないはずだから。
「はずかしいんだ」
苦笑して美雪は言う。
「そりゃそうよ!真夜中に真剣にしたためたラブレター……の経験は私にはないけど、蕩けそうな脳みそで書いたポエムを人様に見せるようなもんね!」
「そ、れは判らなくもないけど、でも唄ってるよね」
判らなくもない、だと……。それはつまり、美雪がラブレターを書いたことがある、イコール、好きな人がいた、またはいることを示すのか。それとも夜な夜な乙女ポエムでも書きしたためているのか……。どちらにしてもちょっと意外だ。そしてどちらにしてもその話は是非とも突っ込んで聞いてみたい。
「唄で聞くのと歌詞をそのまま見られるのとでは恥ずかしさが違うの!」
「そ、そういうものなんだ……」
それも歌うのではなく、音読なんかされたらたまらない……!そうじゃない人もいるかもしれないけれど、私はかなり恥ずかしい。
「そうよ!美雪もやってみたらいいわ!」
「や、流石に作詞までは……」
おっといけない。急いては事を仕損じる。今はまだ、私と美雪の二人のお遊び。スタジオの中だけで、私と美雪だけで楽しむ場。
「それもそうね。でもまぁ本当に美雪が歌詞覚えてくれたら、ハモるのは絶対楽しいと思う」
「うん。羽奈ちゃんの唄、大好きだしやってみたい!」
なんと可愛いことを言う奴め!でも美雪にそう思ってもらえるのは本当に嬉しい。リンジくんに言われた時もそうだったけれど、個人に認めてもらえるというのは照れ臭い面もあるけれど、素直に嬉しいと思う。
「じゃあ美雪には大サービスね。音源と歌詞両方あげる」
「え、いいの!」
私はまだきちんと音源を録音したことがないので、ICレコーダーで録音したものだけれど、それがまぁまぁ聞けるくらいには良く録れている。出来れば、きちんと録音してミックスして、CDにしたい。でもまだそんなことができる知識も技術もないので、先送りだ。
「勿論!わたしだって美雪とやったら楽しいって思うもの!」
しかし練習ともなれば話は別だ。唄のメロディと歌詞を覚えるには曲を聴くしかない。ICレコーダの音源は練習には使えるけれど、きちんと音楽鑑賞用として聴けるほどのクオリティはない。
「やったぁ!」
それでもこんなに喜んでくれるというのは本当にありがたいな。
「音楽って、面白いでしょ」
「あー、うん」
「……あんまり?」
ま、そこは想定内。何故ならば、私には美雪の答えが手に取るように判る。
「う、ううん!だってわたし、ただ唄ってただけだから!」
「唄だって……。ううん、唄こそが立派な音楽よ。誰でもできる、誰でも楽しめるから音楽じゃないなんてことは、絶対にないんだから」
カラオケ感覚で歌っていたことが楽しかったから、というのが理由のはず。ま、そこの根っこは私にとっては正直どうでも良い。
「そ、そうだね」
そもそも調べた訳でも何でもないけれど、世界最古、原初の音楽なんて歌でしかありえない。事実がそうでなくても構わないから調べはしないけれど、私は勝手にそう思っている。歌に合う音を一緒に鳴らしたら、もっと楽しい、もっと美しい、そうして発明、発展していったのが楽器だろうし。
「楽器は、興味が向けばやってみればいいのよ。必要に迫られる場合もあるかもしれないけど、興味が無きゃ続かないもん」
「そ、そうだね」
今はまだ、美雪には不要だ。何と言ってもこの私がいる。弾き語りレベルにはなるけれど、ちょっと時間を貰えれば、美雪が歌いたい唄ならなんだってやってあげられる。今はまだ、美雪が音楽を楽しんで、もっと好きになることが重要なんだから。
「まぁ仮に、これから美雪がどんどん目覚めていって、私みたいに一人でやりたいってなったら、シンセかギターをお勧めするけどね。他は弾き語りでやるにはちょっと向いてないから」
と思った矢先にこれだ。急いては事を仕損じるぞ、
「そうかもしれないね」
じ、と私のシンセに目をやる。お、まさか……。ならばもう少しだけ。もう少しだけ許しておくれ。
「それに鍵盤の楽器なら私が教えてあげられるから、もし興味があったらいつでも言って。ってまぁさすがにそれは気が早いわね」
「そうだね」
私のセルフフォローに苦笑。危ない危ない。今はまだ美雪は唄うだけでいいんだ。
「さてー、お腹すいたし、お昼は
「うん、行こ行こ!」
喫茶TRANQUIL
「あら羽奈ちゃん、美雪ちゃん、いらっしゃい」
耳に心地良い呼び鈴が響くと、これまた耳に涼しげな
「いらっしゃーい」
御昼時は忙しいので、
「こんにちは、晶子さん、美夏さん」
私は二人の挨拶に軽く会釈をすると、美雪もそれに倣った。
まずはシンセサイザーを置かせてもらおうと、店内奥に進む。すると、途中カウンター席に座っていた男性がくるりと振り返り、椅子から降りた。カウンター席に置いてある丸椅子は足が長いのだ。
「ちゃす!羽奈の姐さん!美雪の姐さん!」
「え、何でいるの……」
声を聴いて判った。
「なんだか羽奈ちゃんたちのこと、待ってて……。今日だって来るかは判らないって言ったんだけどね」
苦笑して晶子さんは言う。もしかしてリンジくんに聞いたのかな。ここなら良く来るかも、って。
「詫びにきや、来ました!」
「や、ちょっと待って、まさか何も頼まないでここに居座ってたんじゃないでしょうね」
侘びならばこの間手打ちにしたはず。だけれど、その前にまさか私たちが来るまでに、お冷だけで何時間も粘っていた訳じゃあ……。
「コーヒーを頼みや、ました!」
「何時から待ってて、何杯目?」
珈琲一杯で三時間も四時間も居座った訳ではあるまいな、まさか。
「まだ来てから一時間たってないわ」
「ならよしとするか……」
わたしも仄と二時間や三時間、このお店に居座ることはある。だけれど、珈琲一杯で、ケーキ一つで、などということはない。でもまぁ一時間も経っていないのならば、珈琲一杯でも大目に見てやろう……。
「羽奈ちゃんうちの店員みたい」
「あぅ、すみません、差し出がましいことを……」
美夏さんに言われてか、っと赤面する。確かにそれは私の気のすることではない。だけれど、何というか、羽原君の常識の無さが、このお店に迷惑をかけてしまったのでは、と心配になってしまったのだ。いや、それでも差し出がましいことには変わりないか。
「で、あの、羽原君は何でわたしたちのこと待ってたの?」
「だぁら、ですので、侘びに、来ました!」
言葉遣いを気にしているようだけれど、まだまだ慣れていないのだろう。僅か数日で簡単に治るものではないけれど、とりあえず頑張っているのは判る。何か、羽原君の中で心境の変化があったのかもしれない。
「侘びは受け取ったって言ったでしょ。ていうかその格好……。あ、晶子さん、楽器置かせてください」
「どうぞぉ」
一旦お店の奥のスペースにシンセサイザーを置かせてもらってから、私と美雪は羽原君が座っていたカウンター席のすぐ後ろにあるテーブル席に着いた。
「で、その格好は何なの?」
まずは美夏さんが出してくれたお冷を一口飲んで口を湿らせると、わたしは羽原君に訊いた。土曜日で学校は休みなのに羽原君は学ラン姿だ。この辺で高校生で学ランだと、お隣の
「いつもの格好がダサいと言われたので、きちんとした服装をと思いや、まして!」
「ていうか、高校生だったのね……。羽原君て何年生なの?」
それでいて学生服とはなんというか、いやもうそこは突っ込まないでおこう。私たちだって何か正装する機会がある時は制服姿だ。喫茶店に、私たちに会いに来るのに正装というのも物凄く可笑しな話だけれど、私たちと羽原君たちとの感覚のずれは、もはやどうにも擦り合わせることはできなさそうだし。
「三年っす!」
「年上……」
予想はしていたけれど、今年で十八歳ということか。十八歳にも色々といるものだ。
「学校とか行ってないんでしょ……」
「姐さん達に会ってからは毎日行ってます!」
すると、わたしのお説教、と言うには少々皮肉も多かったし、半ギレみたいになっちゃってたけれど、アレが何かしら羽原君に作用したということかしら。
「でも三年てことは、就職か進学でしょ?」
「就職するっす!」
どちらにしたって学校をサボっている場合じゃないだろうし、今からきちんと学校に行っていれば就職先もきちんと決まるかもしれない。あ、でも。
「いちお、訊くけど、留年は?」
「ギリしてねっす!」
「ギリなんだね」
びし、とサムズアップする羽原君に私と美雪は同時に苦笑を返した。ともかく、卒業できるくらいには学校に来ているのならば、大丈夫だろう。最悪就職ができないとしてもアルバイトでも何でも、働き口はきっとたくさんあるだろうし。
「まぁでも立派じゃない」
羽原君の中でどんな心境の変化があったかは判らないけれど、きちんと学校に行って、きちんと就職する事に重きを置くようになったのは、当たり前のことかもしれないけれど、羽原君にとってはなかなかの一大決心だったのではないだろうか。
「で、俺もチーム抜けようと思いまして、御挨拶と、こないだの、迷惑を重ねてしまったことを詫びにきやした」
こういう義理堅い所があるんだったら暴走族なんてやらなければ良かったのに、とは口には出さない。言ったところで後の祭だし、もしかしたら暴走族の縦社会で培われた義理堅さなのかもしれない。それにこれからの自分を変えて行こうというのだから、過去のことをグチグチと言ったところで羽原君の決意に水を差すばかりで何も良い展開なんて望めない。
「そういうことね。それならもういいわ。多少、何人かからは疑いの目で見られてるけど、学校側からは何のお達しもなかったし」
「うんうん」
美雪も何だか嬉しそうだ。
「おぉー!ありがとうございます!じゃ、俺はこれで!」
バキッと会釈して羽原君は笑顔になる。
「え、これだけの為に?」
「そうっす!」
何だかむず痒い。これは、規模は小さいかもしれないけれど、リンジくんのことをきちんと叱ってくれた人のような、そんな風なことが、ごく僅かでもできたということなのかな。私みたいな人間でも、そんな小さなことだったらできたということなのかな。
「律儀ねぇ……」
だけれど、出てくる言葉と言えばコレだ。私のコレも本当に少しでも変えて行かないと。
「ママさん、チーママさん、ごちそうさまでした!じゃあ姐御たち、失礼します!」
う、うん、姐御に戻ってるけど、もう呼び方はどうでもいいや……。好きなように呼ばせよう。
「はぁい、またいらっしゃいな」
「チーママはやめてね」
や、ほんと何チーママって……。美夏さんがそう言うってことは、美夏さんはチーママが何かを知ってるってことなんだろうけど……。
「……う、うす!」
何だか驚いた様子で羽原君は言葉を詰まらせた。いやぁ、晶子さんにそんなことを言われたくらいで感動するほど、私たちの普通とずれているんだろうな。恐らくは今までお店の人にそんなことを言われたことなんてなかったのだろうから。
しかたない。私も一肌脱ぐとしよう。
「羽原君!」
「は、はい?」
訝しげに視線を投げる羽原君に、できるだけ優しくなるように、最、大、限!気を遣って私は言った。
「リン、レイジくんに訊けば判ると思うけど、私ら十三橋公園で時々生演奏してるから、気が向いたら聞きに来て」
「……こ、光栄っす!」
もしかしたら泣くんじゃないかと思うくらい大げさに目を見開いて、羽原君はまた頭を下げる。年下に、そんなに何度も頭を下げるもんじゃあないのよ、大の男が。差別的な意味じゃあなくてね。……もはや差別か、それも。
「そんな大げさな物じゃないけどね」
あはは、と今度はわたしが照れ笑いをする。まぁ、栄吉君はどうか判らないけれど、羽原君はイイヤツなんだろうな。きっと。
「では、失礼しやす!」
「じゃねー!」
第十七話:仁義、切らせてもらいます 終り
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