第十六話:喝
仄と美雪が、その話の後ですんなり帰ってしまったことには大分不満げであったけれど、リンジくんは貴重なお休みなのだから、ゆっくり休ませてあげた方が良いだろうに。それにリンジくんと二人だなんて、何と言うか間が持たない。楽器屋にでも行けば音楽の話は色々とできるかもしれないけれど、私はシンセだしリンジくんはギタリストだ。それだけ共通の話題があるかも判らないし、そもそも何も買うつもりもなく楽器屋に行くのは楽器屋にも失礼な気する。
ともかく、帰ってきてしまったものは仕方ないではないか。という万感の思いを込め。
『煩い黙れ』
と返しました。
昼休み、いつものように美雪と屋上でお昼ご飯を食べてから、昨日の総括的な意味で美雪に改めてリンジくんのことを話した。
「でもリンジくんがそんなに色々抱えてるっていうのは、ちょっと驚きだったかな……」
「だね。まぁ暴走族だったのも驚きだけど」
元暴走族で、事故を起こしてしまって他人を巻き込んで、怪我までさせてしまったという事実は、リンジくんの人生観をまるっと変えた出来事だ。これはまだ推論の域を出ないけれど、恐らく間違いないだろう。もしもリンジくんがいわゆる『引退』までそういうことを続けて社会人になっていたとしたら、今のような優しいリンジくんにはならなかったのかもしれない。
酷なようだけれど、リンジくん本人も言っていた。目を覚まさせてくれた人がいた、と。リンジくん本人もその人達に見捨てられなくて幸せだった、と。簡単に教訓だとは言えないくらいの事柄だけれど、リンジくんにとっては確かに、曇っていた視界を晴らすきっかけになったのだろう。
「しかも結構怖がられてたよね、あんな優しい喋り方なのに……。暴走族だった頃は凄い怖かったのかな……」
そんな気はする。でも、現役の頃でも
「どうなんだろうね。あの喋り方とか後から矯正してああなるとは思えないけど」
例えば僅か二年で、羽原君や栄吉君がリンジくんのような穏やかな喋り方になれるとは到底思えない。
「それもそうだね。じゃあもの凄く強かったのかな、喧嘩とか」
「それはあるかもね。ああいう集団に使う言葉じゃないと思うけど、実力主義っていうのはあるかも」
恐らくは結構厳しい縦社会なのだろうし。昔のそういう漫画では一歳年上が神様みたいな上下関係だったというのも見たことがある。逆に年下が年上に下剋上なんていうのもあったような気がしないでもない。随分前にお父さんが買っていた少年誌をぱらぱらと斜め読みした記憶だから定かではないけれど、エクスクラメーションマークとクエスチョンマークをひとまとめにした表記が無暗矢鱈と出てきたように記憶している。
「強い人がリーダーになるとか?」
「じゃない?ああいうのって漫画とかでしか知らないけど、他のチームと抗争したりするんでしょ。だとしたら一番強い奴がリーダーになるってのは判らなくもないかなぁ」
あんまり会社みたいに統率力だとか、そんなものは求められないような気がする。本当の意味で統率力やリーダーシップを発揮できる人間はそもそもそういう道に染まらないと思うし。
「そもそもチームの根底には何があるんだろうね」
「根底?」
美雪の疑問をそのまま口に出す。言われてみればそれは確かに。
「例えば野球チームは野球するためのチームでしょ?暴走族は、ああやって煩くして迷惑かけて集団で走る、みたいなのが目的なんだとしたら、喧嘩ってあんまり関係ないような気もするけど」
暴走族と言うくらいなのだから、目的は暴走すること。ド派手な騒音で道路を縦横無尽に、好き勝手に、集団で走り回るというのが目的なのだろう。だけれど、わたしが読んだことのある漫画では、喧嘩は付き物だった。
「でも他のチームとは喧嘩するよ。どっちの方が強いだとか何とか」
「それで勝って、どうなるのかな」
それを言われると私も全く意味が判らなくなる。勝ったとして、俺のチームの方が強いぜ!となったところでそれが何を意味するのか。いや、価値観は人それぞれだ。そういった価値観だけに限定して言ってしまえば、格闘家などはそういったことに価値観を持っているはずだし。でも格闘家は勝ったとして、次も負けないぜ、負けた方は次こそ勝ってやる、みたいなものがお互いを成長させる糧になる……ような気がする。そして、大会ともなれば優勝してチャンピオンになることを目標に掲げることができる。だけれど暴走族に至っては、お互いの成長だとかよりも、自身の誇示や、相手に対する憎悪の感情しかないような気がしないでもない。だとすると、もう一つ。
「縄張り?みたいなのを広げていくんじゃない?」
俺達の勝ちだ、もうここらをうろつくのは辞めてもらおうか。的なことだろうか。自分で言っておきながらさっぱり意味が判らないけれど、そこに価値観を感じているのならばそれはそれで、そういう世界もあるのだろうと納得するしかない。俺の方が強い、俺達の勢力が拡大してる、つまりそういう意味での強さの誇示。そういう価値観なのだとするのならば。
「戦国時代じゃないんだよ」
「まぁそれもそうねぇ。日本全国制覇、なんて考えてる訳でもないだろうし」
総勢で何人いるのかすらわからないけれど、多くたって二十人とかその程度ではないのだろうか。例えばそれが百人だったとしても、たかが百人程度で日本全国のどれだけいるかも判らない暴走族すべてに喧嘩を売るなんて、それこそ漫画でしか有り得ない。恐らくはせいぜいが、同じ地域の中で覇権を争う程度のものなのではないだろうか。群雄割拠と言い表すにはあまりにもお粗末すぎる。
「でしょ」
「まぁ私たちとは世界が違い過ぎるわ」
「うん、そうだね」
どちらにしても社会のゴミクズ野郎どもの考えなんて意味不明だし、理解不能だ。きっとリンジくんもそういうことに気付いたのだろう。そう思うことにしよう。疲れるし。
「まぁ何にしても、リンジくんが今でも一目置かれる存在だっていうのは事実みたいね」
どういう意味で影響力を持っているのかは判らないけれど、ともかく今では無関係であるはずの暴走族の人達にもある程度の影響力があるのは私たちとしても助かる。まぁあんなことそう何度もあってもたまらないけれども。それでもリンジくんが何かを言えばそれが抑止力になるというのならば、それはやはりそれなりの影響力があるということなのだろう。
「もう一人の、栄吉君、だっけ?あっちの人は知らなかったんだね」
「リンジくんが辞めてから入ったんでしょ、たぶん」
「そうなんだろうね」
そうやって、辞めて行った人でも、それを知る後輩らに語り継がれているのだろう。それが歴史的人物のように、世界史に名を遺すとかそういうこととはかなり、天と地ほどの違いがあるし、何と言うか、ごく小さな世界でなんなんだか、と思ってしまうけれどこれはもう多分価値観の違いだからどうしようもない。
「ともかく、何だか今のリーダーに何でもかんでも一般人に因縁吹っ掛けるのはやめて、って言ったみたいだから大丈夫じゃないかな」
「元先輩と今のリーダーに言われれば自粛するかな」
「するんじゃない?羽原君たちだってそれに逆らって痛い目見たくないでしょ」
全く困ったものだけれども、目上の人を立てる気概だけは、あの二人からは感じ取れた。それにもうお目にかかることもないだろう。
「それもそっか。ちょっと安心かな」
「だね。あとはリンジくんの抱えてることとか色々やっぱり重い話だから、あんまりこういう話ぶり返したり、無関係なことでも事故のこととかは言わない方が良いかも」
「そうだね。知らないで傷付けちゃうってことはなくなるもんね」
うん。それが大事。知らなくて良いことは沢山あるけれど、知っておけば無用に傷付けることもなく、知らないからと言ってリンジくんの地雷を踏んでしまうこともない。お互いの理解っていうのは、そういうところから少しずつ、始まって行くのかもしれないな。
少なくとも私はリンジくんの重たい過去であっても、知ることができて良かったと思えるし。と思ったら丁度良いタイミングで午後の授業開始の予鈴が鳴る。
「うん。さって、午後も授業頑張りますか!」
「うん!」
私と美雪は空いたパンの袋や紙パックのジュースをまとめてるとベンチを立った。
嫌な予感というか、予定調和というか、そんなものが当たる。予定というよりは半ばやっぱりな、という印象の方が近い。授業が終わり、ホームルームの最中、バインバンバンバン、バリバリバリという破裂音が聞こえて、消えた。通り過ぎたのかと淡い期待を抱いた。だけれどそんな淡い期待は杞憂に終わり、非常に残念な現実が目の前に現れた。
ホームルームを終えて、美雪と共に昇降口から校門へ向かう。先日見たばかりの、奇妙な形のド派手な色をしたオートバイの一部がちらりと見える。私と美雪は顔を見合わせる。
「ね、ねぇ
オートバイのすぐ脇には、この間見たばかりの二人組。羽原君と栄吉君だ。羽原君は相変わらずマスクをしているし、栄吉君も相変わらず竹刀を持っている。我が校の生徒は、突然現れた非日常を、ある者は見て見ぬ振り、ある者は遠巻きに写真を撮り、ある者は腫れ物でも見るかのような目つきで彼らを見ていた。出来れば私もその遠巻きに紛れて事をやり過ごしたい気持ちでいっぱいだ。
「お礼参り、って訳じゃあなさそうだけど」
「だ、だよね……」
もしそうなら、こんなに人の往来がある場で待ち伏せるなどという愚行は、いくら知能が低い彼らでも犯さないだろうと思う。多分だけど。
「ま、まぁ行ってみるしかないよね。多分私たちに関係してる気がするし……」
「う、うん」
リンジくんからのお達しは伝わっているはずだ。無暗矢鱈に一般人を巻き込まないと。だとするならば、無暗矢鱈ではない理由が彼らには有って、そうなるとその理由が私たちである可能性はかなり大きいという訳だ。
「あ!ハナの姐御!美雪の姐御!れっす!」
お疲れっす!かな。それにしても姐御と来たもんだ……。時代錯誤、というよりは漫画の読み過ぎ、なんだろうな。
「お疲れ様。何か用?」
あまり冷たくならないように気を遣う。関わる時間は最小にしたい。裏門から彼らを避けて帰るという案もあったけれど、後々のことを考えるとここで片付けておいた方が良さそうだし。例えば私たちが裏門から帰った場合、誰かに、最悪の場合教師に、
「っす!先日は失礼しやした!」
「う、うん、別に気にしてないよ。で、何か用?」
帰りが少し遅くなっただけで、怪我もない。私のおでこのたんこぶはもうきれいさっぱり消えているし。
「侘び入れに来やした!」
「お、う、うん、判ったよ。その侘びは受け入れましょう!じゃあね!」
それで手打ちだ。態々謝りに来てくれた気概は認めよう。だがとてつもなく迷惑だ。我が十三橋高等学校の生徒という生徒が『暴走族と一緒にいる香椎葉奈と榑井美雪』をじろじろと眺めて行く。私は言って、歩を進める。さ、帰ろう帰ろう。
「ちょ、ま!ってくださいよぉ!姐御ぉ!」
「その姐御っていうの辞めて!」
オートバイを停めているので、そこから余り離れる訳も行かずに、羽原君が情けない声を上げた。しかも相当に大きな声で。私は彼らを舎弟にした覚えはない。大体彼らにとってリンジくんはものすごーく目上の存在のはずで、そのくせレイジさんと呼ぶのに、何でそのレイジさんのただの友達である私たちの方が大仰な呼び方なのか。
「せめて家の近くまででいっすから、送らせてください!」
「はぁっ?」
羽原君の頓狂な提案に思わず声が高くなってしまった。冗談じゃない……。
「わ、わたしたち、ヘルメットとかないですよ……」
うむ、それだ。乗れないのだから、そもそも……。いや待って、そもそもの話で言えば、彼らは免許証を持っているのかという疑問もあるのだけれど、どう転んだって相乗りなんて無理だし、勘弁だ。いやもっとそもそも論があるわ。オートバイ一台しかないのにどうするつもりなのか……。
「んなもんいらねっすよ!」
うわ出た。そういうところだよ腹が立つ。あまりこの件に関しては時間を取られたくなかったけれど、判らせないといけないかもしれない。言ったところで付ける薬はないのだけれど、でも、言うべきことは言っておこう。
「……それで事故して、私たちが怪我でもしたら、責任取れる?」
「え……」
リンジくんがチームを抜けた理由を、もしかしたら彼らは知らないのかもしれない。今となってはもうリンジくんは十九歳だし、ちょっと調べた感じでは、高校卒業か成人で暴走族の多くは引退をするらしいから。
「見ての通り私は足が悪いの。もし事故でも起こして歩けなくなったら、羽原君、責任取れる……?」
「……」
ロフストランドクラッチをひょい、と上げて私は言う。勿論、返す言葉なんてないのは百も承知だ。羽原君だって多く見積もって十八歳だ。多分馬鹿をやって転んだことだってあるだろうし、事故を起こしたことだってあるかもしれない。だけれどまだ未成年だし、親の脛をかじっている可能性が高い。親に一切頼らず、すべてを自分で賄っているのならば、こんな馬鹿な行為はしていないだろうし、こんな馬鹿なことも言い出さないはずだから。
「一生、私の面倒、勿論金銭面のみでだけど、見ることになるよ。今でさえ不利だから、歩けなくなると結婚だって簡単じゃなくなる。そしたら羽原君は一生、惚れた女でもない私に、お金を貢ぐために生きなくちゃいけないんだよ。言ってること解る?」
「……す、すいやせん」
ふむ、これは、解っていると判断しても良いのかな。だとしたら、リンジくんがチームを抜けた理由も知っているのかもしれない。ただ、自分には無関係なことだと思っているのかもしれない。
「なんでリンジくんがチームを抜けたのか、考えたこと、ある?」
「……」
私の言葉に羽原君は明らかに項垂れた。やはり羽原君は知っているのだろう。自分には関係ない、自分はそんなドジは踏まない、そう考えるのも好き好きだけれど、もしもというリスクを考えられない馬鹿が多いから、交通事故も無くならないし、暴走族も減らないし、あおり運転だって減らない。
「おうごるぁ!いくらレイジさんのオンナだからってぁ……!」
急に栄吉君が大きな声でぐわーっと竹刀を振り上げた。いきなりの大きな声だったので驚いたけれど、別にちっとも怖くない。どうせこの二人は私たちには手は出せないんだから。わたしは栄吉君の目を見据えて言い放つ。
「何?その竹刀で殴る?……やれば?ほら、抵抗はしないわよ」
「え……あ、あの」
い、いや、待って、その前に突っ込みたい。今、なんつった?あ、い、いやそれどころではない。いいや、この際だ。わたしはロフストランドクラッチを栄吉君の大腿部に向けて思い切り振り降ろした。ばち、と中々の手応えが返ってくる。この馬鹿暴走族が!何がレイジさんのオンナだ!この!ばか!たれ!が!という思いも込めて。
「いっ!って!いって!いてぇ!」
いやん、みたいな恰好で栄吉君は内股になって片足を上げる。もちろん多少の手加減はしている。本気で殴って壊してしまったら元も子もないし、逆に怪我でもさせてしまおうものなら大変だ。
「栄吉君って言ったわよね。貴方は多分羽原君が謝りに来たのも面白くないんでしょ。何でここに来てるか、意味も解らないでしょ。何で羽原君が頭を下げに来たか、解らないし、面白くない。挙句こんなに往来のあるところで人目も憚らず女に怒鳴り散らして、そんなもの振りかざして、恥ずかしいと思わないの?」
叩くのを止めて栄吉君に言い放つ。こんなことしたくはないけれどもうどうしようもないし、言っておかなければいけないことははっきり言っておかなくちゃ。
「……」
あっけにとられたのか、私の言っていることを理解したのかは正直判らない。だけれど、ぎゃんぎゃんと喚くのは辞め、私の顔をまじまじと見つめ返してくる。
「言っとくけどねぇ、怒ってんのはこっちよ!こんな学校の前で、皆にじろじろ見られて、あんたみたいなのの相手しなきゃならないんだから!言われたんじゃないの?一般の人に絡むなって!」
下手をしたら明日辺り先生に呼び出しを喰らうかもしれない。暴走族と付き合いがあるのかとか何とか。こちらとしてはそれだけでも充分に大きな被害だ。
「あ、姐御……」
「羽原君は黙ってて!」
私の剣幕に羽原君がおずおずと口を挟む。あんたはまだいくらか話が解りそうだからいいのよ。
「う、うす」
「ちょっと聞いてるの?おいコラ、栄吉!」
ばかみたいな顔で私を見たままの栄吉君に声を荒げる。仮にあんたの言う通り、私がレイジくんのオンナなんだとしたら、有り得ない態度なんじゃないのか、それは。
「う、うすっ」
「はいだろ!」
ばし。
「いって!はいぃ!」
痛かろう。私のロフストランドクラッチはアルミ製なので軽くて丈夫。軽くて丈夫でも勿論金属であり、不燃材でもある。不燃材はこの際あまり関係ないけれど、それで叩いたら、手心を加えていたとはいえさぞ痛かろう。ちなみに私なら絶対に叩かれたくない。
「別に変な喋り方も見た目がダッサイのも好きにすればいいわ!でもね、ヘルメットかぶらないとか誰彼かまわず因縁吹っかけるとか、少しも周囲の目を気にしないとか、そういう非常識が、大惨事を招くことんなんのよ!」
リンジくんは話さなかったけれど、事故を起こした時、自分だって怪我をしていたに違いない。無事だったから良かったものの、少しでも打ち所が悪かったら最悪の親不孝をするところだったんだから。軽率な行動を軽率だと思ってやるのは最悪だけれど、知らずにやるのだって同じく最悪だ。どれほどの危険行為をして周囲に迷惑をかけているのか、少しでも知る必要があるんだ。
「……」
押し黙る栄吉君を見て、どう判断すべきか迷った。いきなりブチ切れて襲い掛かってくる可能性だってない訳じゃない。でも、多少なりとも私の言葉が彼の耳の穴から入り込み、心に作用したように、思えた。
「あ、姐御!わ、判りやした!このバカには言って聞かせますから!すんません!マジですんません!」
「あら羽原君、知らないの?こういうのに付ける薬は売切れてるのよ」
羽原君も大同小異だけどね。それと姐御辞めてくれないかな本当に……。
「それは売ってはいる、ってこと?」
「やかましいわよ美雪」
ぎょろりと美雪を睨む。ちょっと冗談ぽくなってしまったけれど、私は至って真面目モードだ。
「ひっ」
わざとらしく怯える美雪を他所に、私は一度佇まいを正す。ロフストランドクラッチはきちんと地に付けて。
「羽原君、貴方の言う侘びとやらは確かに受け入れました。でもこういうのは二度と辞めて。近付くなとは言わないわよ。でもその格好とそのオートバイでは私たちには近付かないで」
「っす……」
頭を下げたまま、羽原君は小さく頷いた。まったく男らしくない。なので怒気の孕んだ腹からの声で一言。
「はぁ?」
「は、はい!」
びしぃ、と気を付けの姿勢になって羽原君は声を高くした。
「よろしい。送迎は不要なので、お帰りください。このまま帰るのなら、リン……レイジくんには何も言わないでおいてあげる」
「はいぃー!っかりやしたぁっ!っくぞ栄吉!」
そう言って羽原君はオートバイのスタンドを外し、押して駆けて行く。うん、偉い偉い。こんな年下の小娘に言われる前にそれに気付ければもっと良かったのだろうけれども。これから知って行けば良いだけのこと。
「は、はい!っしたぁ!姐御!」
栄吉君もバキっと会釈して羽原君のオートバイを押すのを手伝う。
「姐御やめろ!」
「さっせん
いや姐さんもやめて、本当に。
「……ふぅ」
二人が大分遠ざかってからわたしは嘆息した。正直疲れた。実際には怖かったのもある。暴力を振るわれることはないだろうと判ってはいたけれど、自分よりも体の大きな男の人で、しかもまだ今のところ地の底にいるような馬鹿者だ。突然乱心して何をされてもおかしくなかったかもしれない、という恐怖感はあった。
「羽奈ちゃん、凄いね……」
「明日からどんな噂が飛び交うやら……」
何十人、何百人の生徒に見られてしまったか。明日から妙な噂が立つかもしれない。さきほども少し考えたけれど、教師からの呼び出しだってあるかもしれない。
「でもカッコ良かった!」
「ま、まぁホントはちょっと怖かったけどね」
ロフストランドクラッチのグリップを握る手がじっとりと汗ばんでしまっていた。やっぱり少し緊張していたんだ。
「そりゃそうだよね……」
「でもま、今度こそ、本当にもう関わってはこないでしょ」
直接、言いたいことは全部言ってやった。何となくだけど、羽原君は納得してくれた。これ以上関わってくるようならば、本当にリンジくんに言うしかない。でもそれはきっとないだろう、という感触は得ている。
「そうだね」
ほっと安堵のため息を漏らす美雪を見て、ふと思う。本当に私がいて良かった。美雪一人だったらどうなっていたことやら。
「あぁ、もう疲れちゃったよぉ。美雪、TRANQUILでケーキ食べて帰ろ!奢るから!」
ミルクレープだな。うん。や、シュークリームも良いな。いやいやシフォンケーキも良くないかな?
「え、良いの?」
「この間のお弁当のお礼も兼ねて!」
それになんだか、学校帰りに喫茶店でケーキなんてとっても女子高生っぽい。暴走族に絡まれる、ということさえなければ。
「やったぁ、行こ羽奈ちゃん!」
ま、でも美雪の嬉しそうなこの笑顔で、色々と勘弁してやるか。
第十六話:喝 終り
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