第十三話:〝!?〟やってやんよ〝!?〟

「ちょっとリンジくん!」

 私の制止の言葉は、ドアを閉めた車の中に響くだけだった。

 ――絶対に車から出ないように。

 そうリンジくんは言った。確かに腕力はない上に足の悪い私が出て行ったところで、何の役にも立ちはしないだろう。むしろ簡単に捕まって、拘束されて、リンジくんの身動きが取れなくなってしまう危険性の方が高い。自分で言うのも癪だけれど、私では足手まといにしかならない。

「は、羽奈はなちゃん……」

美雪みゆき、誰かすぐに助けを呼べそうな人、いる?」

「あ、わたしもそれ、は、羽奈ちゃんに訊こうと……」

「やっぱり美雪もだめか……」

 仕方ない。だけれど、リンジくんの言う通り、車から出る訳にはいかない。私はパワーウィンドウのスイッチを押して窓を開けると顔を出す。途端に怒号に似た声が耳に飛び込んでくる。

「おぅ!ワレコラ!」

 日本語かどうかも疑わしくなる因縁の吹っかけ方。知能は相当に低そうだ。

「えぇと、何か用かな?」

 えぇ、驚くくらい落ち着いている。話して何とかなると思っているのかな。悠長にもほどがあろう。私はてっきりリンジくんも応戦するものだと思い込んでいた。

「んにんなぁっけてちょろちょろしっとんじゃぁぼけが!」

 なに女乗っけてちょろちょろ走っとんじゃぁボケけが!かな?聞き取りにくいのは位置が離れているせいだけではないと思う。それほど大きな声を出している訳でもないリンジくんの声ははっきりと聞こえるし。そんなことを考えていると、オートバイを運転していた方の暴走族もオートバイから降りてきて、リンジくんに近付く。運転していたのだから当然竹刀のような武器は持っていない。私の位置からでもマスクをしていることが判るのだけれど、マスクには何か落書きのようなものがしてあって、その落書きが何かまでは私からでは見えなかった。

「おぅ!コラワレェ!」

 こっちも日本語かどうか判らない声をかけてくる。普通に車を運転していただけでこんなことになろうとは、日本もまだまだ恐ろしい国だ。

「えぇと、普通に運転してただけだと思うけど、何か気に障るようなこと、しちゃったかな」

 特にひるむ様子もなくリンジくんは言う。おいおい大丈夫か……。

「んにごらぁ!あぁっ?」

「……あれ?君、そのマスク、羽原正孝はばらまさたか君、じゃない?」

 リンジくんがそう言って、マスクの方を指差した。そのマスクがトレードマークなのか、聊か信じがたい上に状況も良く判らないのだけれど、まさかリンジくんの知り合いなのか。

「あぁ?……あ、あ?」

「ってんすかバラさん!っちまいましょうぜこん野郎!」

 何言ってんすかバラさん、やっちまいましょうぜこんな野郎、と言う竹刀。驚愕するマスクの男、羽原正孝カッコ、推定。いや竹刀がバラさんと読んでいたので、羽原君はどうやら確定っぽい。リンジくんの顔見知りであるのならば、少し安心できる。

「るせぇ!」

 マスクの羽原正孝君が竹刀の方に、大分痛そうな拳骨をくれる。

「わぅっ」

 いつの間にか後部座席の窓から私と同じく顔を出していた美雪が小さく悲鳴を上げた。

「な……」

 殴られた竹刀君が羽原君を驚いた様子で見る。つまり、羽原君にとって、リンジくんは頭が上がらない存在なのだろうか。となれば、だ。リンジくんの言いつけを守って車の中にいる義理はない。わたしは一瞬、すぐ後ろの美雪を振り返り目くばせすると、そっとドアを開ける。

「んにすんっすかぁ!」

「すぁっせんしたぁ!」

 反発する竹刀君を余所に、羽原君がリンジくんに土下座する。大げさではなく、文字通り、本物の土下座だ。

「あ?」

 突然土下座した羽原君について行けないのであろう竹刀君は呆然とその場に突っ立っている。

「てめぇもぁやまんだよごらぁ!」

「あぁ?いて!?んでオレまで!」

 羽原君は立ち上がって、竹刀君の頭に手を当てると、無理矢理頭を下げさせた。

「てんめぇレイジさんの話は今まで散々しただろがぁ!」

「あーっ!」

 羽原君の言葉の途中で突然リンジくんが大声を出す。車の中にいたら聞こえなかったかもしれない。だけれど、最小限の音しか出さずに、私はリンジくんのすぐ後ろにいる。聞こえたぞ。なんだレイジって。もしかしてあれか、源氏名的な、もしかして暴走族にいたことがあるのかリンジくんは。バンドでも時々そんな名前の人がいるし。

「は?」

 急に大声を上げたリンジくんに怪訝そうな表情というか視線を返す羽原君。マスクをしているから視線でしか判らない。

「……ま、正孝君、謝らなくていいから。車も傷ついてないみたいだし、このまま帰っていい?」

「ぁじっすか!……ぇんっしたぁっ!」

 今度は遅ればせながら竹刀君が土下座した。マジっすか、すみませんでした、と言っているようだ。

「えと、謝らなくていいよ、こんな往来で誰かに見られたくないから……」

「オトシマエ付けさせてくっさい!」

 オトシマエとは古風な上に義理難い。なんだってこんな暴走族風情が。実際に私たちの被害なんて煩かっただけだ。いや、私はリンジくんの肩におでこをぶつけてしまったので、多分たんこぶになっている。触ってみたら少し痛んだ。

「い、いいから、そういうのは!」

「そうはいかねっす!」

 粘る羽原君。いやもう、本当に、解放してくれないかな。こういうことが迷惑だと気付けないから暴走行為を繰り返してカッコイイだとか思い込んでしまうのだろう。それはともかく、言葉が通じない人間に何を言っても徒労だけれど、判ってもらうためにはどうしたら良いのだろうか。

「い、いくから。ホント、逆に迷惑だから、このまま帰らせてくれるのが一番だから!」

「じゃあお供するっす!」

 せめてそのくらいは、という気持ちなのだろう。判らなくもない。だけれど、このオートバイでついてこられたら迷惑なのだ。この爆音が良い音しているだとかカッコイイだとかは、同じ穴のムジナにしか判るまい。そして一般人がただただうるさいと思っていることもこの人たちには判るまい。本当に、ただただ、迷惑なだけだ。

「や、いらないから。煩いし迷惑なの、判るでしょ、住宅地。それに乗っている子も堅気の子だから、判るでしょ」

「なこと言わないでくっさいよぉ!」

 そんなこと言わないで下さいよぉ、と竹刀君も懇願する。リンジくんに償わないと、何か大変なことが起きるのだろうか。どんな事情があるにしたって正直付き合っていられない。

「えと、今アタマ誰だっけ?昭次しょうじ君?だったよね、確か」

「ぅす!」

 アタマ?暴走族のリーダーだということか?そのリーダーの名前を知っているということは、やはり暴走族にいたことがあったのか?でもリンジくんの話し方は、至って普通どころか柔らかいし、優しいと思うほどだ。この羽原君や竹刀君ほど、日本語かどうか怪しいような馬鹿みたいな言葉遣いなんて聞いたことがない。そしてこんな言葉遣いが、リンジくんの口調にまで矯正できるものだろうか。

「迷惑こうむったって、ちくるよ」

「だぁらォトシマエ付けさせてくださいってってるじゃねっすか!」

 鼬ごっこだ。暴走族の二人も、私と美雪がリンジくんのすぐ後ろにいることは気付いているっぽいけれど、もはや眼中にないようだ。つまり、だから落とし前をつけさせてくださいと言ってってるだろうと。てが一回多い。

「や、だからそんなことしないで、このまま帰してくれれば、オトシマエもいらなし、報告もしない。ね」

「じゃあどうすりゃいっすか!」

「だから、このまま帰らせて」

 核爆弾級バカだ。話が通じないとはこのことだ。

「レイジさん!」

「あーっ!」

 や、もうそれバレてるから、リンジくん。

「んすかさっきから」

「その名前で呼ばないでくれる?僕には永谷ながたにっていう苗字がある」

 どうやら立場的にリンジくんに頭が上がらない羽原君も、羽原君のとても物凄く勝手な一方的な気持ちで煮え切らない様に見えているのか、少し苛立ったようだった。

「んかおかしくねっすか、さっきから……」

 訝しむような目つきで羽原君は言う。そんな羽原君に、リンジくんはおいでおいでをしてしゃがみこむ。要するに、私と美雪に、バレたくないのだ、暴走族と関わりがあるなんて。もう遅いし、それに気付けるような二人ではあるまい。

「ちょっと、いい?」

 リンジくんと同じように羽原君と竹刀君がしゃがみこむ。そしてこそこそを何かを耳打ちする。流石にこれは聞こえない。

「……」

「?」

 な、何が話されている……。とてもすごく気になる……。

「した」

 程なくして三人がすくっと立ち上がる。そして羽原君と竹刀君がびし、と良い角度でリンジくんに頭を下げた。

「んん?」

 今の耳打ちで?何が起きたの?思わず声が出てしまった!

「わぁー!ハナちゃん!美雪ちゃん!」

「な、何があったのよ……」

 言葉もまるで通じていなかったこの暴走族二人を、たったあれだけの耳打ちで言い負かすなんて、一体何が起きたっていうの?

「よ、よぉしハナちゃん、美雪ちゃん、帰ろ!お、送ってってってあげるから!」

 ね、と言ってリンジくんは私と美雪を車の方へと押し返そうとする。

「て、一個多かった……」

 つまりそれくらい焦っているということだ。

「車から出ちゃ駄目って言ったのに……」

 それはリンジくんとこの暴走族が知り合いではなかったら、ということだ。知り合いでしかも喧嘩にまで発展しそうにないと判ったから出てきた訳であって、危険がないならリンジくんの言いつけを守る儀理はない。

「りぃーんーじぃーくぅーん?」

 これは、リンジくんが社会人であったということよりも重大な秘密があるのではないだろうか。いやある。確定。

「おうゴラ!アマ!」

 私のリンジくんに対する態度が気に入らないのか、羽原君が凄んだ。あまりにも馬鹿っぽくて全然怖くない。それに多分だけれど、この二人はリンジくんに頭が上がらないはずだから、私に危害が及ぶことがないだろうことも判っている。

「ちっ」

 本当に小さく、リンジくんが振り返りざまに羽原君に舌打ちする。リンジくんでも舌打ちなんてするのか……。やっぱり元暴走族だったのだろうか。

「……し、した!」

 またしてもべこ、っと音が鳴りそうなほどに良い角度でお辞儀をする。やっぱりこの二人はリンジくんに頭が上がらない。しかも相当な力関係があるようにも見える。

「……と、ともかく、帰ろ!ね!そ、それじゃあね、正孝君!と、えと?」

 それにしても可笑しいのはこれだ。君づけで名前呼び。そして優しい口調は変わらない。先ほどの舌打ちは気になるところだけれども、思い通りにならなかったり、先ほどのように言葉が通じなかったりする時には出てしまってもあまりおかしなことでもない、か。

「え、栄吉えいきちっす!」

 名前を憶えてもらう機会があったのがよほど嬉しかったのか、竹刀君は栄吉と名乗った。

「栄吉君!じゃあね!」

 そう言ってリンジくんが私たちも無視して車に向かってしまうので、私と美雪も後に続いた。

「したぁっ!」

 うるさい……。


「……」

 車内は静寂に支配された。それもそのはず。リンジくんが一向に口を開こうとしないのだ。暴走族、羽原君と栄吉君と分かれてから実質五分も経っていない。わたしは静寂に耐えかねて口を開いた。もうだって知りたいことは訊いておかなければすっきりしない。これがリンジくんの隠したい秘密なら、気にはなるけれど、訊かないことにする。

「……おい永谷」

「はい……」

「は、羽奈ちゃん……」

 ぞんざいと言えばぞんざいな言い方に美雪が苦笑したように言う。美雪は後部座席だから表情までは判らない。

「い、いやだって……」

 少しでも場を和ませようと思っただけ。あくまでも冗談よ。

「あの、リンジくん……」

「は、はいっ」

 代わりに美雪が声をかける。流石に美雪も気になること盛り沢山だということくらいは私にだって判る。

「あの、け、敬語止めて……」

「う、うん……」

 判らないのはリンジくんだ。こんな態度を取っているのは、もはや観念して総てを話します、ということなのだろうか。

「その、リンジくんが話したくないなら、む、無理して話すことは……」

「まぁ、それは確かにそうだけど」

 話したくないことの一つや二つ、誰にだってある。過去に自分が暴走族だったことなんて、今、まともに働いている社会人なのだとしたら仄暗い過去に違いない。そもそも元暴走族だったことを鼻にかけるような奴ならば、今の今まで私たちに何の話もなかったことがおかしいので、その線は絶対に有り得ないだろう。

「え、う、うん……でも」

「私らが危険に晒されたという事実は動かない」

「そうそれ……」

 ふふん、今日二本目だ。またしてもリンジくんから先手を取ってやったわ。恐らくそれで観念しているということかな。律儀な人だ。それはつまり、その話を知っておけば今日のようなことがあっても予防線を張れる、ということになるのだろう。だから恐らく、リンジくんとしてはもう『話さなければいけないこと』になっているのかもしれない。

「で、でも羽奈ちゃん」

「ま、無理には訊かないわよ。何も根掘り葉掘り聞きだそうって思ってる訳じゃないし」

 それこそ仮に、もしも私なんかに彼氏ができたとしたって、おぎゃっと生まれてからこの年になるまでの出来事を包み隠さずすべて話しなさいなんて言うつもりはないし、彼氏が話す、話したいと言ったってそんな話など願い下げだ。

「話すのは、構わないんだけど……」

 なるほど、リンジくんは構わない訳だ。私の推測が正しければそうだろうな。

「時間も時間だから、明日とかだと、まずい?」

 そうか。今乗っているこれは人様の車だし、時間的にも、私はまだだ丈夫だけれど、美雪がまずいだろう。

「明日はリンジくん、お休みなの?」

「うん」

 それなら安心だ。何とはなしに聞いてしまっていたのだけれど、先ほどコショさんは「今日は残業だったんだし」と言っていた。つまりは頻繁にこの時間になるまで働いているという訳でもなさそうなのは安心出来る。毎日毎日この時間まで働いていてはいくら若いリンジくんでも体がもつまい。

「じゃあいいけど、コーヒー一杯くらい御馳走してよね!私と美雪に!」

「お昼くらい御馳走します……」

「お、いいの?」

 思いもかけない言葉に思わず声が弾んでしまう。それならば是非ともTRANQUILトランクイルでお話を聞きましょう。

「迷惑かけちゃったしね。そのくらいは」

 苦笑してリンジくんは言う。社会人はやっぱり違うなぁ。年頃の男子と比べるべくもない食の細さとは言え、女の子二人分を一気に奢れるなんて。私も何かできるアルバイトがあるなら探してみようかな。私の身体だと中々難しいかもしれないけれど。

「あ、あの、わたし明日は、ほんっとうに用事があって……」

 美雪が申し訳なさそうに割って入る。

「……榑井くれい

 まさかまだ私をからかおうという訳では……なさそうだ。いやでも心なしか笑いをこらえているようにも見えるのは気のせいだろうか。

「や、本当にホント!」

 それこそ私基準だけれど、TRANQUILでお昼ご飯をごちそうになれる機会をふいにしてまでつく嘘ではない。私なら絶対に奢ってもらえる方を優先する。

「まぁ、それなら仕方ないか……」

 何と言うか、リンジくんと二人きりで食事、となると晶子しょうこさんや美夏みなつさんにからかわれそうな気がしないでもないけれど……。


 第十三話:〝!?〟やってやんよ〝!?〟 終り

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