第一〇話:ライブイベント情報
十三橋市
お風呂に入ってから一息つくと、机の上で充電中のスマートフォンが震えた。
(
ディスプレイに表示された名前を見ると、リンジくんだった。
『ハナちゃん、今日はお弁当ご馳走様。お世辞でも何でもなく本当においしかったよ。ライブもお疲れ様ね。また一緒に出来るといいな』
「マジメか」
ぷふ、っと噴き出してしまったけれど、素直に嬉しいと思えた。
充電コードを一旦引き抜いて、スマートフォンとwireを立ち上げる。
『お疲れ様。今日も楽しかったね。妙な邪魔が入らなければもっと楽しかったのに、なんかごめんね』
イラストハンコを付けた私のメッセージがすぐに既読になる。たまたまwireを開いていたのだろう。
『ハナちゃんはいっこも悪くないよ。確か同じ学校のやつなんだよね。もし何かあったらすぐに相談してね』
『そうさせてもらうわ。ま、大丈夫だと思うけど』
自分の意思で動いていた訳でもなさそうだったし、断ったんだからそれでおしまいだろう。確かにお世辞にも愛想良く、という感じではなかったけれど、それで報復だのまでは流石に大袈裟すぎる。
『でもなんか変だったからね。警戒はしておいた方が良いよ、脅す訳じゃないけど』
『だね。いつもありがとうね、リンジくん』
ただでさえ私は足がほんの少しだけ不自由だ。もしもの時に走って逃げる、ということは出来ない。リンジくんはそこまで心配してくれているのだろう。言葉には出さずとも。やっぱりちょっと癪だけれど、そういう気遣いは有難い。
『やはー、照れちゃうな』
『でもお弁当は毎回は無理だからね!』
あれは
『それはそうだね。美雪ちゃんにもお礼言っておかないと』
『それはそうしてあげて』
美雪も楽しそうだったし、
『うん、じゃあ邪魔しちゃってごめんね』
『ううん、それじゃ』
翌朝、目が覚めて時計を見ると九時半だった。
いつもは八時くらいには起きているけれど、昨日は美雪のFantasy Planet Online2デビューだったから色々とレクチャーをしていたら、二時過ぎにまでなってしまった。
スマートフォンを見てみると、律儀に美雪からメッセージが来ていた。
『
まさかもう起きてやっているのか。美雪は始めたばかりだから、ストーリーモードも一からスタートだし、ゲーム内でのレベルキャップを開放するためにはやることが山ほどある。ストーリーモードはイージーモードといって、敵を弱くして純粋にストーリを進めたい人向けのモードがある。レベルが低くても独りでやれることも、山ほどあるのだ。
今までは避けていたけれど、新しく、私と美雪だけのクランを作ってみた。れいに会えたられいも誘ってみようかと思っている。私は一度クランで嫌な思いもしているし、入るも抜けるも勝手にすればいい、くらいのクランで充分なので、メンバー募集はしてないこともきちんと表記した。頻度はかなり低いだろうけれど、れいのように偶然仲良くなってウマが合うような人なら誘うこともあるかもしれない。
『おはよー。昨日は色々沢山ありがとね!私も夕方くらいになっちゃうけど、色々片付いたらインするね。一人でもできることはあるから頑張れ!』
そうwireに書いて身支度を始めた。
今日は
「おはよー」
階段をゆっくり降りると、居間で母さんがテレビを見ていた。
「あら羽奈。昨日、どうだったの?」
流石にあんなに大掛かりなお弁当を作って行ったので、お母さんも気になっていたのだろう。
「やーもう大人気!おかげでみんな美味しいって全部食べてくれたよ」
ぐ、とサムズアップ。リンジくんの食べっぷりが特に凄かったなぁ。歌う前は控えていたみたいだったけれど、歌い終わってからの食べっぷりが本当に凄かった。多分リンジくんがいなかったら残っちゃったかもしれない。
「それは良かったわね。昨日のあの美雪ちゃんも良い子そうだし、ちゃんと考えて大切にしなさいよねぇ」
「もちろん。手伝ってくれてありがとね、お母さん」
私が仄以外の友達を家に連れてきたのが初めてだったからかな。小学中学と入退院を繰り返していたせいで、私は友達が少なかったから。
「どういたしまして」
「へへ」
ぐ、とお母さんもサムズアップを返してくる。私みたいな娘を持つと、肝も座ってくるんだろうな、きっと。私が言うのもあれだけれども。
「今日は
「うん。なんか話があるって」
私がそう答えると、ソファーの脇に置いてあったのであろう紙袋を私に差し出してくる。菓子折りか。涼子先生にも晶子さんにもお世話になっているのは確かだけれど、一々そんなことはしなくて良い、と二人にも言われているのだ。
「気を付けて。あとよろしく言っておいて」
「あ、うん。別にいいのに……」
お母さんの気持ちも判らなくはないのだけれど。
「そうはいかないわよ」
「ん、判った!」
ま、そうだよね。
十三橋市 喫茶TRANQUIL
「いらっしゃい羽奈ちゃん」
TRANQUILに着くと、いつもの涼しげな声で晶子さんが迎えてくれた。日曜日のお昼だから、お客さんが結構いる。晶子さんも忙しそうだったけれど、ピアノ・ソナタ第十六番ハ長調第一楽章が余計に忙しさに拍車をかけているような気がしないでもない。たまたまかかったにしては中々のタイミングだ。
「晶子さんこんにちは」
忙しそうにしている晶子さんに声をかけると、晶子さんは視線で奥のテーブル席を促してくれる。そこに涼子先生がいて、私に小さく手を振ってくれていた。
「涼子先生、お久しぶりです」
「久しぶり、羽奈ちゃん」
涼子先生は晶子さんの双子の妹さんだ。相変わらず姉妹揃って化け物地味た、呆れるくらいの若さだ。涼子先生の対面に座り、ポーチを肩から降ろす。
「忙しそうだし、先に注文しちゃって」
「はい!」
涼子先生に言われ、メニューにも目を通さず晶子さんを見る。私はもう既に心に決めているのだ。BLTを食べる、と。
運ばれてきたアイスコーヒーとBLTに目をやり、お手拭きで手を拭くと涼子先生が口を開いた。
「最近また結構野外でやるの、増えてるんでしょ?」
「はい。友達もできて、楽しくなってきちゃって」
仄からの情報かな。涼子先生の本業は晶子さんと同じく喫茶店の店主で、ピアノの先生が本業な訳ではない。涼子先生のお店は隣街の七本槍市にある。なので七本槍市で暮らしている仄は涼子先生のお店に良く行っているらしいから、そんな情報も涼子先生の耳に入るのだろう。
「それは良かったわねぇ」
優しい笑顔で涼子先生は言う。涼子先生は特にクラシックピアノなどでピアニストを目指すために師事する先生ではない。ごく基本的なことは教えてもらえるけれど、主は私のようにキーボードやシンセサイザーで弾き語りをしたり、バンドメンバーとしての立ち回り、オリジナル曲の作詞作曲などのやり方を教えてくれる先生だ。特に先生として生徒も募集していないので、あまり生徒数もいないみたいだけれど、喫茶店を経営している傍らなので、大変なことには変わり無いはずなのに、いつも楽しそうにしている。
「今日は何かお話があるって……」
「あ、うん。今日は二つ」
「二つ?」
ぴぴん、と指を立てて涼子先生は笑顔になった。だけれどすぐにす、と笑顔を消してしまう。
「えぇ。一つは忠告、かな。こっちはあまり心配ない話なんだけど」
「忠告?」
それも心配がない?一応言っておくというくらいのことなのかな。
「最近、うちの方で公園内でのストリートライブの荒らしがあったのよ。演奏中にジェネレーター止めて邪魔したり、ヤジを飛ばす人を置いたり、とか」
「……物騒、ですね」
涼子先生や仄が住む隣街、
「そっちでもそういうことはない?」
「ない、ですね。でも心配ないっていうのは?」
確か、いざこざが起こると謎の覆面男が現れて、全てを解決するなどという都市伝説めいた噂は聞いたことがあるくらいで、私が演奏をしたときにはそんなことは一度もなかったし、リンジくんの話を聞いても騒ぎが起きたということは聞いたことがなかった。
「とりあえずその迷惑行為をしていた集団、中心人物を特定して、厳重注意ということでかたはついてるから」
「なるほど……。もう一つのお話は?」
とりあえずこちらに被害は及んでいないし、七本槍市でも解決してるのならば涼子先生の言う通り、心配することはないのかもしれない。だとするならば、もう一つの話が今日のメインなのだろう。
「こっちでのライブのお誘い。もちろん演奏する側で、ね」
「ライブ?七本槍市で、ですか?」
涼子先生が私をライブに誘うことは今までに一度もなかったことだ。私は目を丸くした。
「うん。仄ちゃんたちにも声をかけてるところよ」
「あ、そうなんですか?」
恐らく、私の足のことで気を遣ってくれていたのだろう。そして涼子先生は暫く私が塞いでいたことを知っている。だからライブイベントがあったとしても誘ってはこなかった。
「えぇ。こっちでね、学生バンド、社会人バンドのイベントを組もうっていう話があってね」
「でも私、バンドじゃないですよ」
でも一応判ってはいたけれど、そう言ってみた。無駄な抵抗というよりは照れ隠しに近いかもしれない。
「もちろん弾き語りのアーティストの出演枠があるから声かけてるのよ」
「それはそうですよね。でも今までこんなことなかったですよね?」
自分の行動を棚上げしている気もするけれど、それでもただ私が最近になって心を開いてきたから、ということだけが理由だとも思えない。何と言うか、仄のお陰もあるけれど、誰とも関わりを持たない、というレベルまでは塞いでいた訳でもないし。
「そうね。私も特に無理に、とは言うつもりはないわ。ま、移動もあるし……。正直に言うとね、直談判があったの」
「談判?」
「えぇ、十三橋の公園で、凄い子がいる、って」
「んん?それが私、なんですか?」
凄い……。自分で言うのも恥ずかしいけれど、それなりに聴かせる自信はある。だけれど、そんな誰かの噂になるような腕前でもないと思う。
「そ。なんでも仄ちゃんから話が伝っていったらしくて」
「仄が?」
むむ、どういうことだろう。きっと仄の話自体は、私の友達が十三橋市で演奏してて、とかそのレベルのはずだ。
「正確に言うと、仄ちゃんから
「ぬ?……あ!」
もしかして、初めてリンジくんに出会った時の……。
「思い当たる節が?」
「や、前に演奏した時にちょっと時間足りないかな、って思って止めようと思ったら、どうしてもあと一曲!って言ってきた人がいたんです。私は面識がない人でしたけど……」
背が低くて、明るく髪色を染めていて、結い上げていた女性。二十代中ごろから後半くらいの。
「まぁ、その子ならやりそうだわ……」
「先生知ってるんですか?」
涼子先生は苦笑しつつそう言った。だけれどその苦笑を見ていると、何だか安心できる。私もあの人には悪い印象は持てなかった。涼子先生の苦笑はそのわたしの思惑の裏付けのようだった。
「まぁね。羽奈ちゃんが会った人が同一人物かどうかは判らないけど、そもそもこのイベントの話もその子がやってみたら面白そうっていう話からスタートしてるから」
「そうだったんですか……」
行動力のある人、もしくは、影響力のある人、なのかもしれない。そう思うと、あの人は確かにそんな感じもするような気がした。
「向こうの楽器屋とかライブハウスとかも協賛してくれてて、結構大きめなイベントになるのよ。出演者には別に地域の区別はないから、募集はかけないで口コミで参加者も増えて行ってる感じ」
「な、なんかすごいですね……」
いわゆる、インディーズバンドやアーティストたちでのフェス、という感じなのだろうか。だとするならば、そんな大きなライブイベントに私なんかが出ても良いのだろうか。
「そうなのよね。弾き語り枠もバンド枠も普通のイベントよりは出演料も抑えてるわ」
「仄たちも出るなら、出てみようかな……」
一人だと心細いけれど、仄たちが一緒ならそんな不安も薄れるし。
「本当に?無理しないでいいのよ、私の誘いだからっていうのは判らなくもないんだけど、私がそう言うからには、っていうのも羽奈ちゃんには判るでしょ」
「もちろんです!涼子先生に気を遣ってるって訳じゃないですよ」
やっぱり涼子先生だな。お世話になった人からの誘いだから、ということは考えるな、と言っているのだ。そこに、涼子先生の気遣いに、甘えるつもりはない。だけれど、涼子先生から受けた恩義を忘れるほど薄情でもない。そして、そういうこととはまた別に、私の歌がどこまで、誰の心に響くかまでは判らないけれど、聞いてもらいたい、って思う。
「それならおっけ」
ぴん、と人差し指を立てて涼子先生は笑顔になった。
「何て言うか、もう少しだけ自分の世界を広げてみようかな、って思えて……」
「自分でそう思えたのなら良いことね!」
「はい!」
仄は勿論、リンジくん、美雪、香苗、晴美達が背中を押してくれたようにも思える。公園で演奏する日を楽しみにしている私がいる。
「あ、イベント自体は三カ月後、夏休み後半だから」
「了解しました!」
三か月あれば新曲もできるかな。みんなと出会えてから、まだ一曲も新曲は創れていない。みんなと出会えてから芽生えてきた私の気持ちを、素直に曲にしたい、って思う。
「なんだか、ちょっと変わったわね、羽奈ちゃん」
「最近、偶然だったんですけど、弾き語りで知り合った人と、仄の学校の友達と、あと私の学校でも友達ができたんです」
「それは素敵じゃない!」
塞ぎ切っていた訳ではない。けれど、自分から新たな関りは作らない方が良いと思っていた。新しい関わりを作っても、鬱陶しいと思われることを恐れていたから。だから、塞いでいると思われても仕方がなかったし、思われたところで関係ないとも思っていた。仄の気持ちにも甘えて、私が自分を変えなくたって、仄だけは理解してくれると思い込んでいた。実際に仄が私に愛想を尽かしたことは一度だってなかったけれど、それだって、私が変わらなければどうなるか判らなかった、ということを最近になって理解した気がする。
「はい。でも、私が何をした訳でもなくて、変わろう!って思った訳でもなかったんです……」
「ふむ」
そう、実際にこのままではいけないのかもしれないと思えたのは、みんなと出会ってからだ。だけれど、仄は相変わらずだったし、リンジくんは特に私を避けることもなく、美雪は友達になってくれた。そんな人たちの気持ちを蔑ろにしないために、考え方を改めなくてはいけない部分もあるんだ、と思えてきたのだ。
「でもそんな私を、少しでも慕ってくれる人がいるなら、変わらなくちゃって最近思うようになって……」
そのまま涼子先生に気持ちを伝える。涼子先生にはいつも素直に色々と言えるんだけれどなぁ。
「うんうん、良いことね!最近行けてないから、私も羽奈ちゃんの演奏聞きたいわ」
「あ、じゃあ今度wire入れますね!」
晶子さんには聴いてもらっているけれど、涼子先生は住んでいるところが隣街ということもあって、私がライブをするときには連絡を入れてはいなかった。考えてみればそれも薄情だったかもしれない。来ることができなくても連絡だけは入れておくべきだった。
「うん、是非是非!」
私が塞ぎ切っている訳ではないと思っていた壁も、自分で思っているよりも深刻なのかもしれないな……。
涼子先生の笑顔を見て、考えたのはそんなことだった。
第一〇話:ライブイベント情報 終り
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます