第六話:隠れている事実

 十三橋じゅうさんばし市 十三橋公園


 前半にキャッチーな曲を入れて、後半は私が自分で本当に気に入っている曲を歌った。今日はいきなりもう一曲、と言ってくる人もいなかったし、やっぱり国井くにい山本やまもとは私に何を話しかけるでもなかった。榑井くれいさんに対する暴言を考えると、内気でシャイだから話しかけられないという訳では絶対にないだろう。

「……!」

 演奏が終わり、後片付けも終わると私はほんの少しできている人だかりに混ざる。榑井さんがこれでもか、というくらい目を輝かせているのが何だか照れくさい。それにこんな表情をしている人に「どうだった?」と水を向けるのもなんだか気が退けてしまう。予定調和というか、褒めてもらえるのを判って訊いてしまうようで少しあざとい。

 私だって人間だ。承認欲求自体は勿論ある。だけれど、それは何かの腹いせに、例えば私ならば高校生活が巧く回っていない腹いせに、自分の得意なことで認めてもらう、という衝動に似た欲求に過ぎないのではないだろうか、などと思ってしまうのだ。……我ながら面倒臭い女だ。

「やー、すごい。ハナちゃんの曲はやっぱり素敵だなぁ」

 顎に手を当ててリンジくんが言う。同じストリートのミュージシャンに言われるのは満更でもない。というか、同じシンガーソングライターであるリンジくんに褒められるのは素直に嬉しい。

「うそくさい……」

 態度としては全然素直には出ないけれども。

「ひど」

「す、すごいよ香椎かしいさん!凄く素敵だった!もっと聞きたい!」

「おおぅ!び、びっくりした!」

 榑井さんがリンジくんの言葉を遮って、聞いたこともない大きな声で言うものだから、本当に驚いてしまった。

「お、美雪みゆき……でいいよね?美雪も羽奈はなにハマったなぁこりゃ」

「……!」

 ほのかの言葉にうんうん、と大きく頷く。私の曲にはまったことに同意しているのか、美雪と呼ばれることに同意しているのか良く判らないけれど、いやぁ可愛い生き物だなぁ。

「私らも名前呼びでいいよねぇ、羽奈」

 仄が言って笑う。こういう時の仄はなんだろうな、可愛いというのもあるけど無敵感がある。大切な宝物を見つけた、みたいな。きっと仄も榑井さん、いや美雪のことを気に入ったんだろうな。

「あ、そうだね。リンジくんは名前しか知らないけどね」

 で、私の出る台詞と言えばこれだ。認めるのも癪だけれど、仄の言う通り、私のへそ曲がりも相当なものだ。でもリンジくんはあまり自分のことを話そうとはしないような気がする。

「苗字?永谷ながたにだよ」

「え、あっさり!」

 おっと、思わず口に出てしまった。リンジくんはぽり、と頭を掻いてこともなげに言う。

「別に隠してる訳じゃないからね」

 それもそうか。訊く機会がなかっただけで、何となく勝手にリンジくんが秘密主義だと思ってしまっていた。

「まぁ私も演奏する時は羽奈で通してるし、一緒か……」

「でしょ」

 まったくもってその通り。私もリンジくんには苗字は名乗っていなかった。というか、お互いに歌った時のMCでお互いの名前を知っただけだったことをすっかり忘れていた。

「ところでさ」

「何?」

 ぐっとリンジくんが近付いてきたので、私は半歩あとずさる。た、他意がないことは、判ってる。けれど、何と言うか、リンジくんはもしかしてパーソナルスペースの狭い人なのかしら。女の子なら全然構わないけれど、男の人だとやっぱり焦るし、ちょっと困る。

「少し離れたとこに男が二人、ずっとこっち見てるんだけど、ハナちゃんの知り合い?」

「あぁ、クラスメートだけど、話したことない」

 国井と山本か。まだいたんだ。本当に何が目的なんだか判らない。

「そっか。こないだもいたからちょっと気にはなってたんだよね」

「え、ホントに?」

 つまり私とリンジくんが初めて会った日だ。あのライブの数日後にわたしは美雪に会った。その美雪は以前、国井と山本に私のライブには来るな、と言われていた。つまり国井と山本はずっと前から私がストリートライブをしていることを知っていたのかもしれない。

「うん。仄ちゃんたちが帰ったのと同じくらいに帰ってったし、ハナちゃんに話しかけるでもないみたいだったからほっといたんだけどさ」

 確かにそれはほぼ赤の他人であるリンジくんにどうこうできる話でもない。それにその時の、何の情報も持たない私が国井と山本の存在に気付いていたとしても、何も不振には思わなかったどころか、クラスメートだという認識すらなかったんだった。

(それにしても)

「前からきてたのか……」

「……どしたの?」

 私の、恐らくは剣呑な表情を見てリンジくんが声音を変えた。いつどこで私のことを知ったのかは判らない。この街に住む人間であれば夜にこの公園に来れば私に遭遇することだってある。可能性の低い話ではない。だからそこは気にすることではない。問題は何故私のライブに来ているのか。美雪への暴言を考えれば、私の演奏や歌が好きだから見に来ている、とは到底思えない。

 私は、好きだったらそれを誰かと共有したい。それは仄も同じだろう。だから香苗と晴美を連れてきてくれた。だけれど、あいつらは違った。私と同じ音楽好きの人間のすることだとは思えない。

「や、あいつら美雪に、私のライブにお前は来るなよって言ったらしいのよ」

 それで自分たちは何度も来ている。目的は何だかわからないけれど美雪の一件さえなければ、私が何も知らなければ、本当に感謝くらいしていたかもしれない。

「……それは横暴だねぇ。なんでだろ」

 そう、横暴すぎる。

 例えば百歩、いや、一万歩譲って、美雪が私のライブで何か邪魔をするようなことをして、もう来るな、と言ったのならばまだ判る。だけれど美雪は私の演奏を聞くのは今日が初めてだ。きっとなけなしの勇気を振り絞って、国井と山本から私の情報を訊きたくて話しかけたのであろう美雪に、お前は来るなよ、なんて何の権利があって言ったのか。その時の美雪の心情を思うとはらわたが煮えくり返りそうになる。

「あ……」

 美雪を振り返ると、夜の公園でも判るほどに顔が青ざめていた。

「美雪?」

 私とリンジくんが話していただけでこの顔色はちょっと異常だ。

「あ、あの、わ、わたし、その、実は中学の時、虐められてて……」

 虐め……。穏やかではない話題だ。私も似たような境遇にはあったけれど、誰かから何かをされたということはない。せいぜいが陰口を叩かれたりするくらいで実害はなかった。まだ判らないけれど、もしかして国井と山本に虐められていた、ということはないか、流石に。もしもし締められていたとしたら、美雪が国井と山本に私のことを訊こうとすること自体がおかしい。

「ちょぉー!待った美雪!」

「うわ!びっくりした」

 突然仄が声を高くした。まだ次の人の演奏が始まっていなくて良かった。それこそもう来るな、なんて誰かに言われかねない。

「言いたくないことは無理に言わなくていい」

 それは確かに。私は美雪と仲良くなりたい。だけれどそれは、美雪が秘密にしてきた過去を詮索することとは違う。もちろん、知っていれば無用に傷付けなくて済むことがあるということだって百も承知だ。だけれど、本人が言いたくないことを聞き出そうとまでは思わない。それが正しいか間違っているかなどは問題ではなく、私がそうしたくないだけ。

「い、言いたくないけど!で、でも言わないといけないって、思ったから……」

 でも、美雪本人がそう言うのならば、私は友達としてそれを聞かなくちゃいけない。私の意思はそこに介在してはいけない。誰かが聞けば矛盾を感じるかもしれない。だけれど、私の中で何の矛盾もない。私は榑井美雪という一人の人間の意思を尊重したいだけだ。

「……場所変えよっか。どこかファミレスでも」

 立ち話で済ませて良い話でもない。じっくりと腰を据えて聞いてあげないといけない。

「それじゃあ僕はここで」

「リンジくん」

 あっさりとリンジくんがそう言った。

「僕は部外者だからね。まだまだ美雪ちゃんやみんなの秘密を知って良い間柄じゃあないよ」

 何せヤバそうな人だしねぇ、と厭味ったらしく言ってくる。憎たらしい奴め。でも私だってリンジくんに会うのは今日が二度目だ。wireのやり取りだってまだ一回しかしてない。美雪にとっては赤の他人も同然というか赤の他人だし、確かにリンジくんの判断は正しいかもしれない。でも。

「でもリンジくん洞察力高そうだから聞いてもらっても良いんじゃない?仮に美雪の過去を聞いて、それで何しようって訳じゃないんでしょ?」

「そうそれ」

 我が意を得たり、とはこのことだ。仄がばっちりと私が言おうと思っていたことを代弁してくれた。

「何がなの」

「何でもないわ」

 パタパタと手を振り、その掌を上に向け、リンジくんを促す。

「まぁ、そりゃあ勿論ね。僕は正義の味方だから」

「またヤバいこと言い出したわ、この人……」

 えっへん、とでも言いたげなリンジくんの表情に私はすぅ、と目を細める。自称正義の味方って信用して良いものかしら。

「別にオレァ正義の味方気取ってるつもりはねぇよ、って言いながら正義の味方しちゃう少年誌の主人公よりマシだと思ってるよ」

「そう言われると、確かにそうね」

 確かに少年漫画の主人公で良く見るタイプだ。一口に正義と言ってもその基準はバラバラだ。ここでそれを語ることに意味はないけれど、確かにリンジくんの洞察力や気の遣い方は、リンジくんが良い人だということの証でもあると思う。それほどリンジくんのことを知っている訳ではないけれど。

「それはともかく、美雪、ヤバそうなリンジくんがいても大丈夫?」

 少しでも美雪の気持ちを楽にしてあげたいので、私は冗談めかしてそう言った。正直キャラではない気もするし、なんだか仄がニヤニヤしているような気がしないでもない。

「あ、う、うん」

 苦笑、かな。でも苦笑でも笑える余裕はあるみたいだ。

「美雪ちゃん、流されないでいいよ。本当に聞かれたくないことなら遠慮なくそこは言いたくない、って言わないとね。多分ここにいるみんなはそれが納得できて、理解もしてくれる人たちだよ」

 リンジくんが優しくそう言った。むむぅ、流石と言うほど彼のことを知る訳ではないけれど、この気の遣い方は流石としか言いようがない。香苗や晴美のことだってまだ判らないけれど、リンジくんがそう言って、仄が口を挟まないということはきっとそういうことなのだろう。

「大丈夫……」

 リンジくんに視線を向けて、やっぱり苦笑した。

「それなら信じよっか。それじゃあこの辺りだとジョセフがあったよね」

 一番近いファミリーレストランだ。六人だけれど木曜日の夜ならば入れないということはないだろう。

「みんな時間は大丈夫なの?」

「えぇ、とことん付き合いましょ。ま、こんなことわざわざ口に出して言うことじゃないけど、羽奈の友達は私の友達だしね!」

「そうそう、羽奈がきっかけで出会えた仲間だし!」

 仄は本当に良い奴だな。香苗も晴美も、仄と仲が良いということは、私と同じで仄の人となりに惹かれているのかもしれない。

「あ、ありがと……」

「や、やぁね!何よしゃらくさい!」

 仄は本当に良い奴なんだけれど、時々残念だ。学校の勉強は結構できるはずなのに。

「水臭い、ね」

 一応親友として突っ込んでおく。多分私が言わなかったら誰かが言ってただろうけれど。

「そうそれ!」

「あはは。じゃあま、ゆっくり行こう」

 癪だけど、私のことも考えてくれているんだろうな。何で癪だって思っちゃうんだろうなぁ。


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