第五話 武士の魂

 葉月――朝から容赦なく照りつける陽に目を細め、歳三は両腕を組んだ。そんな歳三の目の前を、ざるを抱えた井上源三郎が横切っていく。

「朝から精が出るじゃねぇか。源さん」

 源三郎が手にする笊の中には、きゆうりがある。

 近藤家と試衛館の間には、ちいさな畑ならできる敷地がある。下士の家に畑があるのは珍しいことではなく、試衛館のような貧乏所帯では食料調達には助かるため作られているのだ。さらに農家の門弟も多いことから野菜だけは朝晩の膳から消えることはない。

「胡瓜は漬物、茄子は味噌汁の具にしようかと思ってね」

「美味そうだな」

「トシ、ろくしよみやでの試合に出るそうじゃないか?」

 六所宮とは府中にあるおおくにたまじんじやのことで、武州の一之宮から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。その六所宮でこの月、勇が試衛館四代目の襲名披露試合を行うのである。

歳三と六所宮とは昔から縁深く、例祭のくらやみ祭は楽しみであった。

 その六所宮に試衛館三代目・近藤周助は武術上達を祈願し、奉納額の行事を催している。 万延元年九月末のことである。

その少し前、歳三は親戚筋であり書の師・本田本田覚庵を訪ね、奉納額への文字入れを頼みに行った。その額は、周囲を竜の彫刻で飾った見事なものだった。

 奉納の時は、拝殿前での木刀と刃を丸めた刃引きによる型試合が披露され、歳三も参加したが、今回の襲名披露では 源平の合戦になぞらえた紅白試合だという。

「源さんは出ないらしいな」

 源三郎も試衛館門弟で、歳三の兄弟子だが、

「私は先生のほうだからね」

 と源三郎は言う。

 先生の方とは、勇がいる本陣をいう。本陣側は試合に出ないらしいが、改めて聞けば歳三のなかにむかつきが沸く。

 この試合に、総司が出ないのである。総司も本陣側でそうかと納得した歳三だったが、総司がニコニコ笑いながら「がんばってくださいね」と言ってきたのだ。

 すると源三郎が、

「君たちを見ていると、まるで兄弟のようだ」

 と言った。

 以前、勇にも同じことを言われたことがある。お前と総司は兄弟のようだと。

「あんなクソ生意気なやつは願い下げだぜ」

 歳三は末っ子に生まれたため、弟はいない。源之助という甥っ子が身内にいたせいか総司の性格にはやや慣れてきたが、扱いづらいのは変わりはない。 

「私がどうかしました?」

 声の方に視線を向けると、木刀を肩に担いだ稽古着姿の総司がいた。しかも、もう一方の片手には囓りかけの胡瓜が握られている。

「お前なぁ……」

 歳三が呆れると、総司は「庭から頂戴しました」と源三郎に言ったあと声を強めた。

「誰かさんが稽古に来ないので暫く待ちぼうけを食らいましてね。井上さん、酷いと思いませんかぁ?」

 総司は歳三をちらっと横目で見ながら、源三郎に嘆いている。

歳三が「何の話だ」と聞くと、総司の顔がふくれっ面になった。

「忘れたんですか? 昨夜、道場で朝稽古をしないかと誘ってきたのは土方さんですよ?」

 そう言われて、歳三は思いだした。

「……そうだったな」

「寄る年波には勝てぬ――ってやつですか?」

「ばかやろうっ! 俺はまだ二十六だ!!」

 すると源三郎が「やっぱり君たちは――」と言いかけた。

「やっぱり――なんです? 井上さん」

 源三郎は歳三を見て「いや……」と軽く笑って炊事場に向かって去って行く。

 歳三と総司が道場に行くと、食客三人と山南がいた。

 すると原田左之助が「土方さん、もう見たか?」と聞いてきた。

「見たってなにを?」

「ああ、ながてつですか」

 総司がそう言うと、

「そうそう、その長曾根虎徹だ」

 と左之助が言った。

 数日前――勇はついに、刀を新調した。それが長曾根虎徹である。ただ――。

「あの刀か……」

 当日、嬉しそうな勇に自慢されて歳三は見せてもらったが、それを手にしたとき違和感を抱いた。さらに買った値が十両と聞いて、刀を手にしたときの違和感は確信に変わった。あくまでも勘である。しかし、はたして名刀が十両で買えるか疑問である。

「長曾根虎徹といえば、刀工はさいじよう大業物おおわざもの(刀工の格付けの一つ。特に切れ味に優れた刀を作刀した刀工のこと)にその名が列せられるほどの腕前らしい」

 書物に視線を落としていた山南敬介がそう言うと、同流の藤堂平助が反応した。

「へぇ。詳しいんだな?」

「私も一度、手に入れようと思っていた刀でね」

 長曾根虎徹は、「虎徹」の通称で知られ、刀工・おさ興里おきさとの作刀によるもので、 ながごに虎徹と銘を刻まれているという。

 現在試衛館にいる人物の中では、勇が手に入れた実際に長曾根虎徹を見たのは歳三と総司、山南だけだという。

 歳三としては、勇の前で山南がどんな顔をしていたか気になったが、おそらくここへ来たときのように穏やかな笑みを浮かべていただろう。歳三でさえ、勇の嬉しそうな顔を前に「疑わしい」とは言えなかったのだから。


☆☆☆


 勇の四代目の襲名披露には試衛館に通う門弟の他、出稽古先からも駆けつけてくる。紅白試合の結果、白が勝利。その襲名披露には、歳三の甥・源之助も来ていた。

 父である彦五郎についてきたらしいが、彼の目当ては宴の馳走のようだ。

「近藤先生、おめでとうございます」

「おお、源之助。暫く見ないうちにでかくなったなぁ」

「ついでに態度もでかいぜ。こいつは」

 歳三の言葉に、源之助がむっとした顔になる。

「お前の甥っ子らしくていいじゃないか」

「よかねぇよ。出稽古に行けば姉貴に、うちの馬鹿どもはどうして剣術好きなのかと嫌みを言われるんだ」

「馬鹿どもって、俺も入っているわけ?」

「当たり前だ。お前は佐藤家の跡取りだからな。そのお前が俺のように武士になると言い出さないか戦々恐々なのさ」

「そこまでは思ってないよ。ただ、俺も強くなりたいのさ」

「さすがお前の甥っ子どのだな? トシ」

 強くなりたい――歳三にとって、なつかしい言葉である。歳三が源之助と同じ年の頃、歳三も強くなりたいと思った。

 大平真鏡流たいへいしんきようりゆう、甲源一刀流と多摩に広まっていた剣術の中で天然理心流と出会い、源之助の父にして歳三の義兄・彦五郎が自宅で道場を開いていたこともあり、歳三は剣の腕を磨けた。

 だが、その時は刀を持つとはどういうことなど知らなかった。

 いずれ彦五郎の後を継ぎ、日野宿名主となる源之助は常に帯刀することはないだろうが、それでも甘く見ていると後で悔やむことになる。

 武士にとって、刀は自尊心と責任の感情を与えるという。忠義と名誉の象徴であると。 ゆえに武士は刀を正しく使用し、乱用することがあってはならないという。

 己の欲で道を外れる一部の武士がいる昨今、初めて刀を腰に帯びた時の刀の声は今も歳三に問いかけてくる。刀を帯びる責任と覚悟を。

 それは歳三が武家生まれではなく農村の出だからも知れないが、右腰に伝わる重みはそうした責任と覚悟の重みであり、真剣を抜けば死とは紙一重。

 すると刀はさらに「死を恐れず戦えるのか」と聞いてくる。ゆえに――歳三は源之助に言わねばならなかった。

「お前には、覚悟がねぇ」

「なんだよ、覚悟って。おじさん」

「なら、こいつを抜いてみな。ちびすけ」

「おい、トシ」

 勇は止めたが、歳三は構わず自分の刀を源之助に差し出した。

 

 宴が終わると、中にいるのは歳三と勇、酒で酔い潰れて寝ている食客三人だけになった。空は星が散りばり、いくつかの星が流れた。

 歳三は酔い覚ましにと、濡れ縁に座って空を仰いでいた。過ぎていくときの流れと、これからの自分を思いながら。

「――いい風だ」

 そう言って勇が、歳三の横に立った。

「そうだな……」

「よかったのか? あれで」

 お互いの顔は、空に向けられたまま話は進んでいく。

「――ああ。これからどうするかは、あいつ次第だ。刀を手にするのなら、早いうちに知っておいた方がいい。俺のように迷うくらいならな」

 刀を源之助に渡したとき――、源之助は初めて触れる刀が嬉しそうだった。しかし刀の抜き方も知らない源之助である。左掌で鞘を握り、親指で鍔を柄の方向に押し出すのだと教えてやり、やっと鞘から刀身を抜いた源之助の顔から笑みが消えた。

「迷っているのか?」

 勇が聞く。

「正直言って、迷っている。武士を目指したのはいいが、俺がなろうとしている武士がどんなものかまだ見えねぇ。刀を抜くことなくこのまま平穏な日々が続けばいいが、どうやらもうそうとは言ってられねぇ世だ。だったら、俺は何のために刀を抜いて何と戦うんだろうってな」

「そう言われると、俺も同じだ。養父どのに拾ってもらって四代目とはなったが、満足してねぇ俺がいる。だがな、トシ。先が見えねぇから面白いんじゃないか? 剣術だって同じだ。勝ち負けが見えていたら面白くねぇだろ。俺たちは俺たちだ。世間がなんと言おうと、俺たちなりの武士を目指す。それがいつかはわからねぇが、俺はそう思うことにしている」

 真の武士など、本当は誰にもわからないのだろう。それぞれがこうだと思えばそれがそうであり、間違った道でないのならそれも武士の姿。

 ただ歳三は、源之助には命に関わる事態が出来しても、無駄に死んで欲しくはなかった。たとえ武士にならなくても、刀を手にすれば抜く日がやってくるかも知れない。

 果たして源之助はどう思ったのか――あれから顔を合わせていないが、いつものように憎まれ口をたたく生意気な源之助に戻っているかも知れない。

(なにせ、俺の甥っ子だからな……)

 負けん気が強くて生意気で、無鉄砲なところも昔の歳三とそっくりだ。

勇がさらに話を続ける。

「源之助なら大丈夫さ。案外、いい男に成長するぞ」

 そう言って呵々と笑う勇に、歳三の心はいつも救われる。

「だといいが――」

 歳三はそう言って再び夜空を見上げた。


☆☆☆


勇の襲名披露の宴は、出稽古先の屋敷で行われ総司も来ていた。

 時刻はとうに子の刻、酔い潰れた仲間たちを踏まないようにと厠へ向かった総司は部屋へ戻る途中で源之助を見かけた。外にたち、空を見上げている。

 総司も出稽古で彦五郎邸に隣接された佐藤道場にはよく行くため、源之助とは顔見知りである。いつもは元気な源之助が、このときは沈んでいる。

「土方さんと喧嘩した? 源之助くん」

「総司さん」

 源之助は首を振り、視線を空に戻す。

「俺……、おじさんの刀を抜かせてもらいました」

「へぇ。あの土方さんがよく許したね。刀に関してはうるさいあの人が」

「覚悟がないと言われました。俺には刀をもつ覚悟がないと」

 そう言って語る源之助の手は強く握られ、震えていた。

「覚悟かぁ……。それで、どうしたの?」

「怖かった……、刀を抜いたら――」

「悔しい? 土方さんに覚悟がないと言われて。でも、土方さんの言っていることは正しいと思うよ。君が怖いと思うのも間違っていない。刀は身を守る武器になるけど、人を斬る凶器にもなる。私たち武士はね、相手が刀を抜いて挑んできたら怖いからと逃げることはできない。その怖さを乗り越えて向かっていくのさ」

「死んでしまったらどうするんですか?」

「そうならないように稽古をしているんじゃないか。それに、それもまた運命さ。ただ悔いの残るような死に方は嫌だね。まだ美味しいものは食べたいし」

 そういうと、源之助がやっと笑った。

「おじさんの言おうとしていることが、少しだけわかったような気がします」

 それから源之助は、刀の一連の所作を教えて欲しいと言った。どうやら歳三には、聞きたくないらしい。

「意地っ張りだねぇ、土方さんも君も。いいよ。まず鯉口を切る動作」

総司はそう言って、腰に手を当てた。

 鞘に収まっている刀は、刀身が鞘に接触しないように、ハバキが鯉口で刀身を固定している。それは刀身に錆などを発生させない配慮とともに、鞘から刀身が抜け落ちてしまうことを防止する工夫である。

「鯉口を切ったら柄に手をかけ、柄を握った右手を体の前に伸ばして抜刀する。コツはつかがしらを相手の方向に向けること。これを意識することで、鞘に収まっている刀身を素早く抜けるんだ」

「へぇ」

「これから先は、君のおじさんに聞きなよ」

 総司はそういうと、抜きかけた刀身を鞘に戻した。

「えーー、嫌ですよぉ」

 総司とて、変なことを教えるなと言われかねない。

すると草を踏む音が聞こえ、源之助の肩が跳ね上がった。何かと総司が振り向くと、歳三が眉を寄せて立っていた。

「総司さん、また今度教えてくださいねっ」

 慌てて逃げ去る源之助を見送って、総司は歳三に声をかけた。

「いつから、立ち聞きのご趣味が?」

 総司は源之助と話し始めてから、人の気配を察していた。それが誰の気配かわからなかったが、敵意はなさそうなので放っておいた。

「お前の口の軽さには毎回呆れるが、しゃべりすぎだ」

「酷いなぁ。まだ源之助くんのほうが素直ですよ。刀を抜いて怖いと言える。彼にも土方流がわかるんですかねぇ」

「はぁ!?」

「刀の声ですよ。彼にも、刀の声が聞こえた。私はそう思います」

 歳三は、よく刀の声という言葉を使う。刀が話しかけてくるのだと。総司は面白い表現だと思った。

 総司も初めて刀を鞘から抜いたとき、暫く声が出なかったことがある。これからそれが自身を守る武器となるが、そうなるにはそれを抜かなければならない。向かってくる相手と戦わなければならない。怪我をすれば痛いし、死んでしまうかも知れない。そう思ったら怖くなるのは当然である。

 羨ましいな――総司は刀の声が聞こえるという歳三にそう思った。

 歳三に言わせれば、それは武家と農村の百姓に生まれた者の違いだというが、総司は違うと思う。総司には刀の声は聞こえない。いつかそう歳三に言うと「お前にも聞こえているだろうよ」と答えた。

 たぶんそれは、初めて刀を抜いた時に感じた「怖い」という感覚なのだろう。実際に刀に口はなく語ってくることはないが、「怖い」という感覚は刀から伝わるなんとも言えないもの、それが刀の声なのだろう。

刀は武士の魂という。凶器にもなり得る刀を持つ武士としての責任と覚悟。それを穢すことは外道――歳三はそう言い切る。

 ゆえに、総司は楽しくてたまらない。これから先どうなるかわからないが、自分には愉快な仲間がいる。彼らと一緒なら、どんな困難も潜れそうだ。

「ふふふ……」

 総司が笑うと、歳三は眉を寄せた。

「なんだよ、また気味の悪い笑い方をしやがって……」

「なんでもありませんよ」

「おいっ、総司!」

 こうして無事に、勇の襲名披露は終わったのである。

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