第四話 天然理心流 対 北辰一刀流

 この日、江戸の町はまたも起きた異人襲撃事件で瓦版が飛ぶように売れたらしい。

 時は文久元年五月二十八日、場所は高輪・東禅寺。

 襲撃したのは水戸藩脱藩の攘夷派浪士たちだという。

「ご苦労なこった」

 稽古を終えて井戸端で汗を拭っていた歳三は言った。側には瓦版を手に、濡れ縁に座る総司がいる。

「かなりの激戦だったそうですよ」

「なんだって寺なんだ?」

「東禅寺に英国エゲレスの公使館があるみたいですねぇ」

 もともと総司が持っている瓦版は、食客たちが持ち込んだものだった。

「襲われるにはそれなりの理由があるんですよ」

 意外な場所からかかった声に、歳三は飛び退いた。

 いつからそこにいたのか、歳三がいる井戸の反対側から男が顔を出した。

「……斉藤、いるならもっと目立つところにいろっ」

「一人でいるのが好きなんですよ。俺は」

 斉藤一は眉を寄せつつ、額に架かる髪をかき上げた。

 あれから彼はちょくちょく試衛館にやってくるようになったが、なぜか思いもしないところで気配を消しているため、歳三は毎回のように驚かされるのだ。

「一くんが、攘夷論者だとは知らなかったなぁ」

「……その〝一くん〟と呼び名――やめてもらえないだろうか?」

 斉藤は総司の二つ下で、剣の流派は無外流むがいりゆうである。

「私に三本のうち一本取れたら、やめるよ。でも――誘っても断るじゃない」

 最初の出会いの時、総司は斉藤と手合わせをした。勝負は互角、結局勝負は未だについていない。これ以上の口論は無駄と思ったのか、斉藤はため息をついた。

「襲った連中ほどじゃありませんが、この国の多くは異国には出て行ってもらいたいと思っていますよ。土方さん」

「ずいぶんと詳しそうじゃねぇか? 斉藤」

「俺の知り合いに長崎帰りの男がいましてね。さらにその男には外国奉行に近しい友人がいまして」

「要するに――そいつらはぺらぺらと内情を無関係なお前に話したってわけか」

「上も疲れているんですよ。異国とその異国に出て行けと叫ぶ者たちとの板挟みです。おそらく今回も、幕府は賠償金を払わねばならない。内心は、出て行ってもらいたいでしょうね」

 そう言って斉藤は、裏木戸を潜って出かけていく。

「幕府も大変ですねぇ」

 総司は他人事のように言うが、歳三たちにとっては他人事なのだ。政に口出しできる立場でないし、するつもりもない。ただ幕府としては、異国との戦を避けたいのだろう。 確かに戦となれば、この江戸は火の海になる。しかも異国は英国だけではない。ならば異国を刺激せず、国内の火消しに必死にならざるをえないのかも知れない。

 しかし、である。試衛館は相変わらずの貧乏所帯で、妙な人間ばかりやってくる。

 門弟なら大歓迎だが、増えたのは食客三人と出たり入ったりしている斉藤一、それぞれ他流で曲者ばかり。近藤勇という男に惹かれたというのは歳三もそうだが、その勇は――。

 

づきむねちか?」

勇が切り出した話に歳三は、ただでさえ渋い茶をゴクリと飲み込んで蒸せる羽目になった。どうやら食客たちが所持する刀に触発されて、名刀が欲しくなったらしい。

 永倉新八はばんしゆうじゆうがら山氏繁やまうじしげを所持し、斎藤一はじんまるくにしげ、藤堂平助はずさのすけかねしげ、原田左之助は槍を自慢しているが、こうじゆうおきともという刀を持っていた。

 生まれが元々士分で一度は主家に仕えたことがあるという彼らなら名刀を持っていてもおかしくはないが、歳三には高嶺の花である。

 刀を新調したいと言えば、日野の義兄・彦五郎は援助してくれるだろうが、ただでさえこの試衛館の資金援助もしてくれている。このとき歳三は、刀は実戦で使えればいいと思っていた。

「なんでも、天下五剣の一振りだそうだ」

 天下五剣はどうきりやすつなおにまるくにつな大典太だいてんたじゆまるなどの名刀で、三日月宗近はその一つらしい。そんな名刀ならさぞ高いかと思いきや――

「五両……っ!?」

「いい買い物だと思わんか? トシ」

 呵々と笑う勇に、歳三は深いため息をついた。

「近藤さん、やめておけ。そいつ、贋作だぜ。名刀が五両で買えるわけがねぇ」

「しかしだな、トシ。武士を目指すには、それなりの刀が必要だと思わんか?」

 勇が座る背後は床の間で、刀掛けに勇の刀と脇差しが掛かっていた。それは現三代目にして勇の養父・近藤周介からのもらい物らしい。

 四代目を襲名する勇にすれば、いつまでももらい物では格好がつかないと言いたいようだ。煽てられるとついその気になるのは勇の悪い癖だが、いずれ贋作を買いそうで歳三は不安だった。

「刀か……」

 勇の部屋から戻った歳三は、自身の刀を抜いてみた。

 何度か研ぎに出しているが、今度刀を抜くような事態となったとき、はたして持ちこたえられるか少々不安である。と言って、新しい刀を買う金はない。こうなると、金のために人を斬る武士、世を騒がしてまでも異人襲撃に走る武士がいるということが恨めしく思える。

 力関係でいえば、武士がこの国の頂点に立つ。国の主は帝だが、政を行っているのは徳川であり武士である。その武士が揺らげば、国も揺らぐ。

 これからこの国はどうなるのか。

 見上げる空は、そんな心の不安を表すように重い雲が覆っていた。

 

 ☆☆☆


 神田・お玉ヶ池――北辰一刀流・玄武館。

 そこに一年前から、一人の男が世話になっていた。名を山南敬介という。

 既に山南は郷里の地で小野派一刀流を取得していたが、他流にも興味があった山南は玄武館の門を叩いたのである。

 ここに至るまでの山南の半生は、決して順風満帆とはいえない。

 彼が生まれる三年前の天保四年、大雨による洪水や冷害により大凶作であった。いわゆる、天保のだいきんである。 

 この被害が最も大きかったのが出羽国と、山南が生まれ育った陸奥国むつのくにであったという。 山南はまだ幼かったためよくは知らないが、成人後に仙台藩士の父から聞かされた話によれば 仙台藩は盛んに新田開発を行い、百万石を超える実高を有していたという。だが、米作に偏った政策を行っていたため被害が甚大であったらしい。領内では藩札の信用が落ち、市中では現金が不足して物価が高騰、領内は悪性の財政難に陥ったという。

 天明の世に起きた飢饉と比べれば、今回は凶作対策が行われたため死者の数は少なかったが、農村にて貧富の差が拡大したため農民の多くが餓死したらしい。

そんな仙台藩士としての父の苦労を間近で見て育ったせいか、山南は必死に勉学に勤しんだ。国学に兵学、史書も読んだ。いずれ役に立つだろうと思ったからだ。

 だが山南の進むべき道が定まったのは、おそらくこの国が鎖国から開国に転じた嘉永の年からだろう。

 それまで父のように仙台藩に仕えるだろうと思っていたが、国は未曾有の危機にある。勉学も嫌いではなかったが、これからの世は刀の時代だと思った。しかしその頃の山南の周りは国の危機と捉える者は少なく、戦が再び起こるなど思っていなかった。

確かに戦が起きるかどうかはわからないが、なにが起きてもおかしくないのが今の世である。江戸へ行きこの目で確かめてみたいのと、剣の腕をさらに磨きたいのも手伝って、陸奥国を出たのはいいが――。

「山南どの」

 文机に向かっていた山南は、その声に顔を上げた。

 山南がいる部屋を訪ねてきたのは、玄武館の現道場主・千葉道三郎である。

 玄武館創設者・千葉周作亡き後、周作の後継者として期待された長男は若くして亡くなり、道場は次男が継ぐことになったが、すでに分家を興していたのと三十歳の若さで亡くなり、周作の三男が北辰一刀流三代目になったらしい。その三男が、道三郎である。

「わたしになにか? 道三郎先生」

「先生はよしてくんな。一つしか違わんだろう。それにしても、こんな世の中でも空は澄んでいる」

 部屋の中からは、青い空が見えた。

「先生はこれからこの国はどうなるとお思いか?」

「難しいことを聞く。ただ、このままじゃいけないというのは確かだ。実際のところ、水戸の上屋敷でも攘夷に打って出るべしという意見が燻っているようだ」

 千葉家は周作を筆頭に水戸藩に仕え、道三郎もまた玄武館道場主であるともに、水戸藩士でもあった。

 水戸藩主は「徳川」の名を冠する徳川御三家で中納言の位を得ているが、攘夷思想が濃い藩でもあるらしい。

 水戸藩九代藩主・とくがわなりあきこうは、「烈公れつこう」と称されるほどれつな性格であり、幕府に対して何度か幕政改革を意見したという。

「やはり、幕府が動かなければ混乱は静まらないと?」

「さぁな。そこまではわからん。ところで門弟からきいたのだが、他流試合の相手先を探しているらしいな?」

 小野派一刀流、北辰一刀流と取得してきた山南だったが、他流試合にて腕を磨くことも必要と考えていた。

「心当たりが?」

「うちに出入りしている魚屋から聞いた話だが、市ヶ谷に面白い道場があるそうだ」

 道場の名は試衛館、流派は天然理心流だと道三郎はいう。

「聞いたことがありませんが」

「わたしもだよ。さすがに玄武館うちの名前を出して他流試合をこちらから申し入れるわけにはいかん。だが君個人としていくのなら構わんよ」

 玄武館としては、名も知らぬ道場にこちらから他流試合を申し入れるのはけんに関わるのだろう。

 それからまもなく――。

 山南敬介が市ヶ谷甲羅屋敷の試衛館を訪ねたのは、ひぐらしが鳴き始めた文月の七日だった。


 ☆☆☆


 そのころ歳三は出稽古の為に、郷里・日野の地を訪れていた。佐藤彦五郎邸に行けば応対に現れたのが歳三の姉ノブで、溜め息をつかれた。何でも息子の源之助が剣術のほうに熱心で困っているらしい。

 ノブとしては、夫である彦五郎の跡継ぎとしての自覚を持ってほしいのだろうが、歳三としては自分に文句を言われても困るのだ。

「まったく、誰に似たのかしら」

 歳三を睨みながら、ノブは奥へ去って行く。歳三も子どもの時から兄や姉に怒られていたことがあるため、甥っ子のことはいえない。

 その剣術熱心のはずの佐藤家惣領息子は、歳三による稽古が終わる頃になって顔を出した。以前あったときより背が伸びた気がするが、性格はいいとはいえない。

「来ていたのかい? おじさん」

 以前から「おじさん」と呼ぶなと言っているが、源之助はこちらが嫌がっているのがわかると強調して呼んでくる。

「相変わらず可愛げのねぇ野郎だな、ちびすけ。態とらしいんだよ、てめぇは。俺か来ることは、義兄さんたちは承知していることだ。息子のお前が知らねぇはずがねぇだろう」

 歳三が源之助をちびすけと呼ぶのは、彼が生まれてからである。源之助も「ちびすけ」と呼ばれるのは嫌らしい。

「叔父さんとやるとさ、これでもかと打ってくるだろ? それに俺の名前はちびすけじゃなく、源之助さ」 

 姉の台詞ではないが、口が達者なのは誰に似たのか。

 姉ノブ曰く、源之助は昔の歳三によく似ているという。

 歳三としては、こんなにクソ生意気ではなかったぞと思うが、よく考えてみれば周りに反発していた子供だったと思う。

「そんなのはどうでもいい」

「よくねぇよ」

「俺はお前のせいで、姉貴に睨まれたんだぞ。ちょうどいい、これから扱いてやる。言っておくが、叔父と甥の仲だからと手加減はしねぇからな」

 逃げようとする源之助の襟首を捉え、歳三は道場へ引きずっていくつもりだった。

「父上!」

 源之助の声に前を見れば、義兄・彦五郎が腕を組んで苦笑いをこぼしていた。

「源之助、いい機会だ。手合わせしてもらいな」

 彦五郎に助けてもらえると思っていたのか、源之助は「そんなぁ!!」と叫んだ。


 一騒動が去ると、どこからか蜩の鳴き声が聞こえてきた。

 濃紺の稽古着のまま空を仰げば、青空が目にしみるほど濃かった。

 夏――浅川の土手は、今年も牛皮草がたくさん茂るだろう。

 歳三の生家では土用の丑の日になると、石田散薬の原料となる牛皮草を浅川で摘む。

 いたずら盛りの歳三も駆り出され、蚊に刺されながら摘んだ記憶がある。源之助を見ていると、つい当時の自分が蘇る。

「うちの倅の腕はどうだ?」

 彦五郎邸の濡れ縁で、片膝を立てて空を眺めていた歳三に、彦五郎が声をかけてきた。

「稽古次第だな。まじめにやりゃいいところまでいくと思うぜ。だからといって、あいつには言うなよ、義兄さん。ますます、くそ生意気になるぜ」

「昔のお前は、源之助以上だっただろう。それが今じゃ、試衛館の師範代だ」

「まだちゆうごくもくろくしか行ってねぇよ」

試衛館に道場破りがやってきた一件後――、勇は歳三に師範代を薦めてきた。師範代といえば道場主に次ぐ地位にある。中極位目録は免許の下で、しかも試衛館内弟子の中では井上源三郎と総司のほうが兄弟子である。

 だが勇曰く、既に師範代である総司はまだ若く補佐が必要だという。ここに二人の師範代が誕生したわけだが、していることは普段と変わりはない。

「中極位目録だけでも十分じゃないか」

「義兄さん、源之助が武士になりたいと言ったら、あんたはどうするんだ?」

 歳三の疑問に、彦五郎から笑みが消えた。

「ノブが、お前と源之助は良く似ているそうだ。俺としては源之助に後を継げと強要するつもりはないが、ノブとしては違うのだろう」

 なにせ姉は、実体験として歳三という弟を見ている。兄たちや姉ノブが「農民の子がなにをばかなことを言っているのか」と歳三の夢に異を唱え、歳三はそれでもこの日野から出て行ったのだ。歳三と源之助は似ていると言うが、源之助はこの佐藤家の跡取り、ノブはそう思っている筈である。口に出さないまでも歳三のようになって欲しくはないと思うのは、源之助を思う母としての心情なのだろう。

 武士になれば、死の危険に晒されるかも知れないのだ。

 歳三は母を知らない。物心ついた時には既に母はなかった。ゆえに、母の愛情がどんなものかも知らないが、もし母が今も生きていれば、武士になると言った歳三をどう思ったのだろうか。

「俺だったら、やめておけと言うぜ。口では簡単に言えるが、実際はそんなに甘い世界ではないってことをな。子どもの頃はそれがわからなかった。だがいざ江戸へ出てみてわかったよ。腰に刀を差してもなれたのは形だけ。俺がなりたい武士の姿は、まだなんにも見えちゃいねぇ」

「歳三、お前が目指す武士がどんなものかわからんが、お前がこうと決めたその道が間違っていなければ、突き進むしかあるまい。源之助がどんな道を決めるのかはあいつ次第、俺にできるのは道が逸れぬよう助言するだけだ。ノブは、あいつに甘すぎると言うだろうがな」

 そう言って彦五郎は、呵々と笑った。

 

 歳三が試衛館に戻ったのは、午の八ツ半。

 草鞋の紐を上がり框で解いていると、総司がニコニコと笑いながらやってきた。

「遅かったですねぇ」

「お前みたいに、どこかの団子屋で道草食っていたわけじゃねぇよ」

「数刻前、ここに他流試合が申し込まれましてね」

「また道場破りでも来たのか?」

「いいえ。今度は若先生がお相手を。玄武館からお越しになったとか」

 玄武館と聞いて、歳三は手を止めた。

「あの玄武館がうちに? ここは市ヶ谷だぜ。神田お玉ヶ池とどんだけ離れていると思ってやがる。どんな噂を聞いたか知らねぇが、ろくな噂じゃねぇだろうよ」

 玄武館は江戸で三本の指に入る道場である。旗本の子弟たちが門弟として通う大道場が他流試合を申し込んで来るとは、歳三には思えなかった。

「玄武館の方とは言っていませんよ。ま、噂を聞いてやってきたのは確かなようですが」

 総司との会話は、たまに訳がわからなくなるため歳三は困った。

 要するに、玄武館の門弟である男が、市ヶ谷に面白い道場があると聞いて他流試合を申し込みにきたというものらしい。

「そんな連中が興味本位でやってくるから、貧乏だの芋だの叩かれるんだ。帰ったんだろうな?」

「試合には若先生が勝ったんですが――土方さんが戻ったら部屋まで来るようにと」

 そう言って総司が、クスクス笑う。

 歳三にはさっぱりわからなかったが、勇の部屋が近づくにつれ、笑い声が聞こえてきた。どうやら、勇の他に誰かいるらしい。

 

 ☆☆☆


「いやぁ、実に見事」

「先生に比べれば、私の剣などまだまだです」

 勇の前には、羽織袴の武士が一人座っている。男はそういうと、温和そうな笑みを浮かべ茶器を口に運ぶ。

 幸い、以前やってきた道場破りとは違って身なりはしっかりしていたが、歳三と目が合うとすっと視線をそらした。そのとき、歳三の脳裏には桂小五郎の顔が浮かんだ。雰囲気が、桂と似ていたからだ。

 勇といえば、上機嫌だ。歳三が声をかけたにも部屋からの返事はなく、障子を開けても話に夢中なようで気づきもしない。人を呼んでおいてそれはないだろうと歳三は思ったが

「なにをいう。久しぶりにいい汗をかいた。なにせ、他流試合など滅多にないものでな」

 呵々と笑う勇が、ようやく障子の外に立っている歳三に気づいた。

「――ずいぶんと楽しそうじゃねぇか? 近藤さん」

「おお、トシ。まぁ座れ。山南くん、紹介しよう。うちのもう一人の師範代、土方歳三だ」

 勇がそう紹介すると、山南は「山南敬介です」と頭を下げた。

「玄武館といえば北辰一刀流だ。そこの人間がどうしてわざわざうちのような所に?」

「玄武館とは関係ありません。興味があっただけです」

 興味と言われて、歳三の怒りに軽く火がついた。

「興味ねぇ……。あいにくここはご覧の通りの貧乏所帯だ。さぞ珍しいだろうよ」

「ははは……、すまんなぁ。トシは口が悪くてな」

「いえ。失礼いたしました。どうも私は昔から誤解されやすい性格のようです」

 二人の話に寄れば、数刻前――勇は他流試合をしたいという山南と手合わせをしたという。北辰一刀流と手合わせできるなど奇跡に近い試衛館にとっては名誉なことなのだろう。

 結果、勇の勝利に終わったが山南が勇に天然理心流をぜひ、ご教授願いたいと言ったという。そこにちょうど、歳三が戻ってきたというわけである。

「どうだろうか? トシ」

 歳三は首の後ろを掻きながら

「総司はなんと言ったんだ?」

 総司は試衛館の筆頭師範代である。後に師範代についた歳三よりも、なにより総司は九歳から試衛館にいて、大先生である現三代目道場主・周介の愛弟子である。

 歳三に聞いてきたと言うことは、勇一人では決断できなかったのだろう。おそらく、ここには、総司も呼ばれた筈だと歳三は思った。

「俺の判断に任せる――だそうだ」

「なら、俺にとやかく言う権利はねぇよ」

 歳三はそういうと、出された茶を手に取った。勇は渋い茶が好みで、茶の相手も同じ濃さにする。茶の相手も渋めが好きならいいが、今日は一段と渋い。

(あの山南というやつ、よくこんな渋い茶を顔色一つ変えずに飲めたな……)

 勇を見れば、満足そうに笑っている。

歳三は部屋に戻って寝転ぶと、総司がやって来て、

「眉間に皺を寄せてばかりいると、老けますよ」

 と言った。 

「余計なお世話だ。何のようだ」

「山南さんのことです。土方さんはすぐ態度に出るのでどうなるかと思いましてね。若先生は優柔不断なところがありますし」

「それでも最後には、あの人が決めることだ。お前もそのつもりで言ったんじゃねぇのか?」

 総司は「そうなんですけどねぇ」といったあと歳三をみてにっと笑った。

「なんだよ……、気味の悪い」

「これをお返しに」

 総司は後ろで組んでいた手をほどき、歳三の豊玉発句集を取り出した。

「総司っ、てめぇ!!」

 取り上げれば、その総司は「そろそろ夕餉ですよ」と退散していく。

 はたしてこれから、ここはどうなるか。自分たちはこれからどこへ向かうのか。

 だが、進むしかあるまい。歳三が自分で決めたその道を。

 そういえば今日は七夕だと思い出した歳三は、生家の庭に植えた矢竹を脳裏に描く。

 少年の頃、武士になる夢をみて庭に植えた矢竹。

 彼の願いが叶うかどうかは、天のみ知ることなのだろう。

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