第三章 あらたな仲間
第1話 夕陽に誓った男たちの決意
八月半ば、
ただそんな?にも、必死にならざるを得ぬ
いつもなら気にもとめなかったそれに、歳三は己を重ねる。
三十三間堀の一件から数日後、人が斬られたという話は、今のところは試衛館にも聞こえては来ない。
狐面の男は、人は一度堕ちたら、その暗闇にいる方がいいと思ってしまうと言っていたが、なぜその暗闇から這い上がろうという努力をしないのかと言いたかった。
もし努力をしていれば、間違いに気づいていれば、その先の未来は変わっていたかも知れないのに。男の剣の腕は、これまで対峙した者たちの非ではなかった。
もし一対一ならば、己は骸となって夜風に吹かれていただろう。ゆえに、?の骸に己を重ねてしまうのだ。
――あのとき、狐面の男が振り下ろした刀が、俺の急所を捉えていたら。
ゆえに――それほどの実力を有していながら闇に堕ちた男のことが悔やまれ、腹が立つ。
と言って――そんな相手を逃す結果になったのがもっとも悔しい。
――らしくねぇ。らしくねぇぜ? 歳三。
初めて抜いた真剣の重みからなのか、それともまだ覚悟が足りないことからなのか、下を向きつつある己を叱咤して、歳三は空を仰ぐ。
「もう起きてもいいのか? トシ」
歳三が振り向くと、縁側で両腕を組んで立つ近藤勇がいた。
「こんなのはかすり傷さ。怪我のうちに入らねぇよ」
傷はたいしたことはなかったのだが、出先から帰ってきた勇の指示により三日も床入りさせられた。だが、じっとしていろと言われることのなんと辛いことか。
歳三は翌日には起き出して、部屋と縁側を往復していた。
「しかし、お前に手傷を負わせるとはなぁ」
勇は片手で自身の
「俺の腕が未熟だったのさ」
「そんなことはないと思うぞ。俺は見込みのねぇやつには
勇がそう言って言葉を止める。
「それに?」
「あのとき、お前となら、夢を追いかけていいと思ったのさ」
勇がそう言って、空に視線を運ぶ。
歳三が勇と初めて会ったのは、今から十年くらい前になる。
その頃の歳三は二度目の奉公先から戻ってきたばかりで、剣術も覚えたてであった。
遡ること嘉永四年――日野・石田村。
「ちょっと、歳三!!」
外から戻ってきた歳三は、水を飲もうと
声と同時に、お玉が飛んできたからである。その放った本人は、腰に手を当てて鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
「なんだよっ。危ねぇじゃねぇか! 姉貴」
「そんなもん、当たったって死にはしないわよ!」
歳三が姉貴と呼ぶその女人は、名をノブという。既に嫁いでいる身だが、歳三が実家に舞い戻ったと聞いてやってきたらしい。
歳三は土方家六人兄弟の末っ子として生まれ、兄が五人、姉が四人いた。だが歳三の記憶では姉はこのノブしかいない。顔は悪くはないのだが、怒らすと何かしらものが飛んでくる。鍋の蓋に、水桶、刃物でないのだけ救いだが。
「物騒な女は男に嫌われるぜ? 姉弟揃って、出戻りは笑えねぇぞ」
「余計なお世話よ! あんたと一緒にしないでちょうだいっ」
「俺……、なんかしたか?」
歳三がそういうと、ノブは大きくため息をついた。
「あんたねぇ……、一度目の奉公先では喧嘩で舞い戻り、二度目は大丈夫かと思いきや……」
そう言ってさらに深いため息をつく。
「……しょうがねぇだろう……、なにゆきでなっちまったんだから」
歳三――この年、十七歳。
二度目の奉公先で、歳三はある女人と親しくなった。これが災いして、歳三はまたも実家に戻ってきた。兄たちは呆れ、ノブもため息しか出なくなったのか、小言の合間にため息をついた。
「――あんた、これからどうするつもりなわけ? あんたのことだから、おとなしく畑仕事って風にはみえないわね。いっておくけど、いい年なんだからもう喧嘩はやめなさい」
「喧嘩はしねぇよ。俺はもう見つけたのさ」
「見つけたって……、あんたまさか……」
歳三は覗き込んでいた瓶から顔を上げると、ノブに視線を合わせた。
「そうさ。俺は武士になる。こいつ一本で生きてやるってな」
出歩くときはいつも持ち歩いている木刀を握ると、ノブが再び深いため息をついた。
百姓の出がなれるわけないと思っているのか、それとも馬鹿な弟がまた変なことを言っていると思ったのか、歳三の〝武士になる〟という夢は兄たちや姉ノブには理解できないようであった。
ぶりぶり怒りながら奥へ入っていくノブを見送って、歳三は外に出た。
そんな実家の庭で、矢竹が青々と茂っていた。少し前に歳三が、武士になる夢を込めて植えたものだ。天下泰平の世とうたわれる今の世では弓矢にて合戦すらなくなったが、古来より武家の家には、矢軸の原料となる矢竹を植えたという。
強くなりたい。もっと。もっと強く!
実家の家業の一つ、石田散薬を売り歩きながら歳三は暇あれば木刀を振った。
その時も歳三は、八坂神社の境内で木刀を振っていた。
「へぇ、なかなかやるではないか?」
誰もいないはずと思っていた歳三は、咄嗟に身構えた。
「それに……、いい反射神経だ」
男は社の濡れ縁に立っていた。
「誰だ?」
「俺か? 俺は
男は歳三と年は変わらなそうに見えた。岩のような顔と、どっしりとした体格、武士の姿はしていたが、どこか自分と似た匂いを歳三は感じた。
「俺に何か用か?」
「そう迷惑がるな。これもここの祭神の巡り合わせだ。実はな、出稽古帰りでな。疲れて休んでいたら、お前さんがやってきて素振りを始めた」
「だから?」
島崎勝太と名乗った男は、にいっと笑うと至近距離まで顔を近づけてきた。
「うちの門弟にならないか?」
「断る!」
歳三は帰ろうとしたが、島崎はついてこようとする。
「なぜだ? お前の剣の形は荒削りだが磨けばいい腕になるぞ。見れば薬売りをしているようだが、剣術は片手間にするものじゃない。本気で学ぶ気があるのならうちに来い」
「しつこいぞ! あんた」
すると島崎が再びにっと笑う。
「俺はなぁ、これはと思ったものは手に入れたくなる性分でなぁ。俺はこの多摩に出稽古に来ることが多い。お前とはまた会うかも知れんな」
そう言って、かっかっかっと大口を開けて笑うのだった。
(変な野郎だぜ)
歳三という男、どうも妙な者に絡まれやすい質のようで、こっちが二度と会いたくねぇと思うと、何故かなんども出くわすことが子供のころから何度もあった。
嶋崎に門弟にならないかと言われたが、既に知り合いの道場には通っていたし、どこの誰ともわからぬ相手の誘いなど歳三は受けるつもりは
☆☆☆
歳三の故郷・日野は宿場町として整備されたのは慶長十年のことで、八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれたという。街道における宿場にもよるが、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮門跡らが逗留に利用した本陣が置かれることがある。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が本陣を兼ねることが多いそうだが、歳三の身内にその名主にして、日野宿本陣を兼ねる人物がいた。
名を佐藤彦五郎――歳三の姉ノブの夫である。
「よぉ、歳三。また数人やつけたんだってなぁ」
彦五郎邸の縁側で柱にもたれていた歳三に、彦五郎の声がかかる。
「あんたにそう言ったの、姉貴だろう。村の連中がしつこく絡んできやがったから二度と近づいてこねぇようにしただけさ」
「また百姓風情が武士なんぞなれるわけがねぇとでも言ってきたか」
「その〝また〟さ。しかも今度は鍬を片手にして通せんぼときた。心配しなくても、骨など折っちゃあいねぇよ。一応、うちの石田散薬を売りつけておいたからな。打ち身ぐらいすぐ治るさ」
姉ノブにも同じことを言ったが、例によって怒りだし、水の入った柄杓が飛んできた。おそらく、歳三の反射神経の良さはここにあるのかも知れない。すると彦五郎が苦笑して「勇ましいのは結構だが、ノブの機嫌をあまり刺激されてもなぁ」と言った。
「悪いな。義兄さん」
「いや。ようやく目標をみつけたんだ。とことんやってみるこった」
彦五郎はそういったあと「会わせたい男がいる」と言った。
多摩は剣術が盛んであった。剣術の特色は、門人の分布から八王子を中心とした千人同心と、それ以外に分けることができるという。流派は天然理心流、大平真鏡流、甲源一刀流の順で門人が多かった。この流派のうち、天然理心流は武士の系譜と農民の系譜があった。武士の系譜は八王子千人同心で、もし千人同心がいなかったら多摩郡で天然理心流は盛んにならなかったであろうといわれている。
佐藤彦五郎は日野宿名主だが、天然理心流の剣術の道場も構えていた。そのわけは、日野宿を焼く大火にみまわれた際、盗人によって母親が眼前で斬殺されるのを見て武芸の必要性を感じたのがきっかけだという。その後、天然理心流三代目宗家・近藤周助の門人となり、彦五郎邸東側の一角に日野宿では初となる出稽古用の道場を設けた。それが歳三もよく出入りしている佐藤道場である。
佐藤道場には同郷の井上源三郎も来るが、この日は彼の兄・井上松五郎が来ていた。
松五郎は八王子千人同心世話役に就いているが、天然理心流宗家の弟子となり、免許を取得している。
彦五郎の部屋である座敷には、その松五郎ともう一人男がいた。
その顔を見なり、歳三は絶句した。
「おお。やはりお前とは縁がある」
歳三を見た男は、大きな口を開けてそう笑った。
「……なんであんたがここにいる? 島崎勝太」
そこにいたのはあの、島崎勝太本人だった。
聞けば彼も、歳三と同じ農民の出だという。生まれは、武州・多摩郡上石原村。
剣の腕が良かったらしく、江戸にある天然理心流の宗家から養子縁組の話があるという。
最初は面倒くさい野郎と思っていた歳三だったが、島崎勝太はそれからも佐藤道場に出稽古にやってきた。もはやそうなると面倒くさい奴と思っていた歳三も、島崎勝太に心を許す仲となっていた。自分と似た匂いを感じたのは、同じ農村の生まれだったからかも知れない。だが同じなのは出身だけではなかった。
「俺は百姓の出だが、武士になりたくてなぁ」
茜に染まる空の下、多摩川の土手で行く船を見つめながら、勝太が語り出す。
「あんたはなっているじゃねぇか」
「形だけさ。
勝太は、天然理心流宗家・次期四代目が約束されている身である。それでも自分はまだ武士ではないという勝太に武士に歳三は目を
勝太の言うとおりいくら剣を学んでも、形は武士になっても、本来の武士からみれば〝農民上がり〟なのである。武士の作法も知らなければ、学もない。だが――、
「ふん。そんなやつ、くそ食らえだな。俺は威張り散らした奴らを何人も見ている。ま、そんな奴は一部だろうが、もしなにか起きた時、奴らはまっさきに逃げるだろうぜ」
「穏やかではないな。これから戦でも起きる言い方だぞ? トシ」
「もののたとえさ。弱い者いじめしている人間ほど本当は臆病で、身の危険を感じれば一目散に逃げ出す。そんな侍が俺たちの頂点で胡座をかいてるのかと思うと反吐が出る。だが俺は敵に背はみせたくねぇ。刀は戦うためにある。その刀をもつ武士が戦いから逃げ出したら、下にいる者はどうすればいいんだ? 自分のことしか頭にねぇやつから刀を向けられたら、武器をもたねぇものは死ねっていうのか? この国にいるのは武士だけじゃねぇ。だがその武士が腐ったら、残るものたちは行き場を失うんだ。だから――俺は武士になりたいと思った。農民上がりと馬鹿にされねぇ真の武士に!」
もちろん、世の武士すべてが歳三のいう人間ではないだろうが、身を崩した武士による悪行がこの多摩でも見られるようになったのは確かである。
「真の武士か。いい夢だ」
「夢だけ終わらせるつもりはねぇよ。あんただったそう思うだろ?」
「ああ、その通りだ。俺たちのようなものでもできるということを見せてやろうじゃないか! 一緒に真の武士を目指そうぜ」
勝太のごつく大きい手が、歳三の手を握った。
あれから紆余曲折を経て、歳三は試衛館正式入門まで七年を要したが、あのとき思ったのは、この男となら真の武士になるという夢を追えるという確信だ。ゆえに歳三はいま、ここにいるのだ。
「さすが、近藤さんだぜ」
「変なことを言ったか?」
勇が首をかしげる。
「いや……」
「おい、トシ」
踵を返した歳三を、勇が呼び止める。
「ここ数日腕を動かしていなかったからな」
農民上がりだろうが、難しことはわからなくても、自分は自分の道を目指す。狐面の男のように闇に堕ちてたまるか。
そう思うと、さっきまで下を向きつつあった心が、勇の言葉で再び燃え上がった。
――俺はもう、二度と後ろも下もみねぇ!
歳三は勇に背を向けて、稽古場へ向かったのだった。
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