第2章 その男、不逞なり

第1話 道場破り あらわる

 その日、試衛館の食客三人は橘町の飯屋で顔をつきあわせていた。

 元々はそれぞれ別行動だったのだが、示し合わせたわけでもないのに飯屋でばったりと三人揃った。

「まったく、なんで外でもお前らと一緒になるかねぇ」

 空になった丼を小上がりに置いて、原田左之助は天を仰いだ。

 本当なら、出かける予定は左之助にはなかった。飲もうと手にした酒が切れたためだ。

 貧乏徳利を背にひょいと回し、左之助は酒を買うために町に出た。

 橘町は嘗ては西本願寺を有する門前町で、立花を売る店が多くあることから当初は立花町と言ったが、めいれきの大火によって本殿を焼失してからは翌年に築地に移転したという。

 火事と喧嘩は江戸の華とは誰がいったのか、江戸は火事が多いようで、明暦の大火はその中でも酷かったらしく、江戸城天守閣を含む多数の大名屋敷、江戸市中の大半が焼失し、死者十万を出したそうである。

 酒を買い終え、腹を満たそうと左之助が入ったのがこの飯屋だった。すると、なかに藤堂平助がいた。平助だけなら「奇遇」ということにもなるが、暫くして永倉新八まで入ってきたから左之助は「奇遇」と笑っていられなくなった。

 なにせいまは、同じ屋根の下。試衛館に同じ食客としている身である。

「袖振り合うも多生の縁ってやつかもな」

 先に来ていたという藤堂平助が、煮物を箸でつつきながら言った。なんでも平助は、絵草紙屋に行くために、外へ出たという。

「けっ。やだねぇ、そんな縁。女の縁なら歓迎するんだけどよぉ。どこかにいねぇかなぁ。惚れ惚れするようないい女は」

 左之助のぼやきに、永倉新八が眉を寄せて口を開く。

「くだらん。お前の頭の中には、酒と女のことしかないのか」

「野郎たちと一日いるよりは、女と一緒のほうがいいぜ」

 左之助は、本気でそう思っている。国元にいた頃から浮き世を流してきたが、金がないとなるとこれまで寄ってきた女が寄ってこなくなった。

「酒もほどほどにしておけ。二度目はないぞ」

 永倉に二度目といわれ、左之助はぽりぽりと頭を掻いた。

 左之助は以前、酒の席である男に「腹も切れぬ腰抜け」と罵られたことがあった。左之助も酔っていたのもあるがならばと、自身の腹を一文字に斬った。酒の勢いとはいえ切腹した左之助だが、二度目の奇跡は起きないと永倉は言いたいのだろう。

「それより、目当ての代物は見つかったのかい? 新八っつぁん」

 平助の問いに、新八が「いや……」と短く答える。

新八の場合は、刀を見に刀剣屋に出かけていったという。

さて帰るとかと三人が立ち上がったのは申の刻。空は霞か煙かと間違いそうな淡い雲が張っている。

だが浪人三人が固まって歩くと目立つのか、行き交う者の反応はぎょっと驚く者、そそくさと離れていく者など様々である。

「――人斬り騒ぎのせいだろう」

 新八が言った。

「ああ、その話なら俺も聞いたことがあるぜ。後ろからばっさり――だったんだろう? 酷ぇよなぁ」

 そう言ったのは平助である。

「まったく、俺たちまで同類とされちゃいい迷惑だぜ」

 左之助が再びぼやく。

 試衛館の門を三人がくぐると、道場脇で三人の門弟らしきものが立ち話をしていた。

 確か今は稽古の時間のはずなのだが――。

「なにかあったのか?」

 新八がそう聞くと、門弟の一人が青い顔で言った。

「いま道場に、他流試合を申し込みにきた方がいるんですが――」

「なんだ、いいことじゃねぇか」

 平助がそういうと、

「それが、大先生も若先生もお留守でして……」

 聞けば手合わせしろと、もう半時は粘っているという。

要するに、道場破りが現れたという。


                  ※

 

「しつこいですねぇ。人の話を聞いてました? 手合わせはできません」

 左之助たちが格子から道場を覗くと、道場破りを相手にしていたのは沖田総司と土方歳三であった。

「どうしても――断ると申すか?」

「道場主の許しなく立ち会うのは禁じられています」

 基本、他流試合は道場主に申し込むのが筋。だが道場破りは違う。

なんの紹介もなく他流の道場に乗り込んできた挙げ句、道場側を挑発しては他流試合を強要し、主だった門弟など総て倒すというものだ。来られた方にとっては迷惑以外の何でもない。

「馬鹿だねぇ。あいつ」

 食客三人の意見は一致していた。平助の言うとおり、道場破りの男に勝ち目はない。男が試衛館に目をつけたのはおそらく、道場名も流派も有名ではなく、所々つぎはぎ状態の構えから勝てると踏んだのだろうが、ここには剣の鬼がいる。

 手合わせしろ、できないの押し問答に、浪人風の道場破りがついに化けの皮を剥がした。

「ふんっ、芋侍が……」

 男のつぶやきに、それまで総司の男との対応を黙って見守っていた歳三がため息交じりに言った。

「総司、お前さっきおとなしく帰っていただこうとか言ってなかったか? 刺激してどうする。こいつまだ居座るぜ」

「刺激しているのは向こうですよ。土方さん」

 二人の会話に、道場破りが割って入る。

「芋と言って何が悪い。所詮は田舎剣術、たいしたことがないのであろう?」

 開き直った道場破りに、歳三が吠えた。

「ごちゃごちゃうるせぇ!! こっちが芋なら、てめぇは愚図野郎だろうが!」

「な、んだと……っ」

 ――面白くなってきやがった。

 中を窺っていた左之助は、歳三たちがどう決着をつけるのか楽しくなってきた。

 すると、総司が木刀をすっとその道場破りに向けた。手合わせするのかと思ったが、総司は動かない。道場破りも動かない。

「こいつは本気だ。真剣じゃねぇだけマシだと思うんだな」

 歳三の言葉に、道場破りの男が構えた木刀が震えるのがわかった。

「勝負あったな」

 新八が言う。

 本当なら、三人は立ち合いを見てみたかったが彼らも剣の道に生きる人間である。己の力を過信すれば命取りになることを知っている。道場破りがいい例である。

「――この世はまだすてたものじゃねぇな」

 左之助の言葉に、平助と新八は何も言わなかったが気持ちは同じだろう。狼藉を働く侍が蔓延る一方、そんな侍を許せないと思う侍もいる。彼らと一緒にいれば、つまらないと思える世が楽しく思えるかもしれない。

「飲み直しといくか」

 左之助が貧乏徳利を手に新八たちを促すと、二人が頷く。

 辺りは黄昏の西日に包まれ、風が静かに吹いていた。

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