第8話 旅は道連れ世は情け
〽お江戸日本橋七つ立ち、初上り~
東海道二番目の宿・川崎から品川に至る街道で、青年が唄う。
(気楽なものだ)
青年のやや後ろ、男は青年の背を見据え、口をへの字に曲げた。
二人とも裾に黒い縁取りのついた野袴を穿き、背割り羽織に手甲と脚絆、
「藤堂、少しは黙って歩けないのか」
「旅は楽しい方がいいからな。あんたのように、ぶすっとした顔をして歩いていると女に嫌われるぜ?
「余計なお世話だ。それにその呼び方はよせと言ったはずだ」
「いいじゃないか。これからあんたとは、長い付き合いになりそうな気がする」
冗談ではない――と、新八は思った。
新八こと永倉新八は江戸は松前藩、幕府との連絡係をつとめる家に生まれた。八歳で神道無念流の道場に入門し、次男とあって剣術には好きにのめり込めたが、長兄が亡くなると家督を継がなくてはいけなくなった。
何しろ松前藩では、次男、三男は元服後も修行として剣術道場に通えたが、跡継ぎにはそれが許されていなかったのだ。
そこで新八は、藩邸を出て道場に住み込んだ。いわゆる脱藩である。それでも脱藩の身であっても、江戸藩邸周辺にいるとあってか藩からの咎めはなかったのだが、無類の剣術好きが講じ、三月前に武者修行の旅に出た。
旅の行きは順調だったが、江戸に戻る途中の旅籠に逗留した時に妙な者に懐かれた。それが新八の前を歩く青年――、藤堂平助である。
彼もまた江戸の生まれで、新八とは違って気ままな旅に出たという。
〽こちや 高輪 夜明けの提灯消す
こちゃえ~ こちゃえ~
街道を往来する何人かが、新八たちに視線を送ってくる。
「だから……、唄うのはやめろ」
上手い下手の問題ではない。新八は「お仲間」と思われているのかと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
――さて、どうするか。
江戸に帰ったところで、何かあるわけではない。松前藩士だったのは過去のこと。浪人となればもう禄はもらえない。
まさか帰ってきたのでまたよろしくと、松前江戸藩邸に行くわけにいかない。まずは職を探さなくてはならないだろう。
(それをわかっているのか?
藤堂平助は新八より年下、まだ十七だという。「俺は、伊勢津藩主・
だが剣の腕は良いようで、神田お玉ヶ池は北辰一刀流・玄武館の門弟となり、北辰一刀流目録を十代半ばで取得したという。
平助もまた新八と同じで、江戸に帰っても宿無しなのである。
江戸に着いたのは、既に未の刻。
「とりあえず腹を満たそうぜ、新八っつぁん」
どうやら平助は、江戸に着いてからも新八から離れるつもりはないらしい。そんな二人の足が、ぴたりと止まった。
二十七間(五十メートル)先に人垣ができている。
「おのれ――っ!!」
誰かがそう声を荒らげた。尋常ではないのは確かで「どうする?」と平助が新八を見てくる。
「お、お許しくださいませ、お武家さま」
「許せ? そなた、
人垣の先では、商家の者らしい男と浪人が揉めている。
「そんな……、ぶつかって来られたのはお武家さまの方ではございませんか」
「なんだと?
「め、滅相もございません。多少ではございますが、これでお許しを……」
刀に柄に手をかける浪人に対し、商家の男は懐から紙入れを出した。それまで野次馬の一人となっていた新八たちだったが、平助が飛び出していった。
「ちょっと待った!」
「誰だぁ?貴様」
「あんたのしていることは、ゆすりたかりって言うんだぜ?」
「な、んだと……っ」
こうなると、場は収まらない。新八も出ていった。
「藤堂、火に油を注いでどうする?」
「なんだよ。あんただってもう刀に手をかけてるじゃねぇか」
平助の言う通り、新八の左手は刀の柄に触れ、鯉口も切っていた。
「
「俺もだよ。新八っつぁん」
「だから、その名で呼ぶなと言っている」
そういうと、二人は刀を抜いたのだった。
浪人の顔は、徐々に青ざめた。二人を相手にしなくてはならないのもあるだろうが、神道無念流と北辰一刀流の使い手に対して、浪人の刀は何度も空を切った。彼としてはまんまと金をせしめ、この場から離れるつもりだったのだろう。それが新八たちが現れたことで、金は取れないわ、退路は断たれるわで焦りだしたようだ。
そしてついに、浪人の手にして刀は弾かれ、やってきた役人によって連れて行かれる羽目になったのである。
「凄いなぁ」
二人が振り向くと、一人の若侍がニコニコと笑っていた。年は平助と変わらないだろう。
「誰だ?お前」
「市ヶ谷で天然理心流の道場・試衛館で塾頭をしている、沖田総司といいます」
「天然理心流?試衛館?」
いくつかの道場を回ってきた新八だが、天然理心流という流派も試衛館という道場も聞いたことがない。
「うちの人たちも、ああいった人間は嫌いでして。きっと、話が合うでしょうね」
そう言って
※
久しぶりの江戸は、真面目に生きていこうという浪人たちにとっては多少生きにくい場となっていた。
やはり開国し、異人にこの国の地を踏ませた幕府への不満がきっかけのようである。
嘉永六年と翌年の嘉永七年に江戸湾沖に現れた異国船によって、長年続いたこの国の鎖国体制は崩れた。
だが異国との条約締結が帝の意向を無視したものだったらしく、尊王攘夷なる動きが広まったという。尊王攘夷は「帝を敬い、異国をこの国から追い払う」という意味らしい。
そんななかで士官口もなく、食い詰めた浪人たちが、こうなったのは幕府のせいと狼藉をはたらき、他の関係ない浪人までも同類とみなされていることだ。これでは士官など無理だろう。
新八も平助も士官する気はなかったが、持ち金の底が見え始めていた。
「これからどうなるかわからんというのに、よく食うな?」
掘割近くの飯屋――、時刻は九ツ半。丼飯を口にかきこんでいる藤堂平助に呆れながら、永倉新八は杯を口に運んでいた。
「腹が減っては戦はできぬっていうじゃねぇか」
「お前も、攘夷をするつもりか?」
「もののたとえってやつさ。あ~あ、どこかただ飯食わしてくれて、いつまでいても構わないというところはねぇかなぁ」
「厚かましいやつだな。そんなところがあるわけがなかろう」
「案外あるかも知れないぜ?新八っつぁん。ほら、この間会った変なやつ」
「試衛館の沖田総司か?」
新八の脳裏に、数日前に出会ったその青年の顔が浮かぶ。
「そうそいつ。聞けば俺たちと話が合うみたいだし」
「押しかけるつもりか?相手がどんな連中かもわからんのに。門前払いをくうだろうよ。同門のところでさえ、金がなければ放り出されるのだ」
そんな新八の背後から「失礼する」という声がかかった。
振り向けば、両腕を組んで微笑んでいる羽織袴の男が立っていた。
「いやぁ、貴公たちのらの話が耳に入ってなぁ。なるほど、総司が言っていた面白い人たちとは貴公たちのことか。あ、申し遅れた。俺、いや
新八は驚いた。なんとよければうちに来ないかという。
平助がくすくす笑いながら、小声で新八に言ってくる。「ほら、あっただろ?俺たちを置いてくれるところ」と。
まさにこの世はなにがおこるかわからない。捨てる神あれば拾う神ありとは、よく言ったものである。
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