第18話 帰宅
18-1 目覚め
翌朝、当然の如く、列車は東に向けて走り続けていた。外は良く晴れていた。ヨシエはそんな状況の中、目を覚ました。
ヨシエは昨日、疲れてたこともあって、そのため、かえって、よく眠れたらしい。良い目覚めである。
目覚めてヨシエは、上半身を起こした。そして、上半身を起こした状態で伸びをした。ヨシエの寝台はコンパートメント内の二段寝台の下段なので、危うく、頭を上の寝台、すなわち、彼女がいる下段の寝台の天井部分にぶつけそうになった。またもや、ドジをしそうになったヨシエではある。しかし、
「任務終了」
によって、とりあえず、身辺に危険のない状態にはなっていた。ドジをしたとしても、その点では、危険はないと言える。それ故に、本来の性格としての
「ドジ」
が現れそうになったのかもしれない。往路とは逆に、ヨシエを乗せ、ポーランド経由でソ連領ウクライナを経て、モスクワに向かう国際列車に乗る現在の彼女に、緊張を強いるものはとりあえずはない、と言えるだろう。
ヨシエは、車中にて、ハンガリーでの一連の出来事を思い出そうともしていた。一連の活動から、ほとんど時間はたっていない。思い出そうとしなくても、記憶として、彼女の脳裏にしっかりと残っている状態であった。
しかし、ヨシエは心中、思った。
「よしましょう。考えていたら、きりが無くなりそうね」
一連のハンガリーでの活動の記憶に半ば、支配されているかのような彼女であったものの、ヨシエは、その記憶の支配を意図して、振り切ろうとした。
想像を巡らせば、次から次へとこの件に関して、話のネタが浮かびそうだった。それらについて、いちいち考えていたら、ヨシエ自身の心中での
「空想世界」
というべきものが、際限なく拡大しそうである。
「空想世界」
を拡げることは、謀略将校として、頭上演習を行い、作戦を遂行することに対しては、有用な能力と言えた。しかし、ヨシエもアレクセイとの結婚生活等、楽しむべき
「私生活」
があるのである。
「空想世界」
に耽溺していると、限り無くのめりこんでいくかもしれない。そして、その延長で、帰宅後も、あれこれ考え、それこそ、
「夫婦水入らず」
の家庭生活をも破壊してしまうような気がして、怖かった。人生のパートナーというべき夫の前では、KGB将校ではない1人の
「素の女性」
でありたかった。勿論、何かに耽溺するのがヨシエの性格なので、それはそれで、ヨシエの素性ではあるとは言える。しかし、アレクセイに対し、
「作戦遂行」
を為すのではない。アレクセイは、配偶者であり、そんな態度で接すべき相手ではないし、そんな態度で接したら、アレクセイも-彼も軍に勤務している以上、ある種の「作戦遂行」のための能力を求められる立場とはいえ-参ってしまうだろう。
そんな思いにふけっていたヨシエではあった。しかし、そうした思いにふけっている状態が、既に、
「空想世界」
に耽溺している姿でもあると言えた。
モスクワに近づいていく列車の中、先程から、コンパートメントから出て、車両を前後に貫く車内通路の壁にある折り畳み椅子の1つを倒して座り、
「空想世界」
に耽溺していたヨシエであった。これらの心中での耽溺は、日本語でなしていた。
ソ連国籍に変わったとはいえ、ヨシエにとって、元の母語はやはりまだ日本語である。今後、続くであろうソ連での生活が長くなればなるほど、ヨシエは、日常の会話の手段として、日本語を使うことは少なくなり、ロシア語が取って代わって
「母語」
の地位を占めていくようになるのだろう。しかし、まだ、必ずしも、その状態には達していないようであった。その状態でありながらも、ソ連のために、かつての祖国・日本に打撃を与えたヨシエではあった。
あるいは、まだ、日本語が上手く話せる状態だからこそ、今回の作戦は上手くいったとも言える。その点では、この時期に「大役」が回って来たのはかえって幸運だったとも言える。しかし、これは彼女自身の意志によるものではない。
「目に見えぬ歯車」
は、それこそ、当事者の一員であるはずのヨシエにも分からぬ程、
「目に見えぬ速度」
で急速に回り始めているのかもしれなかった。急速に回り始めたかもしれない
「目に見えぬ歯車」
は今後、どのように、世界を変えていくのだろうか。「天皇」を精神的に担ぐ大日本帝国-今後の極東の、そして、東アジアならびに、東南アジア諸地域を押さえつけている、今日なお、国際関係の中では重要な存在ではある-は、どのように変わって行くのだろうか。あくまでも「有事」の際には、
「天皇(制)」
を担いでの
「徹底抗戦」
だろうか。それとも何か、別の動きがあるのだろうか。
ヨシエはやはり、心中にて、車窓の外で風景が流れていくのを眺めつつも、色々と物思いにふけり、
「空想世界」
に耽溺していた。シミュレーションの能力は、ドジという短所の代わりに、ヨシエに与えられた長所としての能力であるのかもしれない。或いは、特に、日本時代、自身のドジによってひどい目に遭うことも多かったので、日本時代から、自身の
「自己防衛戦」
のために、相手の心中を読まねばならないという現実から、こうした能力を自然に鍛えられていたのかもしれない。
つまり、大日本帝国は
「社会」
を生きる女性に体罰という具体的人権侵害を施すことによって、自身に歯向かう反体制勢力を育成していたとも言えた。
そうこうしているうちに、列車は走り続け、目的のモスクワの駅に到着したのであった。
18-2 新聞記事
列車が駅に到着し、停車すると、ヨシエはスーツケースを片手に列車からホームに降りた。そして、そのまま、改札を通り、駅の外に出た。
駅外のキオスクにて、ソ連共産党の機関紙『プラウダ』を買い、キオスク近くの売店で買ったピロシキを口にしながら、ヨシエは『プラウダ』を読み始めた。
その『プラウダ』
の中に、
「ハンガリー人民共和国の首都・ブダペストにて謎の大爆発」
との見出しがあり、ブダペスト市内の某貿易会社にて、建物に自動車が突っ込み、石造りの社屋が吹き飛ぶほどの大爆発となったことを報じていた。
そして、同記事の副タイトルとして、
「いずれかの国の反ソ反共謀略?詳細は不明、鋭意捜査中のハンガリー警察当局、日本帝国主義による謀略の可能性を示唆」
とあった。
勿論、現時点でこの記事を読んでいるヨシエが一番の当事者たることは言うまでもない。
「目に見えない巨大な歯車」
の一員でありながら、事件の当事者として、シナリオを書き、自身で演じて見せた存在であった。
ヨシエは記事を読みつつも、何かしら少しく笑いが出た。
「真犯人」
が、今、まさにここにいるのに、それとはかけ離れた場所-そこが事件現場であるとはいえ-にて、右往左往している関係者の姿を想像して、おかしく思ったのだろうか。だとすれば、今回の死者の1人である藤田正志の妻・龍の心情について、思いを巡らす心情がある一方で、結構、ヨシエは、愉快犯的な性格をしているとも言える。
しかし、ヨシエを愉快犯にしたのは、やはり、日本での体罰、農民への収奪といった抑圧体制であろう。
今回のヨシエによる
「作戦成功」
は同時に、日本にとっては
「作戦失敗」
の結果となったのみならず、逆に彼等の行動は
「反日宣伝」
に利用される形となった。「大日本帝国」という現行の日本の抑圧体制は、それ故に、現行の日本の体制への嘲笑となって具体化されるという、ヨシエという愉快犯を生み出したと言えた。
大日本帝国当局は、外交ルートを通して、ハンガリー人民共和国政府に対し、
「犯人逮捕」
と
「事件の真相解明」
を強く主張しているに違いない。そして、同時に、「大日本帝国」における
藤田や佐竹と同様の日本の体制の中心となっている者達は、反ソ活動の拠点が1つ喪失、されたことによって、
「ソ連の脅威、赤魔からの攻略」
という極東でのソ連の脅威を改めて感じ取り、
「右往左往」
しているのかもしれない。
ヨシエが愉快犯として、一番、嘲笑しているのは、かつての人権侵害等をなした体制への裏返しとしての怒りとして、
「大日本帝国」
という体制であった。
「まあ、せいぜい、皆さん、頑張ってくださいな」
そう一言、台詞を口にすると、ヨシエは傍らのごみ箱にプラウダを棄て、自宅マンションに向けて歩き出した。
18-3 家路
スーツケースを片手に歩道を歩くヨシエである。いつものように人々が行き交い、わきの車道には忙しく自動車が行き交っている。周囲の風景も、特に何か変わったところがあるわけではない。物理的には、目新しいものは何もなかった。
しかし、ヨシエその人にとっては、任務から解放されたという新鮮さがあった。自分個人の私生活にとりあえずは、戻れるという喜びがあった。その意味では、何かしら、街の風景も明るいものであるようにも感じられた。
先程の
「まあ、せいぜい、皆さん、頑張ってくださいな」
という台詞も、
「私自身にとって、この件はとりあえず、無関係になったんだ」
という彼女自身にとっての解放感から出たものでもあった。
「私は早く、私自身の平和な場所に戻りたいんだ」
という心中の思いがそう言わせたとも言えた。
ヨシエは何となく、足早になり、途中で結局、タクシーを拾った。
ヨシエは、運転手に自身の住所を言い、そこに向かうように依頼した。
ヨシエは、今回は、その任務たるべき作戦行動の性格故に、KGB少佐とは言え、軍服は着用しておらず、私服である。故に、はたから見れば、一貫して、民間人に見えた。
タクシー運転手がハンドルを握りつつ、話しかけて来た。
「奥さん、今日のプラウダ、読まれました?」
「何のことかしら?」
「ほら、ハンガリーの首都のブダペストの市内での大爆発の件ですよ。かなりのすごい事故というか、事件だったみたいですね」
「ええ、そうみたいね」
運転手は続けた。
「わが国にとって、極東からの脅威になっている日本帝国主義が関係しているみたいですね」
先にヨシエが読んだ『プラウダ』の記事の副タイトルそのままに、彼は、真犯人その人に向かって、色々と持論を述べた。
先の記事には、駐ハンガリー日本大使・藤田正志と日本陸軍駐在武官・佐竹勇雄が死亡したので、日本の謀略が関係者の間で何らかの形で事件化した可能性があるものの、単なる事故の可能性も捨てきれないと書かれていた。余りに、謀略等の
「事件」
として、細かく書くと、日本側が、自身のその謀略に関して、ソ連からの反撃活動等をより強く察知する可能性があるので、事故の可能性をも匂わせているのかもしれない。他方、ソ連は日本の反ソ活動に対しては、一定の反撃に出る用意があると、記事を通して、メッセージを日本側に送らんとしているのかもしれなかった。
それ故、色々と含みを持たせる記事だったと言え、運転手氏も、色々と考える余地があり、ために、さまざまな持論になったのかもしれない。
しかし、ヨシエは、勿論、自身が当事者であることを明かすことなど、出来ようはずもない存在である。
「ごめんなさい、私は主人が軍の関係者だけど、私自身は一般の国営工場の事務員でしかないの。こういったことは、確かに、私たちのソ連邦にとっては、難しい問題ね。だけど、私自身は、こうしたことには詳しくなくて」
そう言って、ヨシエは自身の立場をごまかした。
ヨシエは、心中にてつぶやいた。
「意外なところで、さっきの『プラウダ』のことが話題になったわね。危ない、危ない。任務から解放されたと思ったけど、帰宅するまで、やはり、気が抜けないようね」
ドジな自身がぼろを出さないように、謀略将校として予防線を張ったヨシエであった。
「奥さん、お疲れさまでした。着きましたよ」
タクシーは依頼通り、ヨシエのマンションの前に着いた。
「スパシーバ」
いつものように礼を言い、料金支払いの後、後部トランクからスーツケースを取り出し、片手にひいて、自身の階へと上がって行った。
「ガタタン、ゴトトン」
なエレベーターは身震いしながら、上昇し、ヨシエの階に着いた。その後、歩いて自宅前に着いたヨシエは、改めて、一言、
「ただいま」
と口にした。自宅に帰宅するという当然の行為が、ある意味、久し振りの
「当然」
ではない行為になっていたことから、日々、かつて
「当然」
のこととして、出入りしていた時とは異なり、ヨシエは、敢えて、そうした台詞を声にしてみたかったのかもしれない。あるいは、漸く、
「任務からの解放」
をある種の台詞を声に出すことによって、確認してみたかったのだろうか。
鍵を差し込み口に入れ、ドアを開けて中に入ってみると、そこは確かに、ヨシエ、そしてアレクセイとの
「私生活」
あるいは
「個人空間」
としての場所であった。室内には誰もいない。夫・アレクセイはまだ、軍機関で勤務中なのだろう。
「アレクセイが帰って来たら、コーヒーでも淹れてあげて、とりとめのない話でもしたいな」
とつぶやいた。それが現時点での、ヨシエの正直な本心である。
そして、長らく、自宅を留守にする前と同様、やはり、同じ場所にあったコーヒー豆を手に取り、コーヒーセットでコーヒーを淹れ始めた。コーヒーの関係物が同じ場所に置かれているのは、ヨシエのコーヒー好きを知るアレクセイが、妻が帰宅したら、すぐにコーヒーでくつろげるように、と配慮してくれていたのかもしれない。
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