第17話 帰国

17-1 待機

 ソ連大使館に逃げ戻ったヨシエは暫く、大使館の一室にて眠った後、起床した後、

大使の部屋に呼ばれた。

 「お呼びですか?大使、クツーゾネフ少佐、参りました」

 ヨシエは、大使の部屋の前で、扉をノックし、入室の許可を請うた。

 「どうぞ」

 大使の声を確認すると、ヨシエは、戸を開き、入室した。ヨシエは部屋を進み、作戦遂行前と同じく、大使とデスクを挟んで、向かい合って座った。

 「改めて、お疲れ様でした。同志少佐」

 「ありがとうございます。大使」

 ヨシエを改めて、ねぎらうと、大使は作戦遂行以降の状況を説明した。

 「ハンガリーでの反ソ活動の拠点は、とりあえず、壊滅した。日本大使の藤田と日本陸軍駐在武官の佐竹は死亡し、日本とその背後にいて、協同では反ソ活動を行おうとしたCIAも、重要拠点の1つが失われたので、当面は動けないだろう」

 「作戦は、とりあえず、成功したのですね」

 「うむ」

 大使はヨシエの発言を肯定した。

 「今回の任務はとりあえず、終わった。同志少佐、貴女は本国に帰還できるよ」

 ヨシエは緊張がほどけたのか、少しく笑顔になった。

 「今日、早速、ブタペストの駅から、モスクワに向かう夜行に乗って、モスクワに戻るとよい。切符は既に手配してある。但し、駅までは、自身でタクシーに乗る等して欲しい。深夜の作戦遂行であったとはいえ、貴女を目撃したものもいるかもしれない。そうだとすると、大使館の公用車で送ると、周囲から、何かしら、不審に思われるかもしれないからな」

 「分かりました、大使。ただし、1つ質問があります」

 「何かな?同志少佐」

 大使はヨシエに聞き返した。

 「私が日本大使館の車を例の『貿易会社』に突っ込ませて爆発させた後、再度、大爆発が起きたようですが」

 「ああ、あれ」

 大使は一言置くと、説明した。

 「おそらく、拠点としてたあの建物の中にあった弾薬等に引火したのかもしれない。あそこには反革命派やら、反ソ派の拠点として武器弾薬等も溜め込んであったらしい」

 大がかりな反ソ蜂起が計画されていたのかもしれない。

 先日の日本大使館での公用車内にて藤田と佐竹が話していたことを思いだしてみれば、最早、日本陸軍は、少なくともソ連陸軍の装備、殊に陸軍の主力というべき戦車において、劣勢を回復できそうになかった。そんな状況の中、日本帝国陸軍の現行の体制を支える中核等が内部、殊に、日本の

 「社会」

 からの反乱によって崩壊しないように、日本という

 「社会」

 への刺激となるものを作ろうとした日本側は、逆にその「眼」を摘み取られた。武器弾薬までも用意していたとすれば、かなりの大きな

 「芽」

 であった。ソ連側にとっては、ソ連の

 「社会」

 にとっての、体制批判、反乱の引き金となりかねない

 「芽」

 であった。同時にこの「芽」が東欧の社会での反乱を煽る芽であったことは言うまでもないことであった。

 なお、反ソ反共の「活動拠点」たる貿易会社はやはり、泳がせにされていたとのことである。無論、ソ連、そして、ハンガリー人民共和国として、自身への反乱の

 「芽」

 を一挙に摘み取り、一網打尽にするためであった。

 ヨシエは、改めて、ソ日(日ソ)両国の最前線に立たされてたことを思った。それは

 「『主演女優』とまではいかないものの、少なくとも、脇役として、貢献はできた」

 という思いをヨシエに思わせた。

 ヨシエがこのように思ったのは、これまでは、目に見えない

 「巨大な歯車」

 のよって、一方的に振り回される人生であったことから、命令された任務の遂行とはいえ、自分の行動で、主体的に関わることができたことによるものだろう。

 しかし、現在のヨシエにとっては、そんなことよりも、早目に

 「危険地帯」

 というべき現在の場所から離れて、自身にとっての、

 「幸せ」

 あるいは

 「豊かな生活」

 である、モスクワでのアレクセイとの家庭生活に戻ることが最重要課題なのである。

 ソ連当局にとっても、今回の作戦の重要人物が現場付近に長く留まるのは、地元社会からの何らかの形での不審を持たれる可能性があり、それは先の大使の言葉からも察せられることであった。

 大使は、ヨシエに今夜の夜行の切符が入った封筒を渡した。

 「ありがとうございます。大使」

 ヨシエは礼を言うと、受け取った封筒を開き、内容物を確認した。現地時間20時半、ブタペスト発、モスクワ行きの寝台券、並びに「CCCP」とある彼女自身のパスポートであった。列車のコンパートメントの等級は往路と同じである。

 ヨシエは、大使の部屋を出ると、自室に戻った。改めて身支度をし、荷造りを行ったない、20時半発の夜行列車への乗車準備を始めた。


17-2 駅へ

 「お世話になりました」

 午後6時半頃、例の大使館裏口まで見送ってくれた大使館職員に礼を言うと、ヨシエは裏口から外に出た。この裏口は作戦遂行のために使用した出入り口であった。

 駅で20時半発の夜行に乗るまでは、不審を周囲に抱かせないようにふるまう必要がある等の意味では、作戦はまだ続いているともいえる。そのための裏口からの退去であった。

 外に出た後、暫く歩いて、やはり、例の如く、タクシーを拾った。後部座席に乗り込むと、運転手にロシア語で、駅に向かうように指示した。

 昨日、ヨシエが日本大使館付公用車を「貿易会社」に突っ込ませた時間よりはまだ、かなり早い。街路には多くの人々がいつも通り、行き交っていた。国家間の謀略に関わらず、

「社会」

は当然の如く、今日も生きていた。

 ヨシエは車窓から人々の往来を眺めつつ、思った。

 「龍奥さん、どうしているかな?夫が突然に死んだと聞いて、大泣きだろうか、それとも、茫然自失かな?」

 思えば、満州ハイラル要塞の外郭要塞指令・橋田至誠から数えて、ヨシエは既に3人を殺害していた。

 「殺人」

 は言うまでもなく、「社会」における犯罪である。それは、物心ついた時から、「社会」を支える常識であり、また、それは、ヨシエをも含めて、万人に当てはまる話である。そして、その


・「殺人」=「犯罪」


 という「常識」と称せられる恒等式は、国家の法によって具体化されていた。しかしながら、その国家は

 「戦争」

 という形で自身の殺人を正当化している。

 ヨシエの殺人は戦争なので、咎められるはずのないものである。

 とは言うものの、殺人が許容されるのは、国家に関わる特殊な立場である。ソ連軍に中尉として編入され、その後、KGBに移籍されて、少佐となったヨシエは、特殊な身分とも言える。しかし、それは自身の意志とは半ば、無関係に積み上げられたキャリアでもあった。

 「やはり、誰かの演出、仕組まれた芝居みたいな人生ね」

 ヨシエは、これまでを振り返りつつ、思った。しかし、同時に、

 「仕組まれた芝居」

 の中で、これまの人生の中で最良の生活を得ている現実もあった。逃れることはできないのもまた、現実である。藤田や佐竹もまた、エリートコースや軍将校という道は自身で選んだ人生であろうものの、国家という自身の逃れられない

 「仕組まれた芝居」

 の中にいたのである。今回の作戦は、2つの

 「仕組まれた芝居」

の衝突であった。あるいは、「国家」のない「社会」は存在しない以上、あらゆる人間が何らかの形で

 「仕組まれた芝居」

 の中にいるとも言える。そして、あらゆる人間が自身の意志で生まれてくるのでもなければ、時代も、性別も、親も、家庭環境も、国も選べない。そのように考えてみると、各々の人間の人生そのものが

 「仕組まれた芝居」

 なのかもしれなかった。

 ヨシエは、なぜ、こんなことを心中でつぶやいているのだろうか。

 橋田の殺害については、自身の橋田への強い怒りという個人的感情をも込めて行った行為ではあるものの、そもそもの原因は、ヨシエ自身もソ連国籍となり、ソ連の一員として生きるという意志によって、今日の生活があるという一面はあるとはいえ、

 「巨大な歯車」

 によるものであり、

 「私が既に、3人の大日本帝国関係者を殺したのは、私の意志によるものじゃない」

 と言って、自身の行為を正当化したかったからかもしれない。

 殺人そのものはやはり、

 「国家」

 の意志がなければ、単なる犯罪行為であり、いつぞやも思ったように、

 「どこかに流れていくのではなく、ソ連という『国家』に編入されて、かえって良かったね」

 とこれまでのことを振り返った。殊に、橋田の殺害は自身の感情をこめて行ったものである以上、

 「ソ連という『国家』」

が背後になければ、

 「日本という『国家』」

の枠組みの中で、単なる犯罪行為になるところであった。

 またしても、物思いに耽溺しているヨシエであった。そんな彼女を乗せたタクシーは駅前に着いた。

 「スパシーバ」

 と、以前と同じくロシア語で礼を言うと、料金を渡し、後部トランクから、スーツケースを取り出し、駅の入口を通って、駅構内へと入って行った。


17-3 モスクワへ

 ヨシエは、午後8時頃、

 「CCCP」

 と表紙に書かれた自身のパスポート、乗車券を改札係に見せ、改札口を通った。30分が経過し、予定時刻通り、乗車予定の列車が来た。

 予定されていた車両に乗り込み、切符に表示されているコンパートメントに入った。ソ連大使館にて多少眠ったとはいえ、疲れていたヨシエは、ベッドに入り、布団に潜り込んだ。ほぼ同時に、機関車の汽笛が鳴り、列車はモスクワに向かって走り出した。

 最初のやや、比較的大きな振動の後、列車は徐々に速度を上げて、東に向かった。小刻みに揺れる列車は、ヨシエ自身の疲れと相まって、彼女を眠りの世界に誘った。

 意識が遠のいていく中、しかし、ヨシエは思った。

 「やっと、今回は、戦いの世界から解放される。アレクセイは今、どうしているのだろう。無事で元気でいるのかしら?いや、いや、何もアクシデントがなければ、無事で元気でしょうよ。元気で積極的な彼の性格といったこともあるし」

 そのように市中で思いつつも、眠気によって、ヨシエの意識は益々、遠のいて行った。

 「おやすみさい、アレクセイ。あと1日で、再会できるね。あと1日だけ待ってね」

とモスクワで待つのであろう夫・アレクセイに向け、2段寝台の下段の寝台で、天井になっている上段寝台の下部を眺めつつ、おやすみの挨拶をした。

 いよいよ、眠りの世界に引きこまれていくヨシエであった。

 列車は、時々、汽笛を鳴らしつつ、東欧の平原を東へと驀進して行った。

 

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