第14話 思惑

14-1 置かれた状況

 藤田と佐竹は、朴(ヨシエ)との面談というべき会話を終えた後、ヨシエを一旦、

執務室から大使館内の彼女の自室へと戻し、2人で今後の対ソ戦略について話した。その会話の中で、藤田は佐竹に言った。

 「佐竹中佐、あんた、陸軍幼年学校を卒業して、軍人として今の地位を確立したんだったね」

 「うむ」

 佐竹もまた、貧しい農家の出身だった。高等小学校を出た後、陸軍関係の学校に入学、その後、尉官、佐官と昇進し、現在はハンガリーの日本大使館での駐在武官となっているのである。

 佐竹にとって、貧しかった幼少期はあまり思い出したくない思い出である。しかし、軍人の仕事は国防関係であり、常に連合国軍(米、英、ソ等)とにらみ合っている状況であるので、戦争によって確立した大東亜共栄圏が半ば、さらに戦争を求めているといった状況では、軍人は重宝される、というか中心的人物と言うべき存在なので、それはそれでよい事であった。

 「しかし」

 と佐竹は内心、思った。

 日本国内では、最早、明治以来の大土地制度によって、搾取による農民からの不満を掻き立て、

 「社会」

 の不満が高まって来ていることを佐竹は理解していた。大使館に、日本国内での不満が高まっているという連絡も入っていた。そのことからも、窮乏化が進んでいることが理解できるのである。

 「中心」

 にあたる内地が崩壊すれば、最前線は何時まで保ち得るのか?

 「大日本帝国」

 の崩壊は、すなわち、佐竹の人生の崩壊と言わざるを得ない状況を作り出すだろう。佐竹は、とりあえず、すでに戦火の止んだ東欧にいるので、比較的に良い生活をしているものの、それとて、いつまで続き得るのか?

 佐竹によって、当面の問題は、現体制の維持による自身の立場の護持であると言えた。

 「護持」

 この言葉の下、日本の帝国陸海軍の軍人達は、明治以来の天皇を中心とした日本の

 「国体」

を護持するためにこそ、戦ってきたとも言える。日本が1931年(昭和6年)の満州事変以来、周辺の諸国への侵略を重ねることによって、成立した大東亜共栄圏は、1928年の米国発の大不況によって始まった世界大不況による国内の政治、経済の行き詰まりを打破せんとするものだった。

 しかし、結果として、大東亜共栄圏が成立してみると、その維持のために思い軍事費が減少することはなく、しかもそれが、

 「現状維持」

 のためなので、新兵器開発等には十分な予算が回らない、とも、聞いていた。

 先程、朴(ヨシエ)が持参した図面に描かれていたT54、T55には、これらの新戦車が100ミリ砲を搭載していることが示されていた。大東亜戦争以来、日本の陸軍の主力を担って来た97式チハの主砲は、基本的に58ミリ砲なので、T54、T55は2倍近くの火力を有していると言えた。

 物思い、というか、一種の「頭上演習」を行っていた佐竹は、更に「演習」を心中でつづけた。

 「T54、T55を装備するソ連陸軍が大挙して、満州国に押し入ったらどうであろうか。一挙に満州は壊滅し、朝鮮も危うくなるだろう。更に、そこから、日本本土への侵攻となると・・・・・」

 場合によっては、日本そのものも陥落してしまうかもしれない。佐竹は言った。

 「陛下御自身のお命も・・・・・」

 考えたくないことであり、又、あってはならないことであった。帝国陸軍の軍人として、許されない大失態である。

 「陛下に、申し訳がたたぬ」

 明治以来の体制が、佐竹をここまで、引き上げてくれた。佐竹にとっては、

 「自身」=「(明治以来の)日本体制」

 であった。

 世界大不況という一時的行き詰まりを打開するための措置としてなされたはずの大東亜戦争であった。しかし、

 「一時的措置」

 であったはずの戦争が、救うはずであった日本の

 「社会」

 をさらに苦しめていた。

 佐竹等が、大東亜戦争を戦っていた頃は、米、英への価値に乗じていたこともあり、

 「精神論」

 のみで、何とかなっていたようなところもあった。しかし、昭和17年(1942年)から14年も経過した今日では、人々の価値観も変わっているかもしれない。

 最悪の場合、-全く、考えたくない話ではあるものの-

 「革命」

 ということがありうるかもしれない。

 佐竹は軍人であると同時に、外交の現場たる大使館に配属されているので、軍事以外の情報等に接する機会は多い。軍事以外にも想像力を働かす、という意味では、

 「千里眼」

 的な才能を持っているのかもしれなかった。

 先程から、何かしら、真剣に考えごとをしているようにも見えた佐竹に、藤田が改めて声をかけた。藤田としては、軍の専門家が、ソ連軍の新戦車について、考える時間を与えんと、暫く、何も言わなかったものの、

 「反ソ謀略を今後、どうするかね?」

 と問うた。これが、本来、大使館として、取組まなければならないテーマのはずである。


14-2 謀略

 「オーストリアからの米ドルの持ち込みの件はどうなっているかな?」

 佐竹は問い返した。

 「既に、陸路で持ち込んである。大使館は法律上、日本の領土だ。外交官特権を生かして、取り調べ等も受けずに、持ちこむことができた。近日中に、例の『貿易会社』に運び込みたいんだが」

 藤田の回答に対し、佐竹がさらに続けた。

 「しかし、誰が運ぶんだ?」

 「朴が車が運転できるんなら、朴にやらせようか」

 「しかし、勝手が分かるかな?それに外交官特権もない彼女じゃ、ハンガリーの警察に逮捕されて尋問等されたら、あっさり、反ソ活動の内容を吐いてしまうかもしれない」

 確かに、その危険性はあった。軍事力でソ連に対抗し得ることが難しくなっている日本にとって、反ソ謀略は、大日本帝国という体制が内部から崩壊するのを防ぐ縦横な作戦であり、失敗はそれこそ、日本にとって重大なマイナスであり、又、ソ連による外交上の対日非難の材料になる可能性もあろう。

 なによりも、その契機として、現実に、現場で警察等にとがめられる可能性をのりこえなければならなかった。

 「やはり、朴に運転させるにしても、我々も行かねばならないだろう。外交官特権で以て乗り越えなければならないだろう」

 佐竹も同意し、

 「失敗しても、それこそ、外交官特権で以て、逮捕は免れるだろうからな」

 なお、朴(ヨシエ)がどのように、扱われるかは分からないものの、彼女は逮捕されるかもしれない。そして、

 「ソ連邦と同盟諸国を裏切ったスパイ」

 ということで、悲惨な扱いになっても、自分達には無関係である。

 「よし、近日中に、できれば、夜間、わが大日本帝国は、同じくソ連に不満を持つハンガリーはじめ、東欧諸国の味方であり、その関係の背後には米国もいる。反共産主義の同志として、共に対ソ戦を戦おう、と日本代表として彼らに呼び掛けられるようにしたい。先方にはすでに、日本大使館関係者が接触を求める可能性については、伝えてある」

 日本大使館としては、日本大使館員をひそかに「貿易会社」社員と接触させ、大使等についての必要最低限度の情報は与えていた。

 先程から、

 「謀略」

 について話し合っていた藤田と佐竹ではあった。

 しかし、藤田が話には一区切りついた、と言わんばかりの態度で、両手平で自分の両膝を叩いて立ち上がり、

 「よし、そろそろ、夕刻だ。朴も含めて、朴の役割への説明を含めた夕食にしよう」

 佐竹も同じく立ち上がった。藤田は自身のデスクに戻ると、机上の電話から職員に電話し、大使館内にて夕食にしたいが、朴も加えて欲しいから、部屋に呼びに行くように等の指示を出した。


14-3 夕食

 その日の夕食は、大使館の一室でなされた。円いテーブルを囲んだのは、大使の藤田、日本陸軍中佐・佐竹、藤田の妻・龍、そして、ヨシエ(朴)の4人であった。

 メニューは、米飯、味噌汁、漬物、焼き魚等であった。ヨシエにとっては、日本とは方角的に真逆の欧州にて、久し振りの日本食となった。作ったのは龍とのことである。ヨシエにとっては、思いもよらぬ結果となった。

 ヨシエは思った、

 「ソ連国籍となり、KGB将校となっても、身体は、やはり、日本人のままね」

 龍はヨシエに問うた。

 「朴さんは、東洋の日本食を食べるのは久し振りかしら?」

 「はい、ソ連はやはり、ヨーロッパの国ですね。日本領から、ソ連に国境を越えて、その後は、何かヨーロッパ的なものばかりになってしまいました。ですので、とても、懐かしいです」

 これは、ヨシエにとって、事実であった。

 「そうでしょうね、何か、国境って不思議な線ね」

 「不思議な線?」

 龍は言った。

 「昔ね、物語の絵本で、外国に行って、日本以外の国で生活してみたいと思っていた。だけど、主人の仕事の関係で東欧に来たけど、来てみると逆に何だかに日本食が恋しくなってね。『国境』がなければ、もっと、自由に色々動けるような気がする」

 夫の正志が話をつないだ。

 「まあ、私も、日本が懐かしくなることも多くてね。こうして、日本食が口にできるとうれしくなる」

 佐竹が意見を述べた。

 「しかし、大東亜戦争に勝利して以来、わが国はまだ非常時だ。米飯が食べられるのは贅沢だし、感謝すべきだ」

 ヨシエは内心、思った。

 「確かに、米飯は贅沢なのよ。だけど、汗水たらしている農民は、自分で作った米も口にできない。自身は軍人として特権的地位にいるくせに、お説教みたいに『贅沢』だなんて、何てことかしら」

 ヨシエは、いつもの如く、表情を変えずに、内心である種の憤りを口にした。

 藤田が言った。

 「内地が苦しい中、少なくとも米飯が口にできる我々は感謝すべきだ」

 再び、ヨシエは心中にてつぶやいた。

 「感謝?何に?現在の日本の体制?それとも、汗水たらしている農民たちに?」

 ヨシエが祖国・日本を棄てる時、土地登記書と印鑑で以て破滅させた篠原も、きっと、

 「体制」

 には感謝していただろう。しかし、

 「農民」

 すなわち、現場での農作業の労働者たる彼等、彼女等には、感謝など、まるでしていなかったであろう。

 農作業の労働者たる彼等、彼女等は、篠原にとっては、単なる

 「食料生産手段」

 というべき、書類上で計算されるべき存在でしかなかったに違いない。

 ヨシエは改めて、思った。

 「おお威張りだった篠原のおっさん、今頃、どうしているだろうか。大連で妙ちゃんに書いた手紙のようになっているのかしら?」

 同席の佐竹が焼き魚に箸をつけつつ、口を開いた。

 「だから、今の体制が護持されなければならない」

 ヨシエはさらに、心中にて、つぶやいた。

 「やはり、現行の体制によって自分の立場がある以上、今の体制を守ろうとしているようね」

 この点は、ソ連の一員としてのヨシエと同じであろう。互いの

 「自己防衛戦」

 がいよいよ、顕わになって来た感があった。

 佐竹は軍人である以上、おそらくは、体制という組織を個々人よりも優先する志向、思考になっているのであろう。

 その意味では、佐竹もまた、農民たちを篠原と同じく、

 「食料生産手段」

 すなわち、半ば、書類上で計算されるべき存在としてしか位置付けていないと思われた。

 ヨシエは内心でさらに続けた。

 「『内地』がどんどん、苦しくなって、体制にそっぽを向き出したら、どうなるのかしら?あなたが感謝すべき体制はそれ自体、おかしくなりつつあるのよ」

 冗談でも嘘でもない、生活者としての元・日本人として、現場で様々に出会った実体験なのであった。

 「しかし、藤田さん、あなたは、東京帝大を卒業して、高等文官試験に合格して、外交官の道を歩まれたんだよな。頭の悪い俺には及びもつかない存在だよ」

 佐竹はなぜ、突然、こんなことを言ったのか。しかし、日本では女学校中退の学歴しかなく、同じく、 

 「頭の悪い」

 ヨシエにとっては、初めて見る大日本帝国のエリートとなった。

 佐竹の先の台詞は、道は違えど、我々はエリート組だ、という意味なのか、それとも、超エリートというべき藤田への何かしら嫉妬だろうか。

 「まあまあ、しかし、みんな、生活は苦しいよ」

 日本本土から来る連絡等で、配給制度は機能不全になりつつあり、警察官、検事、判事といった

 「法の番人」

 でさえ、闇物資に手を出しているらしい、と話した。このことはヨシエにも想像に難くない話であった。

 藤田は昨今の生活苦に上も下もない、ということで、佐竹をなだめようとしたのだろうか。

 龍がヨシエに話しかけた。

 「朴さんは、久し振りの日本食の味はどうだったかしら?」

 「とてもおいしいです」

 このこと自体は、嘘でもなんでもなく、この場での現実である。

 佐竹が、龍について言った。

 「龍奥さんは、華族のご出身なんだ。由緒正しい血統なんだ。上品な良い日本女性だ」

 龍は、恥ずかし気にうつむき、微笑した。

 「素晴らしい奥様ですね」

 ヨシエはしかし、内心では、別の台詞を口にした。

 「華族か。きっと、庶民が米も半ば口にできない苦しみ等を理解できないんじゃ何かしら?」

 龍が言った。

 「しかし、私達、華族も、内地での生活は苦しんです。だけど、飲まず食わずで戦っている皇軍兵士の皆さんに比べたら、愚痴なんか言えたものではありませんわ」

 内地でよく聞いた台詞である。龍が本心で言っているのか、それとも、外交官の妻という立場からの建前なのかは定かではない。しかし、所謂「エリート」層まで、生活が苦しくなっていることは確認できた。大日本帝国の現状を確認し得る重要な情報であるとも言えよう。KGB少佐として、1つ、点数を稼げたかもしれない。

 任務でのこととはいえ、久し振りの日本食を楽しめたヨシエであった。

 「奥様、今日はありがとうございました。ごちそうさまでした」

 「お粗末様でした」

 ヨシエは、台所の場所を聞き、自身の食器を片付けようとした。

 「あ、いいよ、それは龍が片すから」

 そう言うと、ヨシエはを自室に戻した。 

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