第12話 ブダペスト市内
12-1 「現場」へ
タクシーに乗ったヨシエは、運転手に指示し、
「攻撃目標」
となる貿易会社の近くまで、タクシーを走らせた。
ヨシエにとっては、初めて、見る東欧の都市の風景である。石造りの建物が多く、まるで、幼い頃、何かの絵本で見たおとぎの国に来たようであった。ヨシエは、タクシーの車窓から外の風景を眺めつつ、かつての日本の風景を思っていた。
日本の、例えば、下町等は、木造の家屋が多い。しかし、東欧の最前線たる東独(ドイツ民主共和国)の首都・ベルリンが米、英軍の爆撃と赤軍(ソ連軍)の陸軍部隊が、ナチ軍と激戦と戦わしたことによって、瓦礫の山になり、街には死臭が漂う廃墟と化したということを、既に日本国内にいる時、新聞報道で知っていた。ベルリンもブタペストと同じ欧州の市街だから、破壊された建物の建材等の石材が転がり、あちこちに戦死者や戦闘に巻き込まれた市民の死体が無造作に転がっていたのだろうか。
「戦勝国」
となった日本は、空襲や地上戦を本土にて経験していない。1942年(昭和17年)の実質的な戦勝以降、
「皇軍に感謝せよ」
「白人支配を許さぬ無敵皇軍」
ということがよく言われ、新聞報道等でも、それを強調する記事、社説が掲げられていた。東京等で見られるポスターにも、それは、下町、「繁華街」-といっても、何でも、軍優先という体制の下、多くの店舗は営業休止になる等、最早、「繁華」という言葉にふさわしい場所が何処にあるのか、分からないのだが-等を問わず、見られるものであり、
「無敵皇軍」
等のスローガンが掲げられていた。その、
「無敵皇軍」
のため、質も量も薄弱になって行く大日本帝国であった。
それらの意味で言えば、あるいは、ヨシエ自身の生活者としての実際の経験で言えば、-反ソ感情が高まっていると聞いているとはいえ-東欧の方がはるかにまともに思えた。
同じ時代を生きている
「日本」
という
「社会」
が、政治的自由がないのは、ソ連、東欧圏と同じではあるものの、それのみならず、日本は経済も破綻していた。篠原、山村の態度、「三田商店」、本数の減るバスやタクシーといった実態が具体的事例である。
走るタクシーの後部座席にて、外を眺めつつ、ヨシエは思った。
「無敵皇軍も経済が破綻して、補給が続かなくなったら、いつまで、『無敵』でいられるかしらね」
ヨシエは大日本帝国に反逆し、国籍もソ連に変えることによって、それまで、当然の体制であった
「祖国・日本」
の外側に出たのであった。外に出たことによって、それまでとは異なる視点を身に着けることができたと言えた。
「今までの人生って、何だったのかしらね」
ヨシエは、心中にてつぶやいた。
「祖国・日本」
は、それまで、ヨシエ(芳江)にとっては、彼女自身にとって、何の疑問を抱くことのできない
「常識」
であった。しかし、その「常識」の外に出てみると、何が
「常識」
たるべきか、さっぱり分からなくなってしまった。ヨシエは、
「無敵皇軍」
「大東亜共栄圏護持」
のために、10代の青春を捧げて来た。しかし、生活は、少しも良くならない。なんだか、ペテンにかけられてきたような状態である。
無論、
「無敵皇軍」
「大東亜共栄圏護持」
のようなスローガンに疑問を持ち、異を唱えれば、どんな仕打ちに遭うか、分かったものではなかった。ヨシエ(芳江)等のような、大日本帝国という歯車の部品は、異を唱えることのできない無魂の存在であった。
それでも、日本の内地では、新聞報道で報じられてるような、火の海、瓦礫の山にならなくて良かったと、多くの人々は思ってるのであろう。学校でも、教師によって、そのように教えられて来た。
ヨシエが山村家で女中だった時、近所の子供たちが戦争ごっこで、
「皇軍大勝、正義の大日本帝国」
等と叫んで、空き地で遊んでいるのを見かけることもあった。子供たちにとって、最も身近な大人の世界は、学校なら教師だろうから、それを模した世界になっていたのであろう。
ガキ大将らしき男児が
「将軍」
「司令官」
等の役となり、それ以外の子が
「兵士」
になっていたようであった。敵役たる米、英軍役には、気の弱い子等があてがわあれていたのかもしれない。そうすることによって、常に
「皇軍大勝」
を模することができるようになっていたのであろう。それは、子供たちの世界の中で権力者であった
「ガキ大将」
によって、彼の都合次第に演出された
「勝利」
だった。子供の世界にも強者による弱者への支配と抑圧がなされている姿でもあった。
こうした状況を、大人たる親はどのように見ていただろう。
「兵士」
「敵軍」
等の役をさせられている子供たちの親は、怒りを感じていただろうか?それとも、子供のことだからと、放置していただろうか?
しかし、
「『敵軍』の勝利」
「兵の反乱」
等は、大人の世界でも全体の
「理念」
とされている
「大日本帝国の正義」
に相反するものであり、許されないものである。
そうである以上、やはり、子供が不満を口にしても取り合わないか、あるいは無理にでも理由をこじつけ、
「お前らも、大きくなったら、天皇陛下から下し置かれた38式歩兵銃を担いで、皇軍兵士の一員になるのだから、今から、演習だと思って、耐えなさい」
等と、子供世界の権力者たる「ガキ大将」の肩を持つのだろうか。
しかし、そうは言っても、窮乏化していく日々の生活に悩み、頭を抱えているのが現実ではないか。
そうした現実故に、子供同士の悩みにまでとりあっていられないのかもしれない。或いは、大人の世界の権力たる
「(特高)警察」
等も怖いであろう。
そして、子供たちもいつまでも子供のままではない。やがて、生活の苦しさという現実から、親世代と衝突し、家庭内での反乱、親子戦争といったことも起こるかもしれない。
そうなれば、明治以来、大日本帝国を基層で支えて来た「家」制度も崩壊を起こし、基層からの大日本帝国の崩壊となろう。
そんなことを考えていたヨシエではあるものの、タクシーは現場付近に着いたようであった。
運転手がタクシーを止めたことによって、ヨシエは、現場付近を下見する、という現在の任務の現実に戻された。
12-2 下見
「スパシーバ」
ソ連大使館への時と同じく、ロシア語で礼を言うと、ヨシエは料金を払い、タクシーを降りた。去っていくタクシーを見送りつつ、ヨシエはつぶやいた。
「さてと」
作戦現場となる貿易会社付近を下見に来たヨシエであった。
ソ連大使館で説明された通り、一本の大通りがあり、正面のT字路には重厚な感じの石造りの建物がある。例の反ソ活動の重要拠点である貿易会社である。そこに続く通りの両脇にも重厚な石造りの建物が並んでいる。
ヨシエは、一本道の終点であり、貿易会社があるT字路まで、ゆっくりと歩いてみた。
駐ハンガリー日本大使・藤田正志と駐在武官・佐竹勇雄の2人を後部座敷に乗せ、ヨシエが運転する形で、事故に見せかける形で、車を突っ込ませれば、事故のふりをして2人の大日本帝国重要人物を始末し、又、反ソ活動の拠点を壊滅できる可能性があった。しかし、ヨシエ自身は、その直前に、運転席から飛び降り、脱出せねばならないのは言うまでもないことである。
ヨシエは再び、内心でつぶやいた。
「私は、私を苦しめた大日本帝国を棄てた。棄てた相手と心中する気なんかないのよ」
事故に見せかけるためには、勿論、人通りがほとんどないであろう深夜、猛スピードで正面の貿易会社に車を突っ込ませるのが良いであろう。しかし、ヨシエは、機を見て、素早く、かつ安全に、脱出せねばらない。
「安全に脱出するには」
ヨシエは心中でつぶやいた。
「やはり、大きな通りとこの一本道が交わる十字路で、覚悟を決めて脱出すべきね」
「大日本帝国との心中」
が嫌ならば、これは必須の話である。
軍の演習場で、終点というべき場所に安全用プールを設置した一本道で公用車をも猛スピードで運転した訓練の成果を発揮すべき時が近づきつつあるようであった。
歩いて、「貿易会社」に近づいていたヨシエは、改めて、それまで歩いていたのは逆方向に、やはり、ゆっくりと歩いてみた。この一本道は全長として、約1キロメートル強であろうか。ところどころ、幅の広い通りが垂直に交わる十字路がある。これらのいずれかにて、暴走車の運転席から飛び降りる形で脱出せねばならない。しかも、藤田、佐竹の2人に脱出の機会を与えないようにしなくてはならない。
結局ヨシエは、貿易会社から150メートル又は250メートルほどの場所にある幅広ろい通りと交わっているいずれかの十字路にて脱出することにした。
「さて、そろそろ、大日本帝国に『亡命』しましょう」
頭上演習を行っていたヨシエは、ソ連大使館で教わった日本大使館に向かった。
12-3 街中
「私は、これから亡命者・朴玉麗」
ヨシエは、改めて、自分の立場を心中にて反芻した。
KGB少佐になって以来、以前よりは、自分のドジぶりが改善されたように思われる。しかし、それでも、何かドジな自分が怖いのである。
日本大使館に向かうヨシエの右手の鞄には、新鋭戦車T54、T55の図面が入っている。鞄の中身については、ソ連大使館を出る前に確認した後、離さずに鞄を持っていたので、図面をどこかに忘れる等の問題は無いはずである。
しかし、それでも、どこかでドジをしていたら、という思いから、脇道の路地にでも入って中身を確認しようか、とも思った。だが、そうはしなかった。
かえって、
「不審な行動をしている」
と現在の祖国・ソ連邦から監視されているような気がしたのである。
ハンガリー人民共和国の首都・ここブダペストでも、そこここにスターリンの肖像画や銅像がソ連国内同様に掲げられ、又、立っている。何らかの形でのここも監視体制がなされているのであろう。
そう思うと、それこそ、
「不審な行動をしている」
と思われる行動は避ける方がヨシエにとっては安全とも思われた。それがここでのヨシエにとっての
「自己防衛戦」
でもあろう。
改めて、石造りの建物が多いブタペストの市街である。
「おとぎの国」
はある種のフィクションであり、物語である。その
「おとぎの国」
のなかにいるヨシエは、誰かが演出した物語という巨大な歯車の中に置かれた物語の部品なのかもしれなかった。
こうした状況は日本時代から続くことではあるものの、歩きつつ、ヨシエは思った。
「部品はどこまでいっても、『部品』でしかないのかしらね」
しかし、そうは思いつつも、橋田至誠殺害以降は、自分の意志でソ連体制の一員になったことも事実である。その結果として、以前より良い生活を手に入れ、新たな家庭も手に入ったのである。
「主演女優とまではいかないかもしれないかもしれないけど、できるだけ、良い『役』を得られるようにしたいものね」
と、ヨシエはさらに心中でつぶやいた。
「部品」
であっても、それなりの意地があるのだ。
「ここまで来て、おちこぼれてなるものですか」
そう思いつつ歩いているうちに、大日本帝国大使館らしき建物が見えて来た。先程から自身の作った世界、或いは「おとぎの国」の中にいたヨシエは
「しっかりしろ、朴玉麗!ドジで、身を滅ぼしなさんな!」
と心中で強めに言うと、その建物に向かって行った。
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