第10話 ブダペストへ

10-1 車中

 ヨシエは、ブダペストに向かうモスクワ発の国際列車の中、ある車両のコンパートメントの中にいた。いよいよ、ハンガリーの反ソ勢力の壊滅のために、動き始めたのである。

 ヨシエがKGBにて少佐に任官して以来、すでに半年ほどが経ち、6月になっていた。

 ヨシエが眺める車窓の外側には、ウクライナの平原が広がっていた。山の多い地形である日本では、まず見られない風景である。

 今回の任務は、勿論、亡命を装っての秘密工作というべき任務なので、少佐の軍服は着用していない。民間人を装った平服である。こんな衣服を着用していると、ヨシエはそれこそ、どこにでもいるような年頃の若い女性である。

 時刻は夕刻となり、日が沈みつつあった。コンパートメント内の天井には、電灯が灯った。時折、機関車の警笛が聞こえる。レールの上をは走る車両の音を聞きつつ、ヨシエはこれまでのことを思い出してみた。

 射撃訓練、危なっかしい自動車運転訓練等、元来がドジなヨシエのことである。

 「我ながら、よくもまあ、訓練中に事故など起こさなかった」

 とヨシエは思った。やはり、

 「粛清」

 におびえつつも、人生最良の現在の生活を守りたい、と思っているのだとろうか。

 そのように思いつつ、

 「CCCP」

 の文字が入った自身のパスポートを改めて開いてみた。ヨシエの氏名は

 「ヨシエ=クツーゾネフ」

 に変わっていた。ヨシエは、3歳年下の軍少佐・アレクセイ=クツーゾネフと結婚したのである。

 アレクセイは、自身と同じ「少佐」の階級ということもあって、これまでにも近づきやすい関係にあるようには思われていた。しかし、それのみならず、地下鉄で偶然出会ったり、家庭菜園の畑で出会ったりと、何かしら、ウマが合う、或いは、それ以上の近しい関係を感じさせられるものがあった。

 そもそも、ヨシエは、なぜ、アレクセイとなぜ、ウマがあったのだろうか。アレクセイが色々と、彼女の話を聞いてくれたからかもしれない。

 ヨシエは最早、母・初江には再会できないだろうし、父も全く行方不明である。半ば、天涯孤独となった彼女の前に現れた唯一の肉親(となり得る人物)であったとも言えた。アレクセイも独身であることから、人生のパートナーを求めていたのかもしれない。 

 それらの意味で、両者には、ウマが合う条件があったとも言えた。

 ヨシエは、アレクセイを自宅に招くようになり、アレクセイも自宅にヨシエを招くようになり、互いの往来の頻度は増して行った。互いの部屋で、一緒に食事を作り、食べるのは楽しかった。

 ヨシエにとっては、初めて楽しめる家庭生活と言っても良かった。アレクセイにとっても、人生の新たなパートナーが見つかったことは喜びのようであった。

 ヨシエにとっては、パートナーとのコーヒーは、いつもの1人で飲むコーヒーよりも、美味に感じられた。アレクセイとの談笑が味を良くしてくれたのかもしれない。

 そして、その後はゴールイン、すなわち、結婚したのであった。

 新たな結婚生活のスタートではあるものの、2人の間には、まだ、子供はいない。いずれ、生まれるのかもしれない。どんな子供になるのだろうか?少なくとも、ヨシエが日本の実家で味わったような、或いは、ヨシエが10代後半から、つい最近まで味わったような人生は歩ませたくないものである。

 そうであるからこそ、粛清されるようなことは、なお一層、あってはならないのである。

 勿論、今回の作戦のため、モスクワの自宅を出る前、夫のアレクセイには、作戦内容、すなわち、ハンガリーでの反ソ勢力壊滅の任務、場合によっては、危険があること等を説明した。

 アレクセイは渋い顔をしていたものの、ヨシエの立場を了解してくれた。というよりも、彼もまた、ソ連という巨大の歯車の一員であり、一部品である。

 「了解」

 以外の回答はないのである。この列車に乗る前、自宅マンションの玄関にて、

 「一旦、お別れ」

 の意味のキスをし、その後、乗り場になる駅への道中を途中まで見送ってくれた。そして、アレクセイと別れたヨシエは、そのまま、ブタペストに向かうこの列車に乗ったのである。

 ヨシエは、自身のソ連国籍のパスポート以外に、さらに別のパスポートを持参している。

 「亡命者」

 たる

 「朴玉麗」

 の大日本帝国のパスポートである。

 無論、ヨシエは、朴玉麗が実際に、どんな女性であるかは知らない。嵐の日、ソ連沿岸部に漂着し、ソ連側に保護された後、ソ連極東の沿岸部にて暮らしていたものの、その後、彼女は、どこかへ姿をくらましたとも聞いた。

 しかし、なぜ?最早、とにかく、どの国、体制の一員でもない存在になりたかったのであろうか?それとも、漂流民を装った日本側のスパイだったのであろうか?考えてみると、色々と思い浮かぶ。 

 「いや、いや」

 ヨシエは、心中でつぶやき、思い直した。

 「とにかく、今は、自分の任務に集中しないと」

 心中にて、そのように言うと、改めて、今回の自身の任務の内容について、おさらいを始めた。


10-2 頭上演習

 ヨシエは、頭中で、今回の作戦内容をまずは、整理してみた。

 上官のカピッツアは、任務内容について、

 「反ソ組織の壊滅は、勿論だが、その背後にある日米合作というべき反ソ活動への支援の実態について、探ってもらいたい」

 というものだったはずである。

 ハンガリーをはじめ、東欧のソ連衛星国たる各国において、反ソ活動が盛んになれば、ソ連の勢力は弱体化する。そのため、ハンガリーの隣国であるオーストリアにて、日米両国は、双方の大使館等を通して、互いに連絡を取っているらしい、とのことであった。

 その実態として、ハンガリー国内への米ドルの持ち込み、その米ドル等によるハンガリー軍将校の買収、反ソ組織への支援等が挙げられるという。

 ブダペスト市内で、そうした活動を行っている拠点は、数カ所あるものの、中でも、重要な拠点の1つが、市内のあるT字路正面に存在するある建物と説明され、その建物を撮った写真等も渡されていた。

 日本にはあまりない-当然と言えば、当然だが-石造りの立派な建物である。表面的には国際貿易会社であり、外国人の出入りも珍しくはない、とのことである。それ故に、資本主義圏諸国からの接触拠点なのだという。

 ハンガリー人民共和国政府、警察当局としても、不審な動きは察知していたものの、関係者をまとめて壊滅させる機会を狙って、また、全容を出来るだけ把握すべく、敵に油断させつつ、それまでは、泳がせにしていたのだという。

 カピッツアによれば、今回、の作戦の主目的としての反ソ勢力壊滅を、なるべく、交通事故を装って、建物内の関係者、また、日本のエージェント等を壊滅させてほしいとのことであった。

 カピッツアの説明によれば、この建物まで、ほぼ、数100メートルのまっすぐな一本道なので、それを利用して、車を突っ込ませ、事故を装う、勿論、車が建物に激突する前に、機敏に自身は脱出するように、とのことであった。

 軍の演習場にて、一本道を黒塗り公用車で猛スピードで突進する訓練をしたのは、このためだったのである。

 なかなか、危険な任務である。しかし、完遂しなければ、アレクセイとの再会もままならないかもしれない。やっと、手にした温かい家庭を失いたくなければ、任務を全うせねばならないだろう。

 ヨシエは、心中にて、先程からの「頭上演習」を総括し始めた。

 「ブダペストに着いたら、私自身のパスポートをソ連大使館に預けたうえで、現場の構造を見に行きましょう。猛スピードで走る車から脱出できる脇道等も数カ所、確認しておくべきね」

 さらに、今回の作戦に当たって、重要人物となるのは、誰か?

 当然、日米両国の工作の指揮者であろう駐ハンガリー大使・藤田正志と日本陸軍中佐にして駐在武官・佐竹勇雄と思われた。

 ヨシエに与えられた作戦期間は約1~2か月であった。その間の必要経費はハンガリーの銀行にルーブルで、ソ連大使館を通して入金しておく、とのことであった。

 ヨシエとしては、与えられた作戦期間中に藤田と佐竹を始末する機会を見つけるためにも、上手く、この2人に取り入らねばならなかった。

 どのように、取り入るのか?

 これについては、ソ連大使館にて、説明されるとのことであった。

 ヨシエが 

 「頭上演習」

 をしている間に、外はすっかり暗くなっていた。ヨシエは、自分の左手首につけた腕時計を改めて見てみた。既に、時計の針は

 「9時30分」

 を指していた。

 「21時30分か」

 ヨシエは、KGBという軍事的組織の関係者らしい時刻表現をすると、

 「とにかく寝ましょう」

 そのように、自身で自身に言い聞かせると、コンパートメント内の自身の寝台に潜り込んだ。

 

10-3 ブタペスト着

 モスクワからブダペストまで、2泊3日の旅であった。スーツケースを引くヨシエは、そのまま、駅を出て、ソ連大使館に向かおうとした。

 といっても、ブタペストは初めての土地である。当然の如く、土地勘もなかった。さらに、ハンガリー語は分からない。しかし、ただ1つだけ、ほぼ、確実なことがあった。

 「監視」

 である。ヨシエは、今回の作戦の成否を握るエージェントであるソ連当局としても、ヨシエの動向を、駅を出たところから、監視しているかもしれない。

 とにかくも、ヨシエは道中にて、タクシーを拾い、ソ連大使館に向かうよう、ロシア語で運転手に指示した。

 走り出したタクシーの中で、運転手氏は、かつての神戸の時と異なり、何も話しかけてこない。ヨシエが、乗車時から何かしら緊張した面持ちだったのかもしれない。任務と立場だけに、ヨシエは神戸の時以上に、自然と緊張した、あるいは、他人の発言を受け付けない表情になっていたのかもしれない。

 あるいは、運転手氏もロシア語で話した相手に対し、迂闊に何か口にすれば、自身への危険がふりかかるかもしれない、と考えていたのかもしれない。そうだとすれば、ヨシエ同様、立場は異なるとはいえ、彼なりの

 「自己防衛戦」

 を行っているのであろう。

 タクシーは、ブダペスト市内を30分程、走ったところで、ソ連大使館前に着いた。

 ヨシエは、料金を支払い、

 「スパシーバ(有難う)」

 とロシア語で言うと、タクシーを降りた。

 正面玄関から、大使館内に入り、受付係にモスクワからのKGB少佐であることを話した。

 受付係はヨシエを中に案内し、ある部屋の前で止まった。、扉をノックし、扉の向こうにいるのであろう大使に向かって、

 「同志大使、KGBのヨシエ=クツーゾネフ少佐が参りました」

 男性の声がした。

 「どうぞ」

 同じく

 「どうぞ」

 と受付係は言うと、扉を開き、ヨシエを中に通した。

 大使は、部屋の奥の壁を背に、扉に向かうように椅子に座り、正面のデスクの上で、手を組むかたちにしていた。背後の壁には、おなじみのレーニンとスターリンの肖像画が掲げてある。

 大使は、自身の正面の机の前にある椅子に座るように促した。

 

 

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