第9話 日常

9-1 家庭菜園

 「さてと」

 休日のヨシエは、マンション近くの自身の家庭菜園に来ていた。計画経済が採られているこのソ連では、国営商店の商品のみでは、必ずしも、生活物資が充足できない、あるいは、その可能性があるのである。日本の現状よりもまともと言えるかもしれないものの、人々は必要な、或いは必要と思われるような生活物資を自給する習慣を身に着けていた。

 ヨシエが良く行く

 「自由市場」

 での物資もそうした家庭菜園等で栽培されたものが販売され、人々の収入の一部にもなっているのであった。

 ヨシエも、自由市場に行きつつも、自身で必要と思われる野菜等を栽培するようになっていた。

 ヨシエのこの小さな家庭菜園は、近所の地区共産党委員会に申し出ることによって、借りているものなのである。そうすることによって、

 「社会」

 は、それぞれ、持ちつ持たれつの関係を構成していた。

 土地を借りている、という意味では、ヨシエは日本時代同様、

 「小作人」

 であるともいえる。しかし、借り代はさほど高いものではない。KGB将校としての給与からすれば、苦になる額ではなかった。

 今日のヨシエはモンペ姿である。このモンペのみが、今では、唯一、日本時代から続いている私物であると言っても良かった。それこそ、小作農家出身の彼女に、母・初江が作ったものだった。

 ヨシエとて、1942年の大東亜戦争の実質的勝利以来、権力の側から規制が、多少の緩くなった当時の日本の

 「社会」

 において、時には、スカートを履く等、ギリギリの贅沢はしたものだった。唯一可能な自己主張だったと言えるかもしれない。

 しかし、何事につけても物資が窮乏化している日本の内地では、モンペも貴重な衣類の1つであった。作業着でありながら、ぞんざいには扱えない存在だった。

 それ故に、ヨシエと共に、ソ連に来てもなお、生き続けていると言えた。

 小作農の実家⇒零戦製造工場⇒山村家⇒篠原家と、どこへ行くにもほぼ、常時、モンペ姿のヨシエであった。

 モンペは、ヨシエの抑圧された姿に常々、ついて廻っていたことから、苦しい生活の象徴であると言っても良かった。

 しかし、今や、将校用の制服を支給され、数着の私服も入手出来ていた。最早、モンペは文字通り、単なる生活の一時を共にするのみの作業着となっていた。

 畑を耕しつつ、ヨシエは思った。

 「小作人の象徴たるモンペを履きつつも、初めて、実質的に小作人じゃなくなったわね」

 小作農家の実家では、働いても、働いても、生活は少しも良くならなかった。

 何かに怒っていたかのように押し黙っていた両親の表情が、またしても脳裏に蘇った。 

 現在のソ連での生活と日本の過去を、半ば唯一結んでいるモンペを履いているからだろうか。

 両親はまじめに働いていたのに、報われない当時の体制-それは今日も続いているのだが-に怒っていたに違いない。

 野菜という作物は、無論、生き物であり、真面目に耕作していれば、成長という形で答えてくれる。それは、日本とて変わらぬことである。

 しかし、地主による小作人への収奪が明治期から続き、戦時体制下でなお一層、それがひどくなった日本では、作物達は、育ててくれた農民に対し、その喜びを報いることは、殆どできなくなっていた。否、出来なくさせられていたのであった。

 そんなことを思いつつ、ヨシエは母・初江のことが改めて気にかかった。

 「父さんが応召した後、私もいなくなって、独りぼっちになってしまったんだな。1人だけなら、地主に小作料をとられても、まだ、何とか自給自足できているのかな?」

 最早、ヨシエにとっては、母・初江は自身の中の想像上の存在でしかなかった。

 「母さん、今頃、どうしているのかな?」

 ヨシエは改めて思った。

 地主による収奪に加え、軍への供出も続いている昨今の日本の内地である。

 たとえ、倉本家が初江ひとりになったとしても、生活の苦しさは、改善されていないかもしれない。否、されていないと結論する方が妥当な線であろう。

 初江は、都市に出て、工場に勤務するという、それこそ、娘の芳江(ヨシエ)のように工場労働者としての経験もないので、農村から逃れるということも出来ないのかもしれない。

 ヨシエは、作物達に水を与えつつ、自身の心情に耽溺していた。それは、次第に怒りの表情となって、表面化して来た。

 女学校時代も、零戦製造工場時代も、

 「足らぬ足らぬは、工夫が足らぬ!」

 のポスター等の標語の下、

 「お前等だけが苦しいんじゃない、皆が苦しいんだ!弱音を吐く奴は、自分のことを優先する甘えたやつだ!」

 と怒声を浴びせられ、叱責され、時には平手打ち迄、見舞われる始末であった。

 「だけど」

 憎しみの心中にて、ヨシエはつぶやいた。

 「それらって、本当に叱責?苦しくなるばかりの生活の中で、大東亜共栄圏の意義って、何なのさ!?」

 ヨシエは自身の畑の盛り土に鍬をぶつけ、怒りの表情を半ば全身で顕わにした。

 背後から、声がした。


9-2 会話

 「同志クラモト少佐」

 「!?」

 背後からの声に、ヨシエは我に返った。振り向くと、日本語教師として、日本語を教えている軍少佐・アレクセイがいた。

 「どうされたんですか?」

 「え?」

 「さっきから、鍬を右手に握ったまま、左手の拳を握りしめつつ、突っ立っていた挙句、鍬を力任せに、盛り土に打ち付けたからね」

 どうやら、ヨシエは怒りの感情に支配され、周囲が見えなくなり、自身の行動がコントロールできなくなっていたようであった。

 改めて、周囲を見回してみると、数家族連れを含め、10数人の人々が各々、自身の家庭菜園に来ていたのであった。その多くが、何かしら、不審げな表情で、ヨシエの方に視線をやっていた。

 勿論、ヨシエは理性が吹き飛んでいたので、全く気付かなかったのだろう。しかし、周囲からは、かなり不審な姿に思われていたに違いない。

 周囲を見回したヨシエは

 「すみません」

 と一礼して、周囲に詫びた。それを確認した人々は、また、各自の作業に戻った。

 「どうされたんですか?」

 アレクセイは、改めて、ヨシエに問うた。

 「ごめんなさいね、ちょっと、色々、思うことがあって」

 アレクセイは

 「近くのベンチに行って、休む?」

 と提案した。ヨシエは同意し、2人は傍のベンチに行き、並んで腰を掛けた。

 「ごめんね、みっともない姿を見せてしまって」

 「いえいえ、でも、何があったの?」

 2人は、いつの間にかKGB将校と軍将校という立場の違いにとらわれず、会話を交わしていた。あるいは、KGB-軍の違いはあっても、同じ少佐の階級なので、以前、日本語教室にて話した時から、何か、垣根は低い、と感じていたのかもしれない。

 「クツーゾネフ、貴方も家はこの辺りなの?」

 ヨシエの問いに、

 「少し遠いけどね。まあ、この近く。僕も、小規模だけど、地区の党委員会から土地を借りて、家庭菜園をしているよ」

 「食料とかが不足しているの?」

 「と言うより、まあ、育てたら、作物はその分は答えてくれるからね。そのことが嬉しい。自分の家族みたいなものさ」

 「貴方は、自分の家に家族はいないの?」

 「独身、まだ、28歳だよ」

 先程、ヨシエに怒りの感情を沸かせたのは、育てた作物に報いてもらえないという日本の現状についてであった。

 ヨシエは感情を落ち着かせつつも言った。

 「そうね、作物は何も言わないけど、育てたら、それなりに応えてくれるものね」

 ヨシエはKGB少佐として、ある種、

 「強い人物」

 「強い女性」

 たらねばならない立場にあった。それが、

 「優秀な歯車」

 の代名詞でもある。それでも、どこか、誰かに甘えてみたいという、弱さをも同居させた存在であった。1人の人間として、女性として、当然のことなのであろう。

 ヨシエは様々なものが入り混じった感情がこみあげて来たらしい。少し、涙ぐんだ。

 「どうしたの?」

 友人か彼氏のように、アレクセイが気を遣った。

 「ううん、何でもないの。それよりもう、畑に戻りましょう。私達の大切な家族が、私達が世話してくれるのを待っているわよ」

 「そうだね、さ、戻ろう」

 「あ、それと」

 「何?」

 ヨシエが言った。

 「日本語教室での勉強について、しっかり、予習、復習しといてよ。ソ連軍将校としての任務を忘れないで」

 「了解!同志少佐」

 アレクセイは笑顔で返答した。

 「さ、畑に戻ろう!」

 ヨシエはわざと声に出して言い、畑に戻った。その日は夕方5時頃まで、畑仕事をした後、ヨシエは自宅マンションに引き上げた。


9-3 帰宅後の「声」

 KGBはソ連体制において、ソ連軍(赤軍)をソ連共産党の党軍たらしめるべく、創設当初から、

 「(ボルシェビキ、共産)党の目と耳」

 として、軍に対する監視役を重要な任務の1つとしていた。その意味では、KGB-軍は対立的な立場でもある。

 ヨシエが、日本語教室の件を持ち出して、少々、アレクセイに対して、対立的立場というべき、KGB将校的な言動をしたのは、それこそ、日本語教室では、立場の違いを超えて、私情に流されてはいけない、と思ったからかもしれない。

 ヨシエは、いつもと同じく、おなじみのコーヒーカップで、自身の淹れたコーヒーを飲みつつ思った。

 「日本にいた時のつらい思い出がよみがえっちゃたけど、良い出会いもあったね」

 ヨシエ自身、モスクワに来てから、まだ、これといった親しい友人はできていなかった。モスクワに至るまで、いつも孤独だったと言えるかもしれない。

 日本では、ただ生きるために、-というよりも死なぬように-、ドジな工場労働者、ドジな家政婦として生きて来た。それが彼女にとっては、

 「当たり前な日常」

 だった。抵抗できるはずもない、彼女を取り巻く目に見えない透明な牢獄だったと言えるかもしれない。

 そんな状況の中、ただ、ひたすらに生き、半ば、篠原の家を飛び出すまでは、自身のことを考えることもできず、ただ、過ごす日々だった。

 しかし、今、考える余裕が生活の中に出来ているのだろうし、それ故に、自身の心情に耽溺することも増えたようであった。

 そして、今、ヨシエとしては、少し、暖かいものに触れることができるようになった。ヨシエとしては、はじめての

 「暖かさ」

 かもしれない。アレクセイにもう少し触れてみたい気もした。

 軍にとっては監視役であるKGBの将校たるヨシエに、軍将校のアレクセイが話しかけて来た、ということは、アレクセイなりに、彼も、ヨシエに対し、何か気があるのかもしれなかった。

 勿論、KGB側から軍側に対して、であれば、監視役故に、ある種の当然な流れであろう。しかし、今回はその逆である。

 「今度の日本語教室の時にでも、私から声をかけてみようかな」

 アレクセイも、今よりも、もっとヨシエに興味を持ってくれるかもしれない。

 「いや、しかし」

 ヨシエは改めて、思い直した。

 「彼だけ、特別扱いしていたら、クラスのみんなに、そのうち、バレちゃうわよね。変な噂が立つだろうし、それがもしや、KGB将校が軍将校と内通している、なんて疑われたら・・・・・」

 その先に待っているのは、

 「粛清、かしら?」

 少々、夕方までの畑での

 「暖かさ」

 によって、

 「楽しくて、熱い」

 思いに耽溺していたヨシエであった。

 「耽溺」

 ということになると、苦しい、辛いことのみならず、

 「楽しい」

 ことにものめり込んでいく性格のようであった。

 「いや、いや、しかし」

 彼女の中に、KGB将校としての顔が出て来た。

 ヨシエはどこかで、監視されている可能性がある。現に、ルビヤンカには、タチアーナがお目付け役としているではないか。

 ルビヤンカでの実際の人間関係が

 「貴女はほぼ常に監視されている」

 ということを思い出させた。タチアーナの存在は、KGB資料室での

 「~てください」

 という台詞同様、ヨシエのプライベート空間である自宅内でも、ソ連体制側からの無言の

 「声」

であると言えた。

 タチアーナのことを自身で思い出したのは、ヨシエがKGB将校として、能力を身に着けている姿でもあると言えるかもしれない。

 ヨシエは、心中で、タチアーナに語り掛けた。

 「貴女が、お目付け役の中尉でなければ、良き友人かもしれないのにね」

 ヨシエと同じアジア系の出身であるタチアーナのことである。深く付き合えば、似た民族の出身ということで、ウマの合う良き友人になり得るのかもしれない。

 しかし、実際にはお目付け役の中尉である彼女に、色々、私生活についてとはいえ、職務も関連している以上、話すのは危険であろう。

 「ほんっと、人間関係は何時でも複雑、気をつけなきゃ!げに恐ろしきは、ひとのあいだのことなり!」

 と文語体交じりで、声に出して強調してみた。

 なぜ、文語体の日本語迄も持ち出したのか、分からないものの、敢えて、普段使わない言葉を音声にして強調してみることによって、

 「複雑なる人間関係」

 に改めて、注意せよ、とそれこそ、自身に強調したかったのかもしれない。

 「さ、もう寝ましょう」

 明日以降も、仕事もあり、色々あるだろう。これまた、自身への言い聞かせであった。寝不足では、

 「巨大な歯車」

 の

 「優秀な一部」

 として機能し得ないであろうからである。

 ヨシエは電灯を消し、ベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

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