第4話 クラモト少佐のシミュレーション
4-1 走り出した地下鉄の中で
いつものごとく、地下鉄に乗車したヨシエは、これからの事を思っていた。
「KGBに職を持ち、少佐の階級を得られたのは良かった」
そう思いつつも、
「しかし」
と心中にて、つぶやかざるを得なかった。
アナスタシアは、ヨシエの帰り際、
「期待してるわよ、同志少佐」
と声をかけ、ヨシエも、それなりに元気よく返答した。所謂
「居場所」
が見つかったことの嬉しさからだった。改めて、ヨシエは心中にて思った。
「だけど」
ヨシエには、改めて思えば、1つ、大きな不安の種があった。立場が立場だけに、大日本帝国大使館を訪問することができず、大日本帝国国籍の放棄ができないのである。
KGB少佐でありながら、出頭できるわけもないし、そもそもの出国時の事情、その後の外郭要塞での件もある。それを思えば、いよいよ、ソ連体制に見棄てられないようにせねばならないヨシエであった。
それは同時に、ソ連という体制から、アナスタシアが言ったように、裏切りを疑われてはならない、という立場だった。言動によっては、
「二重スパイ」
を疑われるかもしれない。それは、今後のヨシエの人生にとって、あってはならないことだった。
以前からも、思っていた
「粛清」
という言葉がまたしても、脳裏をよぎった。先のアナスタシアの
「期待してるわよ、同志少佐」
は、そうした事情をも見越しての発言であったろうことが、改めて、ヨシエの中で自覚されたのであった。
ヨシエは、改めて、今後の自分について思った。
「今の生活はなくしたくはない。そのためには・・・・・」
そのためには、どうすべきなのか。
「基本的には、どんな行為にでも、厭わずに手を染めなければならない」
既に、軍事上の作戦において、殺人に手を染めているヨシエである。軍事的なそれなら、殺人も、厭わなくなっている存在であった。
とりあえず、ヨシエに与えられているのは、KGBでの日本語教師である。しかし、橋田暗殺の時のような
「大役」
が与えられたならば、それを積極的に受けるべきであろう。
しかし、
「大役」
と言っても、どんなものがあるのだろうか。
KGB将校に任官したばかりで、まだ、ロシア語もたどたどしい部分があり、必ずしも国際関係に精通しているわけでもないヨシエにとって、自身の今後の
「大役」
について、シミュレーションする材料は限られていた。それでも、ヨシエは、それなりに心中で、思いを巡らせてみた。
「例えば、私が赤軍の1部隊を率いて、日本のどこかに逆上陸するとか」
そのように、思いつつも、
「何を、おてんばに」
とも思うヨシエでもあった。日本を棄て、既にソ連体制の一員になっていたヨシエではあったものの、ヨシエ等、日本の女性は、
「良妻賢母、おしとやかさ」
が言われて育って来た一面もあったからである。現実にも、
「良妻賢母」
すなわち、
「『男』の脇役」
として、すなわち、
「低い存在」
として、位置付けられる存在としての
「女」
の位置づけであるにもかかわらず、
ヨシエ(芳江)の母・初子に見られるように、自身も働きに出ねばならないのが、女性たちの現実であった。差別を受けている上に、少ない稼ぎのために、働きに出なければならない。それに怒りを感じて、自らが生を受けた祖国・日本を棄てたヨシエであった。
そして、その怒りを感じて棄てた祖国・日本(大日本帝国)と戦うとしたら?
「一軍を率いて、どこかの海岸から上陸、そして、日本軍と戦うということかな?」
ヨシエの脳裏には、幼かった頃の記憶がよみがえってきた。
「男の子達が、戦争ごっこで、勇ましく遊んでいたっけ。私達、女の子たちは、看護婦さん役とか、脇役だったけ」
「男」=「主」
他方、
「女」=「従」
といった大人の
「社会」
のある種の構造は、なにかしら子供の「社会」にも反映されていたようである。そうした差別に慣らされていたから、男女差別といった現実にも気付かされずに、鈍感に過ごして来たのかもしれない。
「だけど、『主』たる『男』の子も大変な面があったよね」
冬には、雪合戦もした。しかし、男児でも、雪玉をぶつけられて泣き出してしまう子もいた。
「あの子、家に帰った後、どうなったのかな?男が泣くなんて、みっともない、なんて説教されて、益々、傷ついていたのかも」
そのように思っていると、何かしら、
「主」
たる
「男」
も、気の毒な面があるような気がする。
モスクワの冬はヨシエのかつての故郷よりもはるかに寒く、気温は常時、零下10℃でも暖かい方である。その冬の季節故に、何となく、かつての故郷の思い出に、自分自身の思いがつながっていったのかもしれなかった。
そんなことを考えているうちに、地下鉄はヨシエのいつもの下車駅に到着した。
4-2 帰宅
地下鉄から地上に出てみると、相変わらず、雪であった。地上に出て、改めて、寒さが身に染みた。皆、身に染み入る寒さに耐えつつ、歩いているのだろう。
但し、ソ連で生まれ育った人々は既に毎年のことであり、慣れているのだろう。その中で、新参者としてのヨシエは、まだ何か、慣れていないようなところもあり、縮こまるようにして、家路を急いだ。
自宅マンションに戻って、家に入ると、というよりも寒さから逃れると、すぐに暖房をつけた。
「あ~あ、寒かった」
ヨシエは、改めて、湯を沸かし、コーヒーを飲む準備をした。最近では、コーヒーを飲むことが、ほぼ、毎日の日課となっており、ヨシエの生活も、パン食と合わせて、洋化しつつあると言えた。
ヨシエは湯は沸くと、コーヒーを淹れ、カップを持って、ソファに腰を下ろした。
ヨシエはコーヒーを口にしつつ、いつの間にか、先程のシミュレーションの続きに入っていた。
「私が、一軍を率いたとしたら?」
と改めて思い、
「しかし」
橋田殺害の実績はあるものの、本格的な戦闘を経験したことはまだないヨシエである。結局は、
「敢え無く戦死かしら?」
と心中でのつぶやきとなった。
橋田を殺害した戦功は、しかし、何かしら、今でも自身で信じられないものでもあった。事実であるにもかかわらず、半信半疑であり、何かの夢のようでもあった。場合によっては、或いは、橋田に殺されて、この世にいない自分が真実なのであって、橋田を殺して、今現在、この世に生きている自身が夢幻のようにも思えるのである。
故に、
「敢え無く戦死」
という台詞が自身の脳裏に浮かんだのかもしれない。そちらの方が真実と思えるからである。
しかし、事実として、ヨシエは生きている。生きるためにこそ、戦わなければならなかった。戦えなければ、それこそ、
「粛清」
という
「敢え無く戦死」
が待っているかもしれない。実際の戦闘にて、
「敢え無く戦死」
ならば、―例えば、一瞬で戦死なら―まだ良い方かもしれない。しかし、
「粛清死」
ならば?拷問によって苦しめられた挙句の
「拷問死」
かもしれない。
日本にいた時も、既に、例えば、特高警察による拷問の話等については耳にしたことがあった。子供の時分も、いたずらが過ぎると、場合によっては、親達から
「特高警察のこわいおじさんがつかまえに来るよ」
と、子供たちを脅すこともあった。子供の世界でも、拷問の恐怖は一定程度、認知されたものであった。
やはり、
「拷問死」
はごめん被りたいものである。
とここまで、心中で思いを巡らせていたヨシエではあった。彼女は、自身の心中でなしていたシミュレーションが、いよいよ、自分自身につながって来ていたことに気付いた。
ヨシエは、あらためて、ソ連体制から離れられない自身の立場を確認した。
「だので」
更にコーヒーを飲みつつ、ヨシエは更に思いをめぐらした。
4-3 部屋の中で
暖房の効いた部屋にて、ヨシエは1人でくつろいでいた。くつろげる状態であるからこそ、色々、考えることができる、とも言えそうである。
小作農の実家時代、零戦製造工場時代、山村、篠原両家での時代、外郭要塞での経験、いつも、何かしら、殊に精神的に余裕のない暮らしだった。
ヨシエにとっては、余裕がないのが常態、あるいは、
「常時」
余裕がある時が
「非常時」
とも言えた。
故に、今現在は、ヨシエにとって、
「非常時」
であると言えた。
しかし、KGB少佐としての活動が本格化すれば、ヨシエの生活は
「常時」
に戻されるのだろう。
ヨシエは「三田商店」のことを改めて思った。
亜紀子は、今、どうしているのだろう。自分と同じように、零戦製造工場を既に解雇されているのだろうか。亜紀子は、ヨシエ(芳江)よりも手先が器用で、しかも、美人であった。
「亜紀子、どうしているのかな?」
手先が器用な亜紀子は、当時、ヨシエ(芳江)よりも上手く、零戦の機体を手早く、あるいは流れるように、組み立てていた。ヨシエ(芳江)は
「へえ~、すごい!」
と内心思って、見とれてたら、班長の怒声で、現場労働者として、自身も零戦の機体に取り組まなければならないという現実に引き戻される、ということもあった。
しかし、戦時体制という
「非常時」
が
「常時」
となっているという現実の下、亜紀子本人が言うように、物資等は窮乏化していた。前線の軍の活動のために、内地は苦しくなる一方であった。
ヨシエは思った。
「物資の窮乏化もあり、零戦の減産の下、私と同じように、亜紀子が零戦製造工場を解雇されたとすると」
つまり、亜紀子は、転職して、どこかの民間会社等に勤めなければならないだろう。しかし、どこに就職するのか?
窮乏化した国内では、生産活動は低下しているだろう。どこも彼女を雇わないかもしれない。亜紀子は班長から、
「女だてらに、機械類の扱いが上手い」
と褒められていることもあった。しかし、機械類を上手く扱う技能があったところで、国内のトラック等は、燃料も前線の軍が優先ということで、動いていないことも多い。バスも同様である。木炭を焚いて走るバスもあるものの、本数は少ない。松脂油は、カロリー等の燃料効率が悪いせいか、交通に対し、あまり効果がなかった。内地の燃料窮乏化は、ヨシエ(芳江)が妙子と別れた時、二両編成市電の後部車両が動けないバスに市電用車輪をはかせたものであったことが、具体的に象徴していた。
「だとすると、亜紀子は」
自身の能力を発揮できる職場には行けない可能性が高い。ならば、どこが職場として、亜紀子を雇うだろうか?
このように考えてみると、亜紀子には行き場がないようにも思われた。
日本が周辺諸地域を侵略して拡大した「大東亜共栄圏」の維持のため、主に、東南アジア各国での石油、鉄、その他の天然資源は、現地軍に優先的に配分されていた。
「大東亜共栄圏」
の中心であるはずの日本本土よりも、
「周辺」
であるはずの前線各地の方が
「中心」
になっているといった現実があった。日本の
「社会」
或いは
「一般庶民」
は
「銃後」
と称する後方支援を担わされる、文字通り、
「周辺」
と化していたのであった。
「しかし」
ヨシエは、心中でのシミュレーションを続けた。
「後方支援、つまりは、『銃後』と言いながら、日本の『社会』は後方支援の役割さえ、果たせなくなりつつある状況なのね」
そういう事情なので、ヨシエが日本を棄てたのは、やはり、間違いのない選択と思われた。いつの時代も、どのような体制であっても、各個人が大切なのは、その個人そのものである。換言すれば、ヨシエも自分個人のための
「自己防衛戦」
を戦っているのである。
「そして」
とヨシエは続けた。もし、亜紀子が「周辺」、すなわち、「銃後」たる日本の内地にとどまったままだとすれば、彼女は自分自身の
「自己防衛戦」
をどのように戦っているだろう。彼女の実家の「三田商店」は既に半ば、廃業状態であろう。
そもそも、実家には頼れないから、彼女も零戦製造工場にて労働者になったのである。
「しかし、現時点で、彼女に技能を生かし得る職場がなかったとすれば」
ヨシエは最悪の状況を想像せざるを得なかった。
「かつての私のように、どこかの地主家やらで、妾にされているかもしれない」
ヨシエ自身にも、かつての山村、篠原家での屈辱的記憶が蘇り、怒りの感情が湧きあがって来た。誰もいない部屋の中である。表情を隠す必要はない。怒りの表情になったヨシエは、心中で、
「威張った帝国軍人どもめ、許せない。いつか、成敗してやる」
既に、1人殺害の戦功を持つヨシエは、改めて、心中から謀略将校と化していった。
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