第2話 自身の世界

2-1 回想

 芳江は、湯が沸いたのを確認すると、簡単な食事を自炊し、夕食とした。その後、フィルターを通して、コーヒー粉をポットの湯でカップ内に溶き、さらにミルクを注いだ。自分で作ったコーヒーを持って、芳江は居間のテーブルの足を組んで椅子についた。右手でのコーヒーカップを持ち、淹れたてのコーヒーを口にした。

 苦いような、甘いようなコーヒーである。しかし、我ながら、なかなか良い味である。日本では、満州事変勃発(1931年、昭和6年)の頃までは、喫茶店、コーヒーショップ等にて、コーヒーを飲むことができたとも聞いていた。しかし、もともとが貧しい小作農の出身だった芳江には、コーヒーはそもそも、全く無縁の存在であった。

 なお、コーヒーの話は、女学校退学の後、勤務していた零戦製造工場にて、同僚女性から聞いた話であり、日本時代には想像上の世界の話でしかなかった。

 その同僚女性は、東京の比較的裕福な家の出身だった。実家は自営業を営んでいたとのことである。

 しかし、1938年成立の「国家総動員法」が彼女の実家の商売に必要な物資を入手させなくなる方向へと向かわせていたのである。

 芳江は、コーヒーを飲みつつ、彼女の話を思い出し、回想していた。

 彼女は、氏名を三田亜紀子と言った。秋の季節に生まれたこともあって、

 「亜紀子」

 と命名されたのであったとのことだった。

 芳江は、かつて、零戦製造工場勤務時代に、亜紀子に話しかけたことがあった。


 「亜紀ちゃん、お疲れ様。前、言っていたけど、亜紀ちゃん、結構、昔はお父さんの商売は、羽振りが良かったのよね」

 「そうよ。だけど、昭和13年の国家総動員法成立で、商いが立ち行かなくなったのよ」

 「何を扱っていたの?」

 「金物屋さん。薬缶とか、生活に必要な金属製品を扱っていたの。場合によっては、商売が順調な時には、フォークとか、ナイフとか、洋食器も扱っていた」


 洋食器、と言えば、芳江には幼い頃の地主一家のカレーライスのおすそ分けを食する時に使った記憶のある存在だった。細い糸で、当時の芳江の生活に結ばれていた存在であったとも言えた。


 「つまりね、昭和13年の国家総動員法のせいで、ほとんどあらゆる物資が軍需生産優先となったじゃない。それで薬缶や洋食器には、原料も回されなくなったし、問屋でもないものは卸せない。そこで、うちは商売あがったり。三田商店は開店休業になってしまったのよ」


 むしろ、内地では、この頃から、

 「生活物資は、前線の装備に必要なものばかりです。進んで軍に協力しませう」

 等の標語が街中で当然のように見受けられるようになっていた。各自の市民生活を犠牲にしてでも、軍を優先することが当然となり、生活物資の供出がむしろ行なわれるようになっていた。芳江にも、民間の商店が

 「商売あがったり」

 になったことは容易に想像できることであった。

 その後、店の主人に当たる父氏は、仕事もなくなり、そのため、亜紀子は家族の生活、或いは自分自身の自立のために、零戦製造工場に勤務するようになり、そこで、芳江と知己を得たのであった。

 亜紀子によれば、亜紀子の父氏も、又、芳江の実家と同じく、貧しい小作農の出身だったのだという。小学校を出ただけで、ある商店に奉公人として出され、そこで、住み込みで働いた苦労人だった。しかし、その店の主人に、見込まれつつも、時には厳しく扱われつつも、可愛がられ、商売について、色々、教わることができた。そうして、奉公時に得ていた給与の貯金で、金物屋

 「三田商店」

を東京の一隅に開いたのであった。

 その後、亜紀子の父氏にとっては、商売が上手くいっている時が、人生の好調期とも言えた。娘の亜紀子にも、

 「娘のお前にも、女学校に行かせたり、良い着物を買ってやるからな」

 と笑顔で言ってくれたものだったという亜紀子の話であった。しかし、国家総動員法の成立によって、そのビジョンは潰えたのであった。亜紀子の人生が、ある種、捻じ曲がったのも、言うまでもない事であった。

 何よりも、父氏にとっては、今まで、自身の努力によって築き上げてきたはずのものが、

 「祖国・大日本帝国」

というか、祖国を操る権力の暴走によって、あっさりと崩壊したというのが現実であった。

 生きる目標をなくしてしまった亜紀子の父氏であった。他にまだ、何とか、資金繰りが「三田商店」よりは良い、他店に雇ってもらい、労働者になる道もあるにはあった。

 亜紀子の母、つまり、父氏の妻が

 「今なら、まだ、他店に雇ってもらう機会もあるかもしれない。家計のためにも、是非、そうなさい」

 と強く勧めたこともあった。或いは、この言葉は、目標を失い、働こうとしない戸主への家族の人生と生活がかかった

 「圧力行動」

とも言えた。しかし、父氏はそれを拒んだ。他店の店員として、労働者となることは、小さいとはいえ、則ち、

 「三田商店」

の社長としての沽券にかかわることであり、また、それは克服したはずの奉公人時代の過去に戻されるということをも意味していた。

 おそらく、父氏としては、時に厳しい目にあわされた過去へは戻りたくないし、その勇気も持てなかったのであろう。

 結果として、三田家内では、夫婦の諍いも多くなり、そんな実家に嫌気のさしたこともあって、亜紀子は、半ば、

 「実家の経済の補助の一翼を担う」

 という建前を持ちつつも、零戦製造工場にて、労働者になったという経歴があった。そして、芳江と知り合ったのである。


2-2 制度と現実

 日本では、男=主、女=従、とする「家制度」があり、女性は制度的にも差別されている。しかし、その制度に支えられていた大日本帝国の

 「非常時」

 ―実質的には、1942(昭和17)年のミッドウエー海戦での勝利以降、「常時」と化してしまっていた―は、「従」であったはずの、女性が自立しようとする状況を、自ら作り出すようになりつつあり、また、「家」(という制度)を、亜紀子の実家に見るように、自ら、崩壊させていく状況を作り出していた。

 明治民法に規定された「家」制度は天皇を中心とした巨大な家族にして、軍事志向の中央集権組織の的国家の基層組織と位置付けられていた。

 しかし、その体制が自ら作り出した

 「非常時」

 と称する

 「常時」

 は、体制自身の手による体制自身の崩壊を基層から招きつつあった。

 自ら淹れたコーヒーを味わいつつ、芳江は、思った。

 「年末か」

 1955年も終わろうとしている。

 「内地では、大晦日、正月の時期だわよね」

 芳江は内心でつづけた。

 「だけど、おそらく、餅も、魚も肉も配給ではとぼしんだろうね。見込み無いかもしれない。そんなだから、あの山村や篠原のような食料の実権を握っている連中が、ある種、無能であっても、相も変わらず勝手に幅を利かせているんでしょうよ」

 それらを半ば、逆利用する形で、日本を脱出した芳江ではあった。芳江はさらに内心で続けた。

 「12月31日の大みそかには、年越し蕎麦やうどんの習慣もあるけど、どうかしらね。小麦粉も不足しているだろうし、多くは口にできないかもしれないわね。まあ、蕎麦は災害に強いとか聞いているので、地方によってはどうにかなるのかもしれないけど」

 やはり、根本的に、日本は物資不足に陥っていた。

 あるいは、芳江がかつて、カレーをおすそ分けしてくれた地主層や、あるいは、食材を提供してもらえる店舗等は、年越し蕎麦等も何とかなるのかもしれない。

 「だけど・・・・・」

 と芳江は思った。


2-3 近づく年末

 「農家とかから仕入れられる食料とかが僅かならば、それを売らず、店を経営する家族だけで食べてしまおうとするかもしれない。特に、子供のいる家庭では、子供の生活を何とかしようとして、自分の子供に優先的に食べさせようとするかもしれない。子供への愛が『洋の東西』を問わない、というなら、むしろ、そうする親御さんも多いでしょうよ」

 そして、食料の入手のできない店等は営業できない。「三田商店」のような事例は、日本の

 「社会」

 のあらゆる面で、そして、全国で発生し、三田家のような

 「『家』の崩壊」

 は全国的現象になって行きつつあるのであろう。

 それらのことを考えて合わせてみると、祖国・日本を見限り、結果として、ソ連に移住した芳江の選択は、あながち、間違いとも言えないようである。

 コーヒーを飲み終え、カップを空にした芳江は、帰宅してから、初めて、声を出した。

 「さて、今年の年末年始は、一人だけで過ごす年末年始とはいえ、初めて、何か、自分らしく過ごせる」

 自分以外、誰もいない自宅のなかである。物理的には当然の話であった。しかし、自分の生活の妨害者はいないにもかかわらず、今の発言は、一体、どこの誰に向かっての発言だったのだろう。

 あるいは、棄てた祖国・大日本帝国に対する改めての

 「決別宣言」

 だったのだろうか。

 ソ連体制に入ったことによって、少なくとも、大日本帝国という抑圧体制に対し、それまで、言えなかったことが言え、何を言おうと、とがめられることの状況であるのは確かであった。

 「さてと」

 芳江は、そろそろ、寝ることにした。壁の時計は既に午後10時半を指していた。特に何の予定があるわけでもない芳江は、寝室のベッドの中に潜り込んだ。

 ベッドの中で、意識が遠くなり、眠りの世界へと移りつつ、芳江は思った。

 「なんだか、目まぐるしく変化している私の人生だけど、何とか良い方向に行ってくれれば良いな」

 「良い方向」が何であるかは、まだまだ、不明確な立場である芳江である。また、

 「行ってくれれば」

 という何かしら、他人事のような表現をしたのは、何かに操られ続けたかのような人生経験から、どこかで、自身が必ずしも、自身の主人公ではなりえていないことを半ば認識せざるを得なかったからかもしれない。

 とにかくも、ベッドの中で、眠りの世界へと旅立って行く芳江であった。

 眠りの世界もまた、―変な夢でも見なければ、の条件付きではあるものの―他の何かには支配されない自身の世界ではあった。


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