第11話 緊急事態
<詩絵サイド>
カツンッ――。
しまった!
私の足がなにかに当たった。どうやら足元に転がっていた石を蹴ってしまったみたいだ。
それは勢いよく飛び出していき、道端に転がっていった。その時、3人の会話が途切れた。まずい、気づかれた。椅子が引きづられた音がした。誰かが立ち上がったのだろう。その人物は一歩、二歩と近づいてくるたび、砂利が擦れる音を残す。
「誰だ!そこにいるのは分かっている。出てこい!」
ドキッとしたのが分かった。私はこういう状況が苦手で、追い込まれると体が縮こまってしまう。きっと生身の体の方の体全体が熱くなっているだろう。聞こえないはずの心音の幻聴が聞こえる。
どうしよう、何でしょうか……?、ととぼけて出るべき?そもそも私がつけていたあの男には気づかれていない。もし気づいていたなら――こんな屋外で、私が近くにいるところで会話なんてしないはず。どこかの部屋でするだろう。
だからこそ、この場合出てきても何も問題ないはず。でも、そこで何をしていたか聞かれると困る。どうしよう……。
やはりここは、この場所から離れるのがベストだろう。足音を立てなければ気づかれないはず――。
――あれ?足が動かない。一歩が踏み出せない。なんで?こんな時にアーカロイドの不調なの?
物陰から反応が無いからか、男はさらに近づいてきた。
私はなんとかしゃがみ込むと口元を抑え、精一杯声を押し殺した。絶対に声を漏らしてはいけない。これ以上音を出してはいけない。
足音はもうすぐそこまで迫っていた。もうすぐ私と男の目が会う、と思った、そのとき――。
「田中さん、猫か何か……いたんじゃないか?」
男――田中さんというらしい、彼の足音を止める人物がいた。
「……まあ、そうかもしれないな。別に誰かに聞かれたところでこの話、分かるはずないか。悪いな安田さん、話
彼――安田は、大丈夫、気にしていないよ、と田中にいうと、
「風が出てきて少し寒くなってきたから、続きは俺の会社で話そう」
3人は立ち上がり、席を離れる音がした。私がいるところとは逆方向に向かったのだろうか、次第に足音が遠くなっていった。私は遠ざかったのを音で確認するとその場で胸をなでおろした。さすがに3人の容姿までは確認しなかった。
力が抜け、しばらく呆然とする。正直怖かった。先ほどまで動かなくなっていた足は、今はもう動くようになっていた。なぜ、あのとき動かなかったんだろう。あれはアーカロイドの問題だったのか?それとも私自身なのか……。
今の私はアーカロイド。本当の自分はここにはいない。なのにその時だけはリアルな恐怖感を感じた。これはまるで画面越しにリモート会議を行っていても緊張するのと同じだ。
日が当たっていなくて影になっているアスファルトを触る。高感度の触感センサーでもついているのだろうか。触れている感覚はあるが、冷たさは感じない。それは痛覚を感じることがないのと同じ理由だろう。本来はどのくらい冷たいのだろうか。今の私には分からない。
私はもう一度、大きく息を吐くと立ち上がった。
精神的にも疲れた。試用運転は今日はもう十分にしよう。カメラも撮ったし。もう1人の使用者――旭川ヒナも見つけたし。
「……帰るか」
と私は足を一歩踏み出したとき、視界が揺れた。
「あれ……?」
どうにかバランスを保つため、なんとか壁に片手をついて体を支える。
何が起こったのか分からず、情報が出ていないか視界内をくまなく探す。よく見ると視界右側に何か黄色いマークが点滅していた。注視してみると、それはフォークとナイフのマークだった。そしてそれはアクティブメッセージとなって視界正面に表示された。そこに書いてあったのは――。
――※注意:空腹状態です。接続を解除し、食事を取ってください。
そうか、14時頃に接続して今はもう16時。『
それに今日三輪さんから連絡をもらったのは13時半前。緊急の連絡だったみたいだから急いできたが、午前中は用事があって買い物をして帰ってきて、これからご飯を作ろうと思っていた矢先に連絡が来たので――私は昼食をまだ食べていなかったんだ。
そしたらアーカロイドを目の前にして好奇心が高まってしまい、食べることはもうすっかり忘れていた。初めてのことばかりで、アーカロイドの操作にかなり集中していたからいつもよりカロリーを消費したのだろう。
システムメッセージが表示されても実際にお腹が空いているかどうかは分からない。現在、三輪さんの家で接続している生身の体の方はかなりの空腹状態なのだろうか。
やはりアーカロイドの動きが少し鈍い。力が入らないというか――。そのとき、誰かから声をかけられた。
「あの、大丈夫ですか?ご気分でも悪いのですか?」
私はなんとかして声がする方へ向き直った。そこにはセミロングの髪をひとつに
「あ、だ、大丈夫です……。ただの――立ちくらみです」
「まあ、それは大変!お水でも飲みますか?えっと……とりあえずどこかで横になったほうが良いですね。そうだ、私の勤務先、1Fフロアにある休憩室は一般向けに開放しているのでそちらで休みましょう。肩貸しますね」
女性の方は私の症状を見て少し慌てていたが、すぐに私が肩につかまりやすくするため、再びしゃがんだ。
だがアーカロイドでは水が飲めない。しかし、重度の立ちくらみの状態をみせておいて水を断るのもおかしい。
私は何とか答えようと思考を巡らせるも、私の意思に反して少し動きが鈍いアーカロイドの挙動に私は焦りを覚えていた。もしかしてアーカロイドは心理状態にも影響するのか。分からないので調査しなければならないが、この緊急事態では今はこの現状を何とかするしか無い。
お言葉に甘え、女性の肩を借りる。私が女性の肩に置いたとき、何かうめき声のようなものが聞こえた気がするが気のせいだろう。
彼女の肩を借り、ここが彼女の勤務先だろうか――複合施設のような大きな建物の1F自動扉をくぐる。ふらつきながらもなんとか耐え、女性にすみません、すみませんと言いながら足を進めた。
入り口から少し奥に行くと、その休憩所らしいスペースはあった。そこはフロアが仕切りによって区切られており、4畳半ほどの広さの部屋がいくつか連なっていた。
休憩室と聞いて空調があり、3人がけの長椅子とかが2つくらいあるスペースをイメージしていたが、個別の部屋を1人1人が使えるらしい。なんと快適な……!贅沢っ!
ほとんどビジネスホテルと変わらないじゃん――と思いつつ、女性の動きに従う。女性は休憩室の受付で、
「この方、体調がすぐれないようで、休ませるために1部屋貸してください」
と係の人に伝えると、係の人は帳簿に記入し、デスクの下から117と書かれたカードキーを出した。
117の扉の前まで行き渡されたカードキーを差し込み、カチャリとロックが外れる音がすると、ドアレバーをひいた。ドアを開けるとそこには簡易ベッドと簡易机があった。トイレは部屋の外にある共有化粧室を使うみたいだ。
私は女性に支えられながらベッドの上に座った。
「すぐにお水を買ってきますから少し休んでいてください」
女性は私にそう言うと、部屋を出ていった。緊急事態ではあったが、この部屋に入れたのは意外と運が良いかもしれない。ある意味プライベートルームなので基本的には勝手に人が入るようなことは無いだろう。
ここで思考を巡らせて今後の作戦を立てよう。
しばらくすると女性がペットボトルを持って戻ってきた。近くの自販機で購入してくれたのだろう。
私はそれを受け取った。だが、飲めないのでフタを開け、水をアーカロイドの唇に触れる程度に飲むふりをし、体裁を整える。再びフタを閉めると心苦しいが、辛くなった演技をした。
「……お気遣いありがとうございます。横になって休ませていただきます」
ベッドに横になり、掛布団をかけた。
「分かったわ。私は仕事の打ち合わせがあるからもう出ないといけないけど、何かあったらこの内線で受付の人に呼びかけてね。受付の人にも一応声をかけておくわ。じゃあ、お大事に。カードキーはここにおいていくね」
女性は手にもっていたカードキーを簡易机の上に置くと、部屋から出ていった。オートロックの施錠の音を耳に聞き、私は体勢を仰向けにする。
一旦、ご飯を食べに行く間、しばらく私のアーカロイドをここに置かせてもらおう。
それに早く戻って三輪さんに伝えないといけないことがある。三人の男たちが話していたこと。彼らは何か企んでいるに違いない。
私は天井を向き、目を閉じると呟いた。
「
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