第9話 旅立ち
9-1 仙台へ
涼子は1人で、秋田駅のホームに立っていた。
<1人>
というのは、既に、この国に入って以来、一緒にいてくれた姉御肌の佳代子はいない、という意味で、である。
周囲には、未だ聞き慣れない東北訛りの言葉が飛び交っている。言葉に未だ、慣れていないことが、何かしら、涼子の孤独感を一層、増しているようであった。
卒業した施設で与えられた軍用リュックに私物を詰め込んだ涼子は、それを背負い、ホームの一隅に立っているのである。彼女は
<日本人民共和国人民軍>
の女性用の軍服の上に、軍用外套をまとっていた。但し、彼女は軍人ではない。階級章もない軍服は、かつての
<南>
の国民服と似ていないこともないものの、色はこげ茶を増してるかのようである。靴も、軍から払い下げになった人民軍陸軍兵の軍靴であった。
かの施設に入る前に、<南>からの所持品は没収され、残った所持品も、施設にて、
処分したため、涼子は、
<南>
との決別が、その姿に具体化していた。
但し、1つだけ、
<南>
からのものとはいえ、同伴したかったものがあった。かつて、両親が、誕生祝にと、父・基次が使っていた腕時計である彼女に譲ってくれたものである。
<南>
と決別した彼女にとって、唯一の
<南>
としての存在であった。
越境した時、最初に入った砦で、この腕時計もまた、没収された。腕時計を持たせたままにしてくと、仮に、<南>からの工作員であった場合、<南>と連絡をとりつつ、時間を調整しながら、何等かの謀略活動等をされると判断されあのであろうか。
あるいは、亡命者に対して、
「物理的に、<南>と決別せよ」
という意思表示だったのだろうか。
その辺りは、分からない。しかし、涼子は、この時計に関しては、少し落ち着いた後に、何かしら、
<身体を裂かれるような>
気分にもなったのであった。親から引き離された幼児のような感覚であろうか。
彼女は、-勿論、砦にいた時には、緊張と不安が入り交じった感情のため、色々と感じる余裕はなかったものの-やはり、まだ、どこかに、
<肉親の情>
のようなものがあったのかもしれない。
あるいは、佳代子と別れるようになってから、当面、だれとも友人関係になれないかもしれない、と思わざるを得ない状況にあることから、
「何か、傍に、心の支えのようなものがいて欲しい」
と、一定の時間がたって、心の落ち着きが戻りつつあったことと相俟って、改めて、思ったのかもしれない。
大学進学という新たな希望に向かいつつある半面、孤独はやはり、彼女の内面に何かしらの錘のようなものを載せているようでもあった。
自身の選択として、
<南>
でのしがらみと決別し得たものの、はじめての
<1人旅>
ということで、本当に1人にされてしまったのは、初めてのことであった。誰かが、
「人生は旅のようなもの」
と言っていたように記憶している。
しかし、これからの<旅>はどのような様相を見せるのだろうか。
<希望>
が勝つか?それとも錘のようにも感じられる
<不安>
が現実のものになるのか?
涼子自身にも分からないことであって、それがむしろ、考えようによっては、<不安>の方を強めているのかもしれない。
周囲には、相変わらず、
「~べさ」
「んだ、んだ」
等の東北訛りが飛び交っていた。涼子は改めて、駅の時計を見てみた。時計は、
・午前10時30分
を指していた。
乗車予定の列車は、午前10時55分着、11時発の予定なので、あと、まだ、約30分があった。
東北は既に、冷えが厳しい。そんな中、ホームで列車を待っていると、1人の老婆が話しかけて来た。
「なんず?なんず?」
言葉が分からない涼子は、困惑の表情を浮かべざるを得ず、また、何と返事してよいか分からなかった。老婆は、先程の駅の時計に目を向けた。時刻を聞きたいらしい。
「あ、今の時間ですか?」
老婆はうなずいた。
「あ、今の時間でしたら、午前10時40分ですね」
老婆は礼を言うと、涼子の傍から立ち去った。言葉が通じないのは、やはり、涼子を孤独にする彼女の不安材料の1つである。それが、早くも具体化したのであった。
かつて、
<南>
では、常々、
「天皇陛下の名の下、日本民族は一丸となって・・・・・」
等の話を度々、言われたものであった。しかし、この国では、その価値化は少なくとも建前として、全く正反対のものになっていた。
そして、住み慣れた東京を離れてみると、
「日本民族は一丸となって・・・・・」
どころか、それを感じさせないほど、言葉の違いには大きいものがあった。
ここ、<日本人民共和国>は、<南>こと<大日本帝国>とは、国名の違いのみならず、言葉というコミュニケーションの基本においても、
<異郷>
どころか、
<異国>
であった。
言葉の違いは、<南北分断>の前から、当然の如く、存在していた日常であろう。そして、ソ連軍の侵攻による
<日本人民共和国>
が成立したことによって、名実ともに、この地域は<南>の
<大日本帝国>
にとっては、
<異国>
と化したのであり、その<異国>に涼子は身を置いていた。
<南>
の首都・東京にて、かの
<追いつ、追われつ>
をキャッチフレーズにした映画にように、ここまで、
<南>
の権力との間で、
<追いつ、追われつ>
の旅をして来た涼子ではあった。
<北>
に入った以上、
<南>
との
<追いつ、追われつ>
は終わったはずであった。肉親との唯一のつながりであった腕時計とも決別した。
しかし、ここに来て、又、希望と同時にあらたな不安が錘となって、涼子の心中に重くのしかかっている一面があるのも又、まさに、
<現実>
であった。しかし、腕時計と決別することによって、
<肉親の情>
とも決別したのはよかったかもしれない。涼子にとっての<南>の中で、一番、大きな存在は、やはり、両親をはじめとする家族との
<肉親の情>
であろう。
しかし、この国で、改めて、<希望>を見出し、<不安>に勝るためには、過去を断ち切って、前向きに生きていかねばならない。そのためには、腕時計との決別は、避けて通れないものであったのではないか。
列車の汽笛が聞こえて来たような気がした。自身の心中にて耽溺していた涼子は、改めた、駅の時計を見てみた。
・ 午前10時50分
になっていた。あと、5分で予定の列車が着く時刻である。改めて、はっきりと、蒸気機関車の汽笛が聞こえて来た。
蒸気機関車がけん引する列車は、ホーム正面の線路に入り、蒸気をホームに吹き付けた。ホームで列車待ちをしていた人々の多くが、顔をしかめ、手で蒸気をはらおうとした。この点は、
<南>
と変わらない日常の風景であった。
ベンチに座っていた人々も、多くが立ち上がり、客車の戸の空いた乗降口に向けて並び始めた。涼子も行列の一員となった。
乗車した涼子は天井近くの網棚に、自身のリュックを置いた上で、車窓から身を乗り出し、機関車の方を見てみた。ここまで列車をけん引して来た蒸気機関車は、これまでの疲れを吐き出すかのように、なお蒸気音をたて、軽く、蒸気をホームに吹き付けていた。
そうした中、機関車の次に位置する郵便車に、駅員等が、大きな小包等をリレー式で積み込んでいた。暫くすると、作業が終わったのか、郵便車の戸が閉められ、駅員が車掌らしき人物に手で合図を送った。
機関車は、それを知ったかのように、太い汽笛を上げ、発車を知らせた。車体が揺らぎ、列車はホームを離れだした。
「いよいよ、仙台か」
涼子は内心にて呟いた。考えてみれば、南北国境を越えて、当時で言うところの<北>に越境する際、<南>からの銃撃を受けつつ入った、というこれまでの経験からすれば、 とりあえず、
<生命の危険>
はないことを考えれば、姉御の佳代子がいなくても、大した問題ではないのかもしれない。
<異国>
としての
<日本人民共和国>
に慣れるには、しばらく時間がかかりそうなものの、涼子は今、自身の新しい
<夢>
に向かって、走り出したばかりである。
<追いつ、追われつ>
の中で、自身が主体的に<夢>を追う立場にならねばならないはずである。
「しっかりなさい、これから、<夢>を追いかけるんでしょ」
涼子は、自身を心中にて叱咤激励した。
日本海側の秋田から太平洋側の仙台に向かって、列車は汽笛を鳴らしつつ、山中を走っていた。日本は、島国というその地形故に、どこに行っていも、多くの場合、山が見える。これは、
<南北日本>
という、人為的結果とは無関係に存在していた。
どこにでもある風景であった。しかし、これまで、東京から離れることもできず、又、奥羽山脈は初めてだったからか、涼子は、車窓の前を眺める風景を眺め続けていた。
9-2 車内
秋田を出て、3時間程した頃だっただろうか。
「お嬢さん、食べるかい?」
東北訛りで、正面の女性が話しかけて来た。彼女の手には、リンゴがあった。
涼子は、<南>にいた時、物資不足の中、食事という最大の楽しみさえ、不足がちであった。果物など、本当に何年ぶりだろうか。
「え、いいんですか」
「ああ、いいよ」
「いただきます」
皮ごとではあったものの、リンゴの味は甘酸っぱく、新鮮であった。こんな甘酸っぱい味、一体、それこそ、何年振り、というか、涼子の中では半ば、記憶の中にはないものとさえ言えた。
「ああ、美味しい」
表情も自然と笑顔になった。
「そうかね」
「はい」
嘘も冗談でもない正直な心中の声としての回答である。
「集団農場で納入したもの残りだからさ、あまり質は良くねえけど」
「え?」
<集団農場>
という、まだ耳慣れぬ語句に、涼子は少々、戸惑った。
「集団農場だよ、ほら、この国では、自留地もあるけど、多くは、党の指導の下、農業は集団農場が、中心だべ?」
「あ、はい。そうですよね」
涼子は秋田の施設で学習したことを思い出し、取り合えず、返答した。
「我が国、日本人民共和国においては、旧日本において、労農階級に対する抑圧階級であった、資本家、地主等の有産抑圧階級から、本来の社会の主人公たる労農階級を解放すべく、農地解放がなされた。又、生産力を向上さすべく、ソ連のコルホーズに似せた集団農場方式が導入され・・・・・」
と、学習時に配布され、又、リュックの中に入ってもいるテキストに記載されたのを思い出したのであった。
しかし、ここで、リュックから取り出して、改めて確認するわけにもいかない。そんなことをしたら、
<南>
からの亡命者であることが悟られてしまう。
「こんなところで、テキストの確認なんかしていたら、周囲の好機の目にさらされてしまう。教官の土居さんだって、早くこの国に溶け込みなさいって、言ってた。最初からこんなのじゃ、駄目でしょう」
と心中で自身に注意喚起をした。
「どうしたさ?」
「いえ、なんでもないんです」
しかし、早くも生活レベルでの関門が現れたとも言えた。いわば、
<体制>
という
<南北>
の見えない壁にである。言い換えれば、早くも施設での教育の成果が実践的に試される時が来てしまったのであった。
黙っていてはいよいよ、不審がられるかもしれない。涼子は、月並みな質問をした。
「どちらのご出身、というか、このリンゴはどこで採れたんですか?」
「青森だよ」
「へえ、青森」
<南>にいた時にも、青森はリンゴの産地とは聞いていた。<南北分断>前に、女学生だった涼子は、東京の女学校の地理の時間に、そのことを学習した記憶もあった。
しかし、
<リンゴの名産地・青森>
は、文字通り、テキストという文字の世界のみの話になっていた。
<大東亜共栄圏護持>
のための供出が最優先であったため、果物のような
<甘い味>
はぜいたく品として、
<社会>
つまりは、一般庶民にとっては全く縁のない存在になっていた。街の至ることころに見られる
<家庭用品は、大東亜共栄圏護持のために必要な物ばかりです>
という標語と共に、
<ぜいたくは敵だ!>
という、街中であたかも空気のように存在している標語-涼子が物心ついた時以降、何らの変哲もなく、文字通り、<常識>以外の何物でもなかった-が、
<甘酸っぱい味>あるいは、単純に<甘い味>
でさえ、一般庶民にとって無縁の存在であることを、表現していた。
故に、正面の老婆から与えられたリンゴの味は、
<南北>
の差を感じさせられるものがあった。
涼子はさらに、月並みな質問を発した。
「どちらへ行かれるんですか」
「仙台さ、行くだ」
「どんなご用件で?」
「集団農場で売れ残ったリンゴとか、野菜を仙台へ売りに行くんだ」
「そうなんですね」
施設のテキストでは、
「農地改革と、その後の集団農場によって、農民は、地主階級の抑圧と搾取から解放され・・・・・」
等と記載されていた。しかし、
<解放>
されたのに、さらにまだ働かねばならないんだろうか。そんな疑問を涼子は抱いた。
「まあね」
老婆から帰って来たのは、曖昧な返答だった。
そのうち、他の席の数か所から、ひそひそ話のような声が上がった。
「おい、気を付けた方がいいんじゃねえか。あの女、<保衛警察>かもしれねえぞ」
「んだ、んだ」
「注意した方がいいっちゃ」
涼子は、正面の席の老婆に、それこそ、素朴な質問をしただけのつもりであった。
<保衛警察>
などという大それた立場ではない。
但し、自分が、
<南>
からの亡命者であり、まだ、この国、
<日本人民共和国>
において、好奇の目で見られたくない、溶け込みたいという心情から咄嗟にとった、単なる、それこそ
<誤魔化し>
であった。しかし、それが一気に、
<保衛警察>
などという、とんでもないような大それた話になってしまった。溶け込もうとして、逆にはねつけられたと言えるかもしれない。
涼子としても既に、一応、
<保衛警察>
という、この国での、党、軍と共に、強調されるべき存在については、施設での学習時にて、知ってはいた。
「我々、日本人民共和国においては、労農階級を中心とした人民解放の実現、ならびに、人民主権の維持の為、日本労働党の指導の下、軍事力としての人民軍並びに反革命防止のための保衛警察が存在し、かつての旧日本における有産抑圧階級であった資本家地主からの防衛の任を担っている。なお、通常犯罪への対応にあたるのは、各県人民警察である」
このようなことが、網棚の上に置いてあるリュックの中のテキストに記載されていた。
見れば、先程まで、柔らかい笑顔の表情であった老婆は、何かしら、こわばった硬い表情になっていた。
「すみません、何か、立ち入った話になってしまったようで」
涼子は、そう一言、詫びると、改めて、車外を見てみた。既に腕時計はない以上、時刻は分からない。しかし、既に、夜のとばりは降り、外は全く暗くなっていた。
「遅くなりましたね。私はもう寝ますので」
一言だけ、正面の老婆に告げると、涼子は眠りについた。暫くしてから、車内の電灯が消灯された。車内が、一定の時間になると消灯されるのは、
<人為的行為>
であるとはいえ、
<南北共通>
であるようである。夜が来れば、人間は眠るのが、半ば、それこそ<人為的行為>と無関係な
<自然の摂理>
であって、その延長線上のことだからである。
目を閉じて、自身のみの世界に入った涼子は、
「解放されはずなのに、それでも何か、この国にも矛盾があるようね。それでも、’私は私自身の人生を何とか生きていかなきゃ」
仙台に向かって走る列車は、時折、蒸気機関車の汽笛を聞かせつつ、小刻みに揺れていた。小刻みな揺れが、涼子を眠りの世界という彼女のみの世界へと誘って行った。
9-3 仙台着
翌朝、涼子の乗った列車は仙台に到着した。
各々の席で眠っていた乗客達は、起きて下車の準備を始めた。涼子も例外ではない。
涼子の正面の老婆も、下車の支度をしつつも、昨日の途中から同様、何か、彼女にとっての正面人物たる涼子に警戒しているようであった。
<保衛警察>
は、そんなに怖い物なのだろうか。
涼子は内心、思った。
「日本人民共和国は、私に新しい人生の機会をくれたけれど、この国にも何か、<南>の特高やら、憲兵やらと同じものがあるかもしれない。だとすると、そこは気をつけないとね」
涼子は、彼女にとっての新しい体制に順応しようとしていた。しかし、それは同時に、
<南>
からこの国に持ち込んだ
<生活様式>
としての
<権力への警戒心>
は引き続き、保持せねばならないようであり、この点は、
<南北共通>
であるらしい。
他の乗客と共に、ホームに降り、機関車から吹き付けてくる蒸気にやはり、多少、顔をしかめ、ハンカチで口を覆いつつも、人々と共に、歩いた。そちらの方向に改札口があるのであろう。案の定、
<改札口>
の看板があり、改札口で、駅員に切符を渡し、駅を出た。
リュックを背負って、秋田の施設を出る時、施設の職員から、
「仙台駅に着いたら、正面の駅前広場で、師範大学の職員が、貴女を迎えに来ている予定です」
と聞かされていた。
「迎えの人は、どこかしら?」
駅前広場を見回してみると、迎えの者はすぐに見つかった。彼は、
<宮城師範大学秋学期新入生・江口涼子同志>
と書いた看板を掲げていた。
リュックを背負った涼子は、すぐにそこに向かった。
「はじめまして、お世話になります。新入生の江口涼子と申します」
「江口さんですね、既に秋田県の方から聞いていました。宮城師範大学の菊池行雄と申します」
菊池は挨拶を返すと、
「大学まで、路面電車で行きましょうか」
と言い、涼子と共に、仙台駅前近くの路面電車乗り場まで移動した。
暫くすると、路面電車が来て、2人は電車に乗った。電車はモーター音を響かして、走り出した。この点も <生活様式>として
<南北共通>
であり、特に目新しくはなかった。
車窓から、街の様子を眺めていると、あちこちで土木工事の様子が見えた。
「地方から出て来られて、驚かれました?」
菊池は、涼子が<南>からの転入者であることが周囲に気付かれないようにするためか、
<南>
という語句ではなく、
<地方>
と言ったのであろうか。
仙台までの列車の中で、<保衛警察>の一件があったことから、涼子自身も、自身が
<南>
の出身であることは明かさず、
「ええ、地方から久しぶりに出て来たので、驚きました」
と、菊池に言葉を合わせた。
「ソ連軍が数年前に上陸して来た時に、旧体制の東北での軍司令部があった仙台では、結構、激戦でしたのでね、戦車や砲での激しい撃ち合いやら、歩兵同士の銃撃戦やらで大変でした。ソ連軍の空からの爆撃もあって、この街はかなり、廃墟になったんです」
確かに、車窓から外を眺めていると、まだあちこちに、焼けただれたままのビルや、半ば崩れた建物も見える。かなり、本格的戦闘があったらしい。
<南>
の体制の下、マスコミでは、
「我が皇軍は奮戦し・・・・・」
等と、報じられ、
<皇軍の奮戦>
ばかりが、強調されていた。しかし、実際の廃墟から見るに、多くの人々が苦しんだことは、初めて戦争の現実を見る涼子にもはっきりと認識できた。
工事現場では、工作機械が導入されいた。この点は、まさに、
<南>
で、涼子が経験した勤労奉仕での手作業よりも、はるかに進化していたようであった。
涼子等の乗った路面電車は、ある停留所前で止まった。
ここでも、多くの作業員が働いているのが見えた。涼子がまとっている軍用外套の姿も見える。市内の再建のために、陸軍の兵士も動員されているらしい。路面電車のすぐ近くにある工作機械には、日本語と並んで、露語表記もあった。
<露語>
は、涼子にとって、初めて見る存在である。勿論、読めない。<南>と異なる国に来たことを改めて、彼女は認識させられた。
そのうちに、電車は再び走り出した。暫くして、大きなビルが見えて来た。
女性車掌が告げた。
「次は、人民警察本部前、人民警察本部前です」
ここでも、路面電車は-勿論、当然のことであろうものの-、停車した。数人の乗客が下車した。
巨大なビルの正面玄関には、左右に長い警棒を持った警察官が、警備にあたっていた。
この正面玄関には、
<日本人民共和国人民警察総本部>
<宮城県人民警察本部>
等の看板と共に、やはり、露語の看板があった。おそらく、日本語の警察についての看板の露語訳であろう。
モーター音を響かせて、路面電車が走り出し、人民警察本部前を離れ出した。車内の人々は、あまり互いに会話をしないせいか。モーター音がよく響いた。東北の中心部でもある仙台は、既に、冬の季節に入っていることから、その寒さが人々を押し黙らせているのかもしれない。車窓外から見える工事現場では、暖をとるためか、所々で、ドラム缶に薪がくべられ、火が焚かれている。
車道では、多くの人々が自転車に乗っている。自転車が、路面電車、バス等の公共交通機関を除けば、人々の
<足>
の主流であるようであった。
「あまり、南と変わらない風景ね」
涼子は心中で呟いた。涼子が見る限り、庶民の生活という
<社会>
の姿は、あまり変化がないようであった。
「次は○○前、次は○○前」
女性車掌の声が、次の停留所を告げた。停留所に着く前に、車掌が告げることも、
<南>
と変わらない。<南>にとっての<異国>に来ていながら、<南>と異ならない面もあった。
「さ、ここで降ります。後は大学までは徒歩です」
と隣に座っていた菊池が告げた。
「分かりました」
電車が止まると、涼子は菊池に続いて下車した。そして、涼子は菊池と共に歩道を歩いた。
所々、しかし、<南>と異なるものとして、2つの車両を幌でつないだ連接式の路面電車が見えた。
涼子は、
「新しい形の電車かしら?」
とつぶやいた。菊池が
「ええ、新しい型の電車です。ソ連から輸入したんです。あるいは、チェコだとか、東欧の工業国から輸入したものもあります」
と答えた。菊池が続けた。
「ソ連軍と旧軍が、先程も言ったように、ここ仙台で激戦を交わしましてね。結果として、路面電車もかなり激しく破壊されたんです。焼けただれて骨だけになったり、黒焦げになったり、とにかく、色々、大変でしたよ」
涼子は、かつて、東京での実家の近所の住民から。
<関東大震災>(1923年、大正12年、9月1日)
の話を聞いたことがあった。その人は、
「帝都中が丸焼けになってね、一面、焼け野が原で、焼けた市電が骨だけになって、放置されていたよ」
と言っていた。
1938年(昭和13年)生まれの涼子にとって、つまり、<南>で言うところの昭和世代である彼女にとって、1942年(昭和17年)の
<戦勝>
以来、ある種の
<平和>
が続いていたこともあり、具体的に火による破壊の恐怖を想像できなかった。
しかし、今日、路面電車の中から、焼けただれたビルを見て、具体的なイメージが湧き、そこから、路面電車が焼けただれている姿も、イメージできるような気がした。
「関東大震災の時は、それこそ、街中が、あんな焼けただれた状況だったんだね」
心中にて想像すると、漠然とはいえ、何となく恐怖を感じさせられた。
歩くうちに、大学らしき建物、敷地が近づいて来た。
「さ、ここです」
2人は、宮城師範大学正門前に着いた。そこには、
<国立宮城師範大学>
という看板があり、やはり、露語が併記されていた。
涼子にとっては、ここからが、新しい人生の出発である。感傷にふけっている場合ではあるまい。
「今日、ここからが新しい出発!しっかりしなさい!江口涼子同志!」
と心中にて声を出し、自身を叱咤激励した。やはり、
<同志>
という、<南>では使われない語句を加えたのは、
「戸惑いを振り切って、前進なさい!」
と、自身に言い聞かせるためであろう。
「さ、行きましょう」
菊池が涼子に促した。涼子は菊池と共に、大学構内に入った。
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