第5話 国際情勢
5-1 布団の中
涼子と佳代子が投宿した宿は木賃宿であった。物不足が常態化している昨今なので、旅館業界も、多くはサービスが出せない状況である。しかし、彼女等2人にとっては、その方が都合が良いのである。とりあえず、
<北>
に行くために、佳代子が持ち出して来た資金は、そう多くはない。とりあえず、宿は雨露がしのげる状況にあれば、それで良く、
<北>
への中途である旅館に多額の資金を費やす余裕はないのであった。そして、これらの現金は、すべて、佳代子が持ち出して来たものであった。
2人は、布団に入り、互いに小声で話した。
「佳代子さん、ここまでのお金、どこから持ち出して来たんですか?」
「最初はもちろん、実家から、わずかばかり持ち出して来たのよ。その後は、場合によっては、旅の途中で、色々と商売しながら、とりあえず、東京まで、何とかしてきたというわけ」
彼女の言う、その
<商売>
が何であるか、について、佳代子自身、言おうとはしなかった。しかし、場合によっては、それこそ、
<街娼>
のようなことをしながら、東京までたどり着いたのかもしれない。東京方面でも、こうしたことについての噂は、よく聞くようになっていた。内地の半ば、マヒした経済により、
<表>
経済としての配給は不足し、経済そのものがマヒし、<闇経済>としての
<裏>
経済への依存が高まっている状況だった。しかし、そこでの生活物資は、それこそ、物資不足の状況故に、常に高騰する状況にあった。場合によっては、女性の場合、
<街娼>
でもしなければ、生活費を稼げない、あるいは、物価が高騰する中で、より多くの現金を稼げなければ、生活防衛という名の庶民にとっての
<戦争>
を戦うことができないのが、昨今の
<大日本帝国>
の姿であった。
涼子は、布団の中で、佳代子と話しながら、卒業した女学校での授業を思い出していた。
「我が大日本帝国は、列強の中で、大国としてのゆるぎない地位を獲得し・・・・・」
等と、言われたものであった。
しかし、庶民、つまり、
<社会>
の側にとっては、大きくなったのは、
<生活苦>
であったのである。
「何のために、今まで、頑張って来たのか?」
ここに来て、布団にもぐってみると、改めて沸く、当然の疑問であった。こんな中でも、暖かい布団で眠れるということは、1つの娯楽であった、言えるかもしれない。
夜は
<闇>
であろう。帝都・東京をはじめとして、電力は不足し、街路灯もしょっちゅう、停電する。現に、ここ上越も、先程から、外も電気が止まっており、街の所々で焚火がたかれているようである。経済の世界でも、
<闇取引>
が横行し、最早、何が
<表>
で、何が
<闇>
であるのか、区別がつかない状況であった。
「佳代子さん、私達のお金、いつ、どこで、下ろして来たんですか?」
「我々が出発する前日、下ろして来たのよ」
「でも、勤労奉仕の荷物置き場に置いておいたら、盗まれる危険性とか、有りましたよね」
<闇>
が横行し、最早、それが
<表>
になっているともいえるような状況である。荷物置き場に、鞄の中とはいえ、場合によっては、盗られる可能性だってあるだろう。
「だから、お札をたたんで、ガマ口の中に入れて、モンペのポケットの中に入れておいたのよ」
しかし、それでは、すべての紙幣をまとめるのは難しいのではないか。その答えは、涼子が質問する前に、佳代子の口から出た。
「靴の靴底の裏側にも、いくらか、御札を敷いておいたのよ」
なるほど、それなら、周囲から、見つかり難いわけである。
<闇>
がはびこる昨今の状況においては、人々は色々と用心深い。貴重品を奪われるのを恐れて、現金等の貴重品は-所謂、<非常時>に突入する前の<常時>の時代でもそうであったのかもしれないものの-できるだけ、肌身離さず、持つようにしていた。それでも、各自が犯罪を生活の
<手段>
としている昨今である。人々の警戒心は、それ故に、強いものがあった。
さらに、佳代子が言った。
「それにね、今、言った以外のお金は、鞄の底に隠しておいたのよ」
「え?」
隣の布団で、涼子と同じく、布団に入っていた佳代子は、その鞄の中から、マッチを取り出し、1本のマッチに火を灯した。暗かった室内が急に明るくなった。部屋の壁に、2人の影が大きく映った。
佳代子は火の点いたマッチの扱いにをつけつつ、鞄の底の部分の縫い目の一部を小型ナイフで切り、
<底>
を多少、外して見せた。そこには、
<日本円>
としての
<大日本帝国銀行券>
の札束が並んでいた。
「まあ、大した額じゃないけれどね、これまでためたお金の多くは、こうして、持って来たのよ」
「なるほど」
と、涼子は思った。
<闇>と<表>
の区別がつかなくなりつつあるとはいえ、
<闇経済>
の値段は、昨今、常に高騰している。だからこそ、犯罪も横行するのである。本来、犯罪を取り締まるはずの警察でさえ、
<闇物資>
特に、食糧については手を出しており、犯罪被害を訴えたところで、本腰で取り合ってくれるとは思えないのである。
あるいは、奪われたものが見つかっても、被害者の元に戻さず、自身で着服してしまうかもしれない。
そうした中、鞄の底に、紙幣を敷いたうえで、その上から
<底>
を縫い付け、現金を隠して運ぶ、というのは単純ではあるものの、立派な
<生活防衛>
ということが言えるであろう。
つい、数年前までは、学生で、そして、まだ、20代前半の今も、実家暮らしをしており、両親に守られて来た涼子に比べ、佳代子は、厳しい環境にもまれ、色々と、
<生活の知恵>
を身につけて来たのであろう。まして、涼子には
<街娼>
を為す勇気などない。そんなものは、最初から、ある種、
<汚らしい>
存在と思ってきた。
しかし、先日、
<大旦那>
というべき、おじの基朗が現れ、自身も、ある種の
<汚らしい>
存在になりかねないことが、容易に想像できる状況になった。これまで、自身を護ってくれて来た両親は、最早、護ってくれない存在になりかねないことが思われた。
だからこそ、唐突なこととはいえ、佳代子と一緒に<亡命>の旅に出たのである。言い換えれば、これは、涼子なりのぎりぎりの
<生活防衛>
であったとも言えた。
これまでに、涼子は、家の中で他の家族がいない時を見計らって、
<北>
からのラジオ放送である
<人民の声>
をひそかに、そして、恐る恐る、聞くこともあった。ラジオ放送を聞く限り、その放送内容は、若き女性たる涼子を魅了させるものであった。
「日本人民共和国においては、労働者、農民が社会の主人公であり、その給与は、能力に応じて働いて分、働きに応じて受け取れるのであります」
さらに、以下のようなことも放送されていた。
「日本人民共和国では、家制度は既に廃止されました。参政権は男女平等、女性の議員さんもいます」
そうした放送内容が
<北>
の真の姿であるならば、自身が暮らす
<南>
の現状はどうだろうか。
勤労奉仕でまじめに働いても、働きに応じて供与が支払われているとは思われなかった。日々、頑張っているのに、給与は上がらない。無論、涼子を含め、この現状に不満を抱く者は少なくない。しかし、それを口にすれば、
「婦女子が、女のくせに何を言うか!最前線での飲まず食わずの皇軍将兵に申し訳ないと思わんうのか!皇国の恥知らずめ!」
等と怒声を浴びるのであった。
<飲まず、食わず>
は、最早、
<大日本帝国>
あるいは、
<大東亜共栄圏>
のどこであろうと同じ事であろう。それは、
<能力に応じて働いて分、働きに応じて受け取れる>
が実現できてない現状でもあった。最早、何をするしても、疑問だらけの日々である。
涼子自身、監督の怒声を聞きながら、怒りを心中に封印しつつ、作業をして来たのである。何かしら、巨大な力によって、
<働かせている>
に過ぎない日々であった。
だから、20代前半の若い彼女は、日々の現状から脱そうとしてはいたものの、家族を悲しませたくない、という感情が他方にはあった。そうした思いも又、彼女の思いを封印する重石になってきたと言えるかもしれない。
しかし、基朗が現れたことによって、その
<封印>
がいずれも、外れたのであった。
佳代子は、
「じゃ、これからのことを話すから」
と言うと、マッチを持っている右手を上下に振って、火を消した。室内は再び、暗くなった。
5-2 今後のこと
「あと、2,3日したらね、私達はね、新潟を北に向かって行って、南北の国境線を越えて、<北>に入る予定よ」
しかし、どうやって、入るのか?南北の国境線は警備も厳しいだろう。
「どうやって、国境を乗り越えるんですか?」
「日本海の沿岸線に沿っていくのよ」
「沿っていく?」
「海岸線には岩場が多いけどね、その中を周囲を警戒しつつ、行くの。勿論、普通の道路とか、線路とかの上は歩けないのでね、岩場の中を通って行くんです」
「もし、見つかったら?」
「さっき、鞄の底に札束があるのを見せたよね。あれは、買収用の道具なのよ」
鞄の中にある札束は、これまで、佳代子が使ってきた額よりも多かった。南北の国境を超えるための
<通行費>
つまり、買収費として、用意してきたものなのであろう。
「涼ちゃん、泳げる?」
「うん、泳げる」
「海沿いだからね、場合によっては、海に一時的に潜る必要もあるかもしれない」
そう言った上で、佳代子は改めて、亮子に問うた。
「明日、この宿を夜に出るけど、大丈夫?」
「はい」
涼子のこの言葉を聞くと、改めて、佳代子は鞄からマッチを取り出し、火をつけた。彼女は、改めて、自身の鞄の中身を確認した。
鞄の中身の大半は、ジャガイモ、カボチャ等の根菜類である。また、昨今では貴重品の米もいくらかはあった。
東京を出る前に、既に、佳代子は、蒸したジャガイモやカボチャを少し多めに弁当箱に入れてあったので、それを2人で食べて、列車内で過ごし、この木賃宿では、自炊で済ませたのであった。
「よし」
そう言うと、佳代子は、息を吹きかけて、マッチの火を消し、鞄を閉じた。
布団にもぐった涼子は、隣の布団に同じくもぐった佳代子に聞いた。
「その食糧、どこで手に入れたんですか?」
「東京に出て来て、半ば、女中ととして住み込んでいた家でよ。ほとんど、ただで使われる代わりに、何とか、住と食は確保できていた。だけど、嫌らしい旦那の下で、いつまでも暮らすつもりはなかった。ある日、食糧とお金を失敬して来たのよ。お金については、下ろして来たって言ったけど、その旦那が家の中に隠し持っていたものを持ち出して来たわけ」
「盗みじゃ・・・・・」
「たしかにね。でも、私達は、真面目に働いているのに報われないんだから、いよいよ、働きを盗まれているはずよ」
それには、涼子も同感であった。
布団の中で、佳代子は続けた。
「ただ、あのすけべ旦那の家での生活は、それでも、実家よりは良かったかもしれない」
「なんで?」
「だって、田舎って、人口も少ないし、互いに顔見知りだから、なにをしても、すぐに周囲にばれてしまうでしょう。それに比べれば、田舎程は、互いに監視しているような感じはしないし」
涼子は、田舎暮らしをしたことはない。しかし、これは、涼子は、基朗の指示に従っていたら、どうなっていたかを暗示していると言えた。
悪夢のような将来像を思い浮かべざるを得なかった涼子は、思わず、恐怖を味あわざるを得なかった。
「それとまあ、これは取り越し苦労だったみたいだけど、満州を追われた地主一家の親戚が、それこそ、地主一家を頼って来るなんて話もあったのよ。そんなことになったら、<北>を追われた親戚連中とも重なって、小作人の生活なんか、完全に破綻だわよ」
既に、満州国の満州里外郭要塞がソ連軍の侵攻によって陥落し、さらに、そこに、中国共産党の勢力が食い込むことによって以降、満州国の崩壊は時間の問題という憶測が、正に
<社会>
のレベルで流れたいた。
そして、ソ連軍が、新潟に侵攻し、その後、
<日本人民共和国>
が宣言された昭和32(1957年)年、満州国はソ連の侵攻によって、崩壊し、その他の中国各地でも、反攻に転じた中国共産党軍(人民解放軍)によって、それまで、政権を握っていた中国国民党は台湾に追われ、1959年10月、中国共産党を率いる毛沢東によって、北京・天安門上にて、
<中華人民共和国>
の成立が宣言されたのであった。
これらの一連の国際情勢については、涼子も勿論、新聞、ラジオ等のマスコミを通して、知ってはいた。
日本のマスコミは、これらの動きを、
<赤魔、支那大陸を席捲す>
等の、所謂
<悪意ある見出し>
とでもいうべき見出しで報じていた。こうした動きは、
<大日本帝国>
の体制の下、
<社会>
を動揺させるに、十分な事件であった。いよいよ、
<社会>
の側からは、
<大日本帝国>あるいは、<戦勝国・日本>
の意義を疑う声が上がってきてもおかしくはない状況にあった。
しかし、それらはやはり、
<表>
とはならないのである。特高、憲兵の監視の下では、
<表>
にはならない、あるいは、できない話であり、
<闇>
の世界を流がれる性格の話であった。
ソ連軍の満州侵攻、、満州国崩壊によって、混乱の中、皇帝・溥儀は暗殺され、それまであった秩序は崩壊し、日本人の入植者は、現地住民によるそれまでの抑圧に対する報復として、様々な悲劇が生じていたのであった。
又、人民解放軍による地主からの土地没収、農民への再分配に伴い、
<土地改革>
というべき、中国共産党の一連の新政策に、地主達が反対し、抵抗した場合、人民解放軍による銃殺等、流血の事態も生じていた。又、中国は国土が広大なだけあって、様々な政策が、必ずしも、一筋縄ではいかない、といった現実もあったようであった。
日本の新聞、ラジオ等のマスコミは、こうした状況を、香港等の通信社を経由した情報として、大々的に報じ、
<赤魔>
が如何に、危険な存在であるか、を大々的に喧伝していたのであった。
佳代子の親戚の一家は、ソ連軍が満州に侵攻する少し前、満州国外に移転して来ていた。故に、ソ連軍に逮捕等はされずに済んだのであった。それは、幸運と言えた。
ソ連軍は、日本関東軍を壊滅させたその勢いで、朝鮮半島にも侵攻し、結果として、左右両翼の勢力から成る
<朝鮮人民共和国>
を成立させたのであった。
朝鮮は、日本とは異なり、南北に分断されない新しい統一国家となったので、結果として、佳代子の家族を小作人としていた地主一家は、朝鮮半島を経由して、日本に帰国したものの、結果として、地主一家は、その親戚一家を受け入れなかったのであった。
その理由は分からないものの、その親戚一家は、台湾、あるいは、まだ
<大東亜共栄圏>
が保持されている東南アジア方面に行ったらしかった。
「結局、その親戚さん達はね、地主一家から、<大東亜共栄圏>を維持するためには、やはり、内地ではなく、東南アジア方面に移った方が良いよ、なんて言われたらしいけど、地主一家も、自分らの負担として、これ以上、持ち切れなかったなんじゃないかしら。それで、追い出したんでしょうよ」
新聞の広告欄等では、
「東南アジア方面への転居をご希望の方は、ご相談ください」
等の見出しを見ることが多くなっていた。また、街角のポスター等では、
<拓け!満蒙!日本の最前線!>
等のスローガンは当然の如く姿を消し、かわって、
<志有る者、立ち上がれ!皇国日本の大東亜共栄圏を死守せよ!>
の標語が、多く見られるようになっていた。
そうした標語は、壁に直接書かれているものも少なくなく、前者の語句を塗り消した、あるいは、削ぎ落した上に、後者の標語が書かれているものもあり、後者の語句の下に、前者のそれの跡が薄っすらと残っている壁等もあった。
「うちの郷里の地主連中も、偉そうに皇国・日本なんて言うけれど、やっぱり、自己中心なのよ」
佳代子は、自身が受けさせられた過去の苦労を吐き出したたくて、このように言ったのだろうか。吐き出すことで、自身の心中に溜まった怒りを、それこそ、吐き出したかったのかもしれない。
しかし、今や、誰もが、様々な形で、
<自己中心>
と化し、自身のことしか考えられないのが、
<大東亜戦争・戦勝国>
としての
<大日本帝国>
の現実の姿なのであった。
「とにかく、もう寝ましょう。明日の今頃は、<北>に向かって出発している時よ。疲れをしっかり、とっておかねばならない」
佳代子は、涼子に寝るように促した。
涼子は眠りにつき、佳代子も眠りについた。
5-3 モスクワ
自転している地球上では、そのどこでも、人間の活動が見られるものである。
モスクワの自宅マンションにて、ヨシエ=クツーゾネフは、KGB少佐として、ではなく、1人の母親として、笑顔を見せた。1957年、無事に女の子が生まれ、その子は既に、3歳、今年で4歳にならんとしていた。その子の名は、
<ミサキ>
と名付けられた。
<ミサキ>
という名には、美しく咲くという願いから、
<美咲>
という意味と、たとえ暗い中でも、明るく、元気に周囲を照らすような灯台のような子であって欲しい、という願いから、
<岬>
という意味の、2つの意味が込められていた。
彼女が生まれた時、母親としてのヨシエは、夫のアレクセイと話し合って、当初、
<ヨシコ>
にしようか、とも思った。
<ヨシコ>
なら、良子、美子等、様々な見合いを込めることもできるからである。
しかし、ヨシエに思うものがあった。かつての大連の日本料理店で出会った本田美子のことであった。
1957年、ソ連軍が東日本に侵攻した際、ソ連軍は、各方面のソ満国境から、満州国にも雪崩れ込み、満州国を崩壊させたのであった。
その中には、かつて、ヨシエ自身が陥落させ、ソ連軍の占領下に置き、その性格を
・ 大日本帝国、満州国→ソ連邦、中国共産党
とした外郭要塞にて戦闘準備を為した軍も含まれてた。換言すれば、ヨシエが満州国崩壊の引き金の一端を引いたとも言えた。
1931年の満州事変後、1933年に成立した傀儡国家
<満州国>
はここに崩壊し、ソ連邦への東からの脅威はついに取り除かれたと言って良かった。それは同時に、ヨシエの大きな功績でもあったと言える。
「だけど」
と、ヨシエには思うものがあった。
「ソ連軍が満州に侵攻した際、きっと、大きな混乱があったでしょうよ。その時、美子ちゃん、どうなったのかしら?」
<国際情勢>
という大きな歯車が動く時、多くの人々は、その歯車の下で、無名の
<その他大勢>
あるいは、
<無名の一個人>
で終わるのである。美子として、その例外ではあるまい。例外でない
<その他大勢>
は、無論、命を落とすことも珍しくはない。美子がそうなっている可能性も十分にあり得た。
「だので」
美子は、ほぼ確実に、
<その他大勢>
の中の
<無名の一個人>
として終わっているであろう。
かつて、ヨシエが、倉本芳江の名義で、東京の知人たる藤倉妙子に送った書簡に書いたように、
「どこかへ流れていきます」
の状態であれば、まだ良い。しかし、やはり、
<死>
という形で、
<その他大勢>
の一員たる、それこそ
<無名の一個人>
としての生涯を終えている可能性は、十分にあり得た。
ヨシエは、生まれの祖国としての大日本帝国を棄て、ソ連邦を自身の祖国とすることによって、今日までの自身の人生を生き抜いてきた。というより、それ以外の生きる道がなかったと言っても良かった。そうしなければ、生きられない状況に置かれていたことから、自分自身が生きることに、というより、自分自身を生かすことに、必死だったと言える。
しかし、アレクセイと結婚し、
<家庭>
を持つようになると、どうしても、
<自分を生かすこと>
のなかには、
<家族>
を思う、ということも不可欠な要素として現れて来たのであった。まして、自身が出産した子供のことともなれば、その子のことを思わずにはいられなかった。
そうした心境の下では、やはり、自身の子に
<ヨシコ>
と名付けるには、何かしら、ためらわざるを得ないものも、一方ではあった。自身の子を、仮に生きていたとしても、不安定な状況にあることが想像できる本田美子と同じにはしたくなかった。
故に、考えを改め、<ミサキ>と名付けたのであった。
本田美子を不安定にしたのも、そもそもの火種は、ヨシエが蒔いたものだったともいえる。
しかし、かの文殊旅館で、よく世話してくれた美子が無事であって欲しい、と思う気持ちもあるのである。
「例えば、美子ちゃんが、無事に日本に戻れたとしたら」
考えられるルートの1つが、統一朝鮮というべき、新たに成立した
<朝鮮人民共和国>
を通って、日本に帰国するルートであろう。
満州国に雪崩れ込み、同国を壊滅、崩壊させたソ連軍は、朝鮮にもそのまま侵攻し、朝鮮総督府と朝鮮軍(日本軍の一方面軍)を壊滅し、朝鮮半島を日本から解放したのであった。そのソ連軍の力を背景に、
<朝鮮人民共和国>
の成立を見たのであった。
場合によっては、このまま、九州方面まで侵攻し、日本全体を占領下に置くことも可能であったかもしれない。
「だけど」
とヨシエは、心中にて呟いた。
出産、産休の後、復帰したKGBの職場にて、タチアーナをはじめとする部下や、上司のカピッツアから、
「それでは、場合によっては、ソ連邦にとって、かえってマイナスになるかもしれない」
という説明を受けていた。
米、英、あるいは、西欧の
<帝国主義列強>
は、現在、日本が<大東亜共栄圏>と称して占領下においている東南アジア各国にある
かつての植民地の回復をもくろんではいる。そんな状況の中、日本から押しやられた
<大日本帝国>
の残党は、東南アジア方面にて、米英等と手を組み、
<対ソ包囲網>
を結成する可能性も考えられなくはなかった。
ソ連としては、東南アジア方面で、各共産党を支援し、日、米、英、その他の列強、あるいは、地主層等、所謂、
<地元支配層>
が団結して構築するかしれない<対ソ包囲網>に対抗することも考えられる。
しかし、第二次世界大戦にて、国土が戦場とならなかった米国は、ソ連よりもはるかに経済的に勝っているという現実もあった。
故に、ソ連が、そうした<対ソ包囲網>に対抗し得るか否かは未知数でもあった。加えて、欧州方面にも、対米、英、さらには西欧列強といった意味で大兵力を展開している現実がある。
これ以上の、軍事的展開は、ソ連邦にとって、経済面からも過重になる可能性があった。さらに、毛沢東の中国がどのように動くかもソ連にとっては、不明確なところがあった。
故に、日本全土への攻略については、現時点では周囲の
<国際情勢>
を考慮した場合、控えることも必要である、という判断から、日本本土に侵攻したソ連軍は、東日本の占領のみで留め、
・柏崎-いわき
を結ぶ線が、所謂
<南北日本>
の国境線となったのであった。
又、朝鮮については、中ソ両国の間に位置する微妙な存在であった。朝鮮が親ソ体制となった場合、新生国家・中華人民共和国は、自国が包囲、圧迫されている、と解釈する可能性もあった。
現に、毛沢東は、延安時代、所謂<親ソ派>を排除し、今日の中国共産党の路線を確立したのである。ソ連からの
<圧迫>
をはねのけて、成立したのが今日の中国共産党であり、中華人民共和国である以上、ソ連の動きが、さらなる
<圧迫>
と解釈された場合、中国の対米接近等、ソ連にとってはマイナスであり、それ故に、中ソ関係にとっては、朝鮮は微妙な位置にあった。
<中華人民共和国>
までもが、ある種の
<対ソ包囲網>
-現時点では、ソ連にとっては、シミュレーションの段階でしかなかったものの-に加わることがあっては、極めて、マイナスな事態と言えた。
故に、朝鮮を制圧した、ソ連としては、左右両翼折衷の
<朝鮮人民共和国>
を成立させ、一種の中立地帯としての統一朝鮮としたのであった。
ヨシエにとっては、勿論、美子が、
<南北日本>
の<南>、<北>のいずれかの出身であるかは定かではないものの、
<南>
に戻ったとしたら、朝鮮経由のルートであったかもしれない。
あるいは、まだ、大日本帝国が、それこそ、
<大東亜共栄圏>
と称して勢力を保っている東南アジア方面に向かったであろうか。大日本帝国の体制は、
<大東亜共栄圏>
故に、内地が窮乏化し、それ故にますます、東南アジアへの移住、入植等によって、内地の負担を減少させ、かつ、物理的に、この体制を維持せんとしているこちは、日本関係情報として、ヨシエも、KGBにて知っていた。
「ママ、ママ!」
「あ、ごめん、さっきから、ミサキちゃんのこと、かまってやれていなかったね」
娘・ミサキの前だったにもかかわらず、KGB少佐の顔になっていたヨシエは、ミサキに改めて視線を向けなおし、母親の顔に戻った。
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