もう1つの東西冷戦―南北日本分断編

阿月礼

第1話 <北>へ

もう一つの東西冷戦-南北日本分断編

1 <北>へ

1-1 列車内


 汽車は<北>へと向かっていた。

 <北>

という文言には、既に昭和36年(1961年)の日本においては、いくつかの意味を有していた。

 <北>

と言えば、当然の如く、方角としての

 <北>

である。かつて、

 <大日本帝国>

は、北海道以北にも領土を有していた。しかし、それが、ソ連の対日参戦によって、今や、それは過去のものになっていた。

 しかし、大日本帝国が、領土としての<北>を失ってから、然程、時間は経過していない。それは、

 <近い過去>

とでもいうべきものであった。そして、現在では、

 <南北日本>

という現状が人々に、つまり、

<社会>

突き付けられた現実であった。人々はあまりにもあっさり、それまでとは変わってしまった 

 <現実>

を受け入れられているだろうか。受け入れられない人もいるだろう。しかし、それが、やはり、

 <現状>

という名の現実であった。

 現在、列車は、蒸気機関車が汽笛を上げつつ、まさに、方角としての

 <北>

へと向かっていた。

 既に、日は暮れ、車内は夜間ではあるものの、車内灯は点いている。しかし、多くの人々が疲れからか、既に寝入っている人も少なくない。

 そして、昭和36年の今日、

 <北>

と言えば、大日本帝国と睨みあう、ソ連を背後にした

 <日本人民共和国>

を指すことは言うまでもないことであった。

 人々にとって、まさか、

 <不滅の神州>

であるはずの皇国・日本こと、

 <大日本帝国>

があっさり、その

 <北>

すなわち、

 <北海道、東北>

をもぎ取られるとは思いもよらないことであった。おそらく、一般市民の多くにとっては、それこそ、映画を視聴しているかのような話のようにも思われているようであった。

 <映画>

という娯楽は、-<戦意高揚>を目的とした<国策映画>が多かったものの-それでも、人々の上にのしかかっている日常化した

 <常識>

というべき

 <非常時>

-この言葉そのものが、昭和17年以降、常々、新聞等のマスコミによって言われ、下町と称せられる住宅街の壁等に貼られたポスターに大きく強調される等、それこそ、<常時>の言葉と化していた-

を、少しでも忘れさせ、人々を 

 <非常時>

という日常から、別世界へと誘ってくれる存在であった。

 <国策映画>

とはいえ、過去の日本の歴史の中の英雄を取り上げたものもあり、そうしたものは、人々に束の間の心の休息を与えているようなものであった。

 ある映画が、日本史の中のある盗賊団をテーマにして、上映されていたことがあった。その映画の中では、盗賊団は、スクリーンの中で大活躍するものの、最後は、領主の武士団に捕らえられてしまうのであった。この映画の作り手は何を言わんとしていたのであろうか。

 「自由奔放な盗賊団は、息苦しい日々の中でも、自由と自立を求めて戦っている」

ということを強調したかったのであろうか。それとも、

 「悪者は、最後には正義の味方に捕らえられる」

ということを強調したかったのであろうか。

 この映画には、他の国策映画であれば、必ず、入っているであろう

 <聖戦・大東亜戦争>

 <大東亜共栄圏、断固、神州不滅の信念に基づき守り抜け>

等の字幕スローガンは、入っていなかった。

 つまり、映画の作り手が何を言わんとしているのかは、視る側の解釈に任されているのである。その意味では、そこに

 <自由>

があったと言えた。

 この映画も又、<常時>と化した

 <非常時>

の下、軍部や政府の検閲を受けているに違いなかった。しかし、お定まりのスローガンは入っていなかったのである。

 この映画の作り手に対し、政府の検閲担当者は、政府本位のスローガンを入れることを要求したであろうか。多分、要求したであろう。しかし、それでも、上映された作品にはそうしたスローガンは入っていなかった。

 検閲担当者の要求に対し、映画関係者は、何と主張、あるいは申し開きしたのであろうか。

 「娯楽映画なので、そのようなスローガンは入れない方が良いでしょう」

では、検閲担当者を納得させることはできなかったであろう。

 <非常時>

たる日常において、

 <娯楽映画>

の存在など、まさに、

 <時局>

に合わない存在として、昭和16年の大東亜戦争開戦前から、その存在が許されない存在なのである。

 それでは、どのように検閲担当者の許可を得たのであろうか。映画関係者は、こう言ったのかもしれない。つまり、

 「映画の中で、盗賊団に思いっきり暴れてもらい、その上で。領主の武士団に捕らわれてもらいましょう。そうすれば、悪者は悪あがきをしても、最後は武士団に捕縛されます」

 それに対して、検閲担当者は、どのように言うだろうか。

 「しかし、それが、どのように、この非常時のただ中にあって、皇国の威信に関係するのか?」

 「つまり、領主は天皇陛下、武士団は皇軍将兵です。盗賊団は敵です。映画の中とはいえ、敵は皇軍将兵にはかないません。激戦の末、盗賊団をとらえたともなれば、旗色の悪いと言っては、皇軍将兵の皆さんの奮戦には失礼ですが、我が皇国の臣民を励ますにはちょうど良く、<時局>にかなっているかと思われます。

また、スローガンがなく、映画の中の演技のみで訴えることができれば、観客を大いに引き付けることで、効果はより上がると思われます」

といった具合に、検閲担当者を説得したのかもしれない。

 映画製作の舞台裏に何があったのかは、視る側のあずかり知るところではない。しかし、特高、憲兵等の

 <社会>

への監視の目が光っている日常では、検閲に関することは、素人にとっても、ある種の

 <常識>

であった。

 あるいは、<北>こと、

 <日本人民共和国>

からの放送である

 <人民の声>

から、人々の関心を何とかそらそうと、検閲担当者も、いつもとは一味違う映画の製作に同意したのかもしれない。

 大日本帝国政府としては、<北>からの宣伝に

 <帝国臣民>

たる<社会>が接触できぬよう、その周波数に合わせた妨害電波を流していた。妨害電波が流されれば、ラジオの音は砂嵐のような音になり、番組は中断される。しかし、それだけでは、十分ではなかろう。

 <社会>

は情報に飢えており、また、其の飢えに応じるべく、

 <人民の声>

も様々に周波数を変えて、<南>

つまり、

 <大日本帝国>

に向けた放送を行っているのである。

 故に、それこそ、そんな

 <時局>

のなか、大日本帝国政府としては、

 <娯楽>

を与えることによって、

 <帝国臣民>

の関心を政府権力の側に引き付けようとし、それゆえに、ある種の

 <国策映画>

として、

 <娯楽映画>

を制作させ、上映させたのかもしれない。

 再び、蒸気機関車の太い汽笛が鳴った。

 自身がそれこそ、勤労奉仕の合間に

 <娯楽>

としてみた映画について、思いに耽溺していた江口涼子は、改めて、列車の中で現実の世界にひきもどされた。そして、隣で、既に寝入っていた東京からの同乗者・川本佳代子に目をやった。


1-2 列車内での回想


 今年23歳である江口涼子は、いわば、家出して

 <北>

へ向かっているのであった。東京から

 <北>

の方角と言えば、日本海側である。

 4年前、ソ連軍が新潟をはじめ、東日本に上陸し、ある種の激戦の末、北海道、東北に

 <日本人民共和国>

が成立したことは、涼子が住む東京方面でも当然の如く、話題になった。それは、勿論、恐怖と驚愕の事実であった。

 <常識>

が崩れていくという

 <現実>

がそこにあった。それこそ、映画を見ているかのような感覚であった。

 <日本人民共和国>

成立による

 <南北日本>

の出現という

 <事実>

でありながら、映画のような世界において、江口涼子という1人の女性は、-それが、それこそ、映画であるならば-多くの配役の中で、所謂

 <その他大勢>

というべき、エキストラ的存在であった。しかし、

 <その他大勢>

にも、当然の如く、日々の生活があるのである。

 涼子にとっての日々の生活と言えば、東京市内での土木工事が、一番に挙げられるだろう。

 <大東亜共栄圏>

維持の為の戦いは、いまだに、と言うより、いつ果てるともなく続いているのである。多くの働き盛りの男性達が、そのために、占領各地での最前線に送られているという事実があった。

 勿論、徴兵期間の終わった者から内地に帰還してはいるものの、総じて、労働力は不足しているのある。

 故に、大東亜戦争の戦時期が続いていると言える今日、女性の労働力が活用されているのであった。

 しかし、女性の土木作業といっても、土木機械等があったわけでもなかった。シャベルやもっこといった手作業用の道具による作業である。加えて一貫して続いている食糧不足である。身体的疲労は如何ともしがたいものがあった。

 <日本人民共和国>

成立によって、北半分を奪われた

 <大日本帝国>

としては、旧来の<大東亜共栄圏>のみならず、ラジオ放送をも含めた

 <北>

からの侵略を防ぐ必要に迫られていた。<南>にとっては、

 <北>

からの侵略ともいうべきラジオ放送

 <人民の声>

は、その放送内容を

 「南日本の解放」

と主張していた。それは、ラジオ放送のみならば、<声>の世界であることは言うまでもない。しかし、

 <北>

が軍事力を発動し、南北国境を越えて来たならば?

 その脅威にも対抗するため、帝都・東京の要塞化の動きが必要とされた。

 故に、そこここで、ビルの要塞化、例えば、窓を銃眼として使用する空間を残して、煉瓦で埋める、塹壕を掘る等の作業である。さらに、軍事的重要施設の周囲から、民家を含め、建物を強制疎開する

 <疎開>

も行われるようになっていた。そのため、建物の解体も行われ、その際、場合によっては、戦車も用いられるようになっていた。

 要塞化工事の現場にて、動員されていた涼子としては、

 <戦車>

という、ある種の戦時の重装備が現れたことによって、昭和17年の実質的勝利以降、<非常時>が続いていたとはいえ、ある種、

 <平和>

と思っていた自身の日々の生活が、しかし、なお、未だ、

 <戦時>

にあることを、改めて認識させられたのであった。

 戦車は、同じく、工事現場で作業していた男性-以前、南方戦線に行き、戦地にて戦ったことのある人物であった-によると、95式という軽戦車であった。-軽戦車は、<戦車>という重装備の中では、軽装の方であるとされたものの-いとも簡単に、民家を押し潰し、解体したのであった。

 この日、解体されたのは数棟の民家であった。現場にはこの家の住人らしい人々もいた。

 ある女児が、

 「私達の家、なくなっちゃたね」

と複雑な表情で言った。傍の母親らしき女性が、

 「そうね」

と一言、言った。そして、女児の兄らしい男児が、

 「おばあちゃんのところに行くんだよね」

とつぶやいた。

 「そうよ、私達は、おばあちゃんのところに行くの」

と一言、言った。約4年前の

 <日本人民共和国>

成立以降、東京は、大日本帝国の

 <帝都>

でありながら、市民の他地方への流出が始まっていた。

 <北>

 「南日本の解放」

を叫んで、南北国境を突破してくることは、昭和36年の今日まで、とりあえずはなかったものの、

 <社会>

を為す

 <臣民>

からすれば、いつ、

 <北>

からの侵攻があるか分からない、という先の見えない常なる

 <恐怖>

に包まれているのが、日常しての他ならぬ

 <現実>

であった。

 東京での住まいがなくなるという

 <住>

を他所に求めざるを得なくなるということは、しかし、常時、ある種の

 <恐怖>

を心中に持たざるを得ない東京から離れられるという口実が得られるという意味では、

 <良き機会>

であるかもしれないかった。

 涼子が見る限り、母親らしき女性は、勿論、

 「家が解体されてむしろ良かった。危険がある東京から離れられるし、田舎の方が田畑もあるので、食糧事情も良いかもしれない」

等とは言わなかった。しかし、内心はどのようなものであったのだろうか。

 学校のグラウンド、街中の公園、その他の空き地等も畑にされ、ジャガイモ、カボチャ等の食糧増産のための畑になっている今日この頃なのである。

 涼子にも地方に親戚等はいた。しかし、他地方に行ったところで、生活が成り立つかどうかはわからない。大日本帝国は、全土で食糧不足となり、又、物資不足となっていたのが

 <事実>

であった。占領地の維持、すなわち、

 <大東亜共栄圏>

の維持の為、占領地で採れた各種資源は、そのまま、現地での占領軍に

供せられるかたちになっていた。

 マスコミ等は相変わらず、

 <大東亜共栄圏の意義>

 <神州不滅の信念>

を強調していた。しかし、日々の生活の舞台である

 <内地>

における

 <社会>

は困窮したままであった。涼子とて、心中、

 「何のための<大東亜共栄圏>あるいは、<大東亜戦争>なのか?これって、本当に<聖戦>なの?」

と、疑問を感じざるを得なかった。

 そうして、工事現場で自身の思いにふけっている時、現場監督の声が響いた。

 「おい、そこの者!何をぼさっとしておるか!仕事にかからんか!」

 「え?はい、すみません!」

 怒声で、自身の心中から、現実の世界に引き戻された涼子は、シャベルを持ち直して、塹壕掘りの土木作業に戻った。


1-3 訓示


 「最近の奴等は、どいつもこいつも気合が入っとらん」

 現場監督の男は、作業をしている涼子等の背後で、怒りを顕わにした。

 この男は、元軍人で、在郷軍人会に所属していた。在郷軍人会から監督の身分で派遣され、東京の要塞化計画に基づく工事の一翼を担っているのであった。

 午前の工事が終わって、昼食-いつもの如く、ジャガイモ、カボチャ等の根菜の弁当であり、米飯はないのである-の後、午後の作業が始まるのかと思っていたら、涼子達は、監督たる彼の周囲に集められた。

 「今、我が皇国は、皇軍将兵の飲まず、食わずの尽力によって、成立せられた大東亜の新秩序を護り切れるかどうかの正念場にある。貴様等、婦女子もだらけてはならぬ!」

 いつも通りの訓示である。もっとも、昭和36年の今日、既に

 <大東亜共栄圏>

は既に、既存の存在であって、20代の若人にとっては、

 <新>

なのではないのだが。

監督の周囲に集められた勤労奉仕隊の女性労働者達は、

 「あ~あ、また、怖い監督の怒声演説なんだろうね」

と、内心、反発の怒り、というものを通り越して、日々の当然の如く存在している

 <生活>

の一場面として、聞いていたのであった。

 涼子は内心、

 「いつも通りの訓示でしたら、早目に終えられた方が良いんじゃありません?<訓示>

に時間をとられていたら、その分、工事の時間が減りますでしょ。大東亜共栄圏維持の為

なら、時間を奪わない方が良いんじゃありませんか?」

と心中にて、嘲笑交じりに

 <異議申し立て>

を行った。勿論、声に出したら、ただではすまない。

 しかし、内心であっても、何かを言わないと心中に不満が溜まって、精神的におかしく

なりそうである。

工事監督は、涼子のこの声にどのように答えるだろうか。周囲の他の労働者の中で、

 <心中の声>

を発した涼子ではある。彼女は、その声故に、顔の表情が変わっていたかもしれない。工

事監督が、彼女の表情に気づけば、何か反応したかもしれない。しかし、

 <大東亜共栄圏>

の意義を一方的に語る工事監督氏は、それに気づかないようである。一方的に

 <訓示>

をしている彼は、先程の涼子と同じく、自身の内心の世界に耽溺しているのであろう。故

に、周囲からの

 <異議申し立て>

等には気づかないのであろう。しかし、気づかれてはかえって、大変である。どんな目に

遭わされるか、分かったものではない。  

 「貴様等には、ある映画を見てもらう」

 しかし、次に監督の口から出た言葉は、涼子等の予想を裏切るものであった。

 「毎日、<非常時>が言われているのに映画?」

 意外な言葉に、涼子等には、戸惑いの表情が広がった。涼子の1人の同僚が言った。

 「監督、どんな映画なのですか?」

 あまりにも意外なことなので、思わず、質問せざるを得なかったのであろう。

 「うむ。かつての我が国における盗賊団と、大名の下で戦う武士団の間での戦いの物語だ」

  益々、意外な話である。

  監督の説明が続いた。

  「貴様等、婦女子は、皇国の銃後の担い手でありながら、あれやこれや、<大東亜>のあるべき姿への下支えとしての自覚をなくし、だらけている者が少なくない。そこで、皇国への忠誠心を取り戻すべく、映画鑑賞によって、それを取り戻せとの仰せである」

  どんな映画なのか?しかし、毎日、この監督の怒声訓示を聞いているよりは、少しは新鮮なものになるのかもしれない。

  涼子は、少しく笑顔になった。輪の中から質問の声が上がった。

 「入場券は必要なんですか」

 「うむ、今から配る。1人1枚だ。取りに来い」

 勤労奉仕の彼女等は、1人、1枚ずつ、監督から入場券を受け取った。

 涼子も券を受け取った。受け取りつつ、しかし、違和感を感じた。普段、監督は彼女等に一方的

 <訓示>

し、

 <命令>

する存在である。つまり、彼女等に一方的に

 <要求>

する存在である。彼女等に対し、

 <提供>

を為すことはほとんど、というより全くない。強いて言えば、給与の入った給与袋を手渡

すくらいである。それも-噂によるものではあるものの-何かしら、中途でのピンハネが

なされているということが言われていた。

 もっとも、現金があっても、食糧をはじめ、物資が不足している昨今、現金があっても、

どれほどの意味があるのか、という現実の問題があった。物資不足から、価格は高騰し、

それゆえに、街のあちこちが畑になっているのである。

 そんな中での

 <提供>

であった。

 涼子にすれば、監督は常々、暴力的であることから、映画の入場券を提供する彼の姿は、

かえって

 <違和感>

をもって、感じられたのであろう。

 とにかく、映画の入場券を受け取った涼子としては、

 「久しぶりに、何か楽しいことがあるかもしれない」

と思ったそうでも思わなければ、監督からの動きを受け取る気にはなれなかったであろう。

かといって、監督の動きを拒否できるわけでもなかったが。周囲も多くが、何か戸惑いの

表情を浮かべているようである。涼子と同じように、何らかの

 <違和感>

を感じているのだろうか。

 各々、自身のある種の世界に耽溺しているであろう勤労動員の彼女等の世界を監督の声が破った。

 「貴様等、婦女子も、映画を通じて、自身の態度を振り返り、皇国と大東亜の秩序が正念場となっている今、気を抜くことがあってはならない!」

 監督の声が怒声に戻った。涼子達は、一時的な耽溺の世界から、工事現場でのいつもの

 <現実>

の世界に引き戻された。一時的に

 <違和感>

をもって感じられた表情を為していた監督の顔は、いつもの如く

 <怖い>

表情に戻っていた。

 「貴様等、さっさと工事に戻らんか!」

 涼子達は、勤労奉仕の労働者として、塹壕掘りの作業に戻った。

 相変わらず、そして、当然の如く、シャベル等による手作業であった。

 塹壕を掘りつつ、掘り出した土で、土塁やトーチカ等の陣地を構築するわけである。

 黙々と作業しつつ-黙々とせず、周囲とおしゃべり等して、作業が止まりでもしたら、監督に体罰等の制裁を加えられかねない。先程、体罰はなかったものの、涼子は、現に怒声を浴びたのである-涼子は、内心、やはり思った。

 「新潟にソ連軍が上陸した際、新聞とかでは『我が皇軍の奮戦』なんて、書いてあったけど、ソ連軍に負けて、<北>が成立しちゃったじゃない。こんなことして、本当に、戦えるわけ?何の意味があるのかしら」

 <社会>

の側からの素朴な疑問であった。しかし、これは口に出して声にすることはできない。

 しかし、そんな中で、数日後の映画鑑賞という

 <違和感>

ではあるものの、<楽しみ>になるかもしれないものを得たことは予想外のうれしさであったかもしれない。

 但し、この時点で、1つだけ、不安があった。自身の鞄の中に映画の券を入れ、荷物置き場に置いているものの、自身が作業している間に、誰かに盗まれるのではないか、ということである。

 <闇経済>

は、もはや、もはや

 <社会>

の方々にはびこっている。食料をはじめ、窮乏化が進んでいる昨今、盗み等の犯罪の横行は、既に

 <常識>

と化していた。法という<社会>を定義するルールは、半ば、有名無実と化している感があった。そんな中、楽しみのない昨今の中、映画の券という珍しくなった

 <娯楽>

になり売るものを盗み、食糧等と交換すれば、その者にとっては、一儲けであろう。

 こうした<常識>と化した犯罪に対しては、警察も半ば、無力であった。

 自身の身は、自身で守らなければならなかった。

 しかし、午後の労働時間である現在、まずは、黙々と塹壕掘り、陣地造りが自身の身を護る行動とも言えた。少なくとも、この現場での具体的な権力というべき現場監督の男の前では、それこそ、

 <勤労奉仕>

の姿をとらねば、どんな制裁が加えられるか、分かったものではない。

 先程、怒声を浴びた涼子は、とにかくも黙々と作業を続けた。

 そうこうしている間に日が暮れ、終業時間の午後5時になった。季節が秋に近づいていることもあり、空は暗くなりつつあった。

 「集合!整列!」

 監督の声が響いた。

 涼子達は、昼の時のように、監督の前に集まった。

 「今日の勤労奉仕は終了、解散!」

 1日の勤労奉仕作業はあっさり終わった。涼子達は荷物置き場に向かった。

 涼子は、自身の鞄を開いてみた。映画の券が無事だったか、心配だった。

 映画の券は無事だった。

 とりあえず、今日1日は何とか、無事に終わったようであった。

 

 涼子は、既に寝ている佳代子の傍らで、映画の入場券をもらった日のことを回想していた。

 再び、蒸気機関車の汽笛が太く、鳴った。列車は引き続き、

 <北>

に向かっていた。

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