第3話 竜による、人間の育て方

 肩までの赤髪を手櫛でささっと整えたピュウが、赤ん坊を抱きかかえる。


 彼女に抱えられたことで安心したのか、赤ん坊が泣き止んだ……さすがは女子だ。


 女子、という年齢でもないのだが……――と考えたことが顔に出たのか、ピュウが幼馴染の足を強く踏んづけた。


「痛っ!? なにすんだッ!!」


「あなたの考えが透けて見えたから。……ねえ、本当に森で育てるの? 領地に戻って家族にアドバイスを貰った方がいいんじゃ……。

 子育てなんて、わたしもあなたもしたことがないんだし――、間違えるよりも先に、ちゃんとした知識があった方がいいわよ」


「探り探りで、領地の連中にも聞いてみるさ。

 しばらくは森の中で……交代で面倒を見る。後のことは追々、決めていけばいいだろ」


「全部を後回しにする気よね……まあいいわ。

 ひとまず、必要なものを領地から森の中に持っていって――」


「お前、乳は出るのか?」

「セクハラするなら燃やすわよ?」


 口を開けたピュウの喉奥が燃えていた……人型でも炎は吐けるのだ。


「わ、悪い……そういうつもりじゃなくてだな……。気を付ける。だから口を閉じろ」


 渋々、と言った様子で口を閉じるピュウが視線を落とせば、赤ん坊が笑っていた。

 手を伸ばして、ピュウの頬を掴もうとしている……元気だ、元気過ぎるくらいに。


「リグヘット……だったっけ?」


「だな。名前……だけだな。他は、書いてない……何歳かも分からねえな」


 生まれた直後でないのは分かる。一歳か、それともまだ数か月か……。


 まだ自力では立てない赤ん坊であることは変わりない。


 赤ん坊から伸びた手が、ピュウの胸を叩き、興味を持った赤ん坊が連続して彼女の胸を叩く……、欲しがっているのだろうか? しかし彼女から母乳が出ることはない。


「ごめんね、リグ……わたしは人間の母親じゃないから……」

りきめば出るんじゃねえの?」


 入口で詰まっているわけではない。

 体内で生成されていないので、いくら吸ったところで出ないのだ。


 人型になれるとは言え、人間が作り出せて竜に作り出せないものは再現できない。

 母乳を必要としない竜は当然、母乳を作ることはできず……、

 竜が人間を育てた、という前例がない以上は、苦戦することは必至だった。


 人間の赤ん坊に必要な母乳をまず用意するところからだ……、人里へ下りて持ってくるしかないだろう。

 そこまでするならもう人里に下りた時に預ければいいのでは? と指摘するのは野暮だ。

 リグヘットを抱えたピュウは、既にもう、手離せないほどに愛着を持ってしまっている。


 うぅ、とぐずり始めたリグヘットに気づき、ピュウがあやすように体を揺らし始めた。


「どーしたの? お腹すいたの? あ、獲ってきたお肉、食べる?」


「赤ん坊が喰えるわけねえだろ。

 もっと食べやすいものを……、砕いた果物をさらに小さく刻めば食えるか?」


 なんにせよ、ひとまず森の中へ移動するべきだ。

 母乳は後回しにするとして、森の中で育てるための拠点……、それから栄養となる果物を採ること。やることを導き出し、一つずつをしっかりと達成させていくことが、結局は近道だ。


 リグヘットの環境の変化による体調変化も気を付けながら――、森の中へ移動した二人。


 拠点とする場所を決め、周囲から集めた木材で、ログハウスを作る……竜なら大木の窪みで充分だが、弱い人間はやはり壁と屋根がないと厳しいみたいだ。

 手間だが、簡易的にでもログハウスを作ってしまう方がいい。


「ピュウ、オレはしばらく森の中にいるが……お前はどうする?

 親父さんに外泊するって伝えた方がいいんじゃねえのか?」


「十年くらい音沙汰無しでも心配しないと思うけど……でも、うん。

 みんなを巻き込んで捜索でもされたら嫌だし……、一応、声をかけてくるね」


「お前が一日いなくなれば、領地の中は大騒ぎな気がするが……ああ、分かった。ついでに子育てについて、ババア共から聞いておいてくれ。オレが聞くよりもお前が聞く方が自然だろ?」


「赤ちゃんができたのかって邪推されるでしょ」


 人の子だけど、できたようなものだが。


 ピュウは竜の姿に戻り、森から飛び立った……竜たちが住む山の頂上付近――ドラゴン領地ハーバーへ向かうためだ。


 戻ってくるのは明日、としておこう。


 それまでは彼が、リグヘットの面倒を一人で見ることになる。


「……厄介なのは果物と一緒に、リグを連れ去ろうとするだろう猿共だが……、竜の姿なら警戒する必要もねえんだが、ここじゃあ、変身しにくい。

 そもそも隠れて子育てしてるんだから、派手なことはできねえし……、面倒くせえ」


 いっそのこと、森の中の猿、全部を喰ってしまおうかと思ったが、生態系が壊れるので踏みとどまった。リグヘットを育てた先で、世界がなければ意味がない。


 ……後々のことを考えると、リグヘットをどう育てるか迷う。

 人間として? 竜として? それによって、育て方がまったく変わってくる――が、人間として育てるとして、そんなことができるほど器用な自分ではないだろう。


 考えるのは大事だが、考え過ぎもダメだ。……ざっくりと決めておいて、臨機応変に変えていくのが良いのだろう……、それもそれで器用さが求められるが。


 それでも、前者よりはまだできる。

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