第2話 桜色の竜・ピュウ

 鼓膜が破れるくらいならまだマシだ。

 音にびっくりして心臓を止めてしまえば……、蘇生は難しい。


 胸を叩いたら、心臓を刺激するどころか、全身を痛めつけているようなものである。

 だから『音』はダメだ……なら、『光』は?


 赤ん坊の目を、手をかざすことで塞げば――赤ん坊に悪影響を与えることはない。


 上を向く。雷雨が止まない暗雲の向こう側へ向け、大口を開けた竜が赤い光球を吐き出した。


 偶然か、必然か、炎の球体に雷が落ち、亀裂のような模様が浮かぶ。

 その隙間から弾け出るエネルギーが……、暗雲の寸前で爆発し――



 音が遅れる。


 真っ白な世界が、周囲一帯を染め上げた。


 暗雲を吹き飛ばす、大爆発だった。



 衝撃から赤ん坊を守るため、両手で赤ん坊を包む。

 光は遮断しているが、音は難しいかもしれない……、

 耳に障害が残らないことを祈るしかないか。


「やり過ぎたか……? 助けを呼ぶための合図のつもりだったんだが――っとと、」


 足場が崩れ、片足が川に埋まる。

 意外と深かった川の底に戸惑い、両手も使えないため、バランスを崩して川に沈んでしまう……、赤ん坊を包んだ両手は真上へ掲げたまま……、ゆったりとなった川の流れに任せて、その黒竜こくりゅうは滝から放り出された。


 翼を広げて体勢を整え――るよりも早く、上空の光に気づいて駆け付けていた『仲間』の存在を確認し、今回は甘えることにした。


 彼よりも一回りも大きな竜の背中に着地する。


「珍しいな、お前が竜の姿になるなんてさ。そのでっけえ体がコンプレックスなんだろ?」


「分かってるなら言わないでいいから。……炎の光球が見えたのよ、救難信号でしょ? あなたがあれに頼るってことは、相当切羽詰まっているってことだろうし……。すぐに駆け付けないといけないって分かれば、コンプレックスがどうとか言ってられないでしょ」


「そうか……助かった」


「で? どうしたの?」


 大きさが一回りも違うとは言え、竜を背中に乗せていれば重いし、一応、相手は『女の子』だ……いつまでも頼ったまま、乗るのは申し訳ない。


 なので姿を人型へ戻す……いつまでも赤ん坊を包んだまま、というわけにもいかない。


 人型になり、腕の中で雑に赤ん坊を抱く。体は冷えているが、まだ泣いている……泣く元気があるなら安心だ。

 衰弱していなければ周囲の変化に戸惑ってもいない。変わらず自分のペースで泣き続けられるのであれば、この子は大物になるだろう。


「え、なにその子……」

「人間の赤ん坊だ。川に落ちてたんだ」


「拾っ、ったって、ことよね……え、育てるの? あなたが?」


「…………、いや……さすがにそこまでは考えてなかった……そうか、助けたんだから、こいつを育てる方法も探さないといけないんだよな……?」


 ……持ち帰る? 竜の領地へ? …………認めるか? 親が、兄が、姉が――仲間が。

 人間を毛嫌いしているわけではないが、所詮、生存競争の下層にいる生物である。食べるために育てることはあっても、純粋にこの子のためを想って育てることはしないだろう。

 彼も、育てるために助けたわけではないのだ……餌としての利用目的もない。


 人間は、食用として見れば、硬くて美味しくはないのだ。


「……人里に置いてくるか?」


「それ、きっと川に捨てた人間と同じことよね?

 ……その子が捨てられたのかは分からないけど……バスケットの中に手がかりはないの?」


 赤ん坊が入っているバスケットの中を確かめてみると……手紙があった。


 内容はこうだ。


『この子の名前は「リグヘット」です。

 どうか、この子の成長を見届けてあげてください』


 ……拾ってください、でもなく、育ててください、とも書いていない。

 どう扱うか、こちらに委ねているところが、気に喰わなかった。


『拾ってください』、『育ててください』と書いていれば、指示に従った、と言えるが……そう書いていなければこっちの解釈で育てることを決める必要がある。


 こっちが一歩踏み込め、と言われているような気がして……――考え過ぎだろうけど、書き手の『親切なだけの人は不必要』というところに、彼の反骨精神が刺激された。


「オレが育てる」

「え。……できるの? だって、持って帰れないでしょ?」


「近くの森に隠しながら育てることはできるか? オレと、お前で」

「わたしも!?」


「そりゃそうだろ、共犯者だ。……それに、正直、子供を育てると言っても、どうすりゃいいか分からねえしな……、お前がいると助かるんだ……無理か、ピュウ?」


 うーん……うぅーぅん……――と散々悩んだ挙句、彼女は頷いた。


「……分かったわよ。貸しだからね。

 幼馴染だからって、無償で手伝ったりしないから」


「恩に着る」



 崖の上へ戻り、人型の姿に戻った桜色の竜――名はピュウ。

 幼馴染と言いながらも、年齢差は十以上もありそうな見た目だ。

 無精ひげを生やしたガタイの良い隣の男には合わない、十代後半の少女の姿だ(人型の姿が実際の年齢と一致するわけではない)。


 竜の鱗を服のように見立てているようで、遠目からは半裸に見えるが、きちんと隠れるべき場所は隠れている。

 自前の鱗なので、服よりも何倍も頑丈なのだ。

 竜の姿に戻れば破ける服を、わざわざ着用する竜ではなかった。

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