リグ竜/超新星vs鳥神聖!

渡貫とゐち

上巻 ドラゴン・ハーバー編

第1話 竜と赤ん坊

 一日を通して雷雨だった。

 そんな悪天候の中、傘も差さずに歩く男がいた。

 彼は濁流となって荒れている川を見下ろしながら――目的のものを見つけた。


「あれは……赤ん坊か」


 雷の音に負けない泣き声が、遠くにいた男の耳に届いたのだ。

 帰路を『飛んで』いた彼は、方向転換をして声の出所を探した。気づいた時は真下だったが、やがて離れていく声は、つまり移動しているのだと予想できる。

 川が流れる方向と声の方向が同じとなれば、十中八九、流されていると考えるべきだろう。


 黒い翼をあらためて広げ、羽ばたく彼は、自身に落ちた雷をものともせずに突き進む。


 雨を弾き地上へ降りた時には、彼の体は『人型』になっていた。……崖の端に元の姿のまま降りれば壊れてしまうだろう。落ちたところで、彼にとっては痛くも痒くもないが、声の主を瓦礫に巻き込んでしまえば彼が加害者である。


 三十代ほどの『人間』の男の姿を維持する……、短い銀髪と無精ひげは、彼の身なりを気にしない性格が反映したせいだろう。

 瞳が元の姿と同じ『赤い』ままなのは、完全な変身を得意としていないからだ。今にも弾けてしまいそうなほどには、気を遣っていると言える。


 気を抜けば、ぱぁんっ、と元の姿に戻ってしまいそうで……。

 とにかく、そうなる前に、濁流に飲み込まれる寸前の赤ん坊を……赤ん坊を?


 声が聞こえて思わず追いかけてしまったが、別に、人間の赤ん坊を助ける必要はないのだ……、理由がなければ義理もなく、当然、義務もない。このまま末路を見るのは気持ちの良いことではないが、見なかったことにして立ち去ればいいだけ――。


 だが、すっぱりと綺麗に忘れられる性格なら良かったが、見てしまった以上、記憶喪失にでもならない限りは、どこかのタイミングで思い出す。あの赤ん坊はどうなったのか、と度々思い出すくらいならば、助け出してしまった方が話は早いだろう。


 助ける必要はないが、同時に助けない理由があるわけでもない。

 雷雨の中? 荒れる濁流? そんな自然災害に苦戦する彼ではない。


 なぜなら彼は『竜』である。


 生物の中の、生存競争――最強の種族だ。


「しょうがねえな……、見捨てる方が体に毒だ、助けてやるよ」


 理由ができた。

 それさえあれば、体は動き出す。


 崖の下は徐々に狭くなっており、竜の姿に戻れば翼が左右の岩壁を壊してしまうだろう……瓦礫が崩れてしまえば、さっき危惧したことが再び脅威となる。


 竜の時よりも当然ながら、腕力や移動範囲に制限が生まれるが、その分、小回りが利く――急な方向転換ができるなどのメリットがある。

 掴めば壊れてしまいそうな赤ん坊を助けるのであれば、人型の姿が最も適していると言えるだろう。


「よっ」


 飛び降りた――翼がないことを忘れていた、わけではなく、地道に岩壁を掴んで降りていたら赤ん坊が濁流に飲まれてしまう。

 救出するなら迅速に行動を起こす必要があった。


 飛び降りてから崖の中間地点で、指を岩壁に突き刺した……腕力、握力は下がっているが、頑丈さは衰えてはいない。

 突き刺した指が曲がらない方向へ折れ曲がる、ということはなく、落下の速度を徐々に殺していき……、足が着水するギリギリのところで落下が止まった。

 裸足のため、足の指を器用に動かし、赤ん坊が乗っているバスケットの縁をつまむ。

 足で持ち上げたバスケットを片手で持ち直して――泣いているが、赤ん坊は無事だ。


「泣き止んでいたらと思うとゾッとするが……泣いていれば安心だな」


 泣いているのは元気な証拠だ。


 彼は自覚がないが、雨に長時間も打たれていれば、体は冷えてしまう。毛布で包められた赤ん坊に、温度変化に適応するための手段があるわけもなく……、早く温めなければ衰弱してしまう。いつまでも崖下でもたもたしているわけには――、


「うおっ」


 濁流がさらに激しくなった。

 水量が増し、大きな波が彼の真上までやってきている。


 反射的に、彼は竜の姿へ戻った……色を反射させない黒い竜だ。

 赤ん坊は彼の大きな手の平の上……、小さな赤ん坊を『持っている』という感覚が希薄なため、忘れて握り潰してしまいそうな恐怖がある。


 高くなった波を防ぐことはできたが、狭い幅の中、急に大きな竜が姿を現したものだから、門をこじ開けるように崖の幅が広がっていく……、もしくは亀裂が入り、壊れていく……。

 瓦礫が続々と濁流に飲み込まれていき、このままでは崖の上部にまで影響を与え始めるだろう。大きな瓦礫が上から降ってくれば、たとえ竜でも、打ちどころが悪ければ気絶する……、そのまま濁流に飲み込まれれば……たとえ竜でも生還はできない。


 赤ん坊がいなければ脱出は容易だが……しかしそれをすれば、じゃあどうしてこの場までわざわざやってきたのだ、という話だ。赤ん坊は手離せない。


 みしみしみし……っ、と左右から嫌な音がする……。

 

 崖の限界も近いようだ……だったら。


「叫、ぶのは、まずいか……この近距離での咆哮は赤ん坊を殺しちまう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る