第2話
「孫のエスコートはいかがでしたかな?」
誰かが声を掛けてきた。さきほど母と話していた老紳士だった。髪は真っ白だったが、日に焼けた顔は皺も少なく、生気に満ち溢れている。
「貴方は……」
「おや、このお嬢さんに、お前はまだ、名乗ってもいなかったのか」
咎めるように老紳士は孫を振り返る。栗色の髪の青年は僅かに身を引き、膝を折った。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。アンギャンと申します」
アメリーは息を飲んだ。
「それでは貴方がアンギャン公爵であられるのですね!」
アンギャン公は、コンデ一族の直系で、最も若い血族にあたる。コンデ家は、ブルボン家の始祖アンリ4世の末弟から始まる名門だ。
フランスに革命が起きると、ブルボン家フランス王家の一員であるコンデ一族もまた、国を出た。そして、コンデ大公を筆頭に、知略と豪胆さ、勇気に溢れる彼らは、祖国を乗っ取った政府に対し、決死の戦いを挑んでいる……。
アメリーの表に理解の色を見出し、老紳士……コンデ大公……は、満足そうに微笑んだ。
「こう見えて、こやつは豪胆な男です。身内について自慢めいたことを言うのも愚かしいことですが、アンギャンは、フランス王家の伝統を受け継いだ教養ある公爵でありながら、勇敢な戦士でもあるのですよ」
「お噂はかねがね承っておりますわ。お目にかかれて光栄です、コンデ大公、アンギャン公」
「私もです、マリア・アメリー殿下。ですが、大公。今のは、少しほめ過ぎですよ」
白い歯を見せて、青年は微笑んだ。
「おお、麗しい姫を前に、つい口が過ぎた」
おどけた苦笑を浮かべた老コンデは、俄かに真顔になった。
「それでもアンギャンは、わが自慢の孫です。以後よしなにお見知りおきを」
フランスの革命で亡命したコンデ一族は、いち早く亡命貴族軍を設立した。コンデ大公、その息子ブルボン公、そして孫のアンギャン公のコンデ家三代の公爵たちは、亡命貴族たちを率いて、革命政府軍と戦っている。フランスを再び王の手に戻す為に。
気遣いを見せ、コンデ大公は、アメリーの身内へ話題を振った。
「貴女様のお従兄さま方……カール大公、ヨーハン大公もまた、優れた戦士でいらっしゃる。なにより、お二人の兄君であらせられる神聖ローマ皇帝フランツ二世陛下のお力で、ライン河の東は、安寧を守られているのです」(※)
実際には、革命軍はライン河を越えて侵攻し、さらには南のロンバルディアまで、その魔の手を伸ばしているのだが。
しかしその時アメリーが感じたのは、従兄の大公たちの活躍や、日を追って迫る皇帝フランツの敗北ではなかった。
この美しいコンデ家の青年……アンギャン公が配流の身だという事実だった。それは一歩間違えば自分達一家にも起こり得たことであり、事実、ナポリへ侵攻してきたのは、革命政府(総裁政府)下のフランス軍だ。
自分とアンギャン公の敵は、同一なのだ。その突き刺すような、それでいてどこか甘い仲間意識に、アメリーの胸は高鳴った。
しかも彼らは自ら剣を取り、命を賭けて戦っている。いにしえの偉大な王のように。彼女の父と兄のように。
深い共感がアメリーを包んだ。思わず彼女は、ダンスのパートナーだった青年を見上げた。少し尖り気味の顎、それに気品ある鷲鼻は、なるほどブルボン家の鼻だった。褐色に近い、明るい灰色の瞳が温かみを含んで彼女を見下ろしている。
胸の鼓動は激しさを増す一方だ。ダンスの時にはつゆとも感じなかった息切れに、彼女はうろたえた。
「アメリー」
やや低い声が呼びかけた。その底に幽かではあるが、あたかも威嚇するような響きが含まれている。
アメリーの母、ナポリ王妃マリア・カロリーナだ。コンデ家フランス王家の男性たちと話し込んでいる娘の元に、母が割り込んできた。
「娘が拙いダンスをお見せして、恥ずかしゅうございますわ、アンギャン公爵様」
年若い侯爵に向かい、大仰に頭を下げる。
「いえいえ、アメリー殿下にはお相手頂いて、大変な名誉を賜りました」
流れるように言って、アンギャン公が膝を折る。嫌みな所の全くない、スマートな対応だ。
マリア・カロリーナは、彼の祖父の方へ向き直った。
「長くお引止めして申し訳ございませんでした。お方様たちは、リンツにご滞在とか。御出立は、朝早いのでございましょう?」
「いや、奥方様、お気になさらず」
「ですが、今や神聖ローマ帝国の安泰は、お方様たちのご活躍に掛かっております。くれぐれも、御身お大切になさいませ」
アメリーは首を竦めた。まるで、自分たちにかかずらわっていないで、さっさと帰って寝ろ、とでも言っているようだ。
「なに、儂の若い頃には……」
だみ声で話し続けようとする祖父の袖を、アンギャンが引いた。
「またその話ですか。しつこいと嫌われますよ。ナポリ王妃様の仰る通りです。さあ、お祖父様、参りましょう」
アンギャンは、母に向かって優雅に一礼した。貴婦人に対する、完璧な所作だった。それから、優しい目線をアメリーに向けた。
「それではお休みなさいませ、アメリー殿下。ダンスのお相手、ありがとうございました」
「私の方こそですわ」
「また、踊って頂けるでしょうか」
そつなくアンギャンが尋ねる。
アメリーの胸がときめいた。
「ええ」
灰色の瞳が和らいだ気がした。この時初めて彼女は、世慣れた様子だった彼が、ひどく緊張していたことに気がついた。
緊張の解けたアンギャン公爵は、また一層、魅力的だった。瑞々しい唇に浮かんだ微笑みが、まるで大輪の花が開いたような明るい印象を与える。
祖父を先に立て、コンデ家の二人は、イタリアの貴婦人たちの前から立ち去って行った。
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※
ハプスブルク家と、フランス・イタリアのブルボン家の系譜です
https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330651525317036
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