筋金入りの令嬢
せりもも
第1話
メヌエットの優雅な調べが、大広間に広がっていく。皇帝と皇妃、続いて大公と大公妃のダンスが終わると、次は、貴族たちの番だ。
「踊りませんか」
目の前に白い手袋が差し出された。明るい栗色の髪の男性が微笑んでいる。うりざね顔に若干鷲鼻だが、大変な美形だ。
マリー・アメリーはためらった。
美しい青年から目をそらし、こっそり母の姿を探す。彼女の母、ナポリ王妃マリア・カロリーナは、白髪の老人と話し込んでいた。ちらりとこちらに目を向ける。その目に非難の色を読み取り、アメリーは僅かに顎を上げた。
「よろしくてよ」
ゆっくりと差し出された青年の手を取る。まるで母に見せつけるかのように。
17歳という年齢からか、時として彼女は、母を疎ましく思う気持ちを持つことがあった。
名門ハプスブルク家からイタリアに嫁いだ母は、父を尻に敷くだけでなく、最近では兄の手綱まで取ろうとする。そのくせナポリにフランス軍が侵攻してくると全てを投げ捨て、嫌がるアメリーを連れて、実家であるウィーン宮廷まで逃げ帰ってきてしまった。父と兄は、残されたシチリアからナポリを奪還したというのに。※
メヌエットなら大丈夫だとアメリーは計算した。穏やかな曲想なら、いかようにも相手をあしらえる。
差し出されたアメリーの手を握り、青年は広間の真ん中へと滑り出していった。そのあまりの手慣れた様子に、自分たちが会場の最も目立つ場所にいると気がついた時には、後の祭りだった。
ナポリから逃げてきた自分が、広間の真ん中に? 眩暈がする思いだった。
王女としてアメリーは、ダンスのレッスンをみっちりと受けさせられている。しかし、この青年の比ではなかった。彼はパートナーに負担を掛けずに、思いのままに振舞うこつを心得ていた。アメリーの狼狽は一瞬に過ぎ去り、今ではすっかり彼の掌中に載せられてしまっている。
曲が終わった。続いて始まったテンポの速い舞曲に、アメリーは戸惑った。軽快で、ひどく活動的な曲だ。
「コントルダンスですよ」
戸惑っている彼女の耳元で青年が囁いた。
「コントル……」
ドイツ語ではない。もちろん、イタリア語でもない。
……フランス語かしら。
「これはこういう風に……」
言いながら、青年はぐっとアメリーを引き寄せる。
「男女が引かれ合って踊るのです」
軽快な音楽も、もはや彼女の耳には届かない。掌中に乗せられたどころの話ではない。まるでマリオネットのように踊るしかなかった。今や彼女は、青年の意のままに操られている。そのくせ、息切れや疲労は全く感じない。それどころか、曲に乗り流れるように踊ることが、楽しくて仕方がない。
それはつまり、彼女のパートナーの技量が卓越しているということだ。
踊りながら彼女は、幾多の視線が、自分とパートナーに向けられているのを感じた。明らかに羨望の眼差しと(それに気づき、アメリーは有頂天になった)、それに付随するやっかみと好奇心(どうして気にする必要があろう)、それからこれは……憐み?
まさか。
しかもそれは、どうやら彼女のパートナーに向けられているようだ。
陶酔して踊る彼女には、だが、深く追求することができない。
パートナー交代のタイミングで、青年は彼女を踊りの輪から引きずり出した。通りかかった給仕の盆からグラスを取り上げ、輝くような赤い飲み物を差し出す。
「お疲れになったでしょう?」
ねぎらう言葉が心地よかった。
疲れてなどいなかった。体を動かした気持ちの良さで気分は高揚していたが、彼女は礼を言って、グラスを受け取った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※ナポリとフランスの歴史的背景について。飛ばして頂いても構いません。
現在は1800年が明けたばかりの冬
・1798. 5. 19 ナポレオン軍、エジプト遠征へ向けて出発
・1798.10.23 フランス軍(総裁政府下/司令官:シャンピオネ、後、マクドナル)、ナポリ侵攻
・1799. 1.21 フランスの傀儡国家、パルテノペア共和国樹立
・1799. 6.13 パルテノペア共和国、滅亡。王権はフェルディナンド(マリー・アメリ―の父)へ(*下記注記)
・1799.11. 9 ブリュメールのクーデター
(エジプトより帰国したナポレオンによる総裁政府打倒の軍事クーデター)
※注
パルテノペア共和国の滅亡は、イタリアのラザリ(公共秩序の維持を任されていた集団)や、聖教軍らの尽力、及びイギリス海軍の協力による。ナポリ王権は、フェルディナンド(マリー・アメリ―の父)の手に戻るが、彼はシシリアに逃げたきり、1802年アミアン和約まで戻っていない。その後(1806年)、ナポレオンにより、フェルディナンドはナポリ王を退位させられ、シチリアのみ残される
本文中ではアメーリア視点なので、美化された描写である点は、どうぞご寛恕下さい
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