芍薬の花後
好き?
なんでそうなるんだよ。
本当に今、好きって言ったんだよな?
「ふふっ、驚いた顔してるね」
カノンは、俺の表情を伺いながらそんな事を言った。
カノンが小悪魔的な表情を浮かべているせいで、なんだかもてあそばれている気がしてくる。
「そりゃあ驚くだろ」
「まぁ、そうだよねw 私だって、自分に驚いてるよ。一緒だ、木下くんと私」
少しだけ、カノンの顔が赤い気がする。
そのせいで、冗談で言っているのか、本気で言っているのか、俺にはうまく判断できなかった。
冗談だった場合、俺はなんてピュアなんでしょうね……。
ピュアな自分の事を考えていたら、少しずつ俺は冷静になっていった。
「……病室で告白とか、なんかもうカノン死んでしまうみたいだなw」
「そういうつもりじゃないんだけどねwはははw」
カノンは自分の髪を手でもてあそびながら、病室の窓から見える向こうの景色に目をやった。笑い方は、以前にも学校で聞いた時と同じようなものだったが、王子様ともお嬢様とも形容しがたい、優しい笑い声だった。
「自分に驚くって、俺を好きだって言ったことに?」
「……うん。別に、今言うつもり無かったのに……」
窓の外に目を向けたまま、カノンはゆっくりと話していった。
「ほら、ここの部屋、個室で周りに誰もいないでしょ? だからかもしれないけど、なんか一人で色々と考える時間が多くってね」
「確かに、そんな時間が多くなりそうな部屋だな」
「そう。たまに、看護師さんが料理持ってきてくれたり、色々用事で入ってくるけど、基本朝から夜までずーっと一人なんだよね」
「うん」
「そんな時に、そこの重い扉がゆっくり開いて、学校の人がお見舞いで来るわけ」
「そうだな」
「だから、あ、誰か来た!……ああ、あなたかー……。あ、今度は誰?……ああ、今度はあなたかー……って、そんな風に考える日が続いて」
「……」
「……」
そこで俺達は少しの間黙り込んでいた。
カノンが黙ってるせいで、話が進まなかったんだ。
「……それで? 何なんだよ」
「……うん。……それで……木下くんがここへ来てくれる事、無意識のうちに待ってる私がいるんだなぁって……」
「!」
何言ってんだ。
カノン、お前本当は別の病気にかかったんじゃないか?
そういうのは、本当に好きなやつにだけ言うもんだ。
俺が女子に好かれるとかまず無いからな。
とか、そう思っていたはずなんだが、俺の顔はなぜか赤くなっていたと思う。
顔が熱い。
これはたぶん燃えている。
風邪でも引いたかもしれない。
「ま、待ってくれ! 少し待ってくれ」
「……」
俺は少し手で顔を隠しながら、感情や状況の整理をした。
心臓がバクバク鳴っててうるさかった。
せめてこれが鳴りやむくらいまで待ちたかった。
それから少しの間、お互いに何もしゃべらない時間が続いた。
俺の鼓動が落ち着いてきたのを待ってから、俺は顔に当てていた手を離した。
それから、ゆっくりと返事をしたんだ。
「俺も、カノンと話してる時間は、結構楽しいと感じてる」
「……うん」
「でも……それが、恋愛的なものなのかって言われると……。……それは違うと思う」
楽しいと感じる気持ちで言えば、俺はもっと楽しいと感じていた奴がいたんだと思う。
そいつは、もうどこか遠くへ行ってしまったんだけど。
「……そう、だよね。……わかったよ」
「……」
俺がそう伝えると、カノンは寂しそうな、しかしそれでもどこか柔らかい表情で俺の事を見つめていた。
そんなカノンの顔を見ていると、何かこみ上げてくる物があった。
胸の辺りがぐっと切ないような、そんな気持ちになった。
人の告白をふっておいて、なんて身勝手な感情なんだろう。
俺は自分にダメ出しをしたくなるくらい、自分が身勝手だなと思った。
俺は今まで、自分が何かを好きになる気持ちや、嫌いになる気持ち、あるいは何かを受け入れたり、拒んだりする気持ちに対して、これほど自分を看過できないと思った事はなかった。
一体どうしてだろう……。
すごく、カノンに対して、悪い事をした気持ちになっていた。
「今日はもう帰るわ。また……、また来ようと思う」
「うん。今日はありがと。……帰り気をつけてね」
少し気まずい空気を残したまま、俺はカノンの病室をあとにした。
病室を出る時、カノンは最後までその柔らかい表情を保っていた。
帰り道、俺はずっと上の空だった。
途中、自転車を漕いで帰る気にならず、押して歩いたりなんかもした。
まだお昼にもなってない時間帯だったのに、もう一日分をエネルギーを使い切ったような気すらしていた。
今日は土曜日。明日が日曜日で本当によかったと思った。
明日が平日で、学校に行かなきゃいけなかったら、たぶん俺は不登校になっていたと思う。そんな複雑な気持ちだった。
――――――――――
月曜日の朝、登校すると玄関でばったり月野灰色に出くわした。
「あ、おはよう」
俺が後ろからそう声をかけると、月野ははっとして気付いたようだった。
「おはようございます、木下先輩」
やっぱり今日も髪が長く、月野の肘くらいまである。
肌も相変わらず白いな、とか思っていると、月野は俺にちょいちょいと手招きをした。
なんだ? と思い近づくと、月野は片手を立てて内緒話をするような素振りを見せた。
特に何も考えず、俺は自然と流されるように月野のほうへ耳を近づけた。
「……お休みのあいだ、……結構書きましたよ」
「!」
耳元でそう囁かれ、俺は少しどきっとした。
吐息とか、息遣いとか、そういうのは至近距離だともろに感じるからやめなさい。
そう注意してやろうかと思った。
「そ、そうか。まぁ、また昼休みだな」
「ちゃんと来てくださいね」
そう言って、月野は一階にある一学年の教室の方へ行ってしまった。
ただ朝の挨拶をするだけで終わるかと思っていたんだけどな。
月野が進捗報告をしてくるなんて。
二学年の教室がある二階へ向かいながら、俺はそう感じていた。
月野のお兄さんは、小説家志望で、それでいながら亡くなっている。
お兄さんの本当の苦しみも、創作をする人間の気持ちも、どれもよくわからない月野は、創作をする事でその答えを探そうとしている。
改めてこう考えてみると、月野はとても勇気のある奴だなと思った。
もし身内が亡くなったとして、その原因になったものがあるとして、俺はその原因となった職業や、界隈や、コンテンツに飛び込んでみたいと思うだろうか……?
本当は、月野は俺が思っているよりもずっと図太いのかもしれない。
そして今、月野はどことなく、話を作る事が楽しいのだと言っていた。
「あいつもよくわからん奴だな」
なんとなくそんな独り言をつぶやいて、俺は自分の教室の中へ入っていった。
――――――――――
お昼になって、いつものようにパンを片手に屋上へと向かった。
屋上の出入り口の扉の前に立ち、少し思い出していた。
一昨日の土曜日の朝に見た、かすかな夢の記憶だ。
「 先輩、料理なんですよ 」
料理って一体なんだったんだ?
俺の昼飯の話だろうか。
やっぱり引っかかる。特に深い意味のない言葉だったかもしれない。
所詮は、夢の中の言葉だ。
俺自身わけがわからない、身に覚えのない事だ。
重く受け止めていても仕方ない気がする。ただの妄想みたいなものだ。
しかし、普通、夢というのはすぐに忘れるものだと思うんだが、俺はなぜかその月野の言葉だけは、どうにも忘れられないでいたんだ。
屋上へ出られるこの出入り口の扉を開けば、たぶん向こうに月野がいるだろうな。
そう思いながら、ゆっくりとその扉を開けた。
青空に、ちぎれたような雲がいくつか浮いていて、その空の下に月野は立っていた。
月野以外は誰もいなかった。
「よう。今日天気いいな」
「……少し日差しが強いくらいですね」
特に風も吹いておらず、太陽が良い感じに照っている。
「休みのあいだ、ずっと書いてたのか?」
「いえ。……ずっとというわけじゃないですけど、割と?」
「割と」
「はい」
月野はそう返事をすると、片手に持っていたいつものノートを、俺に差し出してきた。
「……早速読ませてもらうわ」
俺がノートを受け取って腰を下ろすと、月野もそばで腰を下ろした。
俺は、前回読んだ所を探して、その続きに目を通す事にした。
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