オープンチャット

 月野の小説に少しだけ安心したその日、俺は学校が終わると、喫茶店「ウィリアム」に立ち寄っていた。


 アルバイトがお休みだったので、もはや当然のようにリートの部屋へと招かれていた。

 立ち寄るっていうか、もはやお邪魔しちゃってるな。

 別にリートと遊ぶためにこの店に立ち寄ってるわけじゃないんだけどな……。


「で、今日もアクションゲームか?」


 もうこの痛部屋で過ごすのも慣れたもんだった。

 窓を塞ぐようにして下げられた特大タペストリーも、棚の上を埋め尽くすほどのフィギュアの群れも。リートの趣味全開の本棚も。ベッドの掛布団でさえ、魅力的なポージングを取ったキャラクターがその姿を躍らせている。

 それでも俺の存在は、まったく違和感がない気がする。


 やばい。なんか馴染みつつあるな俺。

 当たり前のように一緒にゲームしようとしてる俺がいる。


「ううん……。というか、今日はちょっとお願いがあるの」

「お願い?」


 改まって、なんだか珍しいな。


「うん。……実は、友達作りたいの!」

「……知ってた」

「え⁉ なんで知ってたの⁉」


 リートは驚いてその綺麗な緑色の目を丸くさせた。

 そして、ずいっと身を乗り出してくる。


「わっ、お前ちけぇよ。ちょっとは離れろ!」

「ねぇ、なんで⁉」

「なんでって……一緒に遊んでたからな。それでなんとなく、リートは誰かと遊ぶことに飢えてるんじゃないかって、そう思ってたんだよ!」


 元々はカノンのお願いがきっかけだったけど、遊んでいて確信した部分はあったんだ。


「そっか……やっぱり私、誰かと遊びたかったんだよね」


 俺の言葉を聞いて、リートは少し落ち着いたようだった。


「誰か、遊び相手になってくれる人がほしいんだろ? ゲームとか一緒にできる奴がいると捗るよな。わかる」

「名探偵木下だね」

「今更気付いたのか」

「変な名前で人気だし、すごい人だったんだ! 木下!」

「変な名前は冗談だからな⁉ ていうか、以前の冗談を蒸し返すなよ……」

「あはははっ!」


 とりあえず俺は、リートにゲーマー同士が集まるオープンチャットのコミュニティを教えてやる事にした。

 しばらく俺はこの類いを利用してなかったけど、これならリートの求めてるものは見つかるはずだと思った。

 これで誰かとは遊べるだろうし、むしろ俺よりも気が合う奴が現れるだろ。

 今の時代、オンライン対戦も、ボイスチャットも、当たり前だ。


「ていうか、なんで今までオンライン上でこういうやり取りしてこなかったんだよ」

「えー……だって、なんか怖いじゃん……」

「まぁ……そうか」


 なるほどな。確かに、今時はオンラインが主流といっても、晒しだの炎上だの、スナイプだの粘着だの、色々とゲームにまつわるしがらみってあるからな。

 ネットで情報に触れる機会が多い分、リートみたいに少し怖くて踏み出せない人間もいるのかもしれない。


「もっと怖くなければいいのに! やっぱりちょっと知り合いとか、そういう現実で付き合いのある人と遊ぶほうが、私はいいって思っちゃうんだよ。ネット上とか、別に怖くなかったら私だってスルッとできるし! こんなの!」


 あれ……?


「まぁ、食わず嫌いだと思うけどな~。俺も、最初は少し抵抗あって怖かったけど、一回やってしまうと、全然平気だったぞ」


 なんだ?

 なんだか、俺はこのやり取りにとても既視感があったんだ。

 いや、既視感ではない……か?


「そういうものなの……?」

「ああ、そういうもんだ。スマホ貸してくれ。登録しとくわ」


 リートはネットを通じたコミュニティにビビッてて、一回もした事がないんだよな。

 しかも、一回やってしまえば、後は全然平気で、怖さとかも特になくなるって。

 なんだっけ、これ……。

 何か、俺には身に覚えがあるような気がしていた。

 妙な感覚だった。

 しかし思い出そうとしても、俺はうまく思い出せなかった。


「とりあえず、リートのスマホで参加登録するところまではやっておいたぞ」


 この前一緒にやったFPSゲームのコミュニティに、リートを登録しておいた。

 スマホをリートに返すと、彼女はじっとスマホの画面を凝視していた。


「いやいや、そんなジッと眺めてても何も始まらないだろ?」

「き、木下! これ、何すればいいの⁉」

「そうだなー、とりあえず、「こんばんは」とかの挨拶だけ送っておいて、チャットに参加してる人が募集してるものに、参加していけばいいんじゃないか?」


 リートは、スマホの画面を見て何やら目を輝かせていた。


「わぁ~! すごいすごい! すっごいレベル高い人もいるんじゃんこれ!」

「あんまり寄生するなよw そういう奴は嫌われるし、煙たがられるぞ」


 テンション上がりすぎだ。


「だ、大丈夫だし! 私、腕あるから! 腕!」


 リートは、かぼそい二の腕を俺に見せると、ぱんっぱんっ、と自分の腕をたたいてみせた。


「一体どの口がそんな事言うんだ……あの惨劇を忘れたのかお前」

「何が惨劇なの⁉ 私そんな下手じゃないからね⁉」


 リートは、あの敵襲に追い込まれていた悪夢をすっかり忘れているらしかった。

 すぐそばの棚に飾ってあるフィギュアのいくつかがそうであるように、リートの表情もまた、明るく楽しそうだった。

 悪い事は早く忘れてしまうタイプなのか?

 それはそれで羨ましい奴だな。


「……」

「ねぇ、木下ぁ~」

「なんだよ」


 今更だがもう普通に呼び捨てなんだな。定着してしまったのかもしれない。


「とりあえず、一人目のフレンドできるまでやってくれない? これ……」


 リートはそう言って俺にスマホを差し出してきた。


「は? 俺がお前の名前でオープンチャットしろって事か?」

「……うん」

「いやそれはまずいだろ。ネカマみたいなもんじゃね? それは」

「だってさー……。一人目の友達できれば平気なんでしょ?」

「……」


 まぁ、俺が言った「一回すれば」っていう言葉を借りればそうなるのか?


「そこまですると、なんかもう俺が友達作ってるだけじゃないか……?」

「大丈夫! チャットは任せるから、実際にゲームやる方は任せて! ゲーム中も、私がしゃべった事を木下が打ち込んでくれればいいから!」

「なんだよそれw バーチャル二人羽織じゃねぇか」

「ははは! 面白いじゃんそれw」

「いや、皮肉だからな……真に受けるなよ」

「ええ~……」


 普通に気が引けるわ、そんなの。

 リートはそれほど気にしていないみたいだが、もし自分が相手だったら絶対嫌だろ。

 画面の向こうの相手が一人かと思っていたら実は二人でした!とか。


「まぁ、それだったら、ちゃんと俺は俺のスマホで、別名に登録する方がいいと思うんだが」

「そっか! それでいいかも!」

「リートお前、さっきから流されやすいな……」

「そんな事ないよ? ちゃんと考えて、そっちの方がいいなぁって思ったから同意してるだけ!」


 リートの言葉に俺は黙り込んでいた。

 果たしてそれが本当にリートの思っている事なのか?

 とても疑わしいもんだ。


 それに、俺は今全くと言っていいほど、このオープンチャットのテーマとなっているゲームを遊んでいない。参加したらしたで、こういうのはある程度アクティブに遊んでおかないと、メンバーから除外されたり、整理されて再入会できなくなったりするだろうしな。

 なかなかだるいな。


「なぁ、どうしてもダメか? お前の後ろから見ておく。それだけでも十分だろ?」

「え~? なんで? やりたくないの?」


 結局、リートに聞いてもダメだった。

 ただ流されてるのは、むしろリートじゃなくて俺の方なのかもしれないな。

 断るのが下手で、意見だけは言える。流れに逆らう事がだるいと感じたら、いくらでも流されるまま。


 そんな風に自分を悲観しながら、俺は自分のスマホでそのオープンチャットに参加した。


――ピコンッ。


 軽快な音が鳴り、無事、俺は参加登録する事ができたようだった。

 最近ろくに遊びもしていなかったが、これからは定期的にこのゲームを遊ばないといけなくなった。


 ちょっとしたバイト……いや、給料が出ない分よほどたちが悪いかもしれない。

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