ピアス
放課後、俺はバイト先のカラオケ屋へと向かった。
アルバイトのうち、一人が怪我でしばらく出勤できなくなったため、シフトに多少の変更があったんだ。
まぁ変更というか、俺としては希望通りのシフトになってくれたわけだが。
無論、その怪我をした人物とは、他でもないカノンの事だったと思う。
「だったと思う」というのは、正しい表現だ。
明確に、俺が店長に確認したわけじゃない。
ただ、時期からして確定的だったんだ。
カノンの休学。
新人バイトの急な長期休み。
そして何より名前が一緒だしな。
疑いようないだろこれ。
バイトへ向かう途中、俺はずっと月野の小説のことを考えていた。
ずっと考えていたせいで、そのままカラオケ屋に到着してしまった。
「そのまま」というのは、正しい表現だ。
バイトまでの時間を潰さずに、という事だ。
いつもは、本屋などで適当にバイトまでの時間を潰してから向かうのだが、この時はすっかりそれを忘れていたんだ。
もうお店の前まで来ていたので、仕方なくお店に入ることにした。
休憩室でスマホいじってりゃ時間くらい潰せるしな。
今から本屋に行くのもだるいし。
たまにはそれもいいだろ。
そう思っていた。
俺がお店に入ると、受付カウンターにはサボり先輩じゃない人が座っていた。
サボり先輩と同い年のフリーター、日傘さんだった。
日傘さんは、無口で取っつきづらい所のある先輩だった。顔も、基本無表情で何を考えているのか読めない。心で思っている事を顔には出さない、デフォルトポーカーフェイス、とでも言うんだろうか。なんか、カタカナにしてみるとカッコイイな?
取っつきづらさは、バイト仲間の間でも有名だったんだ。
「お疲れ様ですー」
「……」
俺が挨拶をしても、日傘さんは返してくれなかった。
ガンスルー。
デフォルトポーカーフェイスのガンスルー。
これは、予想されていた事だった。
だから俺は、まったく凹んでいなかった。
まったく、いや本当に、完全に凹んでなんかない。
挨拶を華麗にスルーされた俺だったが、特に気にせず裏の休憩室へと回った。
「お疲れ様ですー」
「あ、木下君。おつかれーって、あれ? なんか時間早くない?」
休憩室には、サボり先輩こと佐保先輩が一人だけでいた。
テーブルに突っ伏して寝ながら、スマホをいじっていた。
どうやら休憩中らしい。
ていうか本当いつでもいるなこの人。
「今日、ちょっと考え事してたら、本屋寄るの忘れちゃったんですよね」
「へぇ~、考え事ね~。あ、もしかして木下君、誰か好きな人でもできたんじゃん?」
「え」
佐保先輩はそんな事をかる~い調子で聞いてくる。
なんでもすぐに恋愛に結び付けるのはどうなんだ?
この人の悪い癖だな。
俺はよくそんな事を思っていた。
「あっはっはっは! もしかして図星だったの? 話してみなよ~」
「図星じゃないですよ」
佐保先輩は、茶髪に染め上げたその長い髪を左手の指でくるくるいじりつつ、もう片方の手でスマホをいじっていた。
「でも考え事してたんでしょ? 言ってみ~? ほれほれっ」
左手を俺のほうに差し出した先輩は、カモンカモンみたいなジェスチャーをしている。
ぐ……うざいな、サボり魔め……。
「してましたよ、考え事。ちょっと学校の後輩のことで」
「その子が好きなんだね?w」
違うわwいい加減恋愛から離れて。
「その後輩の子が、小説を書くんですけどね」
「へぇ~、文学少女かぁ~。いいじゃん」
「それで、最近定期的にそれを読んでるんですけど」
「うんうん」
「その小説に出てくる人物が、現実に俺の会ったことのある奴に似てるっていうか……」
「へぇ~! そんな事あるんだ。なんだかおもしろいね!w」
「なんか、奇妙ですよね……。ちょっとそいつと、作中の人物を重ねてしまって」
「そうなんだー。じゃあちょっと、読むのは嫌になってきたって話?」
「嫌というより、怖いって感じですかね……。話の展開を知るのが怖い、みたいな」
「ふぅーん。それなら、読むのはもうやめたらいいんじゃない? その後輩ちゃんだって、読むのを怖がってる人に、無理矢理読ませようとは思ってないんでしょ?」
「それはそうなんですけど……。そもそも、その後輩は小説を普段から書くような奴じゃなかったんすよ。俺が書くようにそそのかしたような所もあるんで、読まなきゃならない義理というか、義務みたいなものがある気がして」
俺の言葉に、佐保先輩はふむふむと頷いていた。
「ねぇ、木下君は、なんでその小説の先を読むのが怖いの? 別に本に殺されるわけじゃあるまいしw」
佐保先輩はにやにやしている。
この人ほんっといたずらっ子というか、茶化すのが好きというか、そんな性分なんだろうなと思った。
「そりゃそうなんですけど。どことなく、主人公が自分に似てるんですよ。で、なんかその主人公が、ある事に気付いて死にたくなってるっていうか……、危険な展開になりそうなんで、怖くなってきて」
「ふぅーん、なるほどね~」
「……」
俺は不思議な気持ちだった。
たぶん、こういう自分の気持ちを、田辺やカノン、それに月野には、素直に言うことができないような気がしていたんだ。
この気持ちを素直に言ったって、別に何の問題もないのかもしれない。
でも、なぜか知られたくなかったんだよな。
佐保先輩には、平気で言えるんだ。
いや、たぶん佐保先輩以外にも、言える相手はいるだろうなと思った。
山岸にも言えるし、数野先輩にも言える。
リート辺りが、微妙なラインだと思った。しかし、なぜ微妙なラインなのか、その理由はわからなかった。
俺がそんな事を考えていると、佐保先輩は自分の長い髪を触りだしていた。
左手で、そのままゆっくりと左耳に髪を掛けていった。
先輩の仕草は、妙に色っぽい気がした。
先輩が髪をかき上げると、必然的に左耳が露わになった。
それから先輩は、自分の左手で、その耳につけていた小さなピアスを触りながらこう言った。
「ねぇねぇ、木下君さー」
「はい?」
「ピアス! ピアスって開けた事ある?」
先輩は、いたずらっ子のような顔をしてそんな事を聞いてきた。
俺は、質問の意図がわからなかったが、思った事を答えようと思った。
「い、いや、無いですけど」
「じゃあ開けたいなって思った事は?」
「それも無いです」
「じゃあ開けなきゃいけなくなったら?」
「……」
「もしかして、怖くてできないんじゃない?」
「まぁ、痛いのは嫌ですよw 怖いっていうか、嫌です」
何を聞きたいんだ、この人は。
「じゃあ、その小説を書いてる後輩ちゃんが、ピアスを開けなきゃいけなくなったら?」
「え?」
「……それも怖いんじゃないの?」
「……」
「ほら、それと一緒だよ」
「え、どういう事ですか?」
俺は意味がわからなかった。
相変わらず、佐保先輩は左耳のピアスを触っていた。
ピアスは時々、休憩室の蛍光灯を反射して、きらきらと光っていた。
「後輩ちゃんがピアスを開けても、木下君の身体は痛くも痒くもないはずでしょ?」
「……そう、ですね」
「自分が大切に思ってる事とか、大切に思ってる人が、傷つけられたくないって思ってるから。だから怖いんじゃない? その小説の主人公に対しても、同じような事を感じてるんじゃないかなー」
「主人公が傷付くかもしれないから、それで読みたくないって思ってるって事ですか?」
「そういう事だと思うよ~」
「でも、所詮フィクションのなかですよ?」
「まぁ、確かにねw 私もわかんないよ、その辺は。ただ、一つだけ私から言える事ならあるよ」
「……なんですか?」
「一回開けてみると、ピアスは怖くなくなるって事だね」
「……!」
先輩はそう言うと、スマホで時計を見たのか「もう出なきゃじゃん!」と慌てて支度をして、休憩室を出ていってしまった。
俺だけが後に残された。
俺は先輩の言っていた言葉が、その日のバイト中ずっと頭の中にこびりついて離れなかった。
つまり俺は、ピアスを開ける前の、ビビってる状態と同じって事なんだろうな。
少なくとも、佐保先輩からはそう見えていたんだろうなと思った。
俺が月野の小説の続きを読む事にビビっているから、だからピアスを引き合いに出してきたんだろうか。
佐保先輩は、ただのぐうたらなサボり先輩じゃなかったんだな。
むしろ察しがいい。てかそれも怖い。
なんだかハッとさせられる事が多いな、最近。
臆病な心を奮い立たせて月野の小説を読もう。
バイトが終わる頃、俺はそう決心していた。
暗くなった家路には、人影が全然なかった。
帰りやすいな。
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